巣鴨
江戸六地蔵の四番目は、巣鴨の「地蔵通り商店街」入口脇の眞性寺にある。 今日は巣鴨駅から、都営三田線の西巣鴨駅まで、1万歩の散歩です。
①巣鴨駅・・・・・・・・ 明治36年(1903)4月1日に日本鉄道の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地上駅で、駅舎は大塚駅寄りの白山通りに面しあり、改札はここ1か所のみである。、、、、、、“おばあちゃんの原宿”駅も、朝は若い人ばかりだ。
②眞性寺(江戸六地蔵)・・・・・・・・ 「巣鴨地蔵通商店街」入口(出口かも?)手前に、江戸六地蔵尊の四番目が安置されている真言宗豊山派醫王山東光院眞性寺がある。 眞性寺は、聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建したと伝えられる古刹。、、、、、、寺は昔から中山道の出入口にあたるこの地にあり、大きな傘をかぶり杖を持つ地蔵尊が、江戸の旅人の安全を見守ってくれている。 今は“巣鴨”と云えば「とげぬき地蔵」だが、昔は“巣鴨”と云えば「六地蔵」であった。 像は正徳4年(1714)に造立された。、、、、、、地蔵さんは、300年間、この地に座りぱなしで、足もしびれているかも? 右手中指で、おでこの真ん中に、3回つばをつけると治ることを、教えてあげたいね。
③高岩寺 ・・・・・・・・ 来たついでに、「とげぬき地蔵」にお立ち寄り。 曹洞宗萬頂山高岩寺は、慶長元年(1596)に江戸湯島に開かれ、その後下谷に移転し、明治24年(1891)に現在地の巣鴨に移転してきた。 本尊は「とげぬき地蔵」(秘仏)として病気の治癒改善に御利益が期待されている延命地蔵菩薩。 お年寄りには、うれしい御利益だね。、、、、「とげぬき地蔵」の由来は、江戸時代、毛利家の女中が針を誤って飲み込んだ際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだら、針が御影に刺さって吐き出されたという伝承がある。 マジックのような話だ!、、、、、本堂は昭和32年(1957)、鉄筋コンクリート造にて完成。
④中央卸売市場豊島市場・・・・・・・ 国道17号(白山通り)を挟み、高岩寺の北側に中央卸売市場豊島市場がある。 この地は、もともと伊勢国津藩主藤堂和泉守家の抱屋敷の一部であったが、明和6年(1769)に伊奈半左衛門預りの幕府御用林となった後、寛政10年(1898)頃に幕府に仕えた渋江長伯が管理する巣鴨薬園となった。 薬園というのは、薬用植物を栽培し、疾病治療の用に供する施設のことであり、日本にはすでに8世紀前半期には存在していた。 昔の製薬工場だ!、、、、、明治維新後、巣鴨御薬園は廃止され、昭和12年(1937)東京市中央卸市場豊島分場が開設された。 その後は、現在の東京都中央卸売市場豊島市場となった。、、、、、築地のイメージで市場内を歩いてみたが、扱うのは“野菜”と“果物”。 “魚”はなし。 セリも終わったようで、そろそろ店仕舞いの時刻のようだ!
⑤本妙寺・・・・・・・・ 中央卸売市場裏に法華宗陣門流の東京別院:本妙寺がある。、、、、、元亀2年(1571)駿府に創建し、天正18年(1590)江戸清水御門内に移転、その後幾度か移転を繰り返し本郷へ移った。 本郷では江戸市中を焼いた明暦3年(1657)の大火の火元として名をはせた。 明治44年(1911)、本郷から現在地(豊島区巣鴨5)へ移転した。 戦災で被災し古い建物は残っていない、本堂も戦後の再建である。、、、、、寺の古さを物語るは、著名人の墓所がズラリ!
・・・・・・・・・・ 明暦の大火(振袖火事) 供養塔、、、、、明暦3年(1657)1月18日未刻(午後2時頃)に出火し、折からの強風に煽られて、江戸城本丸・二の丸をはじめ江戸市中の6割余りを焼きつくし、死者約十万人に達した大火が「明暦の大火」。 そして火元となったのが本郷にあった本妙寺で、原因は本妙寺の檀家の娘の供養のために燎火に投じた振り袖が舞い上がって本堂の屋根に飛火したことによるものとされ、俗に「振袖火事」といわれています。、、、、供養塔が本堂脇にある。
・・・・・・・・・・ 関宿藩主 久世大和守歴代の墓、、、、、、千葉県の北のはずれ、関東の交通の要衝、下総関宿城主の歴代の墓がある。 初代、四代、七代は老中職をつとめた。
・・・・・・・・・・ 名奉行 遠山左衛門尉景元の墓、、、、、、御存じ、江戸後期の北町奉行、他に大目付、南町奉行等をつとめた、“遠山の金さん”の墓。、、、、では、ここで問題。 テレビで金さんを演じた役者の名を五人あげろ?、、、、答え(古い順)、市川新之助、中村梅之助、市川段四郎、橋幸夫、杉良太郎、高橋英樹、松方弘樹、松平健。
・・・・・・・・・・ 剣豪 千葉周作の墓、、、、、江戸後期の剣豪、北辰一刀流開祖、神田お玉ヶ池、千葉道場(玄武館)主。 漫画:赤胴鈴之助は千葉周作の門下生。
・・・・・・・・・・ 天野宗歩の墓、、、、、、江戸末期の将棋の名人で棋聖位に着く。 将棋の駒の形をした墓石。、、、、近頃の将棋ブームにあやかり、墓参する人も増えたかな?
・・・・・・・・・・ 囲碁 本因坊歴代の墓、、、、、、徳川家康が碁を好み、京都にいた初代の本因坊算砂日海を江戸へ呼び寄せた。 三世の道悦までは没後京都の寂光寺に葬ったが四世の道策から二十一世の秀哉までの歴代本因坊が本妙寺に葬られている。、、、、こちらは囲碁ファンの聖地。
・・・・・・・・・・ 清水建設慰霊塔、、、、、、、創業文化元年(1804)に創業し、200年以上の歴史を有するスーパーゼネコン清水建設の慰霊碑があった。 永い会社の歴史の中で清水建設に係った縁者を供養するため建てた慰霊塔である。、、、、、私も同業の世界に居た一人として、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、合掌。
・・・・・・・・・・ 本妙寺門前の道:「朝日通り商店街」は、名ばかりで商店が無くなった。 朝日通り商店街を北へ進み、都電荒川線を越える。
⑦A邸・・・・・・・・ ・こちらは西巣鴨にある、3階建ての元医院。 戦前の建物か? 残念であるが、建物の詳細は不明。
●・・・・・・・・・・ お盆も近づてきたせいか、今日の散歩は墓巡りとなった。 誰か、私を墓の中から呼んでいるのかも? まだ、この世に未練があるので、あと20年は生かして欲しいね!
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