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2017年8月

2017年8月30日 (水)

伝右川排水機場

歳をとると、なかなか眠りにつけないことがある。 そんな時、真夜中のベッドで、タブレットの地図を見ていると、♪♪ 坊や~良い子だねんねしな~ ♪♪と、眠りのお誘いがやって来る。、、、、、数日前の眠れない夜、地図を見ていたら、足立区花畑と埼玉県八潮市の境あたりで、綾瀬川が複数の河川と合流する地点があり、そこには「伝右川排水機場」があった。 一か月ほど前に寄った草加市の「神明排水機場 」は、伝右川(でんうがわ)の上流に位置する排水機場であった。 チョッピリ親しみを感じ、「伝右川排水機場」をぜひ見てみたくなり、今日の散歩はつくばエキスプレス八潮駅で下車し、排水機場を見て、六町駅に向かうことにした。

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八潮駅・・・・・・・・ 我が家(浅草橋)から、コミニティバスで浅草に出て、つくばEXPで20分。 またまたやって来ました八潮駅。

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綾瀬川へ向かう・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・ 八潮駅から西へ歩き、首都高6号三郷線を抜け、さらに西へ。、、、、今日は朝から湿度が高い。 私の躰はすでにサウナ状態。 ダラダラと流れ落ちるは、ベトベト(悪い汗)ではなくサラサラ(いい汗)。

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・・・・・・・・・・ 日陰を歩きたいのだが、 新興住宅街には、雑草生える空き地ばかり!

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・・・・・・・・・・ 歩く途中に、真言宗豊山派の明王山蓮台寺があった。 蓮台寺の創建年代は不詳であるが、柿木村(現在の草加市)の村民が開基となり庵室を創建し、廃寺より寺号を頂戴したそうだ。 朱塗りの観音堂には、美しい観音像を期待したが、仏壇の扉は閉まり、期待ハズレの顎ハズレ!、、、、、、疲れと汗がドッと出た。 来たついでに、チョイとナイショで水を貰い休憩。

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・・・・・・・・・・ 綾瀬川の土手が見えた! 土手に上がり対岸見れば、足立区花畑の住宅が並ぶ。

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・・・・・・・・・・ 対岸から眺める伝右川排水機場。 写真手前を流れる綾瀬川、樋門から流れ出るのは伝右川、その奥に綾瀬川(毛長川)が流れている。

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・・・・・・・・・・・・・・上の写真を撮影した場所に八潮市から流れ込む小さな用水路。

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・・・・・・・・・・ これより綾瀬川の上流に架かる桑袋大橋を渡り、排水機場のある対岸を目指す。、、、、、途中、ザクロを見つけ、一瞬、秋を感じる。 しかし、歩けばサラサラ汗がダラダラ。 暑い!、暑い!、メチャクチャ暑い!

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花畑第四アパート・・・・・・・・ 足立区花畑の綾瀬川両岸には、都営住宅が建ち並んでいる、、、、、23区最北端の都営住宅かも (?)。 東武伊勢崎線谷塚駅、つくばEXP六町駅、八潮駅のいずれからも直線距離で約2km、歩いたら30分以上、バスは1時間に数本、滅茶苦茶不便なところのようだ!

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伝右川排水機場・・・・・・・・・ 綾瀬川と綾瀬川の支流:毛長川に挟まれて合流する伝右川(でんうかわ)。、、、、、、伝右川は、埼玉県および東京都を流れる利根川水系の一級河川であるが、水質も超一級で“綾瀬川支流の中ではもっとも水質が悪い”とお墨付きがあるようだ。 その最下流にあって、草加市、八潮市に大きな被害をもたらした昭和56年(1681)の台風24号の激特事業の一環として、伝右川流域の洪水、内水被害の軽減を目的として建設された排水機場。 立軸軸流ポンプ3台で最大排水量15立方メートル/秒の能力を有している。 樋門は昭和60年(1985)、鹿島建設の施工で完成した。

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大鷲神社・・・・・・・・ ここ花畑の大鷲神社の創建は古く、平安時代、新羅三郎義光が奥州の役に赴く途中、社前に戦勝を祈願したと伝えられるゆかりの社だ。 私が住む台東区千束の鷲神社同様に、応徳(1084)の頃から毎年11月の酉の日に例祭が行われ賑わうそうだ。、、、、、現在の本殿は嘉永7年(1854)に上棟、明治8年(1875)竣工、総欅方3間四方唐破風造り。 正面左右に竜が浮彫りされている。 拝殿は寛永元年の建築らしい。、、、、堂々とした立派な建築である。

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●・・・・・・・・・・ 大鷲神社に手を合わせ、六町駅に向かったが、途中、「花畑第一小学校入口」バス停でタイムアウト。 ここからバスで駅まで行くことにしたが、ナント、乗りそこねてしまった。シマッタ! 次のバスは約1時間後、不便な処だ! 親切な方に、他のバス停へ案内していただき帰宅する。、、、、、、八潮駅からここまで、1万4千歩の散歩でした。

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2017年8月28日 (月)

秋山~市川

北総線秋山駅から総武本線市川駅まで、1万2千歩の散歩です



秋山駅・・・・・・・・・ 平成3年(1991)3月31日、北総線京成高砂駅~新鎌ヶ谷駅間(12.7km)の開業時に、同時に秋山駅も開業した。 掘割状の半地下式駅で、相対式ホーム2面2線を有し、駅出入口は地上に一ヵ所のみ。 開業から25年以上経過したが、いまだに駅前にコンビニが無い、もちろん喫茶店なんてあるはずがない。 駅前にあるのは、マンションの1階に歯科医院があるだけ!
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春日神社・・・・・・・・ 秋山駅より南西へ徒歩10数分の距離にあり、奈良春日大社の大神を祀る神社。 創建年代不詳。 当地は下総国分寺・国分尼寺に近く、奈良から住みついた人々もいたようだ、故郷の春日明神の神護を得るため、一社を営み勧請鎮祭したのが当社であるとも言われている。、、、、、社殿は明治維新100年を記念し、昭和43年(1968)に改築された

・・・・・・・・・・ 立派な門構えの住宅もある、松戸市秋山の住宅地の中に春日神社はある。

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・・・・・・・・・・ 一の鳥居二の鳥居三の鳥居、と続く

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・・・・・・・・・・ 明治26年(1893)10月9日建立の狛犬に守られた社殿

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慶国寺・・・・・・・・・・ 春日神社一の鳥居の正面に、長秋山慶国寺の山門がある。 慶国寺は日蓮宗の寺で、文永元年(1262)真言宗玄海上人が宗祖日蓮聖人の教化により改宗し、名を日栄と賜わり寺号を改称したことに始まり、以来750年の歴史と伝統をもつ古寺。 残念ながら、明治5年(1872)の火災により古文書等の記録を消失してしまい詳しい寺伝は不明。

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秋山湧水・・・・・・・・・ 慶国寺と、西隣の聖徳大付女子高の間は、谷のようになっており、 雑木林の斜面地から湧きでている湧水池がある。 地元では、その名も「秋山湧水」と称し、ホタルが舞う湧水池を期待しているようだ。、、、、、崖下にある、フェンスで囲われた小さな水溜まりのような処。 雑草が茂り、水面もチョコットしか見えないが、どう見てもホタルは住んでいそうもない、ボーフラならいるかも?

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厳島神社 ・・・・・・・・ 聖徳大付女子高脇の道を南に向かうと、松戸市秋山から市川市稲越町となる。 町の一角、千葉県立国分高等学校の北隣に小さな社の厳島神社がある。、、、、、どうやら、神社のあるこの地も湧水池があるようだ。 神社は湿った土地にあり、社に、鳥居に、手水に、傾いた簡易トイレがあるだけ。 原っぱの中に、朱塗りの鳥居が印象的に建っている。

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稲越町から市川駅へ・・・・・・・・ 県立国分高等学校前からバス通りを歩き、市川駅を目指す

・・・・・・・・・・ 県立国分高等学校、、、、、数年前、創立50周年を迎えた学校だが、残念ながら、私の知る著名人の卒業生は一人もいない学校であった。

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・・・・・・・・・・ 市川市曽谷の町に入ると、遥か前方に市川駅前の超高層住宅が2棟見えた! まだまだ、遠い!

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・・・・・・・・・・ 農業用水路と思われる川に架かる小さな橋、その名は「曽谷春雨橋」、下を流れる小川は春木川、、、、、ともに粋な名前だが、実態は???

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・・・・・・・・・・ 「曽谷春雨橋」付近から市川駅方向を眺める

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・・・・・・・・・・ オ~~、厳重に管理された賽銭箱のある、六所神社 に出て来た。

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・・・・・・・・・・ 市川駅に到着。 後半はバス通りをひたすら歩くだけの疲れる散歩となった。 “5963”(ゴクロウサン)!

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2017年8月24日 (木)

京成曳舟~堀切

久しぶりに墨田区の北部(東向島、墨田)の裏道を歩きたくなり、京成曳舟駅から東武伊勢崎線の堀切駅まで、これまで歩いたことがない裏道・裏通りを探しながらの散歩です。



京成曳舟駅・・・・・・・・・・大正元年(1912)11月3日に「曳舟」駅として開業し、昭和6年(1931)に「京成曳舟」駅に改称した。 駅は、平成25年(2013)に上り線を高架にし、平成27年(2015)に下り線も高架となり、相対式ホーム2面2線の高架駅に変わった。 ホーム下のコンコースは広く、改札口は押上側と八広側の両端にある。 今日は東向島方面に行くので、八広側の改札を抜け高架下の長い通路を歩き、明治通りに出た。 地上駅から一気に垢抜けした高架駅に変わり、さらに駅前再開発で弾みがつき、地価もはね上がったと思うね!
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東向島6丁目の裏道・・・・・・・・・「東向島6丁目」と言われて、どの辺りかピンとくるのは地元の人だけ。 チョイと説明すると、京成曳舟駅と八広駅の間で、京成押上線に並行する水戸街道の南側の町である。 水戸街道の反対側(北側)は年配の人には懐かしい、玉ノ井の町があった、東向島5丁目なり。

・・・・・・・・・・ 鍵の手に折れた裏道。 この辺りでは、各家で建て替え時に、緊急車両が通れるように前面道路を広げている。

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・・・・・・・・・・ この道は“ドブ川”の跡かな?

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・・・・・・・・・・ 道の先はT字路。 オヤ、渋い工場がある

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・・・・・・・・・・ この道も細い、自家用自転車は欠かせない交通手段

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・・・・・・・・・・ 方向感覚も鈍り、どこをどっちに歩いたのか? 出て来た処は、『なんだ、ここか』以前来た神社。 長浦神社だ!、、、、週末の納涼踊りに向け、準備完了?

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玉ノ井の町 ・・・・・・・・・・ 終戦直後には、487軒の売春宿に1200人の売春婦がいた、国内最大規模の私娼街であった「玉ノ井 」  その玉ノ井があった東向島5丁目と、北側に隣接する墨田3丁目の裏道を抜け鐘ヶ淵駅にでる。、、、、戦後70年、当時の建物は毎年取り壊され、新しくなっていく。 去年残っていた建物も、今日は洒落た若夫婦向けの住宅に変わっている。

・・・・・・・・・・ 水戸街道を横断し、東向島5丁目に入る

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・・・・・・・・・・ 「玉ノ井」の名は意識的に無くしているのか、その名を見る機会も少なくなった。 商店街の旗に、小さくその名を見つけた。

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・・・・・・・・・・ チョックラ、裏道に入ってみる、、、、、私娼街の頃、入り組んだ路地の入口には『抜けられます』、『ぬけみち』の看板が出ていたそうだ。 これが、路地(私娼街)に客を呼び込むキャッチフレーズだったのか?、、、、、今日の散歩では、当時の路地と思われる処も歩いてみた。 私の心の中では、「抜けられますか?」と問いかけていた。

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・・・・・・・・・・ 出て来た道は、かつての玉ノ井のメインストリートであった「いろは通り」  つい数年前までは、「玉ノ井いろは通り」と表示されていたが、“玉ノ井”が消えた!

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・・・・・・・・・・ 「いろは通り」から墨田3丁目の町に入る。、、、、まだ数軒、私娼街の頃の建物が残っているが、外装を変えたり、塗装したり、当時の面影も薄らいできた。、、、、今日は路地歩きに徹しよう。

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・・・・・・・・・・ 路地裏のタバコ屋さん、見ると缶ピーがある。 おじいさんが一人、店番をしていたので話を聞くと、両国辺りから缶ピーを買いに来る常連もいるそうだ。 10年ほど前にタバコをやめた私も、今日は記念に買ってきた。

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・・・・・・・・・・ この町の新しい住宅が建ち、道幅もひろがってきた。 私の散歩も『抜けられました』

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鐘ヶ淵駅から堀切駅まで・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・ 私の脱臼事件が起きた、鐘ヶ淵駅前の交番に頭を下げて先を行く。

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・・・・・・・・・・ 駅前の小さな商店街を抜け、再び裏道へ、、、、、どこも行き止まりのように見えるが、T字路になっていて『抜けられます』

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・・・・・・・・・・・・・この先は、香取神社、多聞寺に立ち寄り、堀切駅へ向かい、帰宅した。

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2017年8月23日 (水)

水道橋~浅草橋

今日は午後から循環器内科の定期検診日。 水道橋のクリニックへ行き、帰りは浅草橋の我が家まで、猛暑の中、汗ダラダラで歩いてきた。



後楽森ビル・・・・・・・・ 庭園の後楽園を背にして、外堀通りに面する後楽森ビル(写真中央)。 地上19階、地下5階のビルは平成12年(2000)3月に竣工した。 このビルの地下部分は、東京都下水道局後楽ポンプ所として利用されている。 ポンプ場の上空の部分の権利を森ビルが借り受け、賃貸ビルとしたものである。、、、、、私の通う循環器内科クリニックはこのビルの中にある。 通い始めて十数年、吾輩の血圧・血糖・コレステロールなどの各種数値はもとより、他の病院・医院の受診・手術履歴も含め、院長先生のコンピュータに極秘情報として記録され管理されている。 わが命をコントロールしている、きわめて大事なクリニックである。 北朝鮮のICBMがここに落ちてこないように願うばかりだ。
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神田川・・・・・・・・ 外堀通りとJR中央線の間を流れ下る神田川。 この川に舟を浮かべ、漕がずとも寝ていれば我が家のある浅草橋に流れ下ることができるのだが、今の時代では実現は無理だ!


・・・・・・・・・・ 後楽橋の際にある千代田清掃事務所三崎町中継所では、「はしけ」と呼ばれるごみ運搬船に、千代田区と文京区で収集されたゴミが積み替えられている。 「はしけ」一隻でごみ収集車15~20台分のゴミを運べるそうだ、バツグンの輸送効率、都心を走り抜ける収集車の低減にも役立つ。 「はしけ」は神田川を下り隅田川から東京湾の中央防波堤外側埋地処分場にゴミを運び、ゴミは埋立処分される。、、、、、私の幼き頃(終戦直後)は、秋葉原などにも中継所があり、神田川、隅田川は数多くのごみ運搬船、汚わい船が行き来していた。 私も、その川でハゼを釣って遊んでいた子供の一人である。

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・・・・・・・・・・ 白山通りが走る水道橋から、お茶の水方向の川筋を眺めると、左岸に神田川分水路の口が見える。、、、、、分水路とは、地下に作られた人工の川で、道路で言うとバイパスのような役割がある。 つまり、台風などで増えた水量を吸収し、洪水を防ぐ目的で造られている。 神田川も洪水対策として、上流側から高田馬場分水路、江戸川橋分水路、水道橋分水路、お茶の水分水路と続いている。 写真の分水路の口は、水道橋分水路の出口で、お茶の水分水路の入り口である。 口の上部の道路際に「お茶の水分水路」の碑がある。、、、、暗いけど、探検気分で、一度は入ってみてみたいね!

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・・・・・・・・・・ 「お茶の水分水路」の碑の隣に、もう一つ碑がある。 それが「神田上水懸樋(掛樋)跡」の碑である。 水道橋からお茶の水方向に上る、お茶の水坂 の途中である。、、、、、 坂の途中、神田川をまたぐように架かっていた江戸時代、神田川に木製の樋(とい)を架け、神田上水を通し、神田、日本橋方面に給水していた掛桶(かけひ)と呼ばれるものがあった。 掛桶は明治34年(1901)まで、その役割を果たしていたそうだ。、、、、、掛桶の模型が近くの東京都水道歴史館にあったので、ラッキー、撮ってきた!

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東京都水道歴史館・・・・・・・・ 水道歴史館は、東京都水道局本郷給水所の施設上部に造られた人工地盤上に建てられた水道局のPR施設である。 人工地盤上には公苑も造られており、木々が茂り、小川が流れ、穏やかな空間を創り出している。、、、、、猛暑の中を歩き、チョイと熱中症が心配になった。 冷房の効いた歴史館でひと休み。


・・・・・・・・・・ 江戸から東京まで、400年間の水道の歴史を語る施設である。 江戸時代の玉川上水に始まり、現代の高度浄水施設までをパネル・模型・資料で知ることができる。、、、、、親切に音声ガイダンスも貸してくれる。 外国語でも聞こえるので、チャンネルを間違えると、チンプンカンプンとなる。、、、、、夏休みの宿題「自由研究」で訪れている親子も多い。 この時期らしいね!

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・・・・・・・・・・ 水道歴史館の裏側は、本郷給水所公苑として、人工地盤上に和風庭園と洋風庭園が造られ公開されている。、、、、、あまりにも日差しが強く、木陰で休む人が一人、二人ほど。

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御茶ノ水駅バリアフリー整備工事・・・・・・・・・ 非常に狭い構内に、いかにしてバリアフリー化するか難しい問題である。 その答えは、現在のホーム上に人工地盤を造り、そこをコンコースとして、階段、エスカレータを整備するらしい。 計画では、2018年度内にバリアフリー関連整備を終え、2020年までに駅舎・駅前広場などの工事を終える予定らしい。、、、、、只今、人工地盤構築中。 難しい工事だ、事故を起こさないように“安全第一”

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東京都下水道局和泉町ポンプ所・・・・・・・・・ 秋葉原の電気街を抜け、昭和通りを越え、浅草橋方面に向かうと千代田区神田和泉町に入る。 その一角に、大正11年(1922)に建てられた鉄筋コンクリート造2階建て、外装は煉瓦風タイルを貼り付け新しくなっているが、元の形状を保った小さな建物がある。 現在は無人となった和泉町ポンプ所である。、、、、、、建物を囲う煉瓦塀は、古い煉瓦がそのまま残っている。、、、、、私の幼き頃と建物の雰囲気は変わっていない。 当時は、周辺に焼け野原もあり、夕方近くになると薄暗く、妖怪でも出そうなチョイト怖い建物だった。

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●・・・・・・・・・・ タップリ汗をかき、濡れた服で我が家に到着。 約2時間の散歩でした

2017年8月21日 (月)

西荻窪~上井草

中央線西荻窪駅から西武新宿線上井草駅まで、1万歩の散歩です。



西荻窪駅 ・・・・・・・・・ 大正11年(1922)7月15日に、同じ杉並区内の高円寺駅、阿佐ヶ谷駅と共に同日開業した。、、、、、昨年、西荻窪駅の乗降客数は一日平均45,500人程で、JR東日本管内では102位。 私の住む浅草橋駅は54,000人程で89位。 『勝った!』と叫びたいのだが、西荻窪駅は快速が停まる、エスカレーターがある、高架下に商店街がある、駅周辺には骨董品などを売る小さなショップも多い、近くには女子大もある。 浅草橋はいずれも無く、駅の魅力では残念ながら負けだ。
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丸山橋・・・・・・・・・ 西荻窪駅を出て裏道を北へ歩く。(気持ちは北へ、足は北東へ向かっていた)、、、、、善福寺川に架かる、昭和43年(1968)1月完成の丸山橋を渡り上荻4丁目の町に入る。 丸山橋は、上荻窪村字丸山に架かる橋なのでその名がつけられた。 この付近、終戦直後までは鬱蒼たる雑木林だったそうだ。 今は、その当時の面影はない。、、、、、善福寺川はコンクリートで囲われた深い川底を流れているが、水は清く、親水公園と整備したらいいと思う。
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荻窪八幡神社・・・・・・・・ 荻窪八幡神社は、第59代:宇多天皇の寛平年間(889~898)に創建された。 第70代後冷泉天皇の永承6年(1051)に、鎮守府将軍:源頼義が奥州東征の折この地に陣し戦捷を祈願した。 康平5年(1062)の凱旋では、八幡神を勧請し武将を拠らしめた。、、、、、神社の境内は約2,600坪の広さを有し、チョットした森となっている。 姿を拝めない本殿は明治28年(1895)、回廊に囲まれた拝殿は昭和11年(1936)に建てられた。 回廊と神門は昭和43年(1968)の造営である。、、、、、結婚式、七五三、これから祝い事で華やかな季節が来る。 私も、60数年前に七五三を行い、鳥居前で撮った可愛い写真が残っている。 しかし、戦後まもない当時は、写真館の幕に描いた鳥居の前で記念撮影したので、神社は???・・・いまだに謎の神社!1708210859460170821090507017082109042901708210903300




桃井原っぱ公園・・・・・・・・ 荻窪八幡神社前の青梅街道を挟み、向かい側に荻窪署、荻窪消防署、河北総合病院などの公共施設が並び、その裏側にはURの団地、そして広大な一面芝生の公園がある。 これぞ、大正14年(1925)に開設した中島飛行機(株)東京工場で、昭和41年(1966)からは日産自動車(株)荻窪工場となり、平成10年(1998)に工場移転した跡地である。、、、、跡地は、公共性の高い跡地利用を望む日産自動車の要請により、「防災公園街区整備事業」を活用し、ヘリコプターの発着できる防災公園として整備された。1708210918501_stitch



・・・・・・・・・・ 原っぱ公園に隣接し、青梅街道に面する「日産プリンス東京販売荻窪店」の敷地の一角に「旧中島飛行機発動機発祥之地の碑」がある。 ここには、中島飛行機製作所東京工場に始まり、冨士精密工業、プリンス自動車工業、日産自動車荻窪工場と続いた工場跡地であったことをしるしている。

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・・・・・・・・・・ そして、隣にもう一つ、「日本ロケット発祥の地」の碑がある。 中島飛行機原動機工場は、国産第一号の飛行機用のエンジンをはじめ、零戦のエンジンも設計・製造した。 戦後、日産自動車荻窪工場となり、日本のロケット第一号も開発された。、、、、工場では、昭和28年(1953)東京大学生産技術研究所からの要請で、当時の富士精密工業荻窪工場内で少量の無煙火薬系推進薬を用いたロケットモータの地上燃焼実験を実施したのを始まりとして、昭和30年(1955)ペンシルロケット(直径1.8cm、長さ23cm、重さ200g)を完成させ、水平飛翔実験が行われた。 まさしく、我が国のロケット開発の始まりである。、、、、、碑の中にはペンシルロケットが埋め込まれているのだが、連日の雨模様でガラスが曇り殆ど見えない。

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観泉寺・・・・・・・・・・ 荻窪駅と上井草駅を直線で結び、その中間地点(杉並区今川2丁目)に観泉寺はある。、、、、、宝珠山観泉寺といい、本尊は釈迦如来で、戦国時代の名門今川氏ゆかりの寺である。 慶長2年(1597)今の下井草二丁目付近に開山鉄叟雄鷟大和尚により創建され、観音寺といわれていた。 正保2年(1645)今川13代直房は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤め、その功により井草村など三か村五百石の加増をうけた。 これを機に、当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とした。 その後万昌院 (現中野区)から祖父氏真の墓所を当寺に改葬した。


・・・・・・・・・・ 静かな参道を進み、突き当りの山門をくぐる、、、、、誰もいない!

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・・・・・・・・・・ 私とあろうものが、大失敗! 迂闊であった! まだ修業が足りぬ! この寺を知らなんだ! ものすごい寺だ! 広大な寺域の寺ではないが、東京の住宅地にあっては大きな寺だ! 江戸時代に建てられた、歴史ある本堂・庫裡の前に立ち、360度ぐるりと見渡しても、目に入るのは、緑豊かに囲まれた手入れの行き届いた境内である。 すばらしい気に入った!、、、、、写真順に、本堂正面、本堂左側の庭、本堂を背にして反対側の山門、本堂右側は木立に隠れて鐘楼

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・・・・・・・・・・ 本堂は宝暦12年(1763)に火事で全焼し、同年に庫裡、翌年に本堂が再建された。 この庫裡と本堂は区内最古の大型木造建築物。

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・・・・・・・・・・ 樹々の中に見え隠れする閻魔堂鐘楼

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・・・・・・・・・・ きれいな芝と滝を配した石組みの庭は、特に有名と言うわけではないが、訪れる人を静かな気持ちにさせてくれる。

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・・・・・・・・・・ 観泉寺には、今川家累代の墓所がある。 慶長20年(1615)12月28日の一周忌銘のある今川氏真、明治20年(1887)11月3日の没年銘のある範叙(26代)など一族の墓が、墓地の中程に低い塀で囲まれ、並び供養されている。、、、、、戦国の武将今川義元の息子氏真は、桶狭間の戦いで敗死した父の後を継いだ。 しかし桶狭間の敗戦は致命的で、今川氏の滅亡を招くこととなった。 その後、氏真は出家し、歌人として多くの歌を残している。

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・・・・・・・・・・ 境内を歩き、春の枝垂桜、秋の紅葉狩りに有名な寺であることを知り、納得! ぜひ、秋になったら再訪したい! 夏の竹林も一見の価値あり!

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・・・・・・・・・・ 観泉寺山門前の参道両脇に、石仏・地蔵が残されていた。

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上井草駅・・・・・・・・ 西武新宿線の停車場。 昭和2年(1927)4月16日西武村山線(西武新宿線の前身)の高田馬場(仮)~東村山間の開業と同時にできた。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 それぞれのホームは完全に独立していて、跨線橋がないため双方の行き来はできない。 それゆえ、駅舎は上下線それぞれ別になっている。 下り側が南口、上り側が北口で、駅事務室も双方にある。


・・・・・・・・・・ 下り側(1番線側)の南口

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・・・・・・・・・・ 上り側(2番線側)の北口

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・・・・・・・・・・ 上下線ともホームの先端が踏切まで伸びて、電車が停まると、踏切にはみ出しそうだ。

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・・・・・・・・・・ 木造のホーム上屋木製の長~~いベンチ、、、、酔って寝た人もいたであろう、懐かしのベンチ

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・・・・・・・・・・ 電車が来た、帰るぞ!

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2017年8月19日 (土)

幸せの黄色い電車

『今日の散歩は何処から歩くかな?』と行くえ定まらず、都営浅草線の浅草橋駅ホームに立った。 すると丁度、黄色に特別塗装した1000形電車の"­;KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN(京急イエローハッピートレイン)"が停車中である。 この塗装の電車は1編成しかなく、乗れると幸運であることから「幸せの黄色い電車」と言われている。 無我夢中で、電車に飛び乗った。 乗ったはいいが、何処で降りようか? 考えるのは面倒だ、電車の終点「高砂」まで行ってみるか。、、、、、と言うことで、今日の散歩は、イエローハッピートレインに運命を託し、高砂駅から京成小岩駅まで、1万歩の散歩です。



イエローハッピートレイン・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・ 先頭車両まで移動し、イエローハッピートレインの運転手気分で御満悦!
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・・・・・・・・・・ 終点:高砂に到着。 降りたくないが、降りることにした
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・・・・・・・・・・ 先頭車両をバッチリ撮り、高砂検車区へ向かう後ろ姿を見送る
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・・・・・・・・・・ 『さて、これから何処へ向かうか、思案、こし餡、小倉餡。 悩むね?』 ホームでしばらく考え、今日は高砂駅をじっくり見て、そのあと、京成本線沿いに歩いてみることにした。



高砂駅・・・・・・・・・ スカイツリーのある押上から、荒川・中川と大きな川を2本越えると高砂駅に着く。 東京都葛飾区の駅である、千葉県の駅と誤解しないように。、、、、、、大正元年(1912)11月3日に、曲金駅(まがりかねえき)として開業し、翌年6月26日に高砂駅に改称した。 現在の正式名称は“京成高砂”駅であるが、“京成”は省略されている。、、、、、京成本線、金町線、成田空港線、北総線が乗り入れている。 金町線は1面1線の高架ホームを使用しているが、その他の線は島式2面4線の地上ホームを使用している。 都心寄りの隣駅:青砥駅とともに、京成電鉄におけるジャンクションである。

・・・・・・・・・・ 高砂駅の正面(?)、、、、、手前踏切は有名な開かずの踏切。(正式には高砂1号踏切) 高架上には駅舎(中央)と金町線ホーム(左)がある。
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・・・・・・・・・・ 駅出入口は、踏切の脇、裏道の奥などに複数個所ある。 しかし、どれも小さな素っ気ない出入口で、『これから、電車に乗るんだ!』と思わせる、ワクワク感に乏しい駅だ。
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・・・・・・・・・・ 階段を上がり駅舎2階には、京成本線・成田空港線・北総線の改札口と向かい合わせに、金町線の改札口がある。17081908420501708190842170



・・・・・・・・・・ 島式2面4線の狭い地上ホームには、引っ切り無しに電車が発着し、乗務員の交替、乗客の乗り換え、電車の始発終着、何となく落ち着かない下町の匂いが漂う駅である。

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・・・・・・・・・・ 駅構内にある古レールのモニュメント。 明治44年(1911)のカーネギー社(米国)製のレールで、大正元年(1912)押上~金町間の開業時に使用されたもの。 その後、高砂駅のホーム屋根を支える支柱として使用されていた。 1世紀前のレールである。 私の住むJR総武線浅草橋駅や、中央線水道橋駅のホーム支柱も古レールをアールデコ調の曲線に加工し、組み立て使用している。 ぜひ、一見あれ!

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・・・・・・・・・・ 駅を一周しても、周辺には、パチンコ、ファミレス、ドトール、コンビニ、ブティックなどが並ぶ、これぞ“高砂銀座商店街”と言えるような繁華街は無い。、、、、、小田急線、東横線、田園都市線など、山手を走る私鉄の駅には小洒落た店が並ぶ楽しい商店街が多いのだが、京成沿線は負けている、ダメだ!、、、、、、京成沿線の地価が安いのも、納得できる。1708190850450170819085246017081909011801708190908250




高砂第1号踏切・・・・・・・・・ 高砂駅ホームの東側に隣接する踏切。 踏切の頭上には京成金町線の高架ホームがある。 高砂駅は京成本線・成田空港線・北総線、さらに高砂検車区への入出庫線もある、一大ジャンクションで多くの線路が交錯し、発着量も多い。 第1号踏切は当然“開かずの踏切”となった。、、、、、線路を高架にする計画はあるそうだが、検車区が至近にあるため、工事が難しそうだ。 納得!17081908364701708190846310



・・・・・・・・・・ 踏切の先には高砂2号踏切があり、その奥に高砂検車区が広がる1708190859310




高砂第2号踏切で・・・・・・・・・高砂検車区手前の2号踏切で見えた! 『オゥ! イエローハッピートレインが車庫に停まっている。 ラッキー!』と思ったら、さらにこちらに向かってく来る、ウハウハ興奮したね。、、、、、、私が高砂駅で下車してから、約1時間が経過している。 京急久里浜行きとして折り返すようだ。 踏切で入線を見送ることにした。170819090946017081909100901708190910461




●・・・・・・・・・・ 「幸せの黄色い電車」を充分堪能し、幸せいっぱい、腹いっぱい、あとは幸運の女神がやってくることを期待し、京成本線沿いを京成小岩駅まで歩いた。、、、、曇り空の下、梅雨時のようなジメジメ、ベトベト天気。 幸運を期待し、汗をダラダラ流し、線路沿いに大金が落ちていることを念じ、注意して歩いてみたが無駄だった。

2017年8月17日 (木)

船橋市行田

雨、雨、雨、連日の雨。 『今日は?』と外を見ると、曇り空だが散歩できそうだ。 途中、降られぬことを祈り、「船橋高架水槽」を見に行田団地まで行ってきた。 9千歩。



京成西船駅・・・・・・・・ 京成本線の駅で、JR総武本線西船橋駅の北方300m程の処にある。 大正5年(1916)12月30日に葛飾駅として開業し、昭和62年(1987)に京成西船駅に改称した。 優等列車は全て通過し、普通列車のみ停まってくれる駅。、、、、、、、国鉄(JR)総武本線の西船橋駅の開業は、京成西船駅開業から42年後、昭和33年(1958)11月10日である。 駅の大きさ、駅前の賑やかさ、乗降客の多さ、どれを比べても、横綱と序二段ほどの差があり西船橋駅の圧倒的な勝ち!
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成瀬地蔵・・・・・・・・ 西船駅から80歩ほど歩くと、踏切を越えた処(船橋市印内1)に成瀬地蔵(なるせじぞう)が祀られている、、、、、旧葛飾町一帯は栗原郷であった。家康は側近の成瀬正成に慶長5年(1600)に栗原郷4000石を与えた。 のちに次男之成が、2代目の栗原藩主となったが39歳で病没。 その子之虎はわずか5歳で夭折。 寛永11年(1634)に断絶した。 この「成瀬地蔵」は、夭折した之虎の霊と、幼くして他界した地元の子らの霊を弔う為、貞享4年(1687)、印内村名主の田中徳左衛門、忠左衛門と女性だけの念仏講中によって寄進、建立されたものらしい。、、、、“女性だけの念仏講”とは“女子会 ”?
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正延寺・・・・・・・・ 京成本線とJR武蔵野線が交差する西船3丁目に、真言宗豊山派の正延寺がある。、、、、、明治41年(1908)、延命院跡に正覚寺と延命院が合併した寺で、名前も一文字ずつ頂戴し「正延寺」と、わかりやすいね。 本尊・胎蔵界五智如来像は、正覚寺の地中より掘り起こされたという伝承をもつ秘仏で、平安時代の作と推定され、船橋市最古級の仏像で県文化財に指定されているそうだ。、、、、、現本堂は昭和49年(1974)に建立
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印内八坂神社・光明寺・・・・・・・・・ JR武蔵野線沿いに歩くと、船橋市印内2丁目に、八坂神社がある。 神社の主神は須佐之男命だが、仏教の祇園精舎の守護神・牛頭天王を併せた祭神で“印内の天王様”と呼ばれている、、、、神社の広い境内と地続きで、真言宗の光明寺がある、、、、、八坂神社は、隣の光明寺が、約250年前にこの辺りで疫病が流行した際に、京都の八坂神社を勧請したのが起こりらしい。
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・・・・・・・・・・ 境内中央に堂々と腰を据える八坂神社
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・・・・・・・・・・ 神社の境内隅に間借りしたような、チョイと寂しい雰囲気の光明寺
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船橋高架水槽・・・・・・・・・ 今日の散歩でぜひ見てみたかった高架水槽

・・・・・・・・・・ 印内2丁目付近から、畑の先、住宅の先に見えた! 後ろには行田団地が並んでいる
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・・・・・・・・・・ 近づいてみるとクラゲのようだ、16本の足(支柱)を数えることができた
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・・・・・・・・・・ 芝生上に高さ31m、直径16mの巨大なクラゲが立っている。 昭和36年(1961)に建設され、貯水量5000m3の水槽!
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・・・・・・・・・・ 行田団地の上から見ても、足は16本だった。 現在は、平時の給水より、災害時に停電しても給水できる非常用として稼働しているそうだ。
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海軍無線電信所船橋送信所跡・・・・・・・・ 中山競馬場の東に、巨大な円を描いている海軍の無線電信施設の跡。 チョイと航空写真で見ると!、、、、、おそらく、誰もが見たことある写真だと思う
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・・・・・・・・・・ この施設は日露戦争後、聯合艦隊の行動範囲の拡大に伴い、現:船橋市行田に設置された海軍の無線電信施設である。 太平洋戦争時に真珠湾攻撃部隊に「ニイタカヤマノボレ1208」の電文を送信した施設。 ジーメンス社に発注し、大正2年(1913)に着工したが翌大正3年に第一次世界大戦が起こり日本がドイツに宣戦布告をしたことからジーメンス社の技術者が図面を焼却、帰国してしまい工事は困難を極めたが、大正4年(1915)4月には開所式が行われた。 戦後は、進駐軍が接収し昭和41年(1966)に返還されたが、昭和46年(1971)から翌年までに解体された。


・・・・・・・・・・ 現在、送信所跡を物語れるものは、この巨大な円形(直径約800m)と、円の中心部(行田公園)に設置された記念碑だけである。
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・・・・・・・・・・ 外周道路は円を描いているのだが、大きすぎて、カーブも緩やかである。
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・・・・・・・・・・ 円形の中に昭和51年(1976)に誕生した、住宅公団の総戸数1736戸の行田団地 
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・・・・・・・・・・ 霧雨か? チョイと降ってきたので、団地内のバス停から駅に向かうことにした。 散歩は此処まで!

2017年8月13日 (日)

清澄庭園

午後から夫婦で、江東区の「芭蕉記念館」、「清澄庭園」の付近を散歩してきた



・・・・・・・・・・ 都営新宿線森下駅から歩き始める。 今日は深川神明宮 の例大祭であるが、今年は“陰祭り”、、、、、、盆休み期間中で、帰省したかつぎ手もいるのか、盛り上がりもチョイトかけるようだ。 神社も人影まばらで、寂しいね!
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・・・・・・・・・・ 隅田川沿いに出て、「芭蕉記念館」に行ってみた。 芭蕉記念館は、芭蕉の資料を公開している博物館。 芭蕉が延宝8年(1680)から、深川の草庵に移り、生活を送っていたことにちなみ、この地に記念館が建てられた。、、、、、俳句を詠んだこともない夫婦が、芭蕉の弟子についていくら説明してもらってもチンプンカンプン。 判ったことは、弟子が多く、おつきあいが大変だったでしょう!
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・・・・・・・・・・ 芭蕉稲荷神社(常盤1-3)は、大正6年(1917)の台風による津波来襲の後、芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、その後地元の尽力で芭蕉稲荷が創建された。
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・・・・・・・・・・ 隅田川と小名木川に隣接する小さな庭園は「芭蕉庵史跡展望庭園」  園内には、隅田川を眺める芭蕉像がある。 像の容姿は私のイメージとは異なり、若作りだ!
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・・・・・・・・・・ 萬年橋を渡り清澄公園に到着。 清澄公園は清澄庭園の隣にある公園。 どこにでもあるボール遊び、ピクニックなどができる解放公園である。 もとは清澄庭園と一体であった。
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・・・・・・・・・・ 清澄公園の隣は、有料の清澄庭園である。 かつては、清澄公園+清澄庭園=深川親睦園 であった。 深川親睦園は明治11年(1878)、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、三菱の社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画し、明治13年(1880)に竣工した施設である。 弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。、、、、、手入れも良く、綺麗で静かな公園は若い人のデートコースに最適。 ただし、森蔭が少なく、キッスは無理、無理、かたつむり! 
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・・・・・・・・・・ この後は、霊巌寺などを見て深川から帰宅

2017年8月12日 (土)

平井~八広

連日のスッキリしない天気、『今日も散歩はできず』と思いきや、午後には雨もやんだようだ。 3時過ぎに、チョックラ歩いてくることにした。 総武線平井駅から京成押上線八広駅まで、9千歩の散歩です。



平井駅 ・・・・・・・ 明治32年(1899)4月28日、総武鉄道(私鉄)の駅として開業。 明治40年(1907)には、鉄道国有法により国有化された。 現在は、緩行電車だけが停車する1面2線の高架駅、、、、、駅の開業は古いが、駅前には大規模商業施設もなく、集客力のあるものは何もない駅である。(私の住む、浅草橋に似ている) 総武本線に「平井」という駅があることも、一般に知られていないかも。
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燈明寺・・・・・・・・ 平井駅から北に向かい、蔵前橋通りを越えると、新義真言宗の明雅山明王院燈明寺がある。 本尊は不動明王である。 山門を入り右側には、昭和19年(1944)に完成した、高さ14.4m、幅17.1m、奥行27mの本堂(金堂)がある。 只今、改修中らしく、足場が組まれ、シートで覆われていた。
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・・・・・・・・・・ 山門を入った正面に聖天堂が見える。 妻沼聖天、浅草待乳山聖天とならぶ関東三聖天の一つとして知られている。 現在の建物は昭和36年(1961)に改築された。、、、、、、この聖天堂も、本堂も、“0m地帯”にあることを意識してか? コンクリート造による人工地盤の上に建っている。
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平井諏訪神社・・・・・・・・・ 燈明寺の隣にある平井諏訪神社は、享保年間(1716~1736)に燈明寺の僧:恵祐法印が、自分の生まれた国である信州の諏訪大明神の神霊をここに祀ったのが始まりといわれている。 現社殿は昭和44年(1969)8月に、鉄筋コンクリート造で完成した。
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・・・・・・・・・・ 社殿の右隣には、諏訪神社の旧本殿を利用した稲荷社がある。 天保14年(1843)の建物で、外部に施された龍・唐獅子などの彩色彫刻が江戸後期の神社建築の過飾的な特色をよく伝えている。、、、、、貴重な建物で、江戸川区の登録文化財に指定されているそうだ。 国宝ではないので、たいしたことないかも?(失礼)
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・・・・・・・・・・ 境内には、大正9年(1920)頃、旧下平井村の丸富講の人びとによって造られた「平井の富士塚」がある。 また、絵馬堂には丸富講が大正2年(1913)に奉納した図額もある。、、、、、「今上皇帝 御脳平癒 祈祷記念」と記されているが、“御脳平癒”とは? 頭が悪かったのか? IQが低い? さてさて?
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下平井の観世音菩薩像浅草道石造道標・・・・・・・・ 諏訪神社の裏手に、享保19年(1734)の建立の石像がある。 この石像は道標を兼ねており、正面に観音菩薩立像が刻まれ、銘文には「秩父□□□あさくさ道」「享保十九甲寅」「是より佐(ひだり)ぎやうとく道」とある。 道標の元の位置は神社前の道路を挟んで向かい側にあったそうだ。、、、、、300年近く、この付近に立っていた石像、観音様の顔は判別できず。 美容整形で修復したら?
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平井橋・・・・・・・・ 燈明寺の西で、旧中川に架けられた平井橋を渡り、江戸川区から墨田区に入る。 橋は昭和55年(1980)の架橋。 護岸は葦を植え自然景観に近く整備されている、いいね!
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北向地蔵尊・・・・・・・・・墨田区立花6丁目にある祠。 祠の中には、石が削られ餓死寸前の老人が骨と皮だけになったような、2体の石像がある。 石像の周囲には、墓碑が置かれ、どれも明暦、寛文、延宝など江戸時代の銘が刻まれている。
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立花・八広の町・・・・・・・・ 立花5丁目・6丁目、八広2丁目・3丁目の裏道を歩く。

・・・・・・・・・・・・・・都営住宅「立花六丁目アパート」の裏を歩き、5丁目に入る
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・・・・・・・・・・ 小さな工場が多い立花5丁目を歩く
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・・・・・・・・・・ 八広の町は真直ぐな道がない、私の好きな迷路のような町
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三輪里稲荷神社・・・・・・・・ 八広3丁目の裏道の奥にある神社。 慶長19年(1614)出羽国湯殿山の大日坊長が大畑村(八広、東墨田、立花の一部)の総鎮守として羽黒大神の分霊を勧請し三輪里稲荷大明神として鎮座した。 通称の「こんにゃく稲荷」と呼ばれ、初午の日に授与される「こんにゃくの護符」は、のどや風邪などの病に効くといわれている。、、、、、政界用語では“こんにゃく”は100万円の札束を言う。 森〇学園元園長のおばさんも好きで、某政党の幹事長のところに持って行ったが、突き返されたそうだ。 私なら一つと言わず、二つでも、三つでも貰うのだが、万病に効きそうな“こんにゃく”だからね!
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薬師道道標 ・・・・・・・・ 八広4丁目、「4丁目交番」横の植込みに道標がある。 表に「右やくしみち」、「左えどみち」とある。 木下川薬師 への道標で、高さ1m余のものだ。 伝承では、享保年間(1716~1735)に将軍吉宗の薬師参詣にあたって、村人に建てさせたものといわれている。、、、、、、将軍が迷子になるからかな?
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八広駅・・・・・・・・ 大正12年(1923)7月11日に、荒川駅として開業。 平成6年(1994)、八広駅に改称。、、、、、駅名の八広の町は、昭和40年(1965)の住居表示実施に伴い近隣8地区が合併して成立したため、「八」の字を採り、その字体から「末広がり」の縁起を担いで命名したそうだ。 なんかテキトウな命名だ!
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2017年8月10日 (木)

浅草寺の謎

朝から涼しい一日が始まった。 だがときおり、空飛ぶ雀がお漏らしたようにポツリポツリと雨粒が落ちてくる、散歩には不向きの空模様。 朝食後、浅草に出かける用事を思い出し、午前中にチョイと浅草寺に立ち寄ってきた。
 
 
 
雷門は工事中・・・・・・・・・ 浅草の玄関口『雷門』は、天慶5年(942)に建立され、以来、幾度も焼失・再建を繰り返している。 現在の門は、昭和35年(1960)、松下電器産業:社長:松下幸之助の寄進により、大成建設の施工で再建された。 再建後すでに50年以上の時を経て、屋根瓦等が老朽化したため、改修工事に着工したそうだ。、、、、、雷門の周囲に足場が組まれ、シートが張られている。 シートには、雷門をイメージできるよう、屋根の写真がプリントされていた。
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・・・・・・・・・・ 仮囲いにあった昭和35年当時の雷門の写真、、、、、写真では、雷門と本堂の間にある、宝蔵門、五重塔はまだ建てられていない。
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宝蔵門・・・・・・・・・ かつては仁王門とよばれていたが、昭和20年(1945)、東京大空襲により観音堂・五重塔・経蔵などとともに焼失した。 昭和39年(1964)に大谷重工業社長:大谷米太郎夫妻の寄進により、鉄筋コンクリート造り、本瓦葺きで再建した。 この時、経蔵を兼ねて伝来の経典や寺宝を収蔵することから、仁王門から宝蔵門に改称した。、、、、、大谷米太郎(1881年7月24日~1968年5月19日)は、稲川部屋所属の元大相撲力士で、後に実業家。 太平洋戦争前は「鉄鋼王」と称され、戦後は、「日本の三大億万長者」の一人に称された。 ホテル:ニューオオタ二の創業者でもある。 夫妻の像が浅草寺裏手にある。、、、、、、雷門・宝蔵門とも、個人の寄進で建ってしまうのだから、「浅草寺」は凄いね!
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五重塔・・・・・・・・・ 浅草寺の五重塔は、天慶5年(942)、本堂と共に建立され、その後数度倒壊・炎上したが、その都度再建された。  徳川家光により本堂・仁王門などと共に建立された国宝五重塔は、太平洋戦争の戦火により、昭和20年(1945)、他の堂宇とともに焼失。 戦後、昭和48年(1973)に、現在の五重塔が塔院とともに再建された。、、、、、塔は、鉄骨・鉄筋コンクリート造で、地上53.32mである。、、、、、塔の内部は非公開とのこと。 一人一万円で観光客を受け入れて、上らせたら儲かると思うよ
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・・・・・・・・・・ 本堂に向かって現在の塔は左側にあるが、かつては右側に五重塔があり、戦災で昭和20年(1945)に焼失した。 その跡には碑が建てられてる。
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本堂・・・・・・・・ 御本尊:聖観世音菩薩を奉安し、観音堂とも呼ばれる本堂。 国宝であった旧本堂は、昭和20年(1945)の東京大空襲により焼失し、昭和33年(1958)に現在の本堂が再建された。 間口34.5m、奥行32.7m、高さ29.4mの鉄筋コンクリート造、本瓦葺、入母屋造り。、、、、、、平成22年(2010)には、屋根瓦を軽量のチタン瓦に葺きかえ、重さは従来の1/3となった。
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・・・・・・・・・・ 今日は本堂の周りを一周。 正面、右側面、背面、左側面の順に
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・・・・・・・・・・ ここで、私が生まれて最近まで気付かなかったことを、、、、『浅草寺の本堂は広い境内に単独で建っているが、多くの寺に見られるような、寺務所・庫裏・客殿などと結ぶ渡り廊下が無いのだ。 三社祭、初詣などの行事では、本堂を囲むように人が集まり、身動きが取れない状態となる。 このような時、僧侶の移動はどうするのかな?』 70年間、浅草寺に参り最近気づいた疑問である。、、、、、答えは“簡単”。 ナント、本堂と五重塔を結ぶ地下道が造られていたのだ! 五重塔の1階は寺務所になっており、さらに、五重塔と伝法院も繋がっている。 この事実はホントのことである、ただし訪れた人による、地下通路の写真撮影などは禁止されているようで、あまり知られていないだけ。 デズニーランドの地下に従業員の移動用通路が造られているのと同じようなものだ。


・・・・・・・・・・ チョイと本堂から五重塔を眺め、地下通路の在りそうな位置を推測してみた
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・・・・・・・・・・ (くもじいの気分で!) 『なんじゃ、こりは? お札所の裏に、何やら怪しき構造物があるのぅ。 空気の換気設備のようじゃ。 くもみ、下りてみてみよう!』、、、、、現地でじっくり見ると、お札所とは関係なさそうで、どうやら地下通路に関係ありそうだ。 残念だが、今日の推測はここまでにしておく!
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・・・・・・・・・・・・・・機会あれば、ぜひ一度、地下通路を歩いてみたい! 謎を解くまでは、簡単に死ねぬ!

2017年8月 7日 (月)

谷在家~竹ノ塚

台風5号が近づき天気は悪くなるようだが、午前中は“もちそうだ”。 日暮里舎人ライナーの谷在家駅から、東武伊勢崎線の竹ノ塚駅まで、1万1千歩の散歩。



日暮里舎人ライナー・・・・・・・・・ 一番前の座席でカメラを構え、どこの駅で降りようか? 日暮里舎人ライナーに乗ったが、下車駅を決めていなかった。 動きだすと、先頭に座っているので、高所からの景色に見とれ撮影に追われ、終点までこのまま行きたくなったが、谷在家駅で下車することにした。
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谷在家駅・・・・・・・・ 平成20年(2008)3月30日、ライナーの開業と同時にできた島式ホーム1面2線の谷在家(やざいけ)駅。 駅名の「谷在家」とは、この地を流れていた沼田川の谷に農地を開いたことから、“谷”と湿地の集落を表す“在家”が結びつき名付けられた。 聞きなれないと“変な地名”と言いたくなるが、練馬区には谷原在家が、世田谷区には経堂在家などの地名もあった。
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谷在家の夏空・・・・・・・・ 台風一過の暑さなら理解できるが、今日は台風直前の暑さ、朝から猛暑の気配がする。 このまま歩くと熱中症が心配だ。 駅前で飲料水を購入し、いつ倒れても恥ずかしくないように身繕いを直し、東の方角に位置する竹ノ塚駅を目指し歩くことにした。


・・・・・・・・・・ 夏の雲が覆い、暑い!暑い! 
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・・・・・・・・・・ 畑の野菜も、暑い!暑い! 水をくれ!
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・・・・・・・・・・ 夏休みなのに、公園には子供がいない。 私の幼き頃は、熱中症ではなく、『日本脳炎になるから家の中で遊びなさい』と言われた陽気だ!
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・・・・・・・・・・ 出がけに、妻が『日陰を歩いてね!』と言ったが、太陽が高く日陰を探して歩くのは、無理無理かたつむり。
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・・・・・・・・・・ 『首筋に流れる汗、ハンカチでそっと拭う若い娘』、艶っぽい姿にドッキリ!、、、、、想像しながら歩いてみるが、こんな場面に出くわさず。 私一人、公園を見つけては、頭から水をかぶり、手ぬぐいに水を浸し首に巻き、再出発!
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諏訪神社・・・・・・・・ 諏訪木西公園内(西新井4丁目)にある、淵之宮氷川神社の境外末社で、祭神は建御名方命。 なにか怪しげなピンクの社殿は昭和37年(1962)の完成(?)
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源正寺・・・・・・・・・ 伊興2丁目の源正寺は、遠く鎌倉時代、後醍醐天皇の御代に開山した古刹で、当時は時宗玄性寺であった。 無量山源正寺は、天文20年(1551)に真言宗に改宗、源正寺と改号した。、、、、、鉄筋コンクリート造の現本堂は昭和50年(1975)の竣工、、、、、門前では三地蔵がお出迎え
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伊興の夏空・・・・・・・・・ 竹ノ塚駅の西側で、尾竹橋通りを越えて広がる伊興の町。 もうすぐ竹ノ塚駅だが、広い日本 一時間 二時間 歩いても 気温は変わらず 暑い!暑い! 


・・・・・・・・・・ 町名は“伊興”に変わり、気温もより高く、汗はダラダラ、ここも暑い!暑い!
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・・・・・・・・・・ 蝉が合唱する若宮八幡宮、、、、境内の白砂が日光を反射しまぶしいね!
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・・・・・・・・・・ 伊興の町は細い道路がクネクネ。 その中に、小さな都営アパート、区営アパートが点在し、吾輩のようなよそ者には方向感覚を失わせ迷路のようだ! 駅まで近いと判っていても、へそ曲がりの道と、暑さが、イライラさせる。
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実相院・・・・・・・・・ 真言宗豊山派の実相院(伊興4)は、寶光山実相院横沼寺と号す。実相院は、天平年間行基菩薩による開山といわれている。 西新井薬師総持寺の末寺。 本尊聖観世音菩薩は、古くから子育て観音として信仰をあつめているそうだ。、、、、、母乳の不足に悩むお母さんが、御供米を戴き皆御利益を賜ったそうだ。 乳をうらやむお父さんは罰が当たるかも?
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竹ノ塚駅 ・・・・・・・・ 高架化工事、真っ最中の竹ノ塚駅到着
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2017年8月 5日 (土)

明大前~方南町

京王線明大前駅から丸ノ内線方南町駅まで1万歩の散歩



明大前駅・・・・・・・・ 京王線と井の頭線が交差する明大前駅。、、、、大正2年(1913)4月15日、現在の築地本願寺和田堀廟所の近くにあった江戸幕府の煙硝蔵に由来し、火薬庫前駅(京王線)として開業した。 大正6年(1917)には松原駅に改称した。 昭和8年(1933)8月1日には、現在の井の頭線が開通し、西松原駅が開業した。 昭和10年(1935)には明治大学予科が駅の北に移転してきたので、京王線の松原駅、井の頭線の西松原駅が同時に、「明大前」と改称した。 現在の駅は、京王線、井の頭線ともに相対式ホーム2面2線で、京王線は2階がホーム、井の頭線は地下1階がホームで、改札口は1階である。


・・・・・・・・・・ 2階の京王線ホーム。 オリンピック後の2022年頃には、島式ホーム2面4線に改良するそうだ。
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・・・・・・・・・・ 掘割式の地下1階は井の頭線ホーム
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・・・・・・・・・・ 1階は改札口。 小さい写真は、京王電鉄の広報紙にあった、昭和30年代前半頃の明大前駅、趣のある駅だ。
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東京山手急行電鉄遺構・・・・・・・・ 明治大学和泉キャンパス東側に、井の頭線が玉川上水の下をくぐる玉川上水橋がある。 この橋の下には、4線分の軌道が敷設される予定であった。 西側(写真では右側)2線が井の頭線用、東側2線が山手急行線用であったが、井の頭線のみレールが敷かれている。、、、、、、東京山手急行電鉄とは、昭和初期に設立された会社で、山手線の外側に約50kmの環状線を作る計画だった。 山手急行線は井の頭線とほぼ同時期に計画・工事されたが、世界恐慌のあおりで資金繰りも難しく、計画は頓挫し、会社は最終的には小田急電鉄に合併された。、、、、玉川上水橋は、井の頭線、山手急行線が並行して運行できるよう造られている。
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・・・・・・・・・・ ここに山手急行線をとおすときは、写真左側の斜面を削らなければならなかった。(右側崖上は明治大学)、、、、玉川上水橋は造ったが、掘割を拡張するまでの資金は無かったのかも?
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龍光寺・・・・・・・・・ 井の頭線沿いに歩き、小さな蔵下橋を渡り、杉並区和泉3丁目の龍光寺に行く1708050851080


・・・・・・・・・・ 龍光寺は真言宗室生寺派の寺院で、泉涌山医王院と号す。 寺は、承安2年(1172)に開創、明応2年(1493)頃の開山と言われている。 本尊は薬師如来立像で平安時代に造立された、古い仏さん。、、、、、、蝉が鳴き、陽の光はまぶしく、合掌する手にも汗がベッチョリ、でも気分は爽快、まさに夏の寺である。
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和泉熊野神社・・・・・・・・・ 龍光寺の北隣にある熊野神社。 文永4年(1267)に紀州の熊野神社の分霊を祀ったのが創建である。 和泉村の鎮守様。 現在の社殿は文久3年(1863)の造営で、明治4年(1871)に修覆したもの。、、、、、、龍光寺は、もと和泉熊野神社の別当であった。、、、、、広い境内に、歴史ある社殿、でも、屋根に積もった枯れ葉と土埃はその証かな? 『チョイと誰か拭き掃除をしたら!』 (よけいなお世話で、スミマセン。)
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・・・・・・・・・・ 熊野神社から150m程北に和泉貴船神社がある。 貴船神社は和泉熊野神社の境外末社で、文永年間(1264〜1275)に創建された。 境内にある”御手洗の小池”はいかなる時でも涸れることがなかった湧水で、地名“和泉”の発祥地と言われている。
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⑤杉並区和泉で・・・・・・・・ 夏の花
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大圓寺・・・・・・・・ こちらも和泉3丁目にある寺院で、曹洞宗の泉谷山大圓寺。 釈迦如来坐像を本尊とする。、、、、慶長8年(1603)江戸赤坂溜池の辺りに徳川家康が開基となって建立された。 寛永18年(1641)正月、江戸の大火によって諸堂を類焼し、跡地は御用地として召し上げられ、その代地として伊皿子に寺地を拝領して移転した。 そのころから大渕寺の寺名を大圓寺に改めた。 延宝元年(1673)薩摩藩主島津光久の嫡子綱久が江戸で死去した際、当大圓寺で葬儀を行い、以来、島津家の江戸菩提寺となり、寺内に薩摩家代々の位牌堂が設けられている。 現在地には、明治41年(1908)に移転した。、、、、本堂正面には、島津の家紋(〇に十)が彫られ威光を誇示している。
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方南町駅 ・・・・・・・・・ 東京メトロ丸ノ内線支線の終着駅。 3両編成の列車が停まる頭端式ホーム1面2線。 出入口はホーム西端の環七通りと方南通りとの交差地点に1か所、ホーム東端の方南通り沿いに1か所、共に狭い計2ケ所である。、、、、、ホームは6両編成が停車できるように延伸し、出入口はバリアフリー化に、2019年までに完了すべく、只今工事中。
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●・・・・・・・・・ 今日は、蝉の声、夏の花、そして猛暑と、夏を充分に感じる散歩であった

2017年8月 3日 (木)

西新井~竹ノ塚

『今日も気温は30℃以下で熱中症の心配なし』と、天気予報で確認し散歩に出た。 昨日同様に、今日は向島辺りから水戸街道を“タップリ歩いてやろう”と東向島駅に向かう。 押上で東武伊勢崎線に乗り換えるのだが、“東武”に乗り入れている“東急”で信号トラブルが発生し、ダイヤは滅茶苦茶。 とりあえず、着た電車に乗り行先変更。 西新井駅で下車し、日光街道に向かい歩き始めた。 1時間程歩いてから方向を確認したら、“とんでも八分 歩いて十分”、向かっている方向が違う! これでは、一日がかりの散歩になってしまう、急ぎ軌道修正し、竹ノ塚駅に出て帰宅。、、、、と言うことで、西新井駅から竹ノ塚駅まで、1万歩の散歩です。



西新井駅 ・・・・・・・・・ 島式ホーム3面6線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 伊勢崎線は上下線別に、2面4線を使用する。 残る1面2線は大師線用。 西新井駅は明治32年(1899)8月27日に開業。
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・・・・・・・・・・ 東口の駅ビル「トスカ東館」は昭和56年(1981)に完成した。、、、、私の住む浅草橋には、今だ“駅ビル”と言えるような施設なし。 あるのは高架下の小さなビーズ屋、衣料品屋程度。 負けてるね!
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・・・・・・・・・・ 大師線では、昨年3月から、昭和30年代の東武鉄道の標準色である、インターナショナルオレンジの車体にミディアムイエローの帯を回したリバイバルカラーの8000系車両で運行している。 この塗装の車両は、昭和33年(1958)から昭和39年(1964)頃まで、東武鉄道の20m級通勤車両として使用されていた。 懐かしのカラーだ。
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環七通り・・・・・・・・・ 西新井駅の北東で環七通りを横断し足立区島根3丁目に入る。 さすが“環七通り”だ、中央分離帯があり、交差点か歩道橋でないと、向かい側に横断できない。 ズルッコシイ横断は禁止!
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来迎寺・・・・・・・・・ 環七を横断し島根3丁目に入ると、多宝塔の上部が住宅屋根の後ろに見えた。 チョイと見に行ってみよう!、、、、来迎寺は建久6年(1195)に創建され、その後江戸時代天和年間(1681~1684)に尊宥和尚が再興した。 当初は、西新井大師総持寺の末寺にして、近来は大和長谷寺の直末となっている。 境内には、樹齢数百年の榎と松の古木が、本堂を隠すように枝を出す。 また、古い庚申塔が数基、子育地蔵尊、宝篋印塔、六地蔵尊なども点在する。 山門と多宝塔は近年の建造。、、、、、寺を出たとたん、右手の甲が痒~い、かゆ~い、やぶ蚊にやられた、あ~もうダメ、かゆ~い!
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樹齢300年の黒松・・・・・・・・ 来迎寺から国土安穏寺に向かう途中に、大きな黒松がある。 地元嶋根村の旧家桐田家の黒松である。 こちらのお宅には将軍の鹿狩り(ししがり)の際に、村の御用勢子人足が使用した旗が保存されていると言う。、、、、、我が家には、父が大東亜戦争に出征したときの日の丸ぐらいしか残っていない。 チョイと旧家とは言えないね。
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国土安穏寺・・・・・・・・ 日蓮宗、天下長久山国土安穏寺(こくどあんのんじ)と称す。 創建は応永17年(1410)、開基は千葉太郎満胤(室町時代の武将、千葉氏14代当主)である。 当初は長久山妙覚寺と称した。 江戸時代に将軍秀忠および家光が当所巡遊の折の御善所となり、八世日芸聖人の大宇都宮釣天井予言の功により、寛永元年(1624)現寺号を賜り徳川家祈願所位牌安置所となる。 これより寺は、葵紋の使用を許された。 現在の諸堂宇は、明和年間(1764~1772)に建てられた鐘楼を除き、昭和以降の造営である。
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・・・・・・・・・・ 国土安穏寺の境内を出たとたん、今度は両手、両腕が痒~い、右手で左腕を搔き、左手で右腕を搔く。 あ~、目茶目茶かゆ~い。 手の甲・腕の表面に、うっすら丸い膨らみが、数か所できている。 アッチャコッチャ、掻きながら歩く、この辛さ、南無阿弥陀仏、南妙法蓮華経、アーメン、念仏を三度唱えても効き目なし。、、、、、足立区島根はヤブ蚊の原産地か?



普門寺・・・・・・・・ 国土安穏寺から北へ100m程(足立区島根4)に、真言宗豊山派の普門寺がある。 この寺は、延慶年間(1308~1310)の草創で、嶋根村名主の菩提所。、、、、、門は閉ざされ、石敷きの参道には雑草が伸び、ひょっとすると、ここもヤブ蚊の産地か? 両手搔き搔き、危険を察知し遠ざかる。
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・・・・・・・・・・ この辺りは、かつて空いた田畑に都営団地を建てたのか、不整形の敷地に中低層の小規模都営住宅が点在する。 方向感覚を狂わす、曲がりくねる道路を行く。
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鷲神社・・・・・・・・ 西新井駅と竹ノ塚駅の中間ぐらいの足立区島根4丁目25に鷲神社(わしじんじゃ)がある。 “鷲神社”を“おおとりじんじゃ”と読むのは浅草育ちの人間だけか?、、、、、社伝によると鷲神社は文保2年(1318)の中興で、古代の海岸線とされる所が南にあり島の根の様にでた当地に祭神が船で到着したことから浮島明神とも呼ばれたそうだ。、、、、、社殿は昭和31年(1956)に再建した。 私好みのシンプルなデザインで気に入った!
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・・・・・・・・・・ 境内社の三峯神社前の石の鳥居(写真:左)は享和2年(1802)の建立。 隣の大きな御影石の灯籠は、昭和61年(1986)に建てた、高さ4.7m、重量35トン。
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・・・・・・・・・・ 参拝を済ませ、『はて、私は今どこに?』 地図を出してみた。 ナント、西新井駅と竹ノ塚駅から同距離程の地点で、日光街道に出るにはチョイと時間がかかりそう。 無計画にブラブラ歩いたからだ! 我が家の昼食に間に合うよう、これより竹ノ塚駅に出ることにした。、、、、、まだ、ヤブ蚊の後遺症も残り、手搔き、腕搔き、恥をかき、竹ノ塚駅を目指す。



炎天寺と六月八幡神社・・・・・・・・ 竹ノ塚駅に向かう途中、足立区六月(ろくがつ)3丁目に、真言宗豊山派の幡勝山成就院炎天寺がある。、、、、、この寺の名:炎天寺、昔の地名:六月村の由来には、できすぎの話がある。:::『時は天喜4年(1056)八幡太郎源義家が奥州干渉(後三年の役)への向途、暑さにうだりながらこの地にやってきた時、やにわにその弱みを急襲したのが野臥で、さすがの源氏の精鋭部隊も苦戦を強いられた。 そこで義家が石清水の八幡神に撃退を祈念したところたちまち形成逆転して大勝利、そこで義家は岩清水八幡を勧請して祀り、さらに討死者を弔うための一寺を建立し、源氏の白幡のお陰で勝ったので山号を「幡勝山」、願いが叶ったので院号は「成就院」、時あたかも盛夏六月のこととて寺号は「炎天寺」と名づけ、村人には「六月村」の村名を与えた。旧暦六月は真夏8月なのだ。』、、、、、作られたような話だが、信じよう!


・・・・・・・・・・ 現在の六月村の交差点(六月3)
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・・・・・・・・・・ 炎天寺(写真:左)と六月八幡神社(写真:右)。 当然だが、炎天寺は六月八幡神社の別当寺であった。
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・・・・・・・・・・ 炎天寺には、小林一茶も関係している。、、、、江戸後期、俳人:小林一茶は当地で、「蝉鳴くや 六月村の 炎天寺」、「むら雨や 六月村の 炎天寺」など、数句を詠んだといわれている。 炎天寺では、毎年、「一茶まつり」を催し、句を詠んでいるそうだ。
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・・・・・・・・・・ 私も一句、「炎天に 両手搔き搔き イライラと」、、、、迷句?



竹の塚第2団地・・・・・・・・ 昭和40年(1965)頃に、駅の南側、線路沿いに建てられた住宅公団の住宅。 土地の使い方にも余裕が見られる、50年前の団地。
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竹ノ塚駅 ・・・・・・・・ 竹ノ塚駅は伊勢崎線の開業から約7ヶ月後にあたる明治33年(1900)3月21日に開業した。 現在は高架化工事が進められている。、、、、、平成27年(2015)の乗降客数は約72000人/日で、伊勢崎線内の駅では6番目である。 ちなみに7番目は西新井駅である。 西新井駅には急行・準急・普通が停まり、竹ノ塚は普通だけしか停まらない。 こんなことアリ? もちろん、アリ。
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2017年8月 2日 (水)

浅草橋~北千住

今朝の天気予報では、『今日は曇り一時雨、気温は低く30℃以下、熱中症の心配なし』。 『ヨシ、今日は健康の為、タップリ歩いてくる!』と、我が家(浅草橋)をでて、北に向かい北千住駅まで、1万5千歩の散歩です。



左衛門橋通り・・・・・・・・・ 台東区内を南北に通る左衛門橋通り(さえもんばしどおり、正式名:台第52号線)は、神田川に架かる左衛門橋 (台東区浅草橋1丁目)から、台東区入谷1丁目までである。 我が家から100m程で、左衛門橋通りの「浅草橋地区センター」バス停に出る。、、、、、ここから、今日の散歩はスタート!
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・・・・・・・・・・ バス停の前には、我が母校「旧台東区立柳北小学」と「柳北公園」がある。、、、、、校舎も、公園も、関東大震災の復興事業として、昭和初期に整備された。 私が小学生の頃は夕飯の時刻まで、毎日のように遊んだ公園だが、今は遊ぶ子供も少なく、園内の遊具なども片隅に寄せられてしまった。
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・・・・・・・・・・ 蔵前橋通りを横断し台東区小島の町。  横に入ると、如意輪観音が祀られているが、由緒は判らん?
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・・・・・・・・・・ 春日通りとの交差点では、夏休み中の登校日か? 学校に向かう子供たちがいた。、、、、、私が小学生の頃は、この日は夏休みの宿題の途中経過を持っていく日で、何も出来ていない宿題帳を見せる、いや~な日だった。 
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・・・・・・・・・・ 元浅草4丁目には、左衛門橋通りに面して、江戸時代初期(徳川家光の頃)に開山した、浄土宗の誓教寺 がある。 墓地には、フランスの印象派の画家に大きな影響を与えた、浮世絵師:葛飾北斎の墓がある。、、、、、チョイト、手を合わせて行く
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・・・・・・・・・・ 地下鉄銀座線が地下を通り、仏壇屋が並ぶ浅草通りを横断し、左衛門橋通りは台東区松が谷に入る。
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・・・・・・・・・・ 左衛門橋通り沿いに多くの寺院が並んでいる。 その内の一か寺、、、、、日蓮宗の妙音寺は、安立院日雄聖人(元和5年寂)が開山し、慶長15年(1611)に馬喰町に創建した。 明暦の大火により、馬喰町から現在地へ移転した。、、、境内には弁財天も祀られている。 “弁財天”と聞くと、オールヌードで琵琶を演じる姿が頭に浮かび、なにやら胸がドキドキしてしまう。 ここでは、残念だが姿を拝見できなかった!
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・・・・・・・・・・ 妙音寺の先(東上野6)には、親鸞聖人の門弟が建保2年(1214)下総国横曽根に創建し、慶長7年(1602)に江戸へ移転した坂東報恩寺がある。 江戸では三回移転し、文化3年(1806)に現在地に落ち着いた。、、、、、本堂は鉄筋コンクリート造だが、チョイと古いかも?
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・・・・・・・・・・ 報恩寺から100m程北には、伊能忠敬の墓、幡随院長兵衛の墓、谷文晁の墓などがある、浄土宗増上寺の末寺:源空寺がある。 この寺も、明暦3年(1657)の大火に遭って類焼し、現在地に移転した。、、、、、本堂は最近、美しいフォルムの建物に替わった。
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・・・・・・・・・・ 松が谷二丁目交差点で「かっぱ橋本通り 」を横切ると、秋葉神社 の鳥居が見える。 ここも、チョイと手を合わせて行くことにした。、、、、左衛門橋通りには寺社が多く軒を連ね、賽銭も底をつく。
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・・・・・・・・・・ 言問通りを越えると入谷に入り、入谷1丁目で左衛門橋通りも終わる
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・・・・・・・・・・ 入谷1丁目には、昭和4年(1929)に建てられた、明治33年(1900)創業の酒屋「水上酒本店」の建物がある。 木造3階建てのどっしりした建物である。
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日光街道・・・・・・・・・ 左衛門橋通りは入谷で終わり、50m程西側に国道4号線(昭和通り、日光街道)が通っている。 私は、引き続き日光街道を北上する。
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・・・・・・・・・・ 明治通りと交差する大関横丁交差点をとおり、常磐線のガードをくぐり、「旧王子電気軌道」本社ビルであった梅沢写真館の前を進む。、、、、チョイと雲行きが怪しくなってきたが、“雨降らば降れ 風吹かば吹け”の境地で先へ進む。
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・・・・・・・・・・ 荒川区南千住1にある、曹洞宗寺院の円通寺 には、私がこよなく愛する明治時代の几号水準点があるのだが、今日は素通りすることにした。、、、、戊辰戦争の際に傷ついた寛永寺の黒門、彰義隊の志士の墓もある。
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・・・・・・・・・・ 『中山式の腹巻』、『中山式の快癒器』と聞いてピンときた人は、かなりの年配だろう。 戦後、雑誌、新聞などで盛んにPRされた健康器具である。 幼き頃から病弱であった創業者の中山武欧氏の発明で、医療器具として大いに売れたそうだ。 もちろん、現在も製造されている。 その製造・販売元がこちらの会社「中山式産業(株)」(荒川区南千住6)だ。、、、、、屋上の看板のロゴが、昔と変わらぬ字体で懐かしいね!、、、、会社のhpより、発売当初の快癒器の写真を拝借しました。
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・・・・・・・・・・ 日光街道に面する素盞雄神社では、境内に面白いものがあった。、、、、、氏子61ヶ町の手ぬぐいに風鈴を添えた旗を境内に飾り、涼を呼んでいた。 粋でいいね、気に入った!
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・・・・・・・・・・ 隅田川に架かる千住大橋 が見えた! この橋を渡れば足立区、北千住駅は近い。 でも、その前に京成本線の千住大橋駅がある。 駅は高架下にあり、日光街道に面して高架下に店舗があるはず(?) アレ・レ・無い! 店はシャッターが降りてる?
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・・・・・・・・・・ 北千住駅に近づくと、小粒の雨が落ちてきた。 駅まで急ぐ、ほぼ濡れずに駅に到着。
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