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2017年6月

2017年6月29日 (木)

谷中の墓地

梅雨の晴れ間とは言えず、曇り空である。 ひょっとすると降るかもしれず、散歩は近場にしておこうと、谷中の墓地を歩いてきた。 墓地の中を1万歩。


 
谷中の墓地・・・・・・・・・台東区谷中(上野公園の北側)にある都立谷中霊園と、寛永寺墓地・天王寺墓地などを含む10万㎡を超える区域。 下の谷中霊園案内図には、黄色・緑色で色分けされた墓地の中に、寛永寺の墓地、天王寺の墓地が白色で抜かれている。 “谷中の墓地”は、元々は寛永寺・天王寺などの寺院が所有していた墓地であったが、明治政府は神仏分離政策を推し進めるため、寺院以外の神社などが管理する墓地の必要性に迫られた。 そこで、寺院が所有する墓地の一部を没収して「谷中霊園」とした。 それゆえ現在は、都立谷中霊園・寛永寺の墓地・天王寺の墓地などが混在し、整理のつかない墓地となった。、、、、、徳川慶喜の墓は、谷中霊園の中にある寛永寺の墓地の中の徳川慶喜公墓所にある。 ややこしい、わかりにくい、墓が無秩序に並んでいる谷中の墓地だ。

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・・・・・・・・・・ 墓地は無防備で、墓地の周囲に特別に柵があるわけでもない。 入口はあっちこっちにある。 ここは日暮里駅西口脇の入口

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・・・・・・・・・・ 墓地のほぼ中央を抜ける、花見の名所「さくら通り」 日暮里駅と谷中の町を結ぶ、通勤通学の主要道路となっている。 夜も人通りが多く、怖い道ではない。 五重塔跡には駐在所もある。

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・・・・・・・・・・ その「さくら通り」の中程に、谷中の五重塔跡がある。 焼けた五重塔は日蓮宗の寺院:天王寺の五重塔である。 約34mの関東では最も高い塔であった。 昭和32年(1957)に放火により焼失してしまった。 現在は礎石が残るのみとなった。

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・・・・・・・・・・ 駅とは反対側の「さくら通り」の端部には、谷中墓地開設とほぼ同時期に開業した生花問屋の「花重」(国登録有形文化財)がある。 明治10年(1877)に前身建物を背面側に曳屋し,木造2階建の店舗兼居室を建てた。 1階は店舗で、現在は花屋を営み、2階は3室に区切って畳敷の居室としている。 江戸・明治期の谷中の風致を今に伝える建築である。、、、、、花重の前にも風情ある「ふじむらや」の建物がたっている。
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・・・・・・・・・・ なんだ、かんだ、言っても、古い谷中の墓地だから、著名人の墓は、♪♪ワンサカ・ワンサ・ワンサカ・ワンサ・イェーイ・イェーイ・イェイ・イェーイ♪♪と並び立っている。

都立谷中霊園の案内図に載っている著名人の墓は約60基。 寛永寺・天王寺の墓地も含めると、120基を超える。、、、、、私の好みで、選んでみると、朝倉文夫(彫刻家)、天津乙女(宝塚)、稲垣浩(映画監督)、円地文子(作家)、柏戸(横綱)、河内桃子(女優)、獅子文六(作家)、ニコライ・カサートキン(宣教師)、鳩山一郎(政治家)、花柳寿輔(日舞)、森繁久彌(役者)、横山大観(日本画)などがある、いくつかの墓を紹介する


・・・・・・・・・・ 19代横綱:常陸山の墓  引退後は出羽海谷右衛門を名乗る
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・・・・・・・・・・ 浅草「神谷バー」の創設者:神谷伝兵衛の墓(写真:左側)。 伝兵衛さんはハチブドー酒 も出荷した。
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・・・・・・・・・・ 歌舞伎役者:市川圓蔵の墓  写真右から六代目、七代目、八代目。 六代目市川圓蔵(1800~1871)は五代目圓蔵の未亡人の養子。 七代目圓蔵(1836~1911)は六代目の養子。 八代目圓蔵(1882~1966)は七代目の次男坊。 当代:九代目は八代目の子である、まだ墓はない。
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・・・・・・・・・・ 初代三遊亭圓遊(嘉永3年(1850)~明治40年(1907))は明治時代に活躍した落語家。 江戸小石川の出身。 実子は落語家を継いだが、芸未熟にして花柳流の師匠となる。
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・・・・・・・・・・ 『牧野日本植物図鑑』の著者:牧野富太郎博士(文久2年(1862)~昭和32年(1957))の墓。 草花を愛し、植物学に貢献した学者。 『雑草という名の植物は無い』と言った人。 うまいこと言う人だ!
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・・・・・・・・・・ 戦前から戦後にかけての二枚目スターの代表格、長谷川一夫(明治41年(1908)~昭和59年(1984))の墓。  小さな石塔が並ぶ、中央が長谷川一夫(林長二郎)の墓石。 あの大スターの墓にしては小さすぎるね。
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・・・・・・・・・・ こちらは、墓ではないが、「オッペケペー節」の川上音二郎(文久4年(1864)~明治44年(1911))の顕彰碑の台座。 台座の上の、音二郎の像は戦中に金属供出で無くなった。 ちなみに墓は博多の承天寺にある。
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・・・・・・・・・・ 川上音二郎の顕彰碑の近くには、毒婦高橋お伝(嘉永3年(1850)~明治12年(1879))の墓がある。 高橋お伝は、日本で最後に斬首刑に処せられた女囚と言われている。 ここ谷中の墓地には骨は無く、本当の墓は小塚原回向院 にある。
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・・・・・・・・・・ さて、谷中の墓地と言えば徳川慶喜(1837~1913)の墓。 谷中の墓地の中程、寛永寺の墓地の中に柵で囲われ、夫人と共に葬られている。 歴代の将軍とは異なり、円墳状の質素な墓である。
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・・・・・・・・・・ そして渋沢栄一の墓。 渋沢栄一(天保11年(1840)~昭和6年(1931))は徳川慶喜の家臣として仕え。 大政奉還後は官僚、実業家として、第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」ともいわれる。 その墓が慶喜の墓の近く、広い区画の中に巨大な大きさの墓石が建っている。(中央が渋沢栄一の墓)
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・・・・・・・・・・ 谷中の墓地は鶯谷~日暮里間のJR線路際まで広がっている。 その線路沿いには、キリスト教の教会墓地が並んでいる。 墓石に十字架を刻み込んだ墓が崖に沿って並ぶ様子は、なんとなく私に、キリスト教徒の迫害を思い出させてしまった。
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・・・・・・・・・・・・・・「さくら通り」に面し天王寺山門前、市川圓蔵の墓と神谷伝右衛門の墓の中間付近に明治時代の水準測量の基準点である「几号水準点」が残されている。 明治8年(1875)頃、内務省による大三角測量の際に設置されたものと推定されている。 おそらく通る人も、この石が何であるか気づかず通り過ぎていると思われる。 ひょっとすると、邪魔な石だと思われているかも?、、、、、上野公園周辺にはこのほかに、東照宮鳥居脇谷中浄名院入口下谷三島神社 などに几号水準点を見ることができる。
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2017年6月23日 (金)

上野東照宮

朝一で、上野の病院で診察を受け、その足で上野東照宮に立ち寄ってきた。 不覚にも、万歩計は携帯せず。




東京文化会館・・・・・・・・建築家:前川國男(明治38年(1905)生~昭和61年(1986)没)の代表作で、昭和36年(1961)日本建築学会賞作品賞を受賞した。 戦後の早い時期に建てられ、50年経過した今でも古さを感じさせない、東京の本格的なクラシック音楽のホールである。 平成11年(1999)には大規模な改装も行われた。、、、、、前川國男は私の好きな建築家の一人。 東京都文化会館は大学受験に際し建築学科を志望するきっかけとなった作品。

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小松宮彰仁親王銅像・・・・・・・上野公園の銅像と言えば、「西郷さん」しか、思い出せない人が多い。、、、、動物園正門の左わきの木陰に小松宮彰仁親王の銅像がある。 この小松宮彰仁親王(弘化3年(1846)生~明治36年(1903)没、慶応3年(1867)には東伏見宮嘉彰と改称。)は、皇族であり、戊辰戦争、西南戦争に参戦した軍人。 また、日本赤十字社の前身:博愛社の総長でもあった。、、、、、西南戦争では西郷軍を征伐する側で敵対関係になる。 銅像になっても、上野の山で争わぬように、2体の銅像は離されて置かれているようだ。
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グラント将軍植樹碑・・・・・・・・小松宮彰仁親王の銅像の裏側に、昭和4年(1929)に建てられたグラント将軍植樹碑がある。 グラント将軍は南北戦争時代の北軍の将軍で、南軍のリー将軍と並ぶ有名な将軍。、、、、明治10年(1877)から約2年間、グラント将軍は家族同伴で世界を周遊した。 その際、来日し、明治12年8月25日、上野公園で開催の大歓迎会に臨み、将軍はロウソン檜、夫人は泰山木を記念に植えた。 碑は、正面に将軍の胸像を刻み、左右に和文、英文で、将軍の略歴・日本滞在中の歓迎の模様、植樹の由来を記している。、、、、私には、ジョン・ウェインが主演した西部劇の時代の将軍だ。 来日したことを知る人も少ないだろうね。
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上野東照宮・・・・・・・・上野動物園の南側にある、東照大権現(徳川家康)を祀る神社。 元和2年(1616)、危篤の家康から自分の魂が末永く鎮まる所を作ってほしいと藤堂高虎と天海僧正に遺言され。 寛永4年(1627)、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建した。 現社殿は慶安4年(1651)に徳川家光が改築した。 平成の世に社殿は修復工事が行われた。


・・・・・・・・・・ 動物園の南隣にある大石鳥居。 寛永10年(1633)に酒井忠世が奉納した、備前の御影石を使用した鳥居。 国指定重要文化財。、、、、、右端の売店が戦後の上野の象徴か?
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・・・・・・・・・・ 大石鳥居をくぐると水舎門(神門)がある。 水舎門をくぐると、参道の左右に200基以上あると言われている石灯籠が並ぶ。 ほとんどが現在の社殿を建築した慶安4年(1651)に諸大名より奉納されたものらしい。、、、、一基ぐらい無くなってもバレそうもないが、盗む人はいないようだ。
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・・・・・・・・・・ 水舎門の手前左奥にある「おばけ灯籠」。 寛永8年(1631)に織田信長の武将:佐久間盛次の四男である、信濃の佐久間大膳亮勝之が寄進したもの。 高さ6.06m、笠石の周囲3.63mで、京都南禅寺、名古屋熱田神宮の大灯籠とともに日本三大灯籠である。
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・・・・・・・・・・ 参道の柵越しに見える、動物園の中の旧寛永寺五重塔。 この塔はもともと上野東照宮の一部であった。 明治の神仏分離令により寛永寺の所属となり、さらに昭和33年(1958)に同寺より東京都に寄付され、現在では上野公園の管理下にある。 塔は寛永8年(1631)に建立され、寛永16年3月に花見客の失火により焼失し、現存する塔はその後直ちに再建されたものである。 高さ32.3m。 国指定の重要文化財。、、、、、周囲にライオン、ヒョウなどを放し飼いしたら来園者によろこばれるかもね。
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・・・・・・・・・・ 明治7年(1874)に深川木場組合から奉納された神楽殿。 屋根勾配の美しさは評判が高い。
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・・・・・・・・・・ 唐門前に並ぶ、諸大名から奉納された全48基の銅灯籠。 中には紀伊・水戸・尾張の徳川御三家より2基ずつ寄進されたものもある。 国指定重要文化財。、、、、、だいぶ劣化したものもあるようだ、修理できないものか?
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・・・・・・・・・・ 慶安4年(1651)に造営された唐門と社殿。 国指定重要文化財で、社殿内は非公開。 金色殿とも呼ばれており、参道側から拝殿、幣殿(石の間)、本殿の三つの部屋から構成される権現造りです。 唐門は唐破風造り四脚門。
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・・・・・・・・・・ 明治6年(1873)、江戸城内紅葉山東照宮より移築した不忍口鳥居。 御影石で造られた大きな鳥居である。 この鳥居の足元(〇印)に、明治時代の水準測量に使用した几号水準点が残されている。 もちろん、現在は使用されていない。 
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五條天神社・花園稲荷神社・・・・・・・・東照宮不忍口を出て、不忍池弁財天の方向に歩くと、五條天神社・花園稲荷神社がある。 ここには、医薬祖神の五條天神社(ごじょうてんじんじゃ)と、倉稲魂命を祭神とする花園稲荷神社が並び祀られている。
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・・・・・・・・・・ 五條天神社の祭神は大国主命と少彦名命で、この二神は「薬祖神」として祀られています。 確かに皮を剥がれた因幡の白ウサギを助けたり、温泉の神と崇められている。 また、“天神さま”の菅原道真公は、寛永18年(1641)に合祀された。
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・・・・・・・・・・ 五條天神社のすぐ隣に花園稲荷神社がある。 元々は弥左衛門狐を祀った稲荷神社であった。 現在でも、旧社殿に石窟が残っており、穴稲荷が祀られている。
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不忍池・・・・・・・・ハスの咲き具合を確認して帰ることにした。 一面、葉が茂り、夏到来を感じさせるが、ハスの蕾は探さないと見つからない。 開花まであと一か月程かかるかな?
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2017年6月22日 (木)

浅草の外人さん

午後3時過ぎから、ブラリ浅草へ行ってきた。 毎度見慣れた光景だが、来日する外人さんのお国も中国・韓国・台湾から広がりワールドワイドである。




・・・・・・・・・・ 横一列、顔が写っている人は全員外人だ。 右から中国、後ろ向きは?、中央はフランス、その後ろ3人は韓国、左は台湾、、、、、以上、私の推測だ!

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・・・・・・・・・・ 一目で外人と判る外人。 間違いなく、外国籍の人です。

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・・・・・・・・・・ 貸衣装も、着付けが上手で、着こなしもうまく、髪飾りから足袋までバッチリ揃い、一見すると日本人、会話を聞くと???・・・・・?  ウ~~、かわいい娘が多くなった、浅草もますます楽しくなるね!

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・・・・・・・・・・ 安心安全な観光地“日本”。 お子様連れの来日も増えている。

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・・・・・・・・・・ 浅草へ来た外人は、百人百人が記念撮影すると思う。 良き思い出を土産に持って帰ってね!

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2017年6月20日 (火)

東中野~江古田

JR東中野駅で下車し、北へ向かうか南にするか、それとも、西へ歩くか東へ行くか? 困った、迷った、悩んだときは、現世の観音様に決めてもらう。 ちょうど駅から可愛い娘が出て来た、『あの娘の行く方向に歩こう!』 決まった!駅から北西に向かうことにした。 西武新宿線の新井薬師前駅、大江戸線の新江古田駅を抜けて、西武池袋線江古田駅まで、1万2千歩の散歩です。



東中野駅・・・・・・・・明治39年(1906)6月14日、甲武鉄道の柏木駅として開業し、大正6年(1917)1月1日より東中野と改称した。 駅は山手通りに面し、平成9年(1997)には都営大江戸線の駅も開業し、乗り換え駅となった。
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・・・・・・・・・・ チョイと古い時代の東中野駅
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東中野ギンザ通り・・・・・・・・東中野駅前から北西方向に約600mの長さで伸びる商店街、、、、、、私が歩く、午前8時過ぎ、狭い道は駅へ向かう人が足早に通り過ぎる
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・・・・・・・・・・ 商店街の中程に朝顔の苗が置かれ『御自由にお持ち帰り下さい』と、、、、、つい、手が出て苗を3つ貰ってきた。 開花するのが楽しみだ!
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正見寺・・・・・・・・ギンザ通りを抜けると早稲田通りに出る。 ここ(中野区上高田1)に、浄土真宗本願寺派寺院の正見寺がある。 正見寺は、滋賀県栗田郡駒井城主・駒井掃部介高植、次代右近大夫宗高が菩提のため、応永年間(1394~1427)に建立された。 その後、寺は赤坂・四谷と移転し、明治42年(1909)に現在の中野に再移転した。 昭和20年、戦災により堂宇は灰塵に帰し、昭和46年(1971)に本堂を鉄筋コンクリート造で再建し現在に至る。 正見寺には、明和時代(1765年前後)の江戸三美人のNo.1といわれた“笠森お仙”の墓がある。 、、、、私は、現在の美人と遭遇することに期待し寺の脇の道。 誰が名付けたか、「上高田中通り」を行く。
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上高田4丁目の寺院・・・・・・・・上高田4丁目の高台に、功運寺願正寺境妙寺宝泉寺などの寺院が並んでいる。、、、これらの寺院には以前来たので、詳細はこちらで。
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・・・・・・・・・・ 寺院が集まる処から約200m北に、桜ヶ池不動院という寺がある。 その名の通り、小さな池があり脇のお堂に不動明王像が安置されてる。
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・・・・・・・・・・ さらに、不動院の裏には素戔鳴尊を祭神とする上高田氷川神社がある。 上高田一円の鎮守として享徳2年(1453)に創建した。 現社殿は大正15年(1926)の造営
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西武新宿線踏切・・・・・・・・・西武新宿線新井薬師前駅の東側で踏切を越える、、、、、、西武新宿線中井駅~野方駅間は、連続立体交差工事の真っ最中。
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・・・・・・・・・・ 工事用の車両などにぶつけられたのか、踏切の脇には、チョイと石の角が欠けた痛々しい庚申塔がある、、、、祠に入れるなど、しっかり祀ってあげて欲しいね!
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・・・・・・・・・・ 踏切の北側で道は分かれる。 右は哲学堂公園・新宿区落合方面、左は江古田方面。 私は、左へ向かうことにした。
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キク薬局・・・・・・・・新井薬師前駅の北側(中野区松が丘1)に、2009年頃に廃業したらしい、仕舞屋から廃屋となってしまった薬局がある。 二階は歯科だった。 2階にモダンな感じの窓が並ぶ建物だが、1階の窓はボロボロ。 猫の通り抜けも自由!
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中野通り・・・・・・・・・笹塚から中野駅をとおり、江古田で新青梅街道にぶつかる中野通り、、、、、我が足は、松が丘1丁目から、中野通りを横断し、松が谷2丁目に入る。
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妙正寺川・・・・・・・・杉並区妙正寺から中野区江古田地区を流れ新宿区下落合で神田川に合流する妙正寺川。 我が足は、江古田橋で妙正寺川を越える。
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・・・・・・・・・・ 大雨の度に氾濫していた妙正寺川は、流域・護岸も整備され、深い川底が見える。、、、、、、、水は綺麗になった。 念のため遊泳禁止。
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東福寺・・・・・・・・妙正寺川を越えて江古田3丁目に、真言宗豊山派の東福寺がある。 東福寺の創建年代は不詳だが、天正年間(1573~1593)に江古田村の村民が開基となり、創建した。 江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの休息所(御膳所)として指定されていた、、、、、現本堂は昭和42年(1967)に鉄筋コンクリート造で建てられた、境内は広く本堂は高台にある。
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江古田駅・・・・・・・・・・「江古田」の町は中野区にある。 大江戸線「新江古田駅」は中野区の北端「江原町」にある。 そして、西武池袋線の「江古田駅」は練馬区旭丘に位置する。 つまり、江古田の町には鉄道の駅は無い! ついでに、東電江古田変電所、日大江古田キャンパス、江古田斎場など、有名処の施設は練馬区に位置する。

・・・・・・・・・・ 大江戸線新江古田駅
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・・・・・・・・・・ 西武池袋線江古田駅 
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2017年6月18日 (日)

四ツ目通り

JR総武線錦糸町駅から、四ツ目通り沿いに南下し地下鉄東陽町駅をとおり過ぎ、江東区塩浜にある地下鉄東西線の車両基地まで、1万2千歩の散歩です。

・・・・・・・・・・ 四ツ目通りとは、、、、、江東区東陽3丁目を起点として、江東区を北上し地下鉄住吉駅、JR錦糸町駅をとおり、墨田区京島1丁目まで、総延長約5.5kmの都道である。 名の由来は、、、、、昔、堅川の北岸、現在の両国2~4丁目辺り(旧:相生町)に囲碁の名家:本因坊家があった。 その相生町の1、2丁目のブロックを碁盤の目に因んで一ツ目と呼び、3~5丁目を二ツ目と呼んだ。 その一ツ目の入口にかかる竪川の橋を一之橋と称し、二ツ目の入口にかかる橋を二之橋と称した。 その後三之橋、四之橋、五之橋が架けられた。 それぞれの橋上をとおる通りは、橋の名と同じ数字の“一ツ目通り”から順に“五ツ目通り”までの名が付けられた。 しかし現在、一ツ目通りは一ノ橋通り、二ツ目通りは清澄通り、三ツ目通りと四ツ目通りは今もその名を引き継ぎ、五ツ目通りは明治通りとなる。



錦糸町駅・・・・・・・・明治27年(1894)12月9日、総武鉄道の本所駅として開業し、明治40年(1907)に国有化される。 大正4年(1915)に錦糸町駅に改称する。 歴史ある駅だ、南口の駅ビル「テルミナ」は昭和36年(1961)に竣工した。 
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・・・・・・・・・・ 築50年経過した駅ビル「テルミナ」、、、、、、駅前のバス停辺りは、明治43年(1910)頃まで歌人:伊藤佐千夫の住居兼牧舎があったそうだ。 錦糸町で酪農ができた時代があったなんて夢のような話
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・・・・・・・・・・ 錦糸町駅前交差点から見る四ツ目通り
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田螺稲荷神社・・・・・・・・四ツ目通りから80m程西に入った処(江東橋3)、ビルの谷間に祀られている田螺(たにし)稲荷神社。 かつては田中稲荷と呼ばれていたらしいが、江戸時代、周辺に大きな火災があり、周りの家が次々と燃えていく中、神社の池から田螺が続々と這い出してお稲荷さんの壁に張り付き、神社を守ったらしい。 以来、「火防せ」の神様「田螺神社」として信仰を集めるようになったそうだ。、、、、、今では、周りは飲み屋とラブホテルが並ぶ夜の街。 呑んでる最中、愛を育んでる最中、どちらも火災にはより注意が必要!
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四之橋・・・・・・・・四ツ目通りの名の謂れとなった堅川に架かる四之橋。 堅川は埋め立てられ、頭上には首都高が走り、四之橋は車専用となり、歩行者は両端から橋の下に下り、橋桁を金網越しに見上げて横断する車優先の構造となった。、、、、、
四之橋が初めて架けられたのは、万治2年(1659)である。  現橋は昭和46年(1971)に竣工した、3径間鋼製桁で、橋長は35m。
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住吉駅・・・・・・・・四ツ目通りが新大橋通りと交差する位置に都営新宿線と東京メトロ半蔵門線の住吉駅がある。 昭和53年(1978)12月21日に都営地下鉄新宿線の駅が開業し、25年後の平成15年(2003)3月19日に営団地下鉄の半蔵門線の駅が開業した。、、、、、私は、この駅で乗降した記憶がなく。 未知の駅である。
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日先神社・・・・・・・・四ツ目通りからチョイと西へ入ると猿江1丁目に、江戸名所図会にも描かれた江戸屈指の規模をもつ摩利支天だった日先神社(ひのさきじんじゃ)がある。 今や、見るも悲しき、小さな神社となってしまった。、、、、、宮司自ら、富岡八幡宮に出向き、商売繁盛を祈願してくるといいかもね!
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猿江神社・・・・・・・・猿江2丁目にある神社。 正確な創立年代は不明であるが、康平年中(1058、平安時代中期)頃には近在の信仰を一身に集めた稲荷社であったらしい。、、、、、鉄筋コンクリート造の社殿は昭和6年(1931)に建立され、鉄筋コンクリ―ト造の寺社としては国内最古である。 また、玉垣のある石造燈籠も昭和6年(1931)に造られた。、、、、、社殿は国の文化財に登録してあげたいね。
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小名木川の2橋・・・・・・・・・猿江神社の南を流れる小名木川。 ここに小松橋、小名木川橋が架かっている

・・・・・・・・・・ 小松橋、、、、、、江東区猿江1と扇橋2を結び、区道を通す。 小松橋の形式は曲弦ワーレントラス橋で、昭和5年(1930)に工事費160,137円で架けられた。 今の時代なら安いのだが、関東大震災後の工事費としては高いのか?安いのか?判らん!
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・・・・・・・・・・ 小名木川橋、、、、、こちらは、四ツ目通りを通し江東区猿江2と扇橋3を結ぶ橋。 昭和4年(1929)に工事費 363.902円にてゲルバー鈑桁で旧橋は架けられた。 その後、昭和63年(1988)に、3径間連続鋼床版鈑桁のげ現橋に架け替えられた。
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豊住橋・・・・・・・・四ツ目通り、江東区千石2丁目と東陽6・7丁目を結ぶ 仙台堀川に架かる橋。 橋の下は親水公園のように改良されている。、、、、、橋を渡ると東陽町駅も近い
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江東区役所・・・・・・・・本庁舎は昭和48年(1973)に建設され、平成25年(2013)には耐震補強工事も完了した。、、、、、、江東区は耐震対策も重要だが、荒川・隅田川の堤防決壊すると、1階は完全に水没するそうだ。 全区民を対象にした浸水対策も実施しなければならず、チョイと気が抜けないね。
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東陽町駅・・・・・・・・昭和42年(1967)9月14日に営団地下鉄東西線の終着駅として開業
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・・・・・・・・・・ ここ東陽町駅前交差点が四ツ目通りの起点である。、、、、錦糸町から南下してきた道はさらに南へ続く。
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四ツ目通りの先は?・・・・・・・・

・・・・・・・・・・ 道幅は少々狭くなり、東陽橋で汐浜運河をこえ、江東区塩浜地区へ向かう。
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・・・・・・・・・・ 運河をこえると、道は東西線の車両基地に突き当たる。
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2017年6月17日 (土)

新宿副都心 散歩は休み

昨日は午前中に墨田区の病院で癌早期発見の為のCT検査の予約をさせられ、午後は上野の病院で腎臓のCT検査の結果を聞いてきた。、、、、なんだか変かな?、、、、、とりあえず異常なしだから良しとしよう!



今日は、午後から新宿で飲み会。 飲めない私も、ウーロン茶で飲み会、、、、散会後、久しぶりに副都心をブラブラ

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2017年6月14日 (水)

東上野の裏街

数週間前から男の大事な一物に痛みを感じ(病名・原因は?)、今日は東上野の総合病院でCT検査をしてきた。 検査後は、病院周辺をぶらつき、上野駅から歩いて帰ってきた。



永寿総合病院・・・・・・・・・病院の前身は戦前から元浅草(地下鉄銀座線稲荷町駅前)にあった古い病院で、昭和40年代頃は健康な人でも入院すると病気になるようなボロボロの病院であった。 その病院が東上野にあった旧西町小学校の跡地に引っ越し、建てた病院が現在の永寿総合病院である。、、、、、私は、この病院にはかなり世話になっており、救急で2回運ばれたことがある。 今日の検査もここで受けた。
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・・・・・・・・・・ 病院正面玄関前に建つ戦前の長屋建築。 現在は4軒長屋となっているが、以前は右側に一軒あり、5軒長屋であった。  味がある2階の窓(右側)は完全に当時のままと思われる。 昭和初期の建物か?
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・・・・・・・・・・ 病院敷地内にある旧西町小学校跡の碑。 この地に、関東大震災の復興小学校として、昭和4年(1929)に鉄筋コンクリート造、3階建ての校舎が建てられた。 卒業生には、池波正太郎(作家)、中原ひとみ(女優)、萩本欽一などがいる。 ついでに、今日94歳になった我が母も卒業生の一人である。 鉄筋コンクリート造の小学校より丈夫で長生きの母である。
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駅前旅館街・・・・・・・・昭和通りを挟み上野駅の南側、東上野2丁目には小さな旅館・ビジネスホテルが数軒ある。 以前はもっと多く“昭和のビジネス旅館街”である、、、、、私が知るのは、戦後、上野駅を利用する観光客・行商人などが利用していたようだ。
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東上野コリアンタウン・・・・・・・・・旅館街につづく南側に、これまた、焼肉屋が並ぶコリアンタウンがある。 戦後の混乱していた時代、昭和23年に、「御徒町商店街」から枝分かれし「上野親善マーケット」として焼肉店・キムチ店・肉店・民族衣装店などが集まって始まった。 都内最古のコリアンタウン。、、、、、ここでの飲食は、激安である。 ただし、店の規模などには文句を言わないこと! 
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ああ上野駅・・・・・・・・上野駅は明治18年(1883)7月に日本鉄道のターミナル駅として開業した。 誰もが知る、上信越・東北方面の玄関口であるが、大正12年(1923)の関東大震災にて旧駅舎は焼失した。 現在の駅舎は、震災復興建築として建てられた、出入口が上下に分離された立体式であったが、平成14年(2002)に改装された。 建物は、鉄道省技官:酒見佐市の設計、鹿島組の施工で、昭和7年(1932)に竣工した。
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・・・・・・・・・・ 上野駅広小路口を出ると右側のガード下に、井沢八郎が歌う『あゝ上野駅』の歌碑がある。 歌は御存じ、、、♪♪ どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ 上野は俺らの心の駅だ くじけちゃならない人生が あの日ここから始まった ♪♪、、、、私には、集団就職の経験はないが、当時を知る同世代の一人として、集団で上京した、彼ら彼女らに贈る応援歌として、この歌を忘れることはないであろう。
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●・・・・・・・・・・ そろそろ、日も落ちてくる時刻、御徒町を抜けて我が家へ帰る。
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2017年6月12日 (月)

高砂~綾瀬

浅草橋の地下鉄ホームは島式ホームである。  散歩の行く先が未定のときは、とりあえずホームに立って、押上方面行か、泉岳寺方面行か、気が向いた方の電車に乗ろう。 てなことで、適当に乗って、適当に降りることが多い。、、、、、今日はホームに下る階段から、押上方面行に黄色い電車が止まっているのが見えた。 『アッ! 先日、孫と話していた電車だ。 幸せの京急イエローハッピートレインだ!』、反射的に飛び乗った。 『ラッキー、これで孫に自慢話ができるぞ!』、まずは証拠に電車の写真を撮っておこう。、、、、、と言うことで、終点の青砥まで乗って証拠の写真撮影




京急イエローハッピートレイン・・・・・・・・・「赤い電車」でおなじみの京浜急行の特別塗装車両である。 1000形電車を幸せの色“黄色”で塗った“KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN(京急イエローハッピートレイン)”は、2014年5月1日より運行されて­いる。 当初、今年の4月までので3年間の運行を予定していたが、好評で今年の4月以降も引き続き運行することが決定した。 2017年4月29日からは車体側面扉部分をこれまでの「シルバー」から「イエロー」に変更した新塗装で運行されている。、、、、車両は新1000形8両1編成を使用。 運行日時、運行区間などはナイショで、教えてくれない。


・・・・・・・・・・ 終点(折り返し)の青砥駅で撮影

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・・・・・・・・・・ 車内には只今実施中のキャンペーン「父の日ありがとうギャラリー号」と称し、子供が描いたお父さんの絵が掲示されている。

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・・・・・・・・・・ イエローハッピートレインは青砥駅の先にある留置線に入線した。 私も追いかけるように次の電車で留置線に停まった電車を窓越しに見て、次の高砂駅で下車する。

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高砂駅・・・・・・・・どの電車も、高砂駅で乗務員の交替が行われている。 オヤ、女性の運転士さんだ。 ついつい見つめて散歩を忘れるところ。
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・・・・・・・・・・・・・・今日は、高砂駅 から歩くことにした

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高砂の町・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・ 高砂駅前の踏切道を北へ向かう

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・・・・・・・・・・ まずは、昭和の床屋らしき店舗。 今は廃業か? 店の名は無い。 床屋のシンボル、目の回る看板も無い。 あるのは、アールデコ調のドアと窓。 (高砂5)

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・・・・・・・・・・ 住吉稲荷の前で、『我はどこへ向かって歩いているのだ?』ここで、初めて地図を見た。 どうやらこのまま北東に進むと、帝釈天に出る。 今日は、草餅を遠慮することにして、進路を北北西にとる。 (高砂8)

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・・・・・・・・・・ これはこれは、懐かしい雰囲気のタバコ屋さん。 どうみても廃業した店と思われる。 看板の“雑貨”の“貨”の字、人偏に「上」と「貝」、いつの時代の文字か? (柴又1)

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・・・・・・・・・・ この店の横に、これまた絶滅危惧種に指定されそうな公衆電話があった。 隣に並ぶ「ファミリープラン」の自販機と共に、まだ現役で活躍中の機器だった。 電話しながら、買えるね。 (柴又1)

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・・・・・・・・・・ こちらは、廃屋の上に綺麗に咲く花。 町の景観大賞を受賞? (高砂7)

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葛飾区新宿・・・・・・・・・・新宿区の“新宿”は“しんじゅく”、葛飾区の“新宿”は“にいじゅく”。 葛飾区新宿は区の中央部に位置し、中川の東岸、国道4号(水戸街道)の両側に広がる町。


・・・・・・・・・・ 高砂から新宿三丁目に入る。 伊勢丹の在る新宿三丁目ではありません!

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・・・・・・・・・・ 葛飾区に昭和44年(1969)に誕生した「新宿交通公園」。  園内には歩道、車道、横断歩道や信号機といった交通公園の基本設備が整っている。 自転車やゴーカート、豆自動車、ミニSLなどで遊びながら、交通マナーをしっかりと学べるそうだ。 (新宿3)

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・・・・・・・・・・ 亀有警察署の前で、国道4号(水戸街道)を横断する。(新宿4)

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・・・・・・・・・・ 警察署の横の道は柴又帝釈天につながる古道:帝釈道で、新金貨物線 と交差する位置に柴又踏切がある。 貨物列車は一日数本しか通らない。 (新宿4)

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・・・・・・・・・・・・・・踏切の先では、旧水戸街道の拡張により、移転を余儀なくされた石仏が並び出迎えてくれる。

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中川橋・・・・・・・・・中川に架かるその名も中川橋、葛飾区新宿と亀有を結ぶ。 ここには、水戸街道の「新宿の渡し」があったが、明治17年(1884)に明治天皇の行幸に合わせて橋が完成した際、廃止された。 2代目の橋は、昭和8年(1933)に架設されたが、老朽化と交通量の増大に対応するため、架替工事が平成5年(1993)に着工され、事業費28億円をかけ平成20年(2008)3月10日に開通した。 橋長120.6m。

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亀有の町・・・・・・・・・中川橋を渡り、真直ぐ西へ綾瀬駅に向かう


・・・・・・・・・・ 中川橋の西詰、大型ショッピングセンターを通過(亀有3)

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・・・・・・・・・・ 亀有の町には、マンガ:『こちら亀有公園前派出所』の人気キャラクターの銅像が14体ある。 そのうちの2体がこちら。(亀有2)

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・・・・・・・・・・ 亀有一里塚跡、、、、、亀有の一里塚は、千住宿から1里、江戸日本橋から3里に位置する。 亀有1丁目28の地点に、現在は一里塚跡の碑が建てられている。 隣には、助さん・格さんを従えた水戸黄門のモニュメントも建っている。、、、、チョイと、気持ち悪い首だけのモニュメント。 今夜、嫌な夢を見そうだ!

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・・・・・・・・・・ 西亀有三丁目交差点から、旧水戸街道が千住方面に向かい伸びている。 そちらを歩いてみたが、特に気になる古い建物・遺構などは何もなし。

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綾瀬駅 ・・・・・・・・ 京成高砂駅から1万2千歩、やっと着いた綾瀬駅。 止まっているのは千代田線の車両、どうしても昔の常磐線のイメージとは程遠く、JRの駅とは思えない。

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2017年6月11日 (日)

鳥越まつり - 散歩は休み

今日は「鳥越まつり 」である。 浅草橋の我が家は、鳥越神社の氏子域から50m程駅側に寄った処にあり氏子ではない。(我が町会の夏祭りは先週あった。) とはいえ、駅と鳥越神社の間にあるため、路地裏の我が家の前も、朝から人通りが多くチョイと騒がしい。 いやでも、祭り気分となる。
 
今日は午前中から娘一家も祭り見物に来た。 夜は、クライマックスとなる「夜祭り」見物。 散歩どころではない!



●・・・・・・・・・・孫を連れ祭り見物、、、、、躰は神輿に向き、顔は孫に向き、目は美人に向いて、ワッショイ・ワッショイ。
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●・・・・・・・・・・・夜だ、祭りだ、夜祭りだ!

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2017年6月10日 (土)

桜新町~三軒茶屋

駒沢の給水塔が見たくなり、数年ぶりに歩いてきた。 東急田園都市線桜新町駅から三軒茶屋駅まで、1万2千歩の散歩です。



桜新町駅・・・・・・・1面1線の単式ホームと壁に隔てられて隣に通過線が、地下2階に下り線、地下3階に上り線がそれぞれある二層構造の地下駅である。、、、、明治40年(1907)4月1日に玉川電気鉄道(後の東急玉川線)の桜新町電停として開業。 昭和44年(1969)に、地下化のため、玉川線は廃止となる。 昭和52年(1977)4月7日、新玉川線(現:田園都市線)の桜新町駅が開業する。、、、、、桜新町駅は、主要道の国道246号(道路上には首都高が走る)からは、チョイと脇道にそれたような位置にあり、駅前は比較的静かなオシャレな町である。 マンガ「サザエさん」の町として知られている。
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桜神宮・・・・・・・・桜新町駅から駒沢給水所へ向かう途中の神社。 神社の組織体である「東京都神社庁」のHPで紹介されていない神社(?)、、、、明治15年(1882)、伊勢神宮の祢宜が創建したらしい。 古式神道を守る神社で、鎮火式(火渡り)や探湯式(熱湯を浴びる)などの神事もおこなわれている。 ご祭神は、安産の神(水天宮)、商売の神(稲荷)、学問の神(菅原)、伊勢神宮の神(天照、豊受)など、など、全てで19神。 どんなことでも、御利益がありそうだ! 参拝の作法も、一般の神社は“二拝二拍手一拝”だが、ここでは“二拝四拍手一拝”。 “四拍手”の部分はリズムのとり方が難しく、本番ではチョイと戸惑うね!

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駒沢給水所・・・・・・・・駒沢給水所は世田谷区弦巻にある給水所で、2基の配水塔を設け約3000トンの水を貯留していた。 現在は、施設の老朽化により、給水機能は停止し災害時の応急給水槽として活用している。


・・・・・・・・・・ 桜新町から給水所に向かい、周辺の一般道に逆らい斜めに伸びる水道道路を行く。 その先には、給水塔が見える。

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・・・・・・・・・・ とりあえず、給水所の正面に出たが、施錠された門の奥は草木が茂り、給水塔は見えず。 中に入れるのは野良猫だけだ!

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・・・・・・・・・・ 給水塔を眺めながら給水所の外周を一周する。、、、、、なお給水塔は、近代水道建築の祖:中島鋭治(安政5年(1858)~大正14年(1925)、土木技術者、東京帝国大学名誉教授、工学博士)の設計。 内径:12.12m~14.55m、塔高:約30mで大正12年(1923)に完成した。 現在は、土木学会の推奨土木遺産である。、、、、、“双子の塔”、“塔の全身”と撮るべく、住宅地をキョロキョロ、住宅裏にコッソリ、まるで白昼の泥棒。 邪魔な樹木と住宅だ!!

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・・・・・・・・・・・・・東京都水道局のホームページに載っていた駒沢給水塔

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向井潤吉アトリエ館・・・・・・・・給水所から北東に500m程行くと、画家:向井潤吉が昭和8年(1933)から家族と共に過ごしてきた世田谷区弦巻の地に、昭和44年(1969)に建てた住宅兼アトリエが残されている。 現在は世田谷美術館の分館として公開されている。、、、、、、ただし公開は午前10時以降で、私のように9時過ぎに行っても、まだ閉まってる。 開くまで待てないので、「残念でした、またのお越しを!」

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上馬2丁目・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・ 環七通りを横断し、世田谷区上馬2丁目に入る

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・・・・・・・・・・ 裏通りは、静かな住宅街である

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・・・・・・・・・・ 面白い建物もある。 住宅?オフィス?

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・・・・・・・・・・・・・・世田谷署が見えた。 三軒茶屋に到着。

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三軒茶屋・・・・・・・・・狭い通りを抜け、三軒茶屋交差点に出る。 駅の横に「大山道」の道標があり、「右 世田谷 登戸 富士道」と標し、私に帰り道を教えてくれた。 嘘つき、富士山は左だ。 右は渋谷。 どうやら、転々と移設された道標らしい。
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2017年6月 6日 (火)

堀切菖蒲園

93歳の母(バアさん)に、『菖蒲を見に、一緒に行くかい?』と誘ってみたら、『腰が痛いし歩くの辛いから、二人で行ってきな。 私はお中元を買いに三越へ行ってくるよ!』の返事、ナンジャ???、、、、と言うことで、夫婦で堀切菖蒲園に行ってきた。


●ここ数年、毎年のように見に行く堀切菖蒲園。 去年はチョイト早かった。 今年は普段の行いを反映し、バッチリ満開(?)。
 
●堀切菖蒲園は只今拡張工事の真っ最中であるが、菖蒲の時期だけ特別に開園しているそうだ。 工事は来年3月に竣工する予定。、、、、工事が完了すると、園全体の面積が1割程広がり約8,800㎡となる。 新たに、スイレン、カキツバタ池ができる。 休憩所・トイレも明るく・広くなる。、、、、来年が楽しみだ!
 
●平日の今日は人も少なく、歩みはゆっくり、花はじっくり、心はのんびり、、、、癒しの一刻



●・・・・・・・・・・ 駅から歩く人も少ない、『堀切菖蒲まつり』 寂しそうにブラブラするボンボリと提灯。
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●・・・・・・・・・・ 園内は、ビューティフル、ワンダフル、カラフル!!!

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●・・・・・・・・・・ 七小町、霞の奥、潮来の夢、清少納言、小桜姫、十二単衣、堀切の夢、天女の冠、春の雪、月桂冠、夢の里、美吉野、加茂川、、、、、、愛らしい娘、力士、酒の銘柄などを連想させる菖蒲の名前を書いた木札も並ぶ。 一生懸命読んではみたが、頭に残るは一つか二つ、花の容姿は記憶に留めず。、、、、、『何がなんだか さっぱりわからず どれがどれやら さっぱりわからず わてほんまに よういわんわ』

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●・・・・・・・・・・ 私の好きな、ピチピチの娘は一人もいない。 “敬老の日”と間違える、お年寄りばかりの日。 

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●菖蒲を堪能した後は押上に出て、ひと休み!

●地下鉄で浅草橋に着くと、三越に行ったバアさんとバッタリ! 『三越で、線香買うの忘れた。 あんた、今度行ったとき買ってきてね!』、、、、コリャ、当分、自分にあげる線香は必要ないね!

2017年6月 5日 (月)

馬込~学芸大学

都営浅草線馬込駅から、東急池上線長原駅、東急大井町線北千束駅、東急目黒線洗足駅を巡り、東急東横線学芸大学駅まで、1万4千歩の散歩です。


馬込駅・・・・・・・・・・都営浅草線の駅で、我が家のある浅草橋からは乗り換えなしで約28分である。 今日も行先を決めず浅草線に飛び乗った。 どこで降りよか思案橋、決めるに決まらず、まごまご馬込。、、、、と言うことで、散歩は馬込駅からスタート

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・・・・・・・・・・ 駅前には洒落た造りの本格的な喫茶店:「楡本店」がある。 玄関上には「CAFFE 1953 NIRE(楡)」と書かれ、昭和28年(1953)創業の老舗である。 時刻は8時15分、まだ開店前。、、、、、店の前の坂を右に上っていくことにした

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北馬込の町・・・・・・・・馬込駅(国道1号)の西側の一帯で、町の北側は品川区中延・旗の台と接している。


・・・・・・・・・・ 馬込駅の西側の高台にある二車線の通りには、街路灯に「馬込三本木通商店街」と記された旗がなびいている。 “商店街”? なんとなく、辺りを見回してみるが、特に核となる店舗はないようだ、蕎麦屋、ラーメン屋などそれらしき店がポツン、ポツンとある程度。

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・・・・・・・・・・ 商店街の通りに面し、曹洞宗の金光山宗福寺がある。 江戸時代初期頃の開山らしい。

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・・・・・・・・・・ 境内には、昭和10年(1935)、10歳の女の子が乱暴され殺害されたことを不憫に思った人達が、その霊を祀った「登志子地蔵」が建立されている。 この事件では、犯人逮捕に向けて宗福寺に捜査本部が設置された。

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・・・・・・・・・・ 大田区北馬込と品川区中延・旗の台の境を西へ歩く。 約400m程は道幅が広くなっている。

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・・・・・・・・・・ 幅広の道は、「北馬込本通り協和会」なる商店街に続き道幅も狭くなる。 商店街は環七通りにぶつかり終わる。

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長原駅 ・・・・・・・・長原駅は東急池上線の駅で、昭和2年(1927)8月に池上電気鉄道長原駅として開業した。  昭和40年(1965)から、環七通りの踏切解消のため地下化工事に着手し、昭和48年(1973)11月30日に工事は竣工した。、、、、、地下化されたため、道幅の狭い商店街の中にある駅は見つけにくい。

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北千束駅・・・・・・・・長原駅から北西に650m程行くと東急大井町線の北千束駅がある。 この辺りは、東急の各線が集まっており、東西南北どちらに歩いても東急の駅に出るようだ。、、、、、昭和3年(1928)10月10日、目黒蒲田電鉄の大井町線池月駅として開業。 昭和5年(1930)には洗足公園駅に改称し、昭和11年(1936)1月1日に北千束駅に改称した。、、、、乗降客も少なく、昔ながらのホーム上屋、昭和3年架橋の駅前ガード(池月架道橋)などが現在も利用され、昭和の匂いが残る駅である。

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●・・・・・・・・・・ここ北千束駅から学芸大学駅までは、16年3月31日にも歩いているので、こちらを見てね。  以下には、今まで歩いていない処のみ紹介。



曲がった家・・・・・・・・目黒区碑文谷で見つけた、ナンジャコレ!、、、、家の床は傾いていないようだ。

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円融寺・・・・・・・・天台宗の経王山円融寺は、仁寿3年(853)に現在地(目黒区碑文谷1)に創建した。 天台宗に始まったが、日蓮上人の高弟が日蓮宗に改め、弘安6年(1283)妙光山法華寺に改号し、日蓮宗の名刹寺院として栄えた。 江戸時代には幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698)天台宗に改宗、天保5年(1831)経王山円融寺となる。、、、、、現在も大きな寺で、今日は“さわり”だけ、チョイトね!


・・・・・・・・・・ 山門、、、、この山門は、昭和26年(1951)に品川御殿山の原邸から移築されたもので、天保4年(1833)に元播磨国美嚢郡三木和田の寺の山門として工匠黒田重兵衛常久、瓦匠勝清の手によって作られたものである。 明治33年(1900年)に、原邸に移されていた。

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・・・・・・・・・・ 仁王門、、、、、、 参道をすすむと、大きな仁王門がある。 門は檜と欅を用いた簡素な構成の造り。 建立時期は不詳であるが、永禄2年(1559)に仁王像が作成されており、ほぼ同時期(足利時代)と考えられる。 平成19年(2007)に茅葺きだった屋根を銅葺きに改めた。

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・・・・・・・・・・ 釈迦堂、、、、、、、室町初期の建立といわれ、都区内最古の木造建築とである。 明治44年(1911)に旧国宝に指定され、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。 本来の屋根は茅葺きであったが、昭和27年(1952)に銅葺きに改められた。

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2017年6月 4日 (日)

お祭り - 散歩は休み

JR浅草橋駅周辺は、駅裏の銀杏岡八幡神社の祭礼で、昨日から大変な人出、今日も朝から10万人の人出となり、江戸通りには交通規制がひかれ、各処に機動隊が出動し交通整理にあたる。、、、、、と言うのは、夢のまた夢。
 
浅草橋駅周辺の銀杏岡八幡神社(浅草橋)、 篠塚稲荷神社(柳橋)、 榊神社(蔵前)の祭礼が、昨日・今日と行われているのは事実であるが、見物人はパラパラ寂しいものだ。

町会女性部に属する妻は、この一週間準備に奔走し、昨日・今日は揃いの浴衣姿で御神酒所つとめ。 肺活量が小さくなり祭りに参加できない私は、90歳を超した母と我が家で祭り見物、散歩は休み。



・・・・・・・・・・ 普段の日曜と変わらぬ江戸通りだが、駅前から『・・・オリャ、オリャ、オリャ・・・』の掛け声が聞こえる。 神輿が駅裏の神社に向かうのだが、知った顔がない。 担ぎ手はよそ者か?
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・・・・・・・・・・ 普段は駅裏にあって広い神社の境内も、今日は屋台・お囃子・本社神輿が並び狭くなる。

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・・・・・・・・・・ 高架のホーム下をねり歩く神輿、、、、さすが、都心の知られざる祭り、警備のお巡りさんも一人だけ、スマホで撮る人も一人・二人、カメラを向けるのが恥ずかしくなる雰囲気!

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・・・・・・・・・・ 柳橋の篠塚稲荷神社の神輿、、、、、、子供の姿は皆無。 一言、『寂しい!』

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・・・・・・・・・・・・・・・蔵前の榊神社、、、、、、、こちらもお祭りです、あかりを灯して待ってます。 

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2017年6月 2日 (金)

花畑運河

つくばエキスプレス八潮駅から南下し、足立区の北東部にある花畑運河を歩き、つくばエキスプレス六町駅まで、1万3千歩の散歩です。



八潮駅・・・・・・・・・・埼玉県の東南、草加市と三郷市に挟まれた八潮市は、東京都足立区・葛飾区とも隣り合わせる市である。 昭和31年(1956)に三村が合併し、「八条村」・「八幡村」+「潮止村」=「八潮村」となった。 その後、八潮村から八潮町を経て、昭和47年(1972)に八潮市となる。 市内唯一の鉄道がつくばエキスプレスで、唯一の駅が八潮駅である。 平成17年(2005)8月24日に開業した、島式ホーム2面4線の高架駅は、私が住むJR浅草橋駅より格段に大きく立派である。(比べることに無理があるかも)
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垳川排水機場・・・・・・・・・八潮駅から南へ1km程行くと、東京都足立区と埼玉県八潮市の境となる垳(がけ)川が、中川に合流する地点に垳川排水機場がある。 中川との接続点に昭和54年(1979)に造られた排水機場。、、、、、、垳川はかつて綾瀬川本流であったが、江戸初期に綾瀬川から切り離され、江戸中期には中川とも切り離されて、川の中間部には葛西用水が流れ込み、溜池のようなものとなった。 そこで、増水時には水害防止のため、綾瀬川や中川に排水する施設として垳川排水機場がある。 ここには、5台のポンプがあり、フルに稼働すると1分間に学校のプール7個分の水を排水する能力が確保されている。、、、、、、首都圏の洪水対策は完璧だね!(チョイト心配だが?)


・・・・・・・・・・・・・・・写真右側は八潮市、左側は足立区。 都県境の垳川。
 
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・・・・・・・・・・ 垳川排水機場

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・・・・・・・・・・ 垳川排水機場前を流れる中川、、、、、左側(対岸)の新大場川水門は、葛飾区西水元と八潮市古新田の境に位置する。

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花畑運河・・・・・・・・足立区東部(JR綾瀬駅・亀有駅のはるか北3.5km程)に位置し、東京近郊の農村地帯と都心を結ぶ舟運の利便化のため、昭和6年(1931)に中川と綾瀬川を結ぶ運河として開削された。、、、、江戸・明治の頃より、舟運は埼玉県東部の穀倉地帯からの食糧を輸送するだけでなく、東京から出された大量の糞尿を肥料として農耕地帯へ送り出していた。 それに係わる運搬船は、最盛期に3,800隻近くとなっていた。、、、、春日部・越谷近辺から中川を下ってくる船は、現在の旧中川をとおり、小名木川・隅田川・都心のルートを航行した。 一方、綾瀬川を下ってくるルートは、現在の堀切駅近くにある隅田川水門から隅田川に入り都心に直結していた。 明治44年(1911)から、荒川放水路の開削工事が始まると、放水路により中川は分断され、中川ルートは各所に水門・閘門が設けられ運行に支障をきたすこととなる。、、、、そこで、大正14年(1925)、急遽、花畑運河の開削工事が計画され、中川ルートの船を綾瀬川ルートに誘導し、渋滞解消をはかることにした。 工事は荒川放水路の竣工に半年遅れ昭和6年(1931)12月に完成した。、、、、戦後は糞尿輸送・食料輸送も減り、現在は東京湾に向かう釣り船がたまに通行するだけとなった。、、、、ここで、私が考えた今後の利用計画を内緒で披露する。 両端の水門を閉じ、釣り船の航行は止め、足立区営の巨大な釣り堀にしたらどうだろう! 


・・・・・・・・・・ 中川寄りの六ツ木水門、、、、、、平成11年 (1999) 3月に竣工した幅員7.5mのローラーゲート式。 こちらは水門は常時開放され船の進入が可能。 ただし、花畑運河にかかる橋は水面からの高さが低く、干潮時でないと通航困難とのこと。

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・・・・・・・・・・ 六ツ木水門から見る、真直ぐに伸びる花畑運河

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・・・・・・・・・・ 運河上には六ツ木水門から順に、桜木橋、 富士見歩道橋、雪見橋、月見橋と架かり、綾瀬川寄りには花畑水門がある。 桜木橋と、桜木橋から見る六ツ木水門、そして花畑水門側を望む。

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・・・・・・・・・・ 運河は両サイドをコンクリートの護岸で囲まれている。 水辺には下りることができない。

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・・・・・・・・・・ 下りられない水辺で釣りをする人。 水面にはペットボトルがプカプカ。 釣った魚で晩酌するのか? 

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・・・・・・・・・・ 雪見橋から花畑水門側を見ると、川にはゴミが浮いている。

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・・・・・・・・・・ 綾瀬川寄りの運河には、月見橋が架かり、スグ隣に花畑水門、頭上には首都高6号三郷線が走る。 せせこましい風景だ!

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・・・・・・・・・・ 綾瀬川を挟み、対岸から見る花畑水門

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六町駅 ・・・・・・・・平成17年(2005)に開業した、つくばエクスプレスの六町(ろくちょう)駅。 駅周辺にはスーパーがあるていど、これと言うめぼしきものは無し。 あっ、そう・そう、マクドナルドがあったね、私の住む浅草橋にあったマックは数年前に撤退した、残念だが負けた!
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