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2017年9月

2017年9月29日 (金)

四ツ木~綾瀬

京成押上線四ツ木駅からJR常磐線綾瀬駅まで、たぶん1万2千歩ぐらい(今日は万歩計を忘れた!)の散歩です。



四ツ木駅 ・・・・・・・・・ 荒川を挟み墨田区側の八広駅と対峙する葛飾区側の四ツ木駅。 大正元年(1912)11月3日に開業。 平成11年(1999)の高架化工事により、相対式ホーム2面2線の高架駅である。

・・・・・・・・・・ 朝、上りホームは通勤客が並び、下りホームは数人の乗客だけ。
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・・・・・・・・・・ 駅出入口の脇では、京成押上線四ツ木駅~青砥駅間(延長約2.2km)の連続立体交差事業が始まっている。 現場入口には誘導員を配し、交通安全の徹底を図る。

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・・・・・・・・・・ 四ツ木駅側取り付け部から立石駅寄りの平和橋通りまでが第一工区。 施工は戸田建設+安藤ハザマJV、、、、、、無事故・無災害で終わることを祈る。

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路傍の庚申塔 ・・・・・・・・ 四つ木の裏道に祀られている青面金剛。 宝永3年(1708)に造立されたとも?、、、、、300年以上経った像に『お疲れさん!』

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四つ木白髭神社 ・・・・・・・・・ 国道6号(水戸街道)、本田広小路交差点の近くの裏道の奥に鎮座する。 承応3年(1654)四つ木村が立石村から分村したとき、四つ木村の鎮守として勧請されたそうだ。 祭神は猿田彦大神。 現社殿は昭和40年(1965)に鉄筋コンクリート造で建て替えられた。、、、、、四つ木の裏道・路地を歩き行きつく神社。 一度は偶然、二度めは迷子、三度めは行けずに諦める、場所の分りずらい神社。

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宝町 ・・・・・・・・・ 本田広小路交差点で国道6号(水戸街道)を超え、葛飾区宝町に入る。、、、、、「宝町」の由来は、、、、かっては、宝木塚村(ほうきづかむら)であった。 明治11年(1878)に南葛飾郡に所属した。 明治22年(1889)立石村大字宝木塚となり、昭和7年(1932)葛飾区本田宝木塚町となる。 昭和36年(1961)、本田宝木塚町の大部分に堀切町・下千葉町・本田篠原町の各一部をあわせた町域を宝木塚の“宝”だけを採って宝町とした。

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西光寺 ・・・・・・・・ 真言宗豊山派の西光寺は、渋江山清重院と号す。 西光房善慶(葛西清重)の草庵として元仁元年(1224)創建、慶長18年(1613)浄土真宗より真言宗に宗旨を改めた。、、、、、、西光寺がある宝町2丁目は、かつての宝木塚村である。 「宝木塚」の由来は、元仁2年(1224)親鸞聖人が西光寺境内にある松の木に法衣を掛けて自ら名づけた「法喜塚」が、のちに宝樹塚→宝木塚と変わったという説がある。 その時の松の木は天明6年(1786)に大風雨のため倒れてしまい、現在は3代目の松の木が植えられている。、、、、、、つまり、西光寺の「法喜塚」が「宝木塚」となり、さらに戦後「宝町」に変わった。

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・・・・・・・・・・ 葛飾区には「西光寺」が2寺ある。 ここ宝町の西光寺の他に、四つ木1丁目に天台宗の西光寺があり、超越山来迎院と号す。、、、、、2寺の距離もさほど遠くなく、まぎらわしい!




宝町八幡神社 ・・・・・・・・ 宝町2に鎮座する宝町八幡神社。 神社の創建年代は不詳であるが、宝木塚村の開村時に鎮守社として創建したといわれている。 「西光寺持」であった。、、、、、現在は、金も無い、人も無い、知恵も無いのか、社殿の屋根は歪み、境内は荒れ、社名すらどこにも出ていない。

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堀切菖蒲園2号踏切 ・・・・・・・・ 堀切菖蒲園駅とお花茶屋駅のほぼ中間に位置する踏切で、京成本線を越えて堀切の町に入る。

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路傍の庚申塔 ・・・・・・・・・ 東堀切1の裏道に祀られている板碑型の庚申塔。 文字の判別も難しいほど年数が経過した。 正面に中央に「奉待庚申供養」と記され下に三猿、右に「元禄七戌年」(1694)「下千葉村」、左に「十月十四日」「九品寺」とかすかに読める。

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九品寺 ・・・・・・・・ 建久4年(1193)に創立されて以来、800年以上法灯を伝えている真言宗豊山派の古刹、、、、今年の春に立ち寄ったので、こちらを見てね!

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綾瀬北野神社 ・・・・・・・・・ 足立区綾瀬2にある北野神社。 創建年代は不詳。 当地旧普賢寺村には稲荷社・天神社、第六天社、八幡社があり、これらを合祀し北野神社と称した。、、、、、駅に近いこともある、手を合わせる人も何人か見られた。

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・・・・・・・・・・ 賽銭稼ぎか?、客寄せギューか?、新調したと思われる撫で牛がいた。

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養福寺 ・・・・・・・・ 北野神社の南側に新義真言宗の養福寺がある。 養福寺は永正元年(1504)に中興開基した寺らしい。 北野神社の別当であった。 現本堂は昭和50(1975)年に落成。

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綾瀬駅 ・・・・・・・・・ 我が家(浅草橋)へ帰るとき、綾瀬駅から乗車し、西日暮里で山手線に乗り換えると、綾瀬~西日暮里は千代田線扱いとなり営団料金を取られる。 北千住で常磐線快速乗り換えて上野へ出ると通しでJR料金となり割安。 しかし、北千住駅の乗り換えが面倒。 どっちらにしても、スッキリしない駅だ!

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2017年9月27日 (水)

高砂~青砥

西から雨雲がやってきて、東京も今夜から本格的に降るらしい。 夕刻の空は雲が覆い、どんより薄暗い。 『チョックラ、電車を撮りに高砂へ行って来る』と、家を飛び出し京成高砂駅から京成青砥駅までのミニ散歩。



高砂駅にて ・・・・・・・ 車両はカッコいいが、ホームの乗客の安全を考えてか、駅部を通過するときはスピードが遅い、、、、、一度は、ホームに立っている人を風圧でブッ飛ばすほどのスピードで通過するスカイライナーを見てみたいね。
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・・・・・・・・・・ 6両編成の普通列車として運用されている3500形

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・・・・・・・・・・ 京成グループの標準車両、3000形

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・・・・・・・・・・ 京成に乗り入れている、都営地下鉄5300形 、、、、運用開始から20年以上過ぎ、そろそろ世代交代か?
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・・・・・・・・・・ 北総鉄道を走る斬新なデザインの9100形、愛称はC-flyer(シー・フライヤー)。、、、、愛称を知るのは、鉄道オタクぐらいかも?

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京成電鉄中川橋梁 ・・・・・・・・ 青砥駅と高砂駅の間で、中川に架かる橋梁。 昭和48年(1973)頃に現在の橋梁に架け替えられた。、、、、、今にも降りそうな雲の下では、やはり写真写りは良くないね。

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高砂橋 ・・・・・・・・ 京成電鉄中川橋梁の下流側に架かる高砂橋。 初代は昭和7年(1932)に架橋。 その後、平成15年(2003)に現在の橋に架け替えられた。 2径間連続鋼斜張橋で、青戸と高砂の町を結んでいる。

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青砥駅 ・・・・・・・・ そろそろ明かりも灯り帰宅することにした、、、、なぜか、“おでん”が食べたくなった!

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2017年9月25日 (月)

東十条~ときわ台

京浜東北線東十条駅から西へ向かい東武東上線ときわ台駅まで、1万1千歩の散歩です。



東十条駅 ・・・・・・・・・・ 昭和6年(1931)に「下十条」駅として開業。昭和32年(1957)、東十条に改名。 改札口が南・北2か所にあり、ともに橋上駅舎。 2つの島式ホームで中線1本をはさむ2面3線の地上駅。 中線である2番線と3番線の線路は共用となっていて、当駅止まりの電車が利用している。、、、、、南口改札で突然トイレに急行したくなったら、『さあ大変!』。 南口改札にはトイレはない! 階段を下りてホームの端から端まで約200m歩き、また階段を上り北口改札横のトイレに行かなくてはならない。 『間に合えばいいが、間に合わないと悲惨な結果に! 運命は神のみぞ知る』、、、、、(南口駅舎の写真は2014年撮影)
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十条跨線橋 ・・・・・・・・・ 東十条駅南口の脇に架かる跨線橋(中央の車道部分)で、かつて東北本線の荒川橋梁として使用していたポニーワーレントラス橋(橋の左右にトラス構造の桁があるが、左右を結ぶ上部の骨組みがない橋。 小中規模の橋に用いられる)の一部を、昭和6年(1931)に現在の跨線橋に転用したもの。 橋桁は明治28年(1895)にイギリス:COCHRANE社で製造された。 鉄道黎明期の貴重な文化財であるが、管理する北区では、橋台部の強度不足の問題が挙がり、架け替えを検討中。 その為、朽ちるのを待つように錆が出た跨線橋は見るに忍びない。

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地蔵坂 ・・・・・・・・ 十条跨線橋の西詰の崖下に蛇行して登る坂。 案内によれば、『地蔵坂は、この坂の上の三叉路(さんさろ)で合流し、ここを通って下る坂道です。現在の中十条2-11-1地先付近までが崖で、坂道は崖の手前の地蔵堂から続いていましたので地蔵坂と呼ばれていました。現在の地蔵堂は、東十条駅の開設にともなう跨線橋(こせんきょう)の設置や道路の拡幅により今の位置に移転したものです。北区教育委員会』 、、、、、チョイと急な坂で、年寄りにはキツイね!

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・・・・・・・・・・ 十条跨線橋の西詰にある地蔵堂。 堂の後ろに地蔵坂がある。

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十条中央商店街 ・・・・・・・・・ 東十条駅南口から十条駅に伸びる、下町人情の残る昭和の商店街。 商店街の中程に昭和26年(1961)に開館した大衆演劇専門の「篠原演芸場」があることから『演芸場通り商店街』と呼ばれている。 商店街のところどころでは、終日シャッターが下りたままの店もあるようだ。 商店街は十条駅ホーム際の踏切で終わる。

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十条駅際の踏切 ・・・・・・・・・ 正式には、赤羽線の仲道踏切。 十条駅の赤羽方に隣接する踏切で、線路を挟んで東側に十条中央商店街、西側に十条銀座商店街がある。 踏切を利用する人は多いようだ。、、、、「仲道」の由来はこの付近の小字名である。

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十条から板橋本町へ ・・・・・・・ 十条駅前の十条銀座商店街は、まだ営業前でシャッターが下りている店が多い、、、、、シャッターを見て歩いても面白くなさそうだ!

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・・・・・・・・・・ 我が足は商店街の裏道へ入る。 我が目はキョロキョロし、何やら探すが、おもしろそうなものはないね!

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・・・・・・・・・・ オヤ? 「聖観音」とは?、、、、、建物は木造住宅風で、規模も小さく、昭和の建築?、、、、、ここは西音寺が管理している堂(上十条3)である。 堂内には、中国風の観音像が安置されているという。、、、、、道路側の柵から進入禁止。 素通りします。

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・・・・・・・・・・ 板橋区に入り、ここは帝京大学板橋キャンパス。 大きな大学の建物と附属病院が目に入る。、、、、、、見た瞬間の印象は、『帝京大学って、儲かってるな!』

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・・・・・・・・・・ 環七通り沿いに歩き、中山道を横断し、都営地下鉄三田線板橋本町駅の前を通過する。

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常盤台住宅地  ・・・・・・・・・ 常盤台住宅地(現在の常盤台1、2丁目)は池袋から5つ目の東武東上線「ときわ台」駅の北側に広がる、2万3千余坪の住宅地である。 昭和10年(1935)に、東急の田園調布に並び、東武鉄道により開発・分譲された住宅地である。、、、、住宅地をほぼ一周する環状道路や、住宅地の交通量を減らすための工夫でクルドサックがつくられている。 そしてモダンな文化住宅が建てられた。

・・・・・・・・・・ 高級住宅が並ぶ常盤台住宅地

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・・・・・・・・・・ 住宅地内を通り抜けできないように作られた、ぐるりと回る道路“クルドサック

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・・・・・・・・・・ 住宅地内の帝都幼稚園の園舎は、戦前の木造建築で貴重なものである。 登録文化財

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・・・・・・・・・・ 常盤台住宅の最寄り駅、東武東上線の「ときわ台駅

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2017年9月23日 (土)

彼岸の中日

今日は彼岸の中日、我が家の祖先を敬い、亡き父・弟を偲び、夫婦で墓参り。 片道2時間かけ、東京近郊の霊園へハイキング気分で行ってきた。、、、、散歩は休み
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・・・・・・・・・・・・・・ここで問題です、、、、『“ぼたもち”と“おはぎ”の違いは?』

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・・・・・・・・・・・・・・答えは、、、、、粒あんがぼたもち、こしあんがおはぎ。 おにぎりの大きさがぼたもち、小ぶりなおおきさがおはぎ。 米粒の形が無くなり餅となったぼたもち、米粒の形がしっかり残っているのがおはぎ。 地方の駅の売店で売っているのがぼたもち、東京の高級和菓子店で売っているのがおはぎ。、、、、、はい、全部、間違い!

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・・・・・・・・・・・・・・“ぼたもち”も“おはぎ”も、基本的には同じもの、、、、漢字で書くと、「牡丹餅」と「お萩」

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・・・・・・・・・・・・・・正解は、、、、彼岸は年2回あり、春の彼岸には、収穫をもたらす山の神などを迎えるため、あずきの粒を牡丹に見立てた牡丹餅をつくり供えた。 秋の彼岸には、収穫を感謝して、あずきの粒を萩の花に見立てたお萩をつくり供えたそうだ。、、、、それぞれ季節の花に見立てたそうだが、どうみても、あずきの粒から牡丹、萩を連想するには無理があるね!

2017年9月22日 (金)

浅草橋~平井

今朝のNHK天気予報で、東京の天気は、午前中は曇り、正午からは小雨、夜は雨と受け止めた。 午前中は天気ももちそうなので、我が家から総武線沿いに歩いてみることにした。 浅草橋の我が家から平井駅まで、1万4千歩の散歩です。



浅草橋を発つ ・・・・・・・・・ 出発進行!

・・・・・・・・・・ 高架ホーム下の店舗、駅前の飲食店、どこも、まだ閉まっている。、、、、、高級ブランドの店、三つ星レストランなんてない。 あるのはビーズ屋さん、安売り雑貨屋さん、超B級飲食店ばかり。
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・・・・・・・・・・ 朝8時、そろそろ駅から職場に向かう人も出てきた
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両国橋を渡る ・・・・・・・・・ “雨降る天気”は嘘のような“爽やかな晴れ”

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両国駅付近を通過 ・・・・・・・・・・・ 


・・・・・・・・・・ 今日は回向院 には立ち寄らず素通り

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・・・・・・・・・・ 両国駅の南側、京葉道路に面した両国3丁目22番は芥川龍之介が18歳まで育った処。 芥川は回向院の隣にあった小学校に通ったそうだ。

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・・・・・・・・・・ 江戸東京博物館前から北斎通りに入る

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北斎通りを行く  ・・・・・・・・ 江戸東京博物館前から錦糸公園の先の錦糸橋(横十間川)までの通りを言う。 江戸東京博物館前から横川までは、かつての本所南割下水(ほんじょみなみわりげすい)と呼ばれた、道路の真ん中を掘り割った下水路であった。 割下水は昭和初期に暗渠化され、平成の世になり歩道などが整備され、平成6年(1994)から葛飾北斎に因み「北斎通り」と称した。


・・・・・・・・・・ すみだ北斎美術館(墨田区亀沢2)の敷地は、江戸時代に弘前藩津軽家の大名屋敷あった。 この近くには葛飾北斎が住んでいた、つまり北斎の地元にできた美術館である。 妹島和世建築設計事務所の設計、大林組+東武谷内田建設の施工による、RC造地上4階/地下1階建ての美術館。、、、、、大変残念なことだが、私はまだ入館したことが無いので、コメントなし。

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・・・・・・・・・・ こちらも亀沢にある、日本相撲協会が直営の相撲神社で、「野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)」

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・・・・・・・・・・ 「北斎通り」、名前は粋で、江戸趣味を感じさせるが、通りには古い建物は残っておらず、またシャレた店舗が並んでいるわけでもない。 鋼管、パイプなどを扱う会社が多く、恋人同士の散歩にはチョイと不向きである。

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・・・・・・・・・・ 北斎通りは錦糸町駅手前で大横川親水公園と交差する。 東京スカイツリーの足下から、南に江東区木場方面に流れる大横川。 その一部を暗渠化し、整備されて親水公園となっている。

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・・・・・・・・・・ 錦糸町駅の北側を再開発した「アルカタワーズ」  3棟の超高層オフィスビルと、ホテル、シンフォニーホール、商業施設ビル、高層住宅などで構成されている。 前を貫く道路は北斎通り。、、、、、、サラリーマン時代、私のデスクも一時期このビルの中にあった。 今は懐かしいビル。

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・・・・・・・・・・ 津軽稲荷神社は、津軽藩下屋敷の屋敷神として祀られていた稲荷神を、明治43年(1910)に払い下げられ、錦糸町1丁目町会の守護神とした。

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・・・・・・・・・・ 錦糸町駅北口前をしたすら東に向かう

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・・・・・・・・・・ 錦糸公園の奥に建つ「Olinas」の超高層ビル。 ここは、時計の旧精工舎の工場跡地だ。

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・・・・・・・・・・ 錦糸公園の東側に残る、旧病院建築。 現在は、昭和19年(1944)に病院跡に移転した阪上製作所の社屋となっている。

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・・・・・・・・・・ 北斎通りは両国の江戸東京博物館前より東に真直ぐ伸びて、ここ横十間川に架かる錦糸橋までである。 これより江東区亀戸の町となる。

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亀戸駅前を行く ・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・ 亀戸駅前を通り抜け、我が足は東へ向かう

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・・・・・・・・・・ 東武亀戸線 をチョイト見て、ついでに写真も撮って、先を急ぐ。

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・・・・・・・・・・ 丸八通りを横切って、亀戸中央公園を抜けると、旧中川に出る。

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旧中川を越えれば平井駅 ・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・ 旧中川は江東新橋で越える。 橋を渡ると、そこは江戸川区平井の町。

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・・・・・・・・・・ 蔵前橋通りから、チョイとそれると平井駅 に出る。 駅前に着くと、ちょうど、ポッリと落ちてきたが、まだ傘は必要なさそうだ、帰ることにした。

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2017年9月20日 (水)

柴又

晴れるようで晴れそうにない曇り空。 まずは、京成金町線に乗り金町へ、金町から柴又帝釈天の題経寺へ、草団子を買ったら持ち歩くのが面倒になり、散歩は止めた。 金町駅から帰宅する。




京成金町線 ・・・・・・・ 金町線の前身は、明治32年(1999)に柴又~金町間が開通した帝釈人車鉄道である。 開通から13年後の明治45年(1912)には、高砂~柴又間の電車が開業し、翌大正2年(1913)には高砂~金町間の全線が開通した。、、、、、金町線は路線距離2.5km、駅は両端の「高砂」、「金町」2駅と途中駅の「柴又」のみ、全線単線で、4両編成で運行されている都会のローカル線である。



高砂駅 ・・・・・・・ 高砂駅は橋上駅舎で、改札は2階にある。 本線の改札と向かい合って金町線の改札がある。、、、、電車が到着するとドッと乗客が出てくるが、数分もすると改札口はガラガラとなる。

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・・・・・・・・・・ 金町線の高砂駅ホームは、地上を走る京成本線の頭上に造られた1面1線専用ホーム。

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・・・・・・・・・・ 改札口を入りホームに出ると、3500形の電車が出発を待っている。

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・・・・・・・・・・ ホーム先端に立つと、高架上の金町線(単線)と地上の本線、北総線の線路群が見える。

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・・・・・・・・・・ 朝の金町行は空いている、ガラガラだ!
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柴又駅 ・・・・・・・・ 柴又帝釈天の参道前にある柴又駅。 2面2線の地上駅で、ほぼ大半の列車がここで列車交換を行う。

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・・・・・・・・・・ 柴又駅には、今では都心の駅では珍しくなった構内踏切がある。 「構内踏切」とは、その名のごとく駅構内の踏切で、改札を駆け込んできた人が電車のお尻と車掌さんお尻を見ながら、息を切らして踏切を渡り、ホームへ駆け上がり、車掌さんに近いドアから車内に飛び込む、映画のワンシーンを創り出す踏切だ。 ちなみに「構内踏切」という呼び方はあくまで俗称で、正式には「渡線路」と言う。 “踏切”は公道に設置されるものである。

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・・・・・・・・・・ 駅前の寅さん像は有名だが、 今年の3月から、旅に出る寅さんが故郷や家族の方を振り返ったシーンをモチーフに、視線の先に最愛の妹・倍書千恵子演ずるさくらをイメージした銅像となった。、、、、、似ている! Good!

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●・・・・・・・・・・ 金町浄水場前を疾走し、 水戸街道を横断する金町線

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京成金町駅 ・・・・・・・ 京成金町駅は、単式ホーム1面1線の地上駅。 ホームと道路の段差は小さく、道路面から5段のぼればホームに出られる、ローカル色の残る終着駅。

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柴又帝釈天 ・・・・・・・・「帝釈天」は、本来、仏教の守護神である天部の一つを指すが、“柴又の帝釈天”と言えば、日蓮宗の寺院の通称で、正式名称は経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)を指す。 その帝釈天の旧本山は大本山中山法華経寺。、、、、、江戸時代初期の寛永6年(1629)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院。


・・・・・・・・・・ 午前10時前後の参道、まだ参詣人の姿はチラホラ、店も準備中

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・・・・・・・・・・ 今日は彼岸の入り、帝釈天には団体さん御一行が先着していた。 御一行はガイドに引率され、早々とお食事処に消えた。、、、、、静かになった境内で合掌

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●・・・・・・・・・・ お参りを済ませ、忘れずに妻にみやげの草だんごを買って帰る。

2017年9月19日 (火)

阿佐ヶ谷~下井草

JR中央線阿佐ヶ谷駅から西武新宿線下井草駅まで、1万歩の散歩です。



阿佐ヶ谷駅 ・・・・・・・・ 大正11年(1922)7月15日に開業した駅。 現在は、急行線・緩行線それぞれに1面2線の島式ホームがある高架駅。、、、、、戦後、商店の集客目的での昭和29年(1964)から始まった、毎年8月に開催される「阿佐ヶ谷七夕まつり」が有名な駅。 隣り駅:高円寺の阿波踊りに対抗しているそうだ。 両駅とも競い合い、共に町が活性化しているようでいいね!
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阿佐ヶ谷スターロード ・・・・・・・・ 細長い路地に小さなキラ星のようなお店が約150店も軒を連ねる商店街

・・・・・・・・・・ 今日は北口に出て、線路沿いの「阿佐ヶ谷スターロード」を通り抜けてきた

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・・・・・・・・・・ 「阿佐ヶ谷スターロード」は、阿佐ヶ谷駅北口からJRの高架に沿って荻窪側に600m程、細い道に小さな店が並ぶ商店街。 八百屋・鳥肉屋・カフェ・ブティックなどの個人商店もあるが、夜の居酒屋・バー・焼き鳥屋・小料理屋・赤提灯が目立つ商店街だ。 所々には、映画・演劇のポスターもペタペタ貼られている。、、、、、『This is “art”』と叫びそうな芸術家(?)が夜な夜な出没するような店が多い。 中央線沿線らしい街である。 私は名を知るだけだが、寺山修司ゆかりの地でもあるようだ。、、、、、、赤提灯が一斉にぽっと灯ったら、散歩してみたい街だ。

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・・・・・・・・・・ スターロードからチョイト入った住宅地に、個性派名画座と言うべき、小さな(48席)可愛い映画館がある。 館名の「ラピュタ阿佐ヶ谷」は、宮崎駿のアニメ「天空のラピュタ」から頂戴したそうだ。、、、、、、ちなみに、9月の上映は、“昭和の銀幕に輝くヒロイン 轟夕起子”、“一役入魂 映画俳優・三国連太郎”、“新東宝ピンク映画 ラスト・フィルム・ショー”である。、、、、、名画座となると学生時代を思い出し、懐かしくもあり、観てみたいね!

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天沼熊野神社 ・・・・・・・・・・ 天沼熊野神社(杉並区天沼2)は、伊邪那美命を祭神とする神社。 神社は、神護景雲2年(768)の創建とも元寇3年(1333)の創建ともいわれている。 創建年代がはっきりしないほどの古社である。、、、、、社殿は、平成7年(1994)に、木曽檜による木造、流造りで建て替えられた。

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蓮華寺 ・・・・・・・・・・ 天沼2丁目から日大二高の前をとおり、本天沼2丁目に入ると蓮華寺がある。 先日、中野区大和町の蓮華寺 (日蓮宗)に寄ったが、今日は杉並区の蓮華寺だ。、、、、、こちらは、真言宗室生寺派の天沼山蓮華寺である。 如意輪観世音菩薩(如意輪蓮華峰王)が本尊である。 開創は室町時代と伝えられているそうだ。 昭和37年(1962)に建立された本堂には不動明王坐像と昭和19年(1944)出羽湯殿山から請来した不動明王の立像が安置されている。、、、、、、同名の“蓮華寺”は、都内には、ここ杉並区本天沼の他に、中野区大和町(日蓮宗)、中野区江古田(日蓮宗)、文京区白山(日蓮宗)、台東区谷中(日蓮宗)、江戸川区江戸川(新義真言宗)、板橋区蓮根(真言宗智山派)、葛飾区鎌倉(本門仏立宗)、豊島区駒込(顕本法華宗)など、など、まだあるかも?

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・・・・・・・・・・ 蓮華寺の北、 天沼児童公園(本天沼2)の角に、享保2年(1717)の銘がある意安地蔵尊が祀られている。、、、、この辺りは、戦前までは田畑の広がる農村であったかも?

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旧早稲田通り ・・・・・・・・・ 下井草2丁目と3丁目の境に伸びる通りが旧早稲田通り。 この通りは、本天沼二丁目交差点から下井草駅前をとおり、西武池袋線の保谷駅へと伸びている。、、、、、今日は本天沼二丁目交差点から下井草駅まで歩いてきた。

・・・・・・・・・・ 松下橋で妙正寺川を越える。 川の水は台風18号の影響もなかったようで、スッカラカンのチョロチョロ。

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・・・・・・・・・・ 見るべきものもなく、ひたすら歩くと駅に着いた

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下井草駅 ・・・・・・・・・・・ 昭和2年(1927)4月16日に開業した西武新宿線の駅。 相対式2面2線の駅で、平成19年(2007)に現在の新駅舎が完成した。

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2017年9月15日 (金)

刀剣博物館

朝一番の予約で墨田区の病院で、皮膚科の検診を受けてきた。 病気の方は特に異常なしで結果オーライ 、、、、、帰りは、安田庭園、両国駅前を通り、両国橋を渡り浅草橋の我が家へ戻った。 スタコラ歩けば、20分程の距離である。



刀剣博物館 ・・・・・・・・ 病院を出たら目の前に新しい建物ができている。 これまでは仮囲いの中で『何やらやってるな』とみていたが、今日は仮囲いも撤去され、工事も最終段階のようだ。 ここは、旧安田庭園の一角で、本所公会堂(両国公会堂)の跡地。、、、、新しい建物は、槇総合計画事務所の設計、戸田建設の施工による、地上3階建て鉄筋コンクリート造、建築面積約1080m2の刀剣博物館である。、、、、博物館は戦後に設立された「日本美術刀剣保存協会」の建物となり、国宝、重文を含む約190点の刀剣・刀装具・甲冑などが、来年1月から随時展示公開されるらしい。、、、、、私は、来年春に次回定期検査があるので、立ち寄るのが楽しみである


・・・・・・・・・・・・・正面玄関前には工事用の車両が停まり、チョイと写真撮影には邪魔だ!

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・・・・・・・・・・ 刀剣博物館と同じ位置に正面玄関があった本所公会堂(両国公会堂)(2013年撮影)、、、、、公会堂は安田財閥の寄付金をもとに、震災の記も生々しい大正15年(1926)に竣工した。 隣接する被服廠(現:東京都慰霊堂)では、数万人もの焼死者が出たので、この建物は復興の象徴のように映ったと思われる

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・・・・・・・・・・ 旧安田庭園からみる刀剣博物館 、、、、、同じ位置から見る公会堂。 今と昔、どちらがいいかな?

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・・・・・・・・・・ 旧安田庭園は、江戸時代、本庄氏(常陸笠間藩、のち丹後宮津藩)の下屋敷であった。 元禄年間に大名庭園として築造され、安政年間に、隅田川の水を引いた潮入回遊庭園として整備された。 明治に入り、旧岡山藩主池田章政の邸宅であったが、明治22年(1989)には安田財閥の祖である安田善次郎が所有することとなった。 大正11年(1922)に東京市に寄贈された。 現在は墨田区が管理している。

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大相撲秋場所 ・・・・・・・・・ 幟がなびき客を迎える、秋場所だ!、、、、オヤ!何やら恥ずかし気に背を見せてなびくは、白鷗(休場)、日馬富士(3勝3敗)、鶴竜(休場)、稀勢の里(休場)、高安(休場)、豪栄道(5勝1敗)、栃煌山(1勝5敗)の幟。

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両国駅  ・・・・・・・・・ 昨年秋に駅舎は改装され、複合飲食施設「-両国- 江戸NOREN」がオープンした

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●・・・・・・・・・・ 私の足は両国橋で隅田川を渡り、我が家へ向かう

2017年9月14日 (木)

谷塚

東武伊勢崎線の谷塚駅から竹ノ塚駅まで、1万1千歩の散歩



谷塚駅 ・・・・・・・・ 東武伊勢崎線で東京都から埼玉県に入って最初の駅が谷塚駅(やつかえき)。 隣の、東京の最後の駅は竹ノ塚駅、、、、、大正14年(1925)10月1日に開業した駅。 現在は1面2線の緩行線と、それを挟むように両外側に通過線がある高架駅、、、、、草加市谷塚は主に住宅地であるが、高級マンション、豪邸のたぐいは見られず、所々に畑も点在しする処。 駅は通勤・通学で、朝は乗車する人、夜は降車する人が多い、メリハリの利いた駅。 
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・・・・・・・・・・ 駅前ロータリーを囲むように、高層マンション・量販店・銀行・信用組合などが並ぶ東口

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・・・・・・・・・・ 西口の駅前は、何もない大きな空き地、タクシーのこないタクシー乗り場、これぞ埼玉の歓楽街と思わせる小さな雑居ビルもある。

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・・・・・・・・・・ 西口駅前の空き地から見る東口の高層マンション 、、、、、何かの間違いで建ててしまったのか?

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・・・・・・・・・・ 歓楽街(?)の裏には「谷塚西口商店会」がある 、、、、、『好きです この町』のキャッチフレーズが、わざとらしく感じた。

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宝持院 ・・・・・・・・・ 谷塚駅から南西の方角にチョイと歩くと、真言宗豊山派寺院の長久山宝持院がある。 江戸時代初めに建立された寺院で、以来谷塚の人々の菩提寺として、宝灯を守っている。 現在の本堂は、平成4年(1992)に建てられた。 境内には四季の花々が咲くそうで、桜と銀杏が自慢できるそうだ。、、、、本尊は大和の長谷寺の十一面観音を模した 御丈八尺有余の金色に輝く大観音様 、、、、、、手入れも行き届き、美しさを感じることができる寺

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谷塚氷川神社 ・・・・・・・・・ 草加市谷塚町の南端に位置する神社。 天保年間(1831~1845)に創建されたそうだが詳細は不明。 下谷塚村の鎮守さま

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谷塚の畑 ・・・・・・・・・ いずれ住宅地に変身するのか?

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埼玉県から東京都へ ・・・・・・・・・ 埼玉県と東京都の境を流れる毛長川谷塚橋で越えて、足立区東伊興の町に入る

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・・・・・・・・・・ 対岸には、足立清掃工場の煙突が見える

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●・・・・・・・・・・ この後は、今年の5月18日に伊興の寺町を歩いているので、こちらを見てね!




●・・・・・・・・・・ 秋の色になった柿
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2017年9月13日 (水)

再び北品川

一昨日の散歩で、島倉千代子の墓を見ずに帰ったことが気になり、今日の散歩は再び墓地に寄って、東海寺に参拝することにした。 JR大崎駅から京急新馬場駅まで、1万歩の散歩です。



大崎駅・・・・・・・・ 明治34年(1901)、日本鉄道品川線の駅として開業し、昭和の時代までは山手線だけが発着する普通の駅の一つであった。  それが、平成の世になると、埼京線、湘南新宿ライン、東京臨海高速鉄道のりんかい線が乗り入れ、駅前には大規模再開発で巨大なオフィスビルが立ち並んだ。 平成元年の乗降客数は一日約7万人であったが、平成27年には42万人程と急激に増加した。、、、、、都会に住む田舎者となった私は、今朝のラッシュ時に大崎駅に降りると、ホーム上は改札に向かう人で身動きできず。 エスカレータに乗って立ち止まると、後ろから怒鳴り殺されるような恐怖を感じた。
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大崎駅から東海寺大山墓地へ・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・ 大崎駅を出て、西側のペデストリアンデッキを歩く
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・・・・・・・・・・ 「音は聞こえど姿は見えず、ほんにお前は屁のような」、、、、、高架上を疾走する新幹線、その下の盛土を走る横須賀線、どちらも下の道からは見えない! 
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・・・・・・・・・・ 第一三共品川研究開発センターの脇を通り、目黒川に出る。、、、、、川は汚れ、黒ずんでいる
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・・・・・・・・・・ 墓地の入り口、山手通りに架かり、京浜東北線・東海道線が走る目黒道架道橋。 ここから、線路沿いに徒歩1分。
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東海寺大山墓地・・・・・・・・・ 所在地は品川区北品川4

・・・・・・・・・・ 墓地の所々に、曼殊沙華が咲く大山墓地。 今日は、“お千代さん”の墓参りにきたのだが、さて、見つけることができるかな?
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・・・・・・・・・・ 墓地に入ると、一昨日来た井上勝の墓の方から私と同年代と思われる70歳前後の男性がこちらに来る。 私は墓地の管理人と思い頭を下げ、『おはようございます。』 先方からは、『おはようス、おたくもお千代さんの墓参りですか?』 その瞬間、声も出ず、『エッ、なぜ判るの!』 返事する間もなく、先方はすれ違って行ってしまった。 あの方は、カラオケ好きで、中高年熱烈ファンの一人だったかも?、、、、、、ここで、私の鋭い勘がはたらき、井上勝の墓へ向かう。



・・・・・・・・・・ 『ナント、俺はバカ、アホ、ドジのマヌケなんだ、尻の毛が抜け真っ赤っかだ。』、、、、、一昨日来た時に、井上勝の墓の前に、『こんなところに、ペットの慰霊碑を建立し、邪魔だな!』と思ったものが、“お千代さんの墓”だった。、、、、、歌手の墓石によくある、音符と歌詞を彫ったゴチャゴチャしたものではない、綺麗な黒の石で、高さも低い上品な造りの墓石に、綺麗な花が供えられてる。 「島倉千代子」の名は墓石の裏に小さく彫られていた。、、、、、、名が見えなかった、ペットの慰霊碑と間違えたのも無理はない、許す! 『間違えてゴメン、安らかにお眠りください』と、謝りながら合掌。

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・・・・・・・・・・ 墓石の後ろから撮影すると、吾輩がいかに慌て者か?、、、、半円の石の裏に小さく「島倉千代子」の名が見える。 墓と向かい合わせで「鉄道記念物 井上勝 墓」の表示がある。

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・・・・・・・・・・ 話のついでに、、、、、島倉千代子の出身は、東京市品川区北品川で、地元である。 また、この墓は生前に建てられたそうだ。



・・・・・・・・・・ もう一つ、ついでの話、東海寺は地元の寺であるから、島倉家の御先祖の墓も、場所は離れているが、この墓地にある。 その墓石には、施主として名が記されてた。



・・・・・・・・・・ せっかく、再び参上した墓地なので、今日は一昨日紹介しなかった著名人の墓を御案内。 明治の実業家:西村勝三の墓、江戸時代の暦学者:渋川春海の墓、江戸時代の国学者:本居内遠(もとおり うちとよ)の墓、江戸中期の儒者にして文人:服部南郭先生の墓、肥後熊本藩細川家家臣と一族の墓石、利休居士追遠塔など、など、、、、、古い墓がイッパイ。

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東海寺・・・・・・・・ 『今日は是非とも、お参りするぞ!』と、やってきた、、、、臨済宗大徳寺派の東海寺は、寛永15年(1638)徳川家光が沢庵和尚を招聘して開山した。 寺領5千石、境内地4万7000坪を賜った別格本山格の寺院で、臨済宗大徳寺派の江戸触頭であった。 明治維新で廃寺となったものを、かつての塔頭玄性院が旧跡を引き継いで現在に至る。、、、、、明治通りに面し、超高層マンションの谷間に参道がある。 参道の奥、砂利を敷いただけの境内中央に木造の古学殿、鐘楼がある。 鐘楼は元禄5年(1692)に、名工と言われた幕府の御用鋳物師である椎名伊代守良寛によって造られたそうだ。

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品川神社・・・・・・・・ 新馬場駅前、第一京浜を挟み鳥居が見える小高い丘の上に鎮座する神社。(北品川3)、、、、文治3年(1185)、源頼朝が安房国州崎明神を勧請し、創建した。 寛永14年(1637)三代将軍徳川家光公により東海寺が建立され、品川神社がその鎮座と定められた。 元禄7年(1694)・嘉永3年(1850)の二度の社殿焼失の際には、時の将軍の命により再建が行われる等、徳川将軍家の庇護を受けました。 明治元年(1868)11月には明治天皇が新都・東京の安寧と国家の繁栄を祈願しるために、当社を含んだ都内の神社を「准勅祭神社」と定めた。 そして、大東亜戦争では、幸い神社は戦火を免れることができた。 しかし、社殿の老朽化は進み、昭和39年(1964)現社殿が鉄筋コンクリート造で再建された。

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・・・・・・・・・・ 神社の社殿裏に、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだ板垣退助の墓がある。 この地は、元は東海寺の塔頭:高源院があった所である。 高源院は関東大震災後、世田谷区烏山に移ったが、墓所は板垣の意向を汲み(?)現在地に残されたそうだ。、、、、、、墓所は薄暗くチョイとジメジメ、観光地とするには無理かな?

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新馬場駅・・・・・・・・・ 明治37年(1904)、京浜電気鉄道の南馬場駅、北馬場駅として開業した。 北馬場駅は目黒川の北側(現:北品川)に、南馬場駅は川の南側(現:南品川)に、それぞれの駅が川を挟んで在った。 駅間の距離は200m程しかなく、昭和51年(1976)の高架化工事に合わせ統合し、“新馬場”駅が誕生した。、、、、改札口は旧北馬場駅、南馬場駅の駅舎位置にあり、ホームは目黒川の上にできている。、、、、、ホームは長く、有効長は200m程の長さである。

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2017年9月11日 (月)

北品川

JR品川駅港南口に出て、北品川のチョイト人通りの少ない処をブラブラし、大崎駅まで、1万1千歩の散歩です。



品川駅港南口 ・・・・・・・・・ 新宿駅西口、東京駅丸の内などと並ぶオフィス街となり、朝は改札口から出てくる人の流れが途切れることはない。 私も流れに乗って、駅から再開発地区「品川インターシティ」を通り抜けてきた。、、、、、高所恐怖症の人は、超高層ビルでの執務は、どうしてるのか、怖くないのかな?
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昭和の家並み・・・・・・・・ 北品川1丁目、旧東海道品川宿の東側に屋形船などを係留している船溜まりがある。 その一画、十数軒程の板張りの住宅が、昭和の路地裏を守り残している。 石を敷いた路地には、草木も置かれ、タイムスリップした感じだ。


・・・・・・・・・・ 船溜まりの先、マンションの谷間に木造住宅が密集している

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・・・・・・・・・・ 半分は空き家となったようだ、、、、、残して欲しいこの景色

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・・・・・・・・・・ 船溜まりに架かる北品川橋  大正14年(1925)竣工

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開かずの踏切・・・・・・・・ 北品川駅ホーム南端脇の踏切


・・・・・・・・・・ 9時0分撮影。 この後、上下10本程の列車が通過。 途中で無理やり遮断機をくぐり、横断する人もいた。

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・・・・・・・・・・ 9時10分撮影。 10分前と同じ人が何人いるでしょうか?、、、、、6人は判るはずです

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・・・・・・・・・・ 慣れた人は、踏切脇で待機

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旧英国公使館跡・・・・・・・・・・ 幕末に高杉晋作や伊藤博文・井上馨などの長州藩士により、品川の御殿山で当時完成間近であった英国大使館の焼討ちがあった。 この時の大使館(公使館)跡は、現在の「権現山公園」あたりである。


・・・・・・・・・・ 京急北品川駅前の品川女子学院校舎脇の道を入り、階段を上ると郵政官舎がある。 ここが旧英国公使館跡と言われているが、現在は遺構、案内板、碑石など跡を標すものは一切ない。 ちなみに、官舎の住人も知らなかった。

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・・・・・・・・・・ 官舎の西隣にマンションがあり、さらにその隣に東海道線に沿って崖上の小さな公園がある。 公園からは、崖下の東海道線線路を挟み、向かい側に御殿山が見える。 これが権現山公園(北品川3-9)である。 公園は、もともと東海寺(3代将軍家光により創建された臨済宗大徳寺派の寺院)の境内で、現在の御殿山と連なる高台であった。 その御殿山を切りさくように鉄道(東海道線)が敷かれたのである。、、、、、只今、公園はJRの耐震工事で崖を修復中につき御殿山が見通しにくい。

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目黒道架道橋・・・・・・・・・ 権現山公園のある高台から、南側の区立品川学園校舎を回るように下ると山手通りにでる。 通りの向かい側に東海寺が見えるが、今日は素通りし大崎駅へ向かう。、、、、、あとで、東海寺に寄ってくれば良かったと後悔することになった


・・・・・・・・・・ 東海道本線が山手通りを越える目黒道架道橋がある、、、、竣工時期不明だが、私の推測では昭和初期かな?

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・・・・・・・・・・ 橋をくぐると、橋脚の脇に「官営品川硝子製作所跡」の碑があった。、、、、、明治6年(1873)、日本で最初の西洋式硝子工場がここに設立された。 しかも、この地も東海寺境内である。、、、、、寺の境内で、ビール瓶などを御国が製造したそうだ。 明治はいい時代だった!

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東海寺大山墓地・・・・・・・・ 目黒道架道橋の隅にもう一つ私を引き付けるものがあった


・・・・・・・・・・ 「東海寺大山墓地」の案内板。 なんと、沢庵和尚、賀茂真淵、井上勝、などの墓がここにある。、、、、、、あの素通りしてきた寺の墓だ、私の足は戻りたくない! 失敗、失敗、大失敗! 後悔先に立たず、食うかい歯で噛めず。

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・・・・・・・・・・ とりあえず、今日は墓を見学することにした、、、、、墓地は現在の東海寺とは離れて、品川駅の南で山手線(新幹線)と京浜東北線(東海道線)が分かれる、股裂き状態の位置(北品川4-11-8)にある。 ここも、昔から東海寺の境内だったそうだ。

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・・・・・・・・・・ 沢庵和尚の墓、、、、沢庵は但馬国(現:兵庫県)出石町生まれた、江戸時代初期の禅僧。 37歳で大徳寺の住持となる。 寛永6年(1629)、紫衣事件で幕府に抗弁書提出し、咎められ出羽上山藩に流罪となる。 二代将軍の秀忠の死により許されて京都へ帰る。 三代将軍の家光は江戸に東海寺を創建し沢庵を迎えいれた。、、、、、墓石には大きなたくあん石!

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・・・・・・・・・・ 賀茂真淵の墓、、、、江戸中期の国学者で、『万葉集』の研究を始め、国学・復古神道の普及に努めた。 弟子は300人以上いたそうだ。 鳥居もある立派な墓だ。

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・・・・・・・・・・ 日本の鉄道の父:井上勝の墓、、、、明治4年(1871)に初代の鉄道頭となり新橋~横浜間の鉄道を開通させた。 墓の横に東海道新幹線が通る。 墓は鉄道記念物に指定されている。

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・・・・・・・・・・ 私の散歩は下調べなしの“ぶっけ本番”である。 「後で気がつく癲癇病み」で、ここの墓地に『東京だョおっ母さん』の島倉千代子も眠っているそうだ。 手を合わせたかった、残念、無念、大失敗!! 




●・・・・・・・・・・ 大崎駅から帰宅

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2017年9月 7日 (木)

高円寺~鷺ノ宮

一雨降りそうな曇り空。 行先の当てもなく高円寺駅で下車し、気持ちは北に向かい歩きはじめる。 西武新宿線鷺ノ宮駅付近に来ると、ポツリポツリと降ってきた。 散歩は此処まで。 1万歩



高円寺駅・・・・・・・・・ ホームに立って、『何処へ行くか?』考えるが、答えは毎度同じで『とりあえず改札口を出てから考えよう』
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・・・・・・・・・・ 駅北口の「高円寺純情商店街 」の前に立ち、『この商店街は以前に歩いたし、純情な娘もいなかった、今日は別な道を歩こう!』、、、、ということで、線路わきから北東に伸びる、B級商店街を歩く

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高円寺北の町・・・・・・・・・ 商店街からはずれ、高円寺北3丁目・4丁目の裏道を歩く


・・・・・・・・・・ 裏道に入ると、昭和のアパート:「ときわ荘」があった。 『ん、どこかで聞いた名前だ!』 豊島区南長崎に手塚治虫、藤子不二雄らが住んでいたアパートも「トキワ荘」だ!

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・・・・・・・・・・ 懐かしい洋間のある住宅。 大正から終戦まで、都会の住宅では玄関わきに客の応接用に小さな洋間の部屋をつくることが流行った。

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・・・・・・・・・・ 高円寺北4丁目には、かつて気象庁の気象研究所があった。 研究所は昭和55年(1980)に筑波に移転し、跡地が昭和60年(1985)に馬橋公園として整備された。 大きな公園で、地元のお年寄りのオアシス。

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・・・・・・・・・・ 公園の隣には、官舎と思われる集合住宅が3棟、ペンペン草の中に閉鎖され解体されるのを待っている。 建物が役割を終え、壊されるのを待つ光景は、住んでいた人の物語などを想像すると、悲しく寂しいものである。

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Aさんの庭・・・・・・・・ チョイとかわった名前:「Aさんの庭」の公園は、阿佐谷北5丁目にある小さな可愛い公園(約830㎡)で、平成22年(2010)に開園した。 「Aさん」とは特定した人物ではなく“皆さん”と言うことらしい。、、、、、ここにはかつて、昭和初期の杉並の文化・生活を今に伝える貴重な住宅があった。 庭にはバラが咲くかわいらしい住宅だったそうだが、平成21年(2009)2月、火災により住宅は焼失してしまった。 その跡地に、宮崎駿監督の公園デザインによる区立公園が整備された。、、、、、、トイレと防災倉庫を兼ねる建物の外観は、赤い素焼きの屋根瓦と茶色の外壁、そして白い窓枠により住宅風のデザインである。 また、周囲はかつてのバラが咲く庭を思い出させるように草花が彩っている。

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泉光山蓮華寺・・・・・・・・・ 早稲田通りを越えて、杉並区から中野区大和町に入ると、日蓮宗の大寺、泉光山蓮華寺がある。 朱塗りの山門をくぐり、鬱蒼とした樹林と自然の湧水池が創るに静かな境内が出迎えてくれる。 蓮華寺は、増山弾正少弼正利の母で徳川家綱外祖母のむらさき(法名:泉光院殿妙澄日行)と、増山正利の妹女毛利刑部少弼室(法名:蓮華院殿妙通日香大姉)開基となり、万治元年(1658)関口台町(文京区)に創建、幕府より寺領20石を拝領した。 明治44年(1911)現在地へ移転した。
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・・・・・・・・・・ 本堂横に「山荘の碑」がある。、、、、、、“山荘”は山屋敷・切支丹屋敷ともいわれ、キリスト教徒を禁固した初代切支丹奉行井上政重の別邸(文京区茗荷谷)のことである。 徳川幕府はキリスト教を厳しく取り締まった。 切支丹屋敷は、寛永20年(1643)に密入国した布教者(伴天連)のうち、マルケスやキアラほかの棄教者を収容し、宗門改などの情報を集めたそうだ。 のちに一人で密入国したシドッティを収容、これを訊問した新井白石が「西洋紀聞」を書いたことは有名である。 シドッティは、鎖国の理由となった侵略説を否定、近代科学への目をひらかせるなど、白石に大きな影響をあたえた。、、、、、この碑は、屋敷が大江政晴のものとなったとき、獄死した人びとをいたんで建てられたわが国の文化史上重要なもので、後に蓮華寺に移された。、、、、日蓮宗の寺に、キリスト教徒の死を悼む石碑とは、“日本人の心”。
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・・・・・・・・・・ 中野区には、日蓮宗の蓮華寺は2寺ある。 一つは江古田の星光山蓮華寺。 もう一つが、ここ泉光山蓮華寺。、、、、“星”と“泉”の一字違いである。 お間違えなきように!




妙正寺川・・・・・・・・ 中野区大和町4丁目で妙正寺川に出た。、、、、、杉並区妙正寺公園内で発し、高田馬場で神田川に合流する一級河川。 近年、浸水対策が積極的になされている川である。、、、、、、今日は水量も少なく、川はチョロチョロ。

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鷺ノ宮駅・・・・・・・・ ポッリポッリ、落ちてきた! 川沿いに鷺ノ宮駅へ向かう。 どうにか濡れる前に、西武新宿線の鷺ノ宮駅に到着。
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2017年9月 4日 (月)

雨の散歩

今朝、我が家から見上げる空はどんより曇り空。 NHKのお天気お姉さんは、“東京は午前中晴れ”。 ここは美人を信じ、“今は曇っているが、昼に向かい青空が出てくる”と、自分に言い聞かせ散歩に出ることにした。 もちろん傘は持たず、降られたらスグに帰れる処を歩こう。、、、、浅草橋駅のホームで、何処へ行くか悩み、迷い、降りた駅は、東武伊勢崎線の小菅駅。 駅はすでに雨の中。 “通り雨だ、スグ止むだろう”と、自分で天気予報を行い、西へ向かい散歩を開始する。 歩けども歩けども雨は止まず、途中でギブアップ。 雨中、びしょ濡れで梅島駅に到着。 びっちょり濡れた色男の、8千歩の散歩となった。



小菅駅・・・・・・・・・ 『雨の降りはじめた小菅駅に降り立つ、哀愁をおびた一人の男。 じっと見つめる先には東京拘置所の塔』、映画にありそうなオープニング・シーン。 その気になってホームに立つが、藤純子似の女性は現れず、現実に戻り散歩することにした。
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雨が止むことを期待して・・・・・・・・・ 小菅駅から西の方角:日暮里舎人ライナーの扇大橋駅を目指し裏道を歩く、、、、この頃、雨は止むと思っていたので、足立の町を余裕で写真撮影。

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雨は止みそうもない・・・・・・・・ 雨粒は絶え間なく落ち、カメラは濡れてきた、ハンチングも濡れてきた、服はまだ大丈夫だ、Tシャツから出た腕は湿っている、、、、、近くに駅はあるか? どこかにバスが走ってないか? 雨が強くなったら帰れるか、不安がよぎる。

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・・・・・・・・・・ 店の前で“Welcome”、、、、、ゴメン、飲めないのだ!

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・・・・・・・・・・ “くもじい”と“くもみ”がよろこびそうな、とんがった家

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商店街があった・・・・・・・ 梅田1丁目と2丁目の境を東西に通る、長さ350m程の「ゆめろーど千代田商店街」  『雨宿りを兼ね喫茶店でコーヒーでも飲んで温まろう。』と、商店街を歩けど、喫茶店がない。 コンビニもない。 端から端まで雨の中を寂しく歩く哀れな男となった。、、、、、昭和の匂いが残る質屋、製麺所などの建物が残ってた。

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ギブアップ・・・・・・・・ 雨足は強くなり、いよいよ下着を通し肌も濡れてきた。 もう、我慢できない! 帰るぞ! 近くにバス停はないようだ。 東武の梅島駅が最も近いらしいが、20分程歩かねばならない。、、、、軒先を借り雨宿りしていると、美女がスーとあらわれ、私に赤い傘を差しだし、『お兄さん、よければ、駅まで御一緒に』と声をかけてくる、てなことを想像して小降りになるのを待ったが、無駄であった。

・・・・・・・・・・ 梅田3丁目の石不動堂   小堂の中には石製の不動尊坐像が安置されているそうだ。、、、、、堂が大きければ、ここで雨宿りさして貰うのだがね。

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・・・・・・・・・・ 凄い降り、しばし軒下で雨宿り

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・・・・・・・・・・ 走って梅島駅に飛び込む、、、、、気がつけば、ビショビショ。 帰りの電車の中では、風邪をひくかも、風邪がこじれ肺炎になるかも、肺炎に気付くのが遅れ死ぬかも、不安が不安を呼び、長~~い、長~~い、帰り路となった。

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2017年9月 3日 (日)

矢切市川

秋風が吹き始めたようだ! 爽やかな風の下、今日は夫婦で散歩。 北総線矢切駅で下車し、栗山の給水塔、里見公園、弘法寺、手児奈霊神堂を巡り総武本線市川駅まで歩いてきた。、、、、、私一人では、度々訪れている処で、道も熟知した散歩コース。 妻は、小学校の遠足依頼、50年ぶりに歩くコース。 私は、終始、ガイド役をつとめ、チョイと『お疲れさん』



矢切駅から柳原水閘まで・・・・・・・・

・・・・・・・・・・ 矢切駅前にはコンビニがなく、水分補給用に自販機のお茶を購入し、散歩を始める。、、、、、約20年前に、何もない北総台地に、突然、鉄道とニュータウンができた北総線沿線では、『〇〇銀座商店街』と言うような駅前商店街が永久にできそうもないね!
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・・・・・・・・・・ 現在も松戸市・市川市へ配水している栗山配水塔(土木遺産)  昭和12年(1937)竣工の塔は、空襲もまぬがれ当時の姿をそのまま保ち活躍中。 水道水には変わらぬが、この塔から配水される水は、一味違うかも?

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・・・・・・・・・・ 配水塔裏の竹藪を江戸川に向かって下る。、、、、チョイとハイキング気分

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・・・・・・・・・・ 江戸時代の創建である日枝神社の階段下に出てきた。

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・・・・・・・・・・ 神社の隣は、 日蓮宗の本久寺、、、、大きな寺ではないが、古くからある村の寺というような感じだ!

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・・・・・・・・・・ 民家の庭には、ザクロが色づいていた。

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・・・・・・・・・・ 江戸川土手(柳原排水機場)の前に、明治期に煉瓦で造られた樋門「柳原水閘(やなぎはらすいこう)」が保存されている。 4連アーチの見事な樋門で、国の産業遺産であり、土木遺産でもある。

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・・・・・・・・・・ 江戸川土手にあがり、土手上の道を二人で歩く、、、、、日活青春映画の吉永小百合と浜田光夫の気分(?)

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・・・・・・・・・・ 右手対岸は東京都葛飾区。はるか先にはスカイツリーも見える

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・・・・・・・・・・ 左手は、河川敷の畑の先に、栗山配水塔のある台地が見える

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・・・・・・・・・・ 歩く先には、市川駅前の超高層住宅も望める。 道端にはコオロギが出てきた。 今年はじめての御対面!

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国府台天満宮、里見公園から和洋女子大前まで・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・ 江戸川土手を離れ、里見公園に向かう、チョイとその前に国府台天満宮にお立ち寄り。 天満宮は文明11年(1479)に、当地の鎮守として太田道灌が建立した。、、、、♪♪ 村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日 ドンドンシャララ ドンシャララ ♪♪と歌いたくなる神社。
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・・・・・・・・・・ 里見公園の高台からみる江戸川、、、、、東京が小さく見えるね。
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・・・・・・・・・・ 里見公園は桜の名所だが、園内にはバラ苑もあるので、チョイト拝見!

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弘法寺から市川駅まで・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・ 和洋女子大前から国府台の台地に入ると、木内ギャラリーがある。、、、、ここは、木内重四郎という政治家の邸宅であった。 現在は、森の中に鹿島建設の社員寮が建っている。 その一角に、時計台のある西洋館を改修したギャラリーがある。 素晴らしい環境だ!

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・・・・・・・・・・ 市川駅の北に位置する国府台台地の上にある、日蓮宗の真間山弘法寺(ままさんぐほうじ)、、、、、山門前に立つと、台地の上から市川駅方向が良く見通せる。 いい眺めだ!

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・・・・・・・・・・ 弘法寺から台地を下ると、、、、「手児奈」という美しい女性を祀った、手児奈霊堂がある。 美しい女性のため、賽銭を奮発し、懇ろに手を合わせてきた。

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・・・・・・・・・・ 市川駅に到着、、、、、駅で、大根、生姜、インゲン、ミョウガなどを買い、電車に乗って帰宅。 妻と歩くと、出先で野菜・惣菜などを購入することが多く、“男は恥ずかしいね!”  あっ、忘れてた、海苔の佃煮も買ったね!

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2017年9月 1日 (金)

震災記念日

9月1日は「防災の日」だ、中高年には「震災記念日」と言ったほうが、通りがいいかも。 終戦直後に生まれた私にとっては、、、、、9月1日は、前日の夜までに、やっとこ終わらせた夏休みの宿題をもって登校する日で、昼からは震災記念堂(現:東京都慰霊堂)に参り、屋台で水鉄砲・綿あめ・ヨーヨー風船を買ってもらう日であった。 生まれて70年間、隅田川を挟み震災記念堂の対岸(浅草橋)に住む私は、今でもほぼ毎年慰霊に訪れている。 今日も、朝から焼香に行ってきた。



震災記念堂まで・・・・・・・・ 浅草橋から震災記念堂までは、蔵前橋を渡り隅田川を越えれば、20分程で行くことができる。 

・・・・・・・・・・ 通勤のサラリーマンが駅から散らばる8時過ぎに、『チョクラ、行って来る』と家を出た。
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・・・・・・・・・・ 創建は推古天皇9年(601)頃と言われている須賀神社(台東区浅草橋2)。  遠い昔の当時、この地に疫病が流行したとき、このあたりの森に牛頭天王を祭った祠があり、その祠に郷の人々は病気平癒を祈った処、尽く快気した。 以来、江戸時代には 祇園社、蔵前牛頭天王、団子天王、笹団子天王、などと呼ばれ、経済力のある氏子の札差らに支えられ 祭礼も盛大に行われた。 そして明治時代の神仏分離令により、天台宗東叡山寛永寺真鏡山宝現院大円寺より分離され、須賀神社と改名した古社である。、、、、、、社殿は、関東大震災の災失、第二次世界大戦の焼失のため  昭和36年(1961)鉄筋コンクリート造にて再建された。

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・・・・・・・・・・ 須賀神社の裏には、知る人も少なくなったが、関東大震災までは閻魔堂があったそうだ。、、、、、江戸時代に華徳院という閻魔王を御本尊とする寺があった、この寺が閻魔堂である。 下谷坂本の善養寺、内藤新宿の太宗寺 と共に江戸三大閻魔のひとつに数えられ、参拝客でにぎわったそうだ。 華徳院は現在は杉並区に移り、かつて閻魔堂が在った場所(浅草橋2:玩具会館)の植え込みに小さな石碑が立っている。、、、、閻魔さまが残っていれば、名所の少ない浅草橋にとっては、浅草の観音さまと勝負できる観光名所になったかも(?)

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・・・・・・・・・・ 創業は文久2年(1862)、江戸時代から続く佃煮の老舗「鮒佐」。 大正3年(1914)創業の、扇子・団扇の専門店「松根屋」。 ともに、須賀神社の並びです。、、、、、、江戸の味と文化を残す老舗がしっかりとある、『ちょいとおいでよ浅草橋』

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・・・・・・・・・・ 江戸通りの隅田川寄りには榊神社 (蔵前3)がある。、、、、、こちらの神社にも手を合わせ、お賽銭10円分の幸を祈る。

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・・・・・・・・・・ 榊神社の先で隅田川に出て、蔵前橋を渡る

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震災記念堂・・・・・・・・ 墨田区横網町公園に建つ東京都慰霊堂 。 「震災記念堂」とは、昭和51年(1976)までの呼称である。 この年、第二次世界大戦における空襲で死亡した遺骨も合祀し、「東京都慰霊堂」と改称した。、、、、本堂は文化勲章を受章した伊東忠太の設計によるもので、200坪の講堂と三重塔を持つ寺院風の建築である。 三重塔は高さ約41mで、基部は納骨堂となっている。 講堂には祭壇があり、震災死亡者、空襲死亡者の霊をそれぞれ合祀した巨大な位牌が2基祀られている。 施工は戸田組(現:戸田建設)。、、、、、今日は式典が行われることは想定していたが、それ以前に行けば焼香できると思っていたが、あまかった! “秋篠宮ご夫妻が参列”されその警備、“朝鮮人犠牲者への小池百合子都知事や山本亨墨田区長が今年から追悼文をやめた件”でのイザコザなどで、やたらめったら警備が厳重だった。

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・・・・・・・・・・ 今日は、式典前に来たのだが本堂の最前列に置かれた焼香台には近寄れず、遠くから手を合わせる

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・・・・・・・・・・ 三重塔の下にある納骨堂の方は、特に厳重に警備する様子もなく、焼香できた。

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・・・・・・・・・・ 警察・消防・赤十字など関係機関から多くの人が出て、震災の犠牲者を慰霊する都の大法要、震災時に「虐殺」されたとする朝鮮人らを追悼する団体の式典、その犠牲者数に疑義を唱える団体の慰霊祭などが、行われていた。、、、、静かに、厳粛に、慰霊したかった一般の参列者にとっては、納得できない「震災記念日」であったかも?

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