北品川
①品川駅港南口 ・・・・・・・・・ 新宿駅西口、東京駅丸の内などと並ぶオフィス街となり、朝は改札口から出てくる人の流れが途切れることはない。 私も流れに乗って、駅から再開発地区「品川インターシティ」を通り抜けてきた。、、、、、高所恐怖症の人は、超高層ビルでの執務は、どうしてるのか、怖くないのかな?




②昭和の家並み・・・・・・・・ 北品川1丁目、旧東海道品川宿の東側に屋形船などを係留している船溜まりがある。 その一画、十数軒程の板張りの住宅が、昭和の路地裏を守り残している。 石を敷いた路地には、草木も置かれ、タイムスリップした感じだ。
・・・・・・・・・・ 船溜まりの先、マンションの谷間に木造住宅が密集している
・・・・・・・・・・ 半分は空き家となったようだ、、、、、残して欲しいこの景色
・・・・・・・・・・ 船溜まりに架かる北品川橋 大正14年(1925)竣工
③開かずの踏切・・・・・・・・ 北品川駅ホーム南端脇の踏切
・・・・・・・・・・ 9時0分撮影。 この後、上下10本程の列車が通過。 途中で無理やり遮断機をくぐり、横断する人もいた。
・・・・・・・・・・ 9時10分撮影。 10分前と同じ人が何人いるでしょうか?、、、、、6人は判るはずです
・・・・・・・・・・ 慣れた人は、踏切脇で待機
④旧英国公使館跡・・・・・・・・・・ 幕末に高杉晋作や伊藤博文・井上馨などの長州藩士により、品川の御殿山で当時完成間近であった英国大使館の焼討ちがあった。 この時の大使館(公使館)跡は、現在の「権現山公園」あたりである。
・・・・・・・・・・ 京急北品川駅前の品川女子学院校舎脇の道を入り、階段を上ると郵政官舎がある。 ここが旧英国公使館跡と言われているが、現在は遺構、案内板、碑石など跡を標すものは一切ない。 ちなみに、官舎の住人も知らなかった。
・・・・・・・・・・ 官舎の西隣にマンションがあり、さらにその隣に東海道線に沿って崖上の小さな公園がある。 公園からは、崖下の東海道線線路を挟み、向かい側に御殿山が見える。 これが権現山公園(北品川3-9)である。 公園は、もともと東海寺(3代将軍家光により創建された臨済宗大徳寺派の寺院)の境内で、現在の御殿山と連なる高台であった。 その御殿山を切りさくように鉄道(東海道線)が敷かれたのである。、、、、、只今、公園はJRの耐震工事で崖を修復中につき御殿山が見通しにくい。
⑤目黒道架道橋・・・・・・・・・ 権現山公園のある高台から、南側の区立品川学園校舎を回るように下ると山手通りにでる。 通りの向かい側に東海寺が見えるが、今日は素通りし大崎駅へ向かう。、、、、、あとで、東海寺に寄ってくれば良かったと後悔することになった
・・・・・・・・・・ 東海道本線が山手通りを越える目黒道架道橋がある、、、、竣工時期不明だが、私の推測では昭和初期かな?
・・・・・・・・・・ 橋をくぐると、橋脚の脇に「官営品川硝子製作所跡」の碑があった。、、、、、明治6年(1873)、日本で最初の西洋式硝子工場がここに設立された。 しかも、この地も東海寺境内である。、、、、、寺の境内で、ビール瓶などを御国が製造したそうだ。 明治はいい時代だった!
⑤東海寺大山墓地・・・・・・・・ 目黒道架道橋の隅にもう一つ私を引き付けるものがあった
・・・・・・・・・・ 「東海寺大山墓地」の案内板。 なんと、沢庵和尚、賀茂真淵、井上勝、などの墓がここにある。、、、、、、あの素通りしてきた寺の墓だ、私の足は戻りたくない! 失敗、失敗、大失敗! 後悔先に立たず、食うかい歯で噛めず。
・・・・・・・・・・ とりあえず、今日は墓を見学することにした、、、、、墓地は現在の東海寺とは離れて、品川駅の南で山手線(新幹線)と京浜東北線(東海道線)が分かれる、股裂き状態の位置(北品川4-11-8)にある。 ここも、昔から東海寺の境内だったそうだ。
・・・・・・・・・・ 沢庵和尚の墓、、、、沢庵は但馬国(現:兵庫県)出石町生まれた、江戸時代初期の禅僧。 37歳で大徳寺の住持となる。 寛永6年(1629)、紫衣事件で幕府に抗弁書提出し、咎められ出羽上山藩に流罪となる。 二代将軍の秀忠の死により許されて京都へ帰る。 三代将軍の家光は江戸に東海寺を創建し沢庵を迎えいれた。、、、、、墓石には大きなたくあん石!
・・・・・・・・・・ 賀茂真淵の墓、、、、江戸中期の国学者で、『万葉集』の研究を始め、国学・復古神道の普及に努めた。 弟子は300人以上いたそうだ。 鳥居もある立派な墓だ。
・・・・・・・・・・ 日本の鉄道の父:井上勝の墓、、、、明治4年(1871)に初代の鉄道頭となり新橋~横浜間の鉄道を開通させた。 墓の横に東海道新幹線が通る。 墓は鉄道記念物に指定されている。
・・・・・・・・・・ 私の散歩は下調べなしの“ぶっけ本番”である。 「後で気がつく癲癇病み」で、ここの墓地に『東京だョおっ母さん』の島倉千代子も眠っているそうだ。 手を合わせたかった、残念、無念、大失敗!!
●・・・・・・・・・・ 大崎駅から帰宅
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