東上野の裏街
数週間前から男の大事な一物に痛みを感じ(病名・原因は?)、今日は東上野の総合病院でCT検査をしてきた。 検査後は、病院周辺をぶらつき、上野駅から歩いて帰ってきた。
①永寿総合病院・・・・・・・・・病院の前身は戦前から元浅草(地下鉄銀座線稲荷町駅前)にあった古い病院で、昭和40年代頃は健康な人でも入院すると病気になるようなボロボロの病院であった。 その病院が東上野にあった旧西町小学校の跡地に引っ越し、建てた病院が現在の永寿総合病院である。、、、、、私は、この病院にはかなり世話になっており、救急で2回運ばれたことがある。 今日の検査もここで受けた。

・・・・・・・・・・ 病院正面玄関前に建つ戦前の長屋建築。 現在は4軒長屋となっているが、以前は右側に一軒あり、5軒長屋であった。 味がある2階の窓(右側)は完全に当時のままと思われる。 昭和初期の建物か?


・・・・・・・・・・ 病院敷地内にある旧西町小学校跡の碑。 この地に、関東大震災の復興小学校として、昭和4年(1929)に鉄筋コンクリート造、3階建ての校舎が建てられた。 卒業生には、池波正太郎(作家)、中原ひとみ(女優)、萩本欽一などがいる。 ついでに、今日94歳になった我が母も卒業生の一人である。 鉄筋コンクリート造の小学校より丈夫で長生きの母である。

②駅前旅館街・・・・・・・・昭和通りを挟み上野駅の南側、東上野2丁目には小さな旅館・ビジネスホテルが数軒ある。 以前はもっと多く“昭和のビジネス旅館街”である、、、、、私が知るのは、戦後、上野駅を利用する観光客・行商人などが利用していたようだ。

③東上野コリアンタウン・・・・・・・・・旅館街につづく南側に、これまた、焼肉屋が並ぶコリアンタウンがある。 戦後の混乱していた時代、昭和23年に、「御徒町商店街」から枝分かれし「上野親善マーケット」として焼肉店・キムチ店・肉店・民族衣装店などが集まって始まった。 都内最古のコリアンタウン。、、、、、ここでの飲食は、激安である。 ただし、店の規模などには文句を言わないこと!



④ああ上野駅・・・・・・・・上野駅は明治18年(1883)7月に日本鉄道のターミナル駅として開業した。 誰もが知る、上信越・東北方面の玄関口であるが、大正12年(1923)の関東大震災にて旧駅舎は焼失した。 現在の駅舎は、震災復興建築として建てられた、出入口が上下に分離された立体式であったが、平成14年(2002)に改装された。 建物は、鉄道省技官:酒見佐市の設計、鹿島組の施工で、昭和7年(1932)に竣工した。




・・・・・・・・・・ 上野駅広小路口を出ると右側のガード下に、井沢八郎が歌う『あゝ上野駅』の歌碑がある。 歌は御存じ、、、♪♪ どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ 上野は俺らの心の駅だ くじけちゃならない人生が あの日ここから始まった ♪♪、、、、私には、集団就職の経験はないが、当時を知る同世代の一人として、集団で上京した、彼ら彼女らに贈る応援歌として、この歌を忘れることはないであろう。

●・・・・・・・・・・ そろそろ、日も落ちてくる時刻、御徒町を抜けて我が家へ帰る。


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