戸田橋
①戸田公園駅・・・・・・・・・東北新幹線の建設では、埼玉県南部の人口密集地を抜けるため、新幹線高架橋と並行して通勤新線を建設し住民の説得にあたったのが埼京線である。 昭和60年(1985)9月30日、その埼京線と同時開業した駅の一つが戸田公園駅。 島式ホーム1面2線と、両外側に1線づつ通過線がある高架駅。 下り線の外側には新幹線の高架橋が並行する。
・・・・・・・・・・・・・・このまま電車に乗って終点まで行きたくなった!

②地蔵堂・・・・・・・・・・・荒川の左岸:戸田市川岸1丁目に地蔵堂がある。 堂は江戸時代の絵図にも記載されている、戸田市内最古の木造建造物だそうだ!

・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の近くにある水神宮(すいじんぐう)。、、、、正面の石碑には寛政8年(1796)の銘がある。 この地の氏神さまらしい。
・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の近くにもう一つ古そうなものがあった。、、、、今も現役のポスト

③戸田の渡し跡・・・・・・・・・・水神宮向かいの荒川土手に「中山道戸田渡船場跡」の碑がある。 荒川には江戸防衛の意から橋は架けられず、人々はここを越えるには船による渡しに頼らざる得なかった。 これが中山道「戸田の渡し」である。、、、、この渡しは、天正年中(1575~1591)よりあったとされ、その重要性は近世を通じて変わらなかった。 明治8年(1875)には木橋の戸田橋がついに完成し、「戸田の渡し」が廃止となった。
④戸田橋親柱・・・・・・・・・戸田橋の北詰(戸田市川岸3)の戸田橋親水公園に3代目戸田橋の親柱が保存されている。 3代目戸田橋は、昭和4年(1929)に着工し、総工費101万9000円を投じ、昭和7年(1932)12月24日に竣工した、長さ545m、幅11m、当時の橋梁技術の粋を集めた近代的な鉄製トラス橋で、完成当時は日本一斬新でモダンなデザインが話題を呼んだ。 橋の設計は増田淳(千住大橋、白鬚橋などを設計)、橋の施工は横河橋梁(現、横河ブリッジ)、架設は鴻池組である。
・・・・・・・・・・・親柱の銘板「埼玉縣」には、後に米軍憲兵によって付けられたといわれている弾痕が3箇所ある。 一か所は、「埼玉縣」の“玉”の字の中央に、パチンコ玉程のくぼみを見ることができる。、、、、、“玉”を弾で傷つけ、おっ魂げた!
・・・・・・・・・・・・・・・3代目戸田橋 (雑誌「工事画報」昭和8年1月号より )
⑤戸田公園・・・・・・・・駅名ともなっている戸田公園は、荒川の水を引き込んだ戸田オリンピックボートコースをはじめ、荒川の河川敷に広がる野球用のグラウンドなどの総称である。 戸田競艇場もボートコースの西端にある。、、、、、ボートコースは約2.5kmの長さ、長すぎるので、端っこだけ見てきた! 2020年東京オリンピックもここを利用すればいいのにね!


⑥戸田橋・・・・・・・・・現在の戸田橋は、埼玉県戸田市と東京都板橋区の間で荒川に架かるかかる橋で、国道17号(中山道)を通す。 新幹線・埼京線荒川橋梁が下流側に並行して架かる。、、、、明治8年(1875)に最初の木橋の戸田橋が架けられ、大正元年(1912)に2代目の戸田橋(木橋)が架けられ、3代目は昭和7年(1932)に鋼製のカンチレバートラス橋が架けられた。、、、、現橋(4代目)は、昭和53年(1978)竣工した、長さ519m、幅21mの鋼連続箱桁橋である。
・・・・・・・・・・・・・・戸田橋から上流側を望む
⑦浮間公園・・・・・・・・・・・浮間舟渡駅の正面に広がる、東側の北区と西側の板橋区にまたがる約4万m²の公園。、、、、元は荒川が流れていたところで、大正から昭和にかけての河川改修で一部が池になった。 昭和42年(1967)に浮間公園が設けられた。、、、、、只今、満開! 早々と、昼前から桜色に染まった人もいた。
⑧浮間舟渡駅 ・・・・・・・・・・北区浮間と板橋区舟渡の2区にまたがる駅
「散歩」カテゴリの記事
「建築」カテゴリの記事
- しばられ地蔵(2018.03.17)
- 京成団地~平和交通本社(2018.03.13)
- 高砂~亀有(2018.03.11)
- 日本橋(2018.03.10)
- 立会川~西大井(2018.03.06)