瑞江~小岩
①瑞江駅・・・・・・・・・昭和61年(1986)9月14日に、船堀~篠崎間の開通に伴い開業した瑞江駅(みずええき)。 「瑞江」の地名は、大正時代に「瑞穂村」と「一之江村」が合併し、双方の地名から一文字づつ頂戴し誕生した。


②大雲寺・・・・・・・・駅から400m程西に向かうと、浄土宗の大雲寺がある。 大雲寺は、元和6年(1620)浅草森田町(現:蔵前)に創建、寛文8年(1668)に本所押上(現:業平公園東隣)へ移転し、昭和6年に現在地へ再移転した。 広い境内には樹木が生い茂り、小鳥のさえずりも聞こえる。
・・・・・・・・・・ 大雲寺は、かつて押上にあったことから歌舞伎役者の墓所が多数安置されており、「役者寺」と呼ばれている。 江戸時代から明治時代にいたる歌舞伎の名優41名の墓碑が並ぶ、ファン必見の役者寺。 市村羽左衛門(初~16代)、坂東彦三郎(3~6代)、瀬川菊之丞(初~6代)、松本幸四郎(4~6代)、中村勘三郎(初~13代)、尾上菊五郎(初・3・5・6代)など、、、、、私も名を読みながら巡ってみた。 知らない役者、名は聞いたが顔は判らない役者、なん代目と言われてもナンダイ! コリャダメだ歌舞伎の知識不足だ!
③城立寺・・・・・・・役者寺から北上し、高速の京葉道路を横切ると、住所は江戸川区春江町となる。 日蓮宗の城立寺(じょうりゅうじ)の門前に出たので、チョイトお立ち寄り。、、、、、城立寺は、千葉県松戸市平賀にある本土寺の末寺で、開基は元和2年(1616)といわれている。 境内にある鬼子母神堂には、伝教大師の作と伝えられる鬼子母神像が祀られている。
④鹿骨の町・・・・・・・・・・春江町から北へ、一般道の京葉道路を横切り鹿骨の町に入る。 「鹿骨」を“しかほね”・“しかぼね”と読むのはよそ者である、地元では“ししぼね”と読むのだ!
・・・・・・・・・・ 主要道以外は交通量も少ない静かな道が続く。

・・・・・・・・・・ ビニールハウスがあちらにも、こちらにも、、、、、畑もある!




・・・・・・・・・・ 鹿骨の町の南北を約1.3kmの長さで流れる鹿骨親水緑道、、、、、かつての農業用水路を整備し、平成7年(1995)に完成した緑道。 川幅は1m程の狭いものだが、水はきれいでゴミもない気持ち良い緑道である。 大きな鯉が泳いでいるのには感動した。
・・・・・・・・・・ 鹿骨の発祥地:鹿見塚神社(ししみづかじんじゃ)、、、、、神社には、昭和44年頃までは塚山があった。 現在は、「鹿骨発祥の地 鹿見塚」の碑がある。 伝説として『昔、常陸国の鹿島大神が大和国奈良の春日へお移りになる時、途中この地を通られ、大神の杖となっていた神鹿が病気でたおれてしまった、里人はこれをていねいに葬ってこの地に祀った。』 その塚が鹿見塚ということだ。
・・・・・・・・・・ 鹿骨鹿島神社、、、、、、鹿骨鹿島神社は鹿骨村の鎮守で、明治維新までは五社神明社とか五社神社と呼ばれていた。 これは、この村の草分けであった石井長勝、田島、牧野、中代、別系の石井姓の五氏が村に住みついた時にそれぞれが奉祀していた氏神を合祀したことから名づけられたといわれている。、、、、、本殿は明治14年(1881)、拝殿は大正8年(1919)の造営。
⑤南小岩の町・・・・・・・鹿骨を抜けると南小岩の町に入る。 小岩駅まではまもなくだ!
・・・・・・・・・・ 中曽根天祖神社、、、、、、南小岩4にある天祖神社。 天保年間(1830~1844)に改修した記録が残っていることから、江戸時代末期には既に祀られていたようだ。、、、、、、元総理を祀っているわけではない。 間違えないように!、、、、、境内は広いが、賽銭の実入りが少ないのか? 社殿は荒れてきたね。
・・・・・・・・・・ やっと、小岩駅前の商店街「フラワーロード」の入り口が見えた。

・・・・・・・・・・ や・や! なんだ、一目見ると“シャッター商店街”になっている! 営業している店もあるが、商店街は急に寂れたのか? 心配しながら歩いていると、水曜日は定休日とわかり、一安心。


・・・・・・・・・・ 正面に小岩駅が見えた。 1万4千歩の散歩もやっと終わった。 汗がダラダラ、下着はベトベト。 急ぎ帰ることとした。
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