青物横丁~大井町
前回の散歩で、「江戸六地蔵」の二番目である東禅寺(台東区)の地蔵菩薩を見たので、今日は久しぶりに、一番目の品川寺(品川区)の地蔵菩薩を見に行った。 京急青物横丁駅で下車し、品川寺に参拝し、ゼームス坂周辺の裏道を歩き大井町駅から帰宅。、、、、、熱中症を避け日陰を歩いて、9千歩の散歩です。
①青物横丁駅・・・・・・・・ 明治37年(1904)5月8日に、駅名:青物横町として開業したが、いつの間にか青物横丁と変わってしまった。 駅名の青物横丁は、江戸時代に農民がこの地に青物(野菜・山菜)を持ち寄って市場を開いたことに由来する。、、、、ホームは高架相対式2面2線で、3階部分にある。 2階は改札口。、、、、かつて、駅名の“横丁”に“昭和”を感じ、駅周辺で“横丁”を探し歩いたことを覚えている。 残念ながら、見つけることはできなかった。



②竹内医院・・・・・・・・ 青物横丁駅近くに明治40年(1907)に建てられた、ノスタルジックな医院。 現在は3代目の院長で、祖父の代から続く医院の老舗。 平成21年(2009)に外科医院から耳鼻咽喉科へチェンジした。 診察室には最新設備が整っているそうです。、、、、、私はチョイト難聴なので、一度診察を受けてみたいが、我が家から遠すぎるね!

③品川寺・・・・・・・・ 青物横丁駅の東隣に真言宗醍醐派の品川寺(ほんせんじ)がある。 大同年間(806~810=平安時代初期)に創建された古刹。 江戸時代、寛文元年(1652)、4代将軍家綱より4,800坪の寺領を賜り、大伽藍を建立した。 その後、松平讃岐守・阿波守,太田備中守三家の外護のもと大名の祈願所として隆盛を極めた。 明治維新以降は、一時荒廃したものの、大正・昭和には諸堂、山門等の建立が続き復興がなされたという。、、、、、、山門の先は境内が広がり、右手奥に本堂(大正12年(1923)築)が建っている。 中華様式の影響があったのか、斬新なデザインの本堂である。


・・・・・・・・・・ 山門前で江戸六地蔵、第一番の地蔵菩薩が出迎えてくれる。、、、、江戸六地蔵とは、深川の地蔵坊正元が、宝永3年(1706)に発願し、江戸の出入口6箇所に地蔵菩薩像を造立した。 病気平癒を地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したため、京都の六地蔵に倣って造立したものである。 像高はいずれも2.7m前後である。 第一番から第五番までの5体は現存し、第六番(江東区永代寺、千葉街道沿い)は明治元年(1868)に廃仏毀釈により取り壊された。 第一番は品川寺(旧東海道沿い)、第二番は東禅寺(浅草、奥州街道沿い)、第三番は太宗寺(新宿、甲州街道沿い)、第四番は眞性寺(巣鴨、旧中山道沿い)、第五番は霊巌寺(深川、水戸街道沿い)である。、、、、、六地蔵の中で傘を被ってないのはここ品川寺の地蔵菩薩だけだ。 その為か、顔は雨だれのようなシミが出て、チョイと可哀そうだ。 誰ぞ、エステに連れていって欲しいね!


・・・・・・・・・・ 境内には、幹周り5.35m、樹高25m、樹齢600年の大イチョウが、堂々と枝を伸ばしている。

④海雲寺・・・・・・・・ 品川寺の南側に、曹洞宗の龍吟山海雲寺がある。 この寺は、建長3年(1251=鎌倉時代)に近くの海晏寺内に建てた「庵瑞林」に始まるそうだ。 慶長元年(1596)に海晏寺の和尚により開山し、曹洞宗に改められ、寛文元年(1661=江戸時代)海雲寺になった。
・・・・・・・・・・ 山門の右側、正面に本堂があり、山門を通し左側奥が荒神堂で千躰荒神を祀っている。江戸時代から「品川の荒神さん」として知られている。

・・・・・・・千躰荒神王は火と水の神で、台所の神である。 3月と11月の27日、28日は「千躰荒神大祭」で御開帳があり、参拝してお札を授かると火除けとなるそうだ。 その荒神様が祀られている千躰荒神堂。

・・・・・・・・・・ 荒神堂の中には多くの扁額が奉納され、格天井には纏が描かれている

⑤第一京浜を越え、ゼームス坂へ・・・・・・・
・・・・・・・・・・ 青物横丁交差点で第一京浜を横断し、大井町方向に歩く

・・・・・・・・・・ 青物横丁交差点から上り坂で仙台坂上に向かう池上通り。 私は、写真右側、南品川5丁目の裏道を歩いてきた。

・・・・・・・・・・・・・行きつ戻りつ、裏道を歩き、出てきたところはゼームス坂、、、、、JR大井町駅から京急新馬場駅までむすぶゼームス坂は、もともと非常に急な坂だった。 明治時代、この坂下付近に住んでいたJ.M.ゼームスという英国人が私財を投じて緩やかな坂に改修した。 以来この坂はゼームス坂と呼ばれるようになる。 J.M.ゼームス(1839~1908)は、幕末にジャーデン=マディソン商会の長崎支社の社員として来日し、明治5年(1872)に海軍省に入り、測量調査や航海術の指導を行った。 生前から仏教に帰依し、その墓は山梨県身延町の久遠寺にあるそうだ。

⑥品川電車区ボイラー室(旧大井町変電所)・・・・・・・・ JR東日本山手電車区の中にある赤煉瓦の建物は、近づくことが難しく、南品川6丁目の浅間台小学校横の小路から撮影。 この建物は、大正11年(1922)に竣工した旧大井町変電所。、、、、京浜東北線や湘南電車に乗っていれば必ず目に入ってくる建物で、存在は多くの人が知っているようだ。


⑦JR大井町駅・・・・・・・・ 京浜東北線大井町駅は東急の大井町線、東京臨海高速鉄道のりんかい線が乗り入れ、相互間の接続駅となっている。 明治34年(1901)3月15日に、国有鉄道東海道本線に大井聯絡所が開設された。 大正3年(1914)12月20日に、京浜線(京浜東北線の前身)の運行開始に伴い、大井聯絡所を駅に格上げし大井町駅誕生。


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