« 小菅~綾瀬 | トップページ | 草加 甚右衛門堰 »

2017年7月28日 (金)

台東区台東

歳をとるとアッチャコッチャが故障し、私の耳は数年前から音波の受診状況がチョイト悪く、音波受信機を耳の穴に入れて音量を拡大している、世間では“補聴器”と呼んでいる機械である。  私が愛用する受信機はコンピュータ内蔵のデジタル式で、自分で音量調整ができないため、今日は散歩を兼ね、調整に東上野まで行ってきた。 我が家(浅草橋)から「台東区台東」の町を抜け、東上野までの8千歩です。


台東区の由来・・・・・・・・昭和22年(1947)3月15日、旧東京市の下谷区と浅草区が合併するとき、両区ともに下町文化の根付く由緒ある土地のため、合併後の名称決めは紛糾した。 様々な案が考え出され、最終的に下谷区側の案は「上野区」、浅草区側の案は「東区」に収束したが、結局まとまらず、都知事の案により下谷区台東小学校にて既に採用されていた「台東」の語を用い「台東区」とした。 『康煕字典』では「台東(たいとう)」という熟語に「日出るところ衆人が集まって栄える場所」の語義があり、また「台」に“悦ぶ”の意があるので上野山つまり下谷区に当て、「東」には“春”の義があって浅草区を指すと解釈。 双方の区に、こじつけ、まさに理に適うところから、これを区名に選定したそうだ。、、、、私は浅草区の時代に生まれた住人だが、これほどの立派な(屁)理屈を踏まえた名誉ある区名とは知らなんだ! 昨今多い、新〇〇、東〇〇のように、新・中・元・東・西・南・北を冠した区名より素晴らしいね!


台東区台東とは・・・・・・・ 台東区“台東”と聞いて、どの辺りかピンとくる人は、地元の住人か、地元に勤めている人か、“台東”で交通事故を起こした人ぐらいだろう。、、、、、“台東”にある大手企業は、台東1の印刷会社である凸版印刷、台東4に紫色のビルで店舗を展開するディスカウントストアの多慶屋が有名。 地理的には、秋葉原と御徒町の間で、昭和通りの東側である。、、、、、現在の“台東”の町は、対馬厳原藩宗家上屋敷・伊勢久居藩藤堂家上屋敷・旗本士宅などのあった下谷二長町。 秋田藩佐竹家上屋敷・津藩藤堂家中屋敷・大洲藩加藤家中屋敷・出羽矢島生駒家上屋敷など武家地であった下谷竹町。大洲藩加藤家上屋敷・御徒組大繩地・旗本士宅であった御徒町。 以上の、下谷二長町、下谷竹町、御徒町を中心として、昭和39年(1964)の新住居表示にて、区名から取って名付けられたもので、“台東”の由来とは関係ない。、、、、、区名は真剣に考えたが、町名はめんどくさいので区名のパクリ。 いい加減なものだ!



旧柳北小学校・・・・・・・・ このブログをよく見る人は、ご存じ、吾輩の母校。、、、明治9年(1876)、第五中学区第十四番公立小学柳北女学校として設立され、明治20年(1887)に柳北女子尋常高等小学校、明治41年(1908)に柳北尋常小学校と改称した。 大正15年(1926)には、現在の鉄筋コンクリート3階建校舎が竣工し、昭和36年(1961)には東京都台東区立柳北小学校として、吾輩が卒業した。 平成13年(2001)には涙を流し閉校となる。、、、、、現在は、廃校の再活用で、蔵前小学校の建て替えの為、仮校舎として使用中。、、、、、この学校の西側に台東区台東1丁目と千代田区和泉町が広がる。
1707281231090



三井記念病院・・・・・・・・・ 千代田区和泉町にある、三井財閥系の企業により支援されている総合病院。 現建物は平成23年(2011)9月に竣工した地上19階建ての病院。、、、、、三井記念病院は、安政5年(1858)に江戸お玉が池に開設された種痘所を前身として、東京帝国大学附属病院の跡地(現在地)に、明治39年(1906)に三井家総代三井八郎右衞門により、「三井慈善病院」として設立された。 以後、昔も今も、東京大学医学部の協力の下に診療している。、、、、、我が家では、家族全員がこの病院に昔から世話になっており、吾輩が幼き頃の小児科、我妻の娘の出産、我がオヤジのガン治療、我が母の白内障手術など、いつも、いつも、お世話になります。 極め付きは、3年前、吾輩が大動脈解離で大動脈置換手術を受けたのも、この病院である。 その節は、ありがとうございます。
1707281239180
1707281238110


・・・・・・・・・・ 三井記念病院は千代田区和泉町、道路を挟み斜め前に凸版印刷の本社がある。 こちらは台東区台東1丁目。、、、、ここは、かつての芝居小屋:市村座の跡地。 (写真は4年前に撮影)
2012_0312_153652_5



櫻稲荷神社・・・・・・・・ 台東区台東2丁目、蔵前橋通りに、朱塗りの鳥居が立つ細い参道の入り口がある。 こちらは「櫻稲荷神社」と称し、大名の藤堂家邸内に鎮座していた稲荷神社。 関東大震災後に地元の岡本悟一氏が奉受して桜稲荷神社とした。 昭和27年(1952)には京都伏見稲荷神社より分霊を勧請、鎮座した。、、、、、この細い路地に、“よくぞ祀ったお稲荷さん”と云うわけだ!
1707281247520
1707281248280



竹町金刀比羅神社・・・・・・・・ 当神社は、当地(台東2丁目)周辺にあった生駒讃岐守一正の邸内鎮守として創建したといわれている。 江戸には金刀比羅神社が多く分祠されているが、当神社は江戸最古の分祠と言われている。
1707281252240



台東区台東の建築・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・ 5軒長屋、、、、、、昭和15年(1940)頃の建物。 右端は森永牛乳の店であった。 2階には錆びたエンゼルマークと、懐かしい森永マミーの球形の看板が残されている!
1707281256380


・・・・・・・・・・ 台東製作所、、、、3階部分は増築された鉄筋コンクリート造り(?)の建物。 戦前の建築らしい(?)
1707281257390


・・・・・・・・・・ 6軒長屋、、、、、、1件だけ銅板建築の名残が残る長屋だが、そろそろマンションに生まれ変わかも?
1707281258520


・・・・・・・・・ 9軒長屋+9軒長屋、、、、、、凄い! 車はもちろん入れない狭い路地に、9軒長屋が向かい合わせに立ち並ぶ。 路地からは2階までしか見えないが、3階に部屋を増築した部分も見える。
1707281300230
1707281301240
1707281301460



佐竹商店街・・・・・・・・ 台東3丁目・4丁目の東側に、「佐竹商店街」のアーケードがある。 明治31年(1898)に商店街組合を結成し、金沢の片町商店街に続き、日本で2番に古い商店街である。 商店街名の“佐竹”は、江戸時代に当地に出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷(藩主:佐竹氏)があったことに由来する。 商店街の北端は、春日通りで御徒町駅までは、目と鼻の先。、、、、、私の若き頃は、地元の客で終日にぎわっていた地元密着型の商店街だが、日ごとに寂しくなるようだ。
1707281356370
1707281314070



●・・・・・・・・・・ 春日通を横断し東上野の町に入る。 暦の神宮館の前をとおり、下谷神社 で手を合わせ。 用事が済めば、今日はコミュニティーバスで我が家まで帰宅。
1707281401160
1707281415280
1707281439301

« 小菅~綾瀬 | トップページ | 草加 甚右衛門堰 »

散歩」カテゴリの記事

建築」カテゴリの記事

台東区」カテゴリの記事