森ヶ崎
羽田空港へ向かう東京モノレールの昭和島駅で下車し、「大森南」(旧森ヶ崎)の町を歩いてきた。 1万2千歩の散歩です。
①昭和島駅 ・・・・・・・・元はモノレールの車両基地の停車場として、職員専用の駅であったが、昭和60年(1985)から一般の乗客も利用できる駅として開業した。 島式ホーム2面4線を有し、快速が普通を追い抜く駅である。 幅の狭い細長い島式ホームはホームドアが無いと、チョイト怖いね!
②呑川水門・・・・・・・・呑川(のみかわ)水門は、門扉型の単葉ローラーゲート、幅6mの水門で昭和41年(1966)度に竣工した。
・・・・・・・・・・ 昭和島から京浜運河を越えて呑川水門に行く。 右岸は昭和島、左岸は大森東地区。
・・・・・・・・・・ 昭和島から見る対岸の呑川水門
・・・・・・・・・・ 小さな水門だが、高潮を防ぐための大切な水門である。
・・・・・・・・・・ 呑川水門は旧呑川にあり、現在は水門の上流側100m程が船溜まりとして使用されている。 都は水門を廃止するため防潮堤の整備を進めている。
③首都高羽田線・・・・・・・・モノレールと並走している首都高羽田線が、昭和島から運河を越えて大森南の森ヶ崎水再生センター西施設にすり寄ってくる。、、、、、写真対岸が昭和島、右側に首都高が走り、見えないが首都高の陰にモノレールが並走する。 手前側は“森ヶ崎海岸”と呼ばれている岸。
・・・・・・・・・・ 左側に首都高、中央は森ヶ崎海岸公園の遊歩道、右側には森ヶ崎水再生センター西施設がある。 現在の首都高羽田線本線はこの辺りで、水中にもぐりトンネルで羽田の空港島に向かう。 写真に写っている首都高は、羽田可動橋で海老取川を渡り空港島に向かう道路であるが、この部分は現在使用されていない。
・・・・・・・・・・ その使用されていない羽田可動橋、、、、、海老取川沿いには鉄工所などがあり、大型船の航路を確保する必要があり、可動橋(旋回橋構造)として造られたものである。 平成2年(1990)4月から羽田可動橋は使用開始となり、平成10年(1998)4月に交通量の減少に伴い使用が停止された。 水底をトンネルで抜ける本線は使用されている。、、、、、、現在は開きっぱなしの可動橋。 いずれ本線が混んできたら再び利用するそうだ。 これまで、わずか8年しか使用されていない可動橋の運命や、是いかに?
④森ヶ崎水再生センター・・・・・・・大田・品川・目黒・世田谷区の大部分、渋谷・杉並区の一部の汚水を処理する国内最大の水再生センター。 敷地面積は415,309m3あり、昭和島の東施設と大森南の西施設の二つに分かれている。、、、、、今日は西施設をチラッと見てきた。 西施設の屋上はテニスコートなどもある「森ヶ崎公園」として一般に公開されているが、誰もいなかった。 午前中は利用する人もいないのかも?
⑤森ケ崎観音法浄院・・・・・・・・水再生センターの近く、大田区大森南5丁目に森ケ崎観音として親しまれている法浄院がある。、、、、大正の頃までは現在より北方の海岸近くの葦原の中に建っていた波除観音堂であった。 昭和初期に地元の人々によって移築されて二間四面の観音堂となった。 昭和13年(1938)8月24日、森ケ崎上空にて、旅客機と練習機が接触し85名の死者をだす大事故が起り、その慰霊の為の地蔵尊及び位牌が当観音堂に安置されたそうだ。、、、、、、「森ヶ崎」とは、現在の「大田区大森南」(1~5丁目)の旧地名である。
⑥大森寺・・・・・・・・観音堂の近くにある、日蓮宗の寺。 歴史は浅く、明治38年(1905)に森ヶ崎教会所として創建された。

・・・・・・・・・・ 大森寺の境内に、明治34年(1901)に発見された、森ヶ崎鉱泉源泉碑がある。、、、、源泉が発見されると、周辺に鉱泉宿ができ、東京近郊の保養地、臨海行楽地として栄えたが、太平洋戦争を契機に転廃業したそうだ。、、、、、、現在のスパリゾートのような処だったみたいだ。 私の知る「平和島温泉」の先駆けであったのか?
⑦錆色の町・・・・・・・・・大森南(森ヶ崎)付近で見たさび色の町
⑧浦守稲荷神社・・・・・・・・・・神社が鎮座する大森村前ノ浦の鎮守として元禄年間(1688~1704)に創建されたそうだ。
・・・・・・・・・・ 神社の近くには、前の浦商店街の街路灯が並んでいた。 しかし、営業しているのは数軒の店だけ(私も眼が悪くなったかな?)
・・・・・・・・・・ 近くの、京浜急行バス「前の浦」バス停から帰ることにした
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