かっぱ橋本通り
朝の天気予報で、『本日は猛暑日、熱中症に注意を!』と呼び掛けている。 こんな日に散歩に出て、道路上で泡噴いて、意識を失い、ぐったりし。 見ず知らずの親切な御仁が救急車を呼んでくれ、救急隊は受け入れ先の病院を手配し、警察は家族に連絡し、通りすがりの人は「行き倒れらしいよ、飲まず食わずで、可哀そうに!」と同情し、心あるお年寄りが「食事の足しにでもしなさい」と千円札を私のふところに入れ、それを見ていた周りの人も競って財布から札束を私のふところに、、、、、、いつの間にか、私のふところには数十万円の札束が、ニヤニヤ・シメシメ、と、よろこんだ瞬間、救急病院で意識が戻り、恥をかくのがオチだ!
暑い日の散歩はひかえよう!、、、、今日は朝から家にこもっていた。 でも、外出の口実はいくらでもある。、、、、3時過ぎ、『チョイと、整形外科に行ってくるよ!(万年腰痛の為、時々、腰を伸ばしてもらう)』、『その足で、浅草へ行って真夏用の帽子を買ってくるよ!』と、家を出た。、、、、と言うことで浅草へ行き、帰りは「かっぱ橋本通り」を上野まで、夕刻の散歩をしてきた。
・・・・・・・・・・ 「新仲見世」をウロウロ、可愛い娘にキョロキョロ、帽子屋さん・扇子屋さん・レコード屋さんに寄りブラブラ。


・・・・・・・・・・ 「国際通り」に出た! 道の向こうに「かっぱ橋本通り」が見える。 このまま帰るのは脳がない、味噌もない、つまらない!、、、、、ヨシ、今日は「かっぱ橋本通り」を制覇しよう!


・・・・・・・・・・ 「かっぱ橋本通り」は、有名な「かっぱ橋道具街」と道の中程で交差する商店街。 東の端は「国際通り」の「公園六区入口交差点」、西の端は「昭和通り」の「北上野一丁目交差点」である。、、、、、その昔、寛永寺の高僧が浅草寺に詣でる「御成道」として整備された。 浅草は江戸時代から庶民の娯楽の中心であった街。 その浅草と上野をつなぐ幹線路として、明治・大正時代は、終日賑わいをみせていた。 明治時代には、線路の上に馬車が走る「馬車鉄道」も運行したそうだ。、、、、、かっぱ橋本通りには、3つの商店街が直線状に連なっており、総延長約1.2km。 只今、『下町七夕まつり』と称し、七夕飾りを楽しむことができる。



・・・・・・・・・・ 一直線のかっぱ橋本通りは、どこからでも東側(浅草側)の正面にスカイツリーを望むことができる、、、、、まるでスカイツリーを予測してつくられた道のようでもある。


・・・・・・・・・・ かっぱ橋本通りの創業:明治36年の老舗:「どぜう飯田屋」 「駒形どぜう」と下町の味を二分する“どぜう屋”、、、、チョイと余談だが、私は大学生時代飯田屋の前辺りの家で、家庭教師のバイトを4年間やっていた。 夜10時頃のこの付近は、七色のネオン輝く、魅惑的な街であった。 今も面影は残るが、チョイと暗くなったかな?

・・・・・・・・・・ かっぱ橋本通りのイメージキャラクターは、ズバリ『かっぱ』 通りのアッチ・コッチに!、、、、、365日立ちんぼで疲れたのか、傷ついた“かっぱ”もいる。





・・・・・・・・・・ 「かっぱ橋本通り」と直交する「かっぱ橋道具街」、、、、交差点付近には、平成15年(2003)に「合羽橋道具街」が誕生してから90年を迎えるにあたり、これを記念してシンボル像「かっぱ河太郎」が建立された。 像は彫刻家:西村祐一氏と工芸作家:北村真一氏の制作。 現在は暗渠となった道具街通りの下を流れる新堀川などの堀割工事を手伝ったとされる河童伝説に基づいて、台東区の支援協力のもと、道具街中央ポケットパークに建立した。



・・・・・・・・・・ かっぱ橋(合羽橋)の由来について、、、、、「合羽」の由来は2つの説がある。 ①ひとつは、今はない新堀川の整備を行った雨合羽の商人、合羽屋喜八の話である。 今から200年ほど前の文化年間の時代。この辺りは水はけが悪い低地で、雨が降るたびに洪水となり、人々は困り果てていた。 そこで、合羽屋喜八が私財を投じて、水路をつくる工事に着手。 しかし工事はことのほか難航し、これをみた隅田川の河童たちが同情し、喜八の良心にも心を打たれて、夜な夜な工事を手伝い、工事は無事に完成した。 通称かっぱ寺とよばれる曹源寺には、合羽屋喜八の墓がある。 ②もうひとつの説は、橋の近くにあった、伊予新谷加藤家下屋敷にまつわる話。 屋敷に住んでいた下級武士たちは、内職に雨合羽を作っていた。 その雨合羽をこの橋にかけて乾かしていたことから「合羽橋」と呼ばれるようになった。、、、、合羽橋はなくなり、合羽(かっぱ)伝説が残る。、、、、どちらの説にしても、“かっぱ橋”は“河童橋”ではなく、“合羽橋”である。
・・・・・・・・・・ かっぱ橋本通りのほぼ中間地点(台東区松が谷3)に、曹洞宗の曹源寺がある。 曹源寺は、慶長3年(1598)頃、現在の丸の内に開山した、その後湯島を経て現在地へ移転した。 ここには、文化11年(1814)、私財を投じて水路を造った合羽屋喜八が祀られているのだが、今日は17時を過ぎ閉門された。 残念!!!

・・・・・・・・・・ かっぱ橋本通り曹源寺近くに、可愛い色気のある河童の像があり、『ここが台東区の真ん中 つまり「へそ」と言われている 台東区』と標されている。

・・・・・・・・・・ かっぱ橋本通りの上野側の端、昭和通りとの交差点に到着。、、、、、汗びっしょり、でも元気だ。 熱中症にならず、よかった!
