西荻窪~上井草
①西荻窪駅 ・・・・・・・・・ 大正11年(1922)7月15日に、同じ杉並区内の高円寺駅、阿佐ヶ谷駅と共に同日開業した。、、、、、昨年、西荻窪駅の乗降客数は一日平均45,500人程で、JR東日本管内では102位。 私の住む浅草橋駅は54,000人程で89位。 『勝った!』と叫びたいのだが、西荻窪駅は快速が停まる、エスカレーターがある、高架下に商店街がある、駅周辺には骨董品などを売る小さなショップも多い、近くには女子大もある。 浅草橋はいずれも無く、駅の魅力では残念ながら負けだ。



②丸山橋・・・・・・・・・ 西荻窪駅を出て裏道を北へ歩く。(気持ちは北へ、足は北東へ向かっていた)、、、、、善福寺川に架かる、昭和43年(1968)1月完成の丸山橋を渡り上荻4丁目の町に入る。 丸山橋は、上荻窪村字丸山に架かる橋なのでその名がつけられた。 この付近、終戦直後までは鬱蒼たる雑木林だったそうだ。 今は、その当時の面影はない。、、、、、善福寺川はコンクリートで囲われた深い川底を流れているが、水は清く、親水公園と整備したらいいと思う。
③荻窪八幡神社・・・・・・・・ 荻窪八幡神社は、第59代:宇多天皇の寛平年間(889~898)に創建された。 第70代後冷泉天皇の永承6年(1051)に、鎮守府将軍:源頼義が奥州東征の折この地に陣し戦捷を祈願した。 康平5年(1062)の凱旋では、八幡神を勧請し武将を拠らしめた。、、、、、神社の境内は約2,600坪の広さを有し、チョットした森となっている。 姿を拝めない本殿は明治28年(1895)、回廊に囲まれた拝殿は昭和11年(1936)に建てられた。 回廊と神門は昭和43年(1968)の造営である。、、、、、結婚式、七五三、これから祝い事で華やかな季節が来る。 私も、60数年前に七五三を行い、鳥居前で撮った可愛い写真が残っている。 しかし、戦後まもない当時は、写真館の幕に描いた鳥居の前で記念撮影したので、神社は???・・・いまだに謎の神社!
④桃井原っぱ公園・・・・・・・・ 荻窪八幡神社前の青梅街道を挟み、向かい側に荻窪署、荻窪消防署、河北総合病院などの公共施設が並び、その裏側にはURの団地、そして広大な一面芝生の公園がある。 これぞ、大正14年(1925)に開設した中島飛行機(株)東京工場で、昭和41年(1966)からは日産自動車(株)荻窪工場となり、平成10年(1998)に工場移転した跡地である。、、、、跡地は、公共性の高い跡地利用を望む日産自動車の要請により、「防災公園街区整備事業」を活用し、ヘリコプターの発着できる防災公園として整備された。
・・・・・・・・・・ 原っぱ公園に隣接し、青梅街道に面する「日産プリンス東京販売荻窪店」の敷地の一角に「旧中島飛行機発動機発祥之地の碑」がある。 ここには、中島飛行機製作所東京工場に始まり、冨士精密工業、プリンス自動車工業、日産自動車荻窪工場と続いた工場跡地であったことをしるしている。
・・・・・・・・・・ そして、隣にもう一つ、「日本ロケット発祥の地」の碑がある。 中島飛行機原動機工場は、国産第一号の飛行機用のエンジンをはじめ、零戦のエンジンも設計・製造した。 戦後、日産自動車荻窪工場となり、日本のロケット第一号も開発された。、、、、工場では、昭和28年(1953)東京大学生産技術研究所からの要請で、当時の富士精密工業荻窪工場内で少量の無煙火薬系推進薬を用いたロケットモータの地上燃焼実験を実施したのを始まりとして、昭和30年(1955)ペンシルロケット(直径1.8cm、長さ23cm、重さ200g)を完成させ、水平飛翔実験が行われた。 まさしく、我が国のロケット開発の始まりである。、、、、、碑の中にはペンシルロケットが埋め込まれているのだが、連日の雨模様でガラスが曇り殆ど見えない。
⑤観泉寺・・・・・・・・・・ 荻窪駅と上井草駅を直線で結び、その中間地点(杉並区今川2丁目)に観泉寺はある。、、、、、宝珠山観泉寺といい、本尊は釈迦如来で、戦国時代の名門今川氏ゆかりの寺である。 慶長2年(1597)今の下井草二丁目付近に開山鉄叟雄鷟大和尚により創建され、観音寺といわれていた。 正保2年(1645)今川13代直房は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤め、その功により井草村など三か村五百石の加増をうけた。 これを機に、当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とした。 その後万昌院 (現中野区)から祖父氏真の墓所を当寺に改葬した。
・・・・・・・・・・ 静かな参道を進み、突き当りの山門をくぐる、、、、、誰もいない!
・・・・・・・・・・ 私とあろうものが、大失敗! 迂闊であった! まだ修業が足りぬ! この寺を知らなんだ! ものすごい寺だ! 広大な寺域の寺ではないが、東京の住宅地にあっては大きな寺だ! 江戸時代に建てられた、歴史ある本堂・庫裡の前に立ち、360度ぐるりと見渡しても、目に入るのは、緑豊かに囲まれた手入れの行き届いた境内である。 すばらしい気に入った!、、、、、写真順に、本堂正面、本堂左側の庭、本堂を背にして反対側の山門、本堂右側は木立に隠れて鐘楼
・・・・・・・・・・ 本堂は宝暦12年(1763)に火事で全焼し、同年に庫裡、翌年に本堂が再建された。 この庫裡と本堂は区内最古の大型木造建築物。
・・・・・・・・・・ 樹々の中に見え隠れする閻魔堂と鐘楼
・・・・・・・・・・ きれいな芝と滝を配した石組みの庭は、特に有名と言うわけではないが、訪れる人を静かな気持ちにさせてくれる。
・・・・・・・・・・ 観泉寺には、今川家累代の墓所がある。 慶長20年(1615)12月28日の一周忌銘のある今川氏真、明治20年(1887)11月3日の没年銘のある範叙(26代)など一族の墓が、墓地の中程に低い塀で囲まれ、並び供養されている。、、、、、戦国の武将今川義元の息子氏真は、桶狭間の戦いで敗死した父の後を継いだ。 しかし桶狭間の敗戦は致命的で、今川氏の滅亡を招くこととなった。 その後、氏真は出家し、歌人として多くの歌を残している。
・・・・・・・・・・ 境内を歩き、春の枝垂桜、秋の紅葉狩りに有名な寺であることを知り、納得! ぜひ、秋になったら再訪したい! 夏の竹林も一見の価値あり!
・・・・・・・・・・ 観泉寺山門前の参道両脇に、石仏・地蔵が残されていた。
⑥上井草駅・・・・・・・・ 西武新宿線の停車場。 昭和2年(1927)4月16日西武村山線(西武新宿線の前身)の高田馬場(仮)~東村山間の開業と同時にできた。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 それぞれのホームは完全に独立していて、跨線橋がないため双方の行き来はできない。 それゆえ、駅舎は上下線それぞれ別になっている。 下り側が南口、上り側が北口で、駅事務室も双方にある。
・・・・・・・・・・ 下り側(1番線側)の南口
・・・・・・・・・・ 上り側(2番線側)の北口
・・・・・・・・・・ 上下線ともホームの先端が踏切まで伸びて、電車が停まると、踏切にはみ出しそうだ。
・・・・・・・・・・ 木造のホーム上屋に木製の長~~いベンチ、、、、酔って寝た人もいたであろう、懐かしのベンチ
・・・・・・・・・・ 電車が来た、帰るぞ!
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