京成曳舟~堀切
①京成曳舟駅・・・・・・・・・・大正元年(1912)11月3日に「曳舟」駅として開業し、昭和6年(1931)に「京成曳舟」駅に改称した。 駅は、平成25年(2013)に上り線を高架にし、平成27年(2015)に下り線も高架となり、相対式ホーム2面2線の高架駅に変わった。 ホーム下のコンコースは広く、改札口は押上側と八広側の両端にある。 今日は東向島方面に行くので、八広側の改札を抜け高架下の長い通路を歩き、明治通りに出た。 地上駅から一気に垢抜けした高架駅に変わり、さらに駅前再開発で弾みがつき、地価もはね上がったと思うね!
②東向島6丁目の裏道・・・・・・・・・「東向島6丁目」と言われて、どの辺りかピンとくるのは地元の人だけ。 チョイと説明すると、京成曳舟駅と八広駅の間で、京成押上線に並行する水戸街道の南側の町である。 水戸街道の反対側(北側)は年配の人には懐かしい、玉ノ井の町があった、東向島5丁目なり。
・・・・・・・・・・ 鍵の手に折れた裏道。 この辺りでは、各家で建て替え時に、緊急車両が通れるように前面道路を広げている。
・・・・・・・・・・ この道は“ドブ川”の跡かな?
・・・・・・・・・・ 道の先はT字路。 オヤ、渋い工場がある
・・・・・・・・・・ この道も細い、自家用自転車は欠かせない交通手段
・・・・・・・・・・ 方向感覚も鈍り、どこをどっちに歩いたのか? 出て来た処は、『なんだ、ここか』以前来た神社。 長浦神社だ!、、、、週末の納涼踊りに向け、準備完了?
③玉ノ井の町 ・・・・・・・・・・ 終戦直後には、487軒の売春宿に1200人の売春婦がいた、国内最大規模の私娼街であった「玉ノ井 」 その玉ノ井があった東向島5丁目と、北側に隣接する墨田3丁目の裏道を抜け鐘ヶ淵駅にでる。、、、、戦後70年、当時の建物は毎年取り壊され、新しくなっていく。 去年残っていた建物も、今日は洒落た若夫婦向けの住宅に変わっている。
・・・・・・・・・・ 水戸街道を横断し、東向島5丁目に入る
・・・・・・・・・・ 「玉ノ井」の名は意識的に無くしているのか、その名を見る機会も少なくなった。 商店街の旗に、小さくその名を見つけた。
・・・・・・・・・・ チョックラ、裏道に入ってみる、、、、、私娼街の頃、入り組んだ路地の入口には『抜けられます』、『ぬけみち』の看板が出ていたそうだ。 これが、路地(私娼街)に客を呼び込むキャッチフレーズだったのか?、、、、、今日の散歩では、当時の路地と思われる処も歩いてみた。 私の心の中では、「抜けられますか?」と問いかけていた。
・・・・・・・・・・ 出て来た道は、かつての玉ノ井のメインストリートであった「いろは通り」 つい数年前までは、「玉ノ井いろは通り」と表示されていたが、“玉ノ井”が消えた!
・・・・・・・・・・ 「いろは通り」から墨田3丁目の町に入る。、、、、まだ数軒、私娼街の頃の建物が残っているが、外装を変えたり、塗装したり、当時の面影も薄らいできた。、、、、今日は路地歩きに徹しよう。
・・・・・・・・・・ 路地裏のタバコ屋さん、見ると缶ピーがある。 おじいさんが一人、店番をしていたので話を聞くと、両国辺りから缶ピーを買いに来る常連もいるそうだ。 10年ほど前にタバコをやめた私も、今日は記念に買ってきた。
・・・・・・・・・・ この町の新しい住宅が建ち、道幅もひろがってきた。 私の散歩も『抜けられました』
④鐘ヶ淵駅から堀切駅まで・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・ 私の脱臼事件が起きた、鐘ヶ淵駅前の交番に頭を下げて先を行く。
・・・・・・・・・・ 駅前の小さな商店街を抜け、再び裏道へ、、、、、どこも行き止まりのように見えるが、T字路になっていて『抜けられます』
・・・・・・・・・・・・・この先は、香取神社、多聞寺に立ち寄り、堀切駅へ向かい、帰宅した。
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