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2017年10月

2017年10月31日 (火)

池上本門寺

今朝は、おっかなびっくり目を覚まし、鼻血が出ていないことをまず確認。 『出血していないようだ、さすが天下の東京医科歯科大だ!』、と感謝。、、、、安心して散歩できそうなので、久しぶりに池上本門寺に行ってきた。 1万1千歩の散歩です。



西馬込駅 ・・・・・・・・・ ほぼ49年前の昭和43年(1968)11月15日に、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業した。 ホームは第二京浜(国道1号)の地下にあり、相対式2面2線の終着駅だが、車止めは無い。 線路は500m程先の本門寺崖下にある車両基地:馬込車両検修場 へと続く。
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・・・・・・・・・・ ホームは国道1号の地下にある

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池上本門寺 ・・・・・・・・ 弘安5年(1282)9月、病身の日蓮は身延山を出て、湯治のために常陸(茨城県)へ向かう。 途中、武蔵国池上郷(東京都大田区池上)の池上宗仲の館に立ち寄る。 この地で、日蓮は生涯最後の数日間を過ごすこととなる。 池上氏館の背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源という。 日蓮聖人はその後大坊本行寺で入滅し、池上宗仲は69,384坪を寄進して現在の池上本門寺の礎を築いた。、、、、慶長年間には徳川家康から寺領100石をうけた他、加藤清正や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となった。、、、、、大田区の中央にそびえる池上の山上に本門寺はある。 山城のような処で、見晴らしがよい。


・・・・・・・・・・ 元禄年間(1688~1704)の建立と言われる「総門」と、96段の石段坂「此経難持坂」が表参道正面に見える。

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・・・・・・・・・・ 息を切らして階段を上ると、昭和52年(1977)に再建された、鉄筋コンクリート造の「仁王門」が見える。  高さ17.2m。

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・・・・・・・・・・ 仁王門の奥に、昭和39年(1964)に再建された鉄筋コンクリート造の「大堂」(祖師堂)がある。 棟高27.27m。、、、、、浅草寺に似ているね。

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・・・・・・・・・・ 「経堂」は空襲による焼失をまぬがれた、天明4年(1784)の建物。 内部には回転する八角形の書架があり、一切経が収められていた。

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・・・・・・・・・・ 仁王門の右手に、高さ31.8m、空襲による焼失をまぬがれた「五重塔」がある。 江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局の発願により、慶長13年(1608)に建立された。 空襲で被災した本門寺にあっては貴重な建物で、重要文化財に指定されている。

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・・・・・・・・・・ 大堂の後ろ、道路(紅葉坂)を挟み、昭和44年(1969)に建てられた、鉄筋コンクリート造、棟高14.4mの「本殿」がある。

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・・・・・・・・・・ 本殿の左手奥に「日蓮聖人御廟所」がある。 かつて、御真骨堂があったそうだが、空襲で焼失したそうだ。 今は、御灰骨を奉安しているそうだ。

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・・・・・・・・・・ 今日の散歩では、一番時間を費やしたのが墓地探しである。 広い墓地の中を行ったり来たり、何か所かの墓を巡ってきた。


・・・・・・・・・・ 加藤清正室と前田利家室の層塔 、、、、層塔は、生前に自身のために逆修供養した塔 、、、、本物のカラスがとまっている塔が前田利家室の層塔

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・・・・・・・・・・ 次は、幸田露伴の墓、、、、小説『五重塔』を書いた露伴の墓は五重塔の脇にあった。

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・・・・・・・・・・ 肥後熊本細川家の側室の宝塔 、、、、並びたつ二名の宝塔

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・・・・・・・・・・ 出羽米沢藩上杉家の墓 、、、、、上杉家四代綱憲室の墓。 私は、墓の主がどんな人物か知らない。 ゴメン!

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・・・・・・・・・・ 戦後、ニュース、新聞で御存じの人も多いはず、政界を賑わしたあの政治家、大野伴睦の墓がある。

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・・・・・・・・・・ 伴睦の墓の近くには仲良しであった、ロッキード事件の児玉誉士夫が眠っている。

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・・・・・・・・・・ そしてもう一人、伴睦が後援者であり、プロレスコミッショナーを努め、葬儀委員長であった、あの力道山の墓も近くにある。

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・・・・・・・・・・ 戦後、映画界の貴公子として色男を演じた八代目市川雷蔵の墓が本門寺にあるはずだ。 『眠狂四郎』、『陸軍中野学校』など、観た人も多いはず。 華奢な躰で美女と濡れ場のシーンは忘れられないね、いつか自分もと、羨ましかった。、、、、、あっちゃ、こっちゃ、行きつ戻りつ、墓を探してみたが見つけることはできなかった、残念!




池上駅 ・・・・・・・・ 大正11年(1922)、池上電気鉄道が当駅と蒲田駅間で開通したとき同時に開業した。 開業時は、寺社詣でが観光の目玉であった時代、本門寺への参拝客を運び、おおいに賑わったであろう!

・・・・・・・・・・ まずは駅前参道で、お土産に“くず餅”を買って

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・・・・・・・・・・ 昔、懐かしい木造駅舎に向かう。

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・・・・・・・・・・ みんな仲良く一つのベンチにすわり、いいね!

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・・・・・・・・・・ 電車が来た!

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2017年10月30日 (月)

残念! 散歩は休みです

台風一過の青空を期待し、爽やかなお目覚め、『今日は歩くぞ!』。・・・・・・まず洗顔し、食事し、出発!、、、、と思い、ベッドから出て洗面台に向かったら、ポタ、ポタ、鼻血。 おい、おい、止まらない。 アリャ、アリャ、コリャ大変! ダラ、ダラの大出血サービス! 鼻を押さえたら、口から出血。 プロレスラーのごとく顔に血が付き、床には血がたれ、この姿を見た妻が急ぎ119番通報。・・・・・・・ 救急隊に御足労願い、東京医科歯科大へ搬送された。 鼻の粘膜が弱くそこからの出血であった。 数か所の鼻腔粘膜焼灼術を受け、止血に成功!、、、、、、と言うことで、今日は、我が家で休養を取ることにしました。

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2017年10月26日 (木)

秋山~本八幡

久しぶりの青空。 北総線秋山駅から総武本線本八幡駅まで、1万3千歩の散歩です。



秋山駅・・・・・・・・ 今から26年前の平成3年(1991)に開業した駅。 北総台地に、掘割状で半地下式に造られた、相対式ホーム2面2線の駅である。 駅前ロータリーに、地下鉄の出入口に似た駅出入口がある。、、、、いまだに駅前には、コンビニが無い、喫茶店が無い、そば・ラーメン屋が無い、呑み屋が無い、何にも無い。 これからの寒い夜、帰宅する独り者は胃袋を温めることができるのかな?
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高塚八幡神社 ・・・・・・・・・ 秋山駅の南東へ800m程歩くと、県道180号線(松戸原木線)に面して鳥居が見える。 松戸市高塚新田にある高塚八幡神社である。 チョイと長い参道の両側には雑草と樹木が茂り、奥へ進むと県道の騒音も消され、静かな境内となる。、、、、、高塚八幡神社は源義経が木曽義仲を追討した宇治川の合戦で活躍した名馬「生月(いけずき)」が眠る塚の上に祀(まつ)られており、「高塚」の地名の由来になっている。 平安時代からこの地域は小金牧という馬の放牧地で、この合戦で先陣争いをした佐々木高綱と梶原景季が乗った名馬・生月と摺墨(するすみ)も小金牧産だったそうだ。 

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梨香台団地 ・・・・・・・・・ 高塚八幡神社の南側にある梨香台団地は、昭和50年(1975)に建てられた、戸数960戸(10棟)の旧住宅公団の団地。 団地周辺には梨を栽培する梨園が多く、自家栽培の果物・野菜などと共に道路沿いで売る農家が多い。 この辺りは、昭和45年(1970)の高塚団地、昭和50年の梨香台団地の完成により人口が急増し、昭和47年(1972)には、日本初の5階建て校舎となった松戸市立梨香台小学校が創立されたそうだ。 小学校にはエレベータはなかったと思われる、児童には良き足腰の運動となったであろう。 老いた先生は辛かったかもね? なお、昭和55年度の梨香台小学校は、27学級、生徒数1034名、教職員41名だったそうだ。

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④高塚新田にて ・・・・・・・・ 松戸市の最南端:高塚新田の町、、、、、住宅の間に点在する梨園、、、、、梨園を整地した跡か?広い空き地、、、、、鳥の餌場か?柿の木

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木戸口庚申塔 ・・・・・・・ 八幡から市川大野へ向かう県道51号沿いに、素晴らしい庚申搭が3基祀られている。(市川市下貝塚2) 文政11年(1828)、享保17年(1732)、享保5年(1720)と、200年前から300年前の庚申塔が良好な状態で残されているのだ。

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所願寺 ・・・・・・・・・ 所願寺は市川市宮久保にある、寛文6年(1666)の創立の日蓮宗の寺院。 境内の案内板によると、同寺の縁起は次のように記されている。 『江戸時代、一人の貴女が病を患って都を離れ、近くの美女ヶ崎に流れ着いた。 村人はこの貴女を助け所願寺に住まわせた。 のちに近くの村に移り住み、法華経を信仰して、中山法華経寺で祈祷を受け、病癒え、出家し一寺を建立した』 、、、、アレ? 村人が助け住まわせたのが所願寺、後に建立したのが所願寺(?)。 なんだか変だ。 

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白幡神社 ・・・・・・・・・ 市川市宮久保の台地の上に鎮座する誉田別命・竹内宿禰・天満天神を祀る白幡神社。 創建は文明18年(1486、=室町時代)以前と言われている。 県道に面し参道入口の階段があり、そこを上ると八幡地区を一望する台地の上に立つことができる。 ここから、社殿までは台地の縁に沿って細い参道を歩く。、、、、、、社殿は平成元年(1989)10月21日に竣工した。 奇しくもこの日は、私(雅万歩)の43歳の誕生日であった。(たまたまの偶然ですね!)

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真間川 ・・・・・・・・ 平成7年(1995)8月に竣工した宮久保橋を渡り、一級河川:真間川を越える。 ここ辺りの真間川は農業用水路の幅だ、これでも「一級河川」?、、、、、橋を渡り、本八幡駅までは、もう一頑張り!

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本八幡駅 ・・・・・・・・・・ 総武本線本八幡駅に到着。 久しぶりに青空の下、気持ち良い散歩ができた。

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2017年10月23日 (月)

増水した隅田川

朝7時半、台風21号は我が家の頭上を素通りし、水戸の付近らしい、東京はまだ暴風圏内である。 雨は上がったようだ、水溜まりを避けながら、久しぶりの散歩は、隅田川の様子を見に行くことから始める。
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隅田川の増水 ・・・・・・・・・・ 『台風で増水した隅田川を見てみよう!』と、隅田川テラスに来たら、私より先に国土交通省の人と警察官が先着していた。 隅田川が増水しているため、テラスは立入禁止と告げられた。 『でも、地元のよしみでチョイト入れて!』と、言ったつもりでテラスから撮影してきた。

・・・・・・・・・・ 総武線隅田川橋梁の橋脚、かなり上まで水位が上がっている。(3枚目の写真は同じ位置で昨年撮影した、平常時の水位)

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・・・・・・・・・・ 水位はテラスの歩道の高さまであり、水につかっているところもある。 『これより先に行かないでください。』と言われ、素直にこの場を離れることにした。

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・・・・・・・・・・ 柳橋から離れ、厩橋へ向かう。 『場所を変えれば、テラスを歩けるかも?』。 あきらめないぞ!、、、、、只今、塗装の塗り替え工事中の厩橋でも、テラスに出ることは警察官に制止され、橋上からパチリ!

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・・・・・・・・・・ 厩橋を渡り、墨田区側のテラスに行ってみよう。、、、、墨田区側には、警察官がいない。 しめしめ! テラスの歩道を歩いてみた。、、、、、『あぶないから行かないでください。』と言われると、行きたくなるのが野次馬だ! 

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・・・・・・・・・・ 墨田区側のテラスを歩き駒形橋に向かい、橋を渡って台東区へ戻る。

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隅田川沿いの建物 ・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・ lucite gallery、、、、柳橋にある、昭和を代表する芸者歌手だった故・市丸の旧邸宅を改装したギャラリー。 古美術品・アンティークの展示を見ながら、コーヒーを一杯。、、、、市丸の「三味線ブギ」(昭和24年)は忘れられない盆踊りの一曲。 ♪♪ 三味線ブギで シャシャリツシャンシャン さあさ 踊ろよ ブギウギ うきうき 浮いた浮いたよ シャシャリツシャンシャン ~~~♪♪、、、、昭和40年代ぐらいまでは右隣にも同じような造りの料亭「いな垣」があった。 この辺りは花柳界「柳橋」の中心で、私には懐かしい街である。
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・・・・・・・・・・ 蔵前交差点の南側、ビルのコーナーに「メタセコイア」の木が、高くまっすぐ伸びているのが目に入って来る。 このビルを建てた記念に植えたそうだ。、、、、この木を見ると、いつも言いたくなるのだが、『年末になると電飾で飾りクリスマスツリーにして欲しいね!』 浅草橋の名所になるかも?

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・・・・・・・・・・ 蔵前にある日本聖公会の浅草聖ヨハネ教会。 昭和4年(1929)に献堂された、鉄筋コンクリート造2階一部3階建のゴシック様式の教会。 国の登録有形文化財である。

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・・・・・・・・・・ 駒形橋東詰(墨田区)の高速道路に下にある旧駒形橋交番。 現在は地域安全センター。 昭和初期(昭和3年頃らしい)に作られた交番の一つである。

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・・・・・・・・・・ 駒形橋の西詰(台東区)には、浅草寺の本尊:聖観音像が現れた地とされる駒形堂がある。 現在の堂は鉄筋コンクリート造、方三間、宝形造で、平成15年(2003)に建て替えた。 堂は元来は隅田川に向いて建てられていたが、現在の堂は江戸通り側を正面とし、川には背を向けた形になっている。

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・・・・・・・・・・・・・・・駒形堂の境内に、「戒殺碑」(かいさつのひ)がある。 “この地は、観音様が出現した聖なる場所であるから、殺生(魚を獲る)を禁じる”という主旨の碑。 碑は元禄6年(1693)に浅草寺権僧正が建立したものである。 関東大震災後の昭和2年(1927)に土中から発見された。、、、、、“魚を獲るな”とは、近くのどぜう屋、うなぎ屋はどうしたのかな?

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・・・・・・・・・・・・・駒形堂の近く、雷門前の通りに面し旧岡三証券浅草支店のビルがある。 昭和10年(1935)に建てられた鉄筋コンクリート造3階建ての、このビルは当初「河合ビル」として建ち、戦後は埼玉銀行が使用し、その後岡三証券が使用し、現在はギャラリーとして使用されている。

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雷門 ・・・・・・・・ 久しぶりに雷門前の浅草文化観光センターに入り、最上階から雷門を見下ろしてきた。

・・・・・・・・・・ 浅草文化観光センターとは、、、、、平成24年(2012)に台東区がつくった、雷門の前にある観光案内施設です。 最上階の展望テラスからは浅草寺、東京スカイツリーが望める。、、、、、建物は、オリンピックの国立競技場を手掛けた隈研吾(くまけんご)の設計。

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・・・・・・・・・・ 浅草文化観光センターから見る雷門と仲見世・浅草寺

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●・・・・・・・・・・ この後、観音様に手を合わせて帰る。 今日の散歩は9千歩

2017年10月18日 (水)

文京シビックセンター

循環器内科の診察日。 いつものように、後楽園のクリニックで診察を受け、帰りはチョイト寄り道を! 文京シビックセンターに寄ってきた。 8千歩のミニ散歩。



後楽森ビル ・・・・・・・・ 文京区後楽の住宅金融支援機構ビルと、トヨタ自動車東京本社ビルに挟まれ、私が通うクリニックが入っている地上19階/地下5階建ての「後楽森ビル」がある。 森ビルの北側は水戸徳川家の上屋敷であった名勝「後楽園
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小石川砲兵工廠 ・・・・・・・・・ 庭園の「後楽園」を中心として、南側は外堀通り、東側は白山通り、北側は春日通り、西側は後楽1丁目と2丁目の境の道路に囲まれた広いエリアが旧陸軍の「小石川砲兵工廠」の跡地である。 現在の後楽園遊園地、ドーム、講道館、文京シビックセンター、中央大学理工学部、小石川運動場、トヨタ自動車本社ビル、などなど、みんな小石川砲兵工廠の敷地内である。、、、、、今日はこの辺りをぶらついてきた。


・・・・・・・・・・ 東京都戦没者霊園、、、、、、、砲兵工廠の中にあった陸軍工科学校の跡地に戦後造られた、満州事変~大東亜戦争までの東京の英霊16万柱を祀る霊園

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・・・・・・・・・・ 戦没者霊園の東隣に礫川公園がある。、、、、、公園は小石川台地の東端に造られており、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅」の出入口も公園に接している。 昭和39年(1964)、東京都が公園を造成し、翌年、区に移管されました。 公園は、東から西に上る高低を活かし、3段のひな壇形式に造られている。

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・・・・・・・・・・ 礫川公園のひな壇の階段脇に、知る人ぞのみ知る煉瓦作りのトンネル、旧東京砲兵工廠射撃場がある。 写真(上):左端の階段のさらに左側の斜面に、明治16年から18年頃に造られたと思われるトンネル射撃場の出入口がある。  写真(下):トンネルは雑草の茂る奥に、入ることができないよう柵で囲われている。 トンネルは約280mあり、戦後は小石川トンネル射撃場と名前を変え、ライフル射撃の練習場としてオリンピックの予選なども開かれたが、平成11年(1999)に閉鎖された。  現在は国有未利用工作物として関東財務局東京財務事務所が管理している。

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文京シビックセンター ・・・・・・・・・・文京区役所の本庁舎が入居する文京シビックセンターは、文京公会堂の跡地に平成11年(1999)に竣工。 地上28階/地下4階、高さ142m。 設計:日建設計、施工:清水建設・戸田建設・五洋建設・浅沼組・岩田建設・日本建設。 23区の区役所として建物高さは高い建物である。 ついでに、お値段の高さは、建築費389億円で、高いか?安いか?

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・・・・・・・・・・ チョイと25階の展望室に上ってみることにした。 高所恐怖症の私には人一倍の勇気を振り絞りエレベータに乗った。 足下は見ないように、クワバラ・クワバラ・ナムアミダブツ。

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・・・・・・・・・・ まずは、浅草橋の方向を見る。、、、、『我が家は見えないな~~、もう少し大きな家を建てればよかった。』、ひとり言

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・・・・・・・・・・ 下を見ると、地下鉄が顔を出してきた!

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・・・・・・・・・・ スカイツリーの押上方向。 手前は本郷。

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・・・・・・・・・・ 中央に小石川植物園が見える。 この方角が北。

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・・・・・・・・・・ 池袋方面、左に見える道路は春日通り。

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・・・・・・・・・・ 新宿方面、左下の緑は後楽園、右手前の建物は中央大学理工学部。

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2017年10月17日 (火)

亀戸銭座

午後になって、何日ぶりかで雨が上がった。 3時過ぎから、錦糸町駅から亀戸駅まで、総武線の北側を歩いて“ミニ散歩”



錦糸町 ・・・・・・・・ 錦糸町駅南口は昭和36年(1961)に建てられた民衆駅ビルで、地上7階/地下1階の建物であるが、数度のリニューアル工事で古さを感じさせない駅ビルである。
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・・・・・・・・・・ 南口からガードをくぐり、駅の北側:錦糸公園に向かう、、、、、錦糸公園は関東大震災前の陸軍糧秣厰倉庫跡で、震災時にはここに約1万人の遺体が仮埋葬されたそうだ。 震災後、復興公園として整備された。、、、、、震災で亡くなった人を思うと、公園の中を歩くにも、チョイトいいかげんな歩きができないね!

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・・・・・・・・・・ 錦糸公園の東側:横十間川に架か錦糸橋 。 橋を渡ると江東区亀戸の町である。

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亀戸銭座 ・・・・・・・・・ 錦糸橋を渡ると、横十間川沿いの左側にUR亀戸2丁目団地が見える。 この団地の敷地は、江戸時代、寛文8年(1668)から安永2年(1773)の間の約100年間、当時の通貨である寛永通宝が作られていた銭座の跡である。 銭座はその後、明治40年(1907)に日清紡績株式会社の本社工場の敷地となり続いたが、戦時中の空襲で焼け野原となった。 戦後は運動場として利用され、昭和42年(1967)に旧日本住宅公団の団地が建設された。 この時、団地の一角に野球場が造られ、地下には東京都水道局亀戸給水所の配水池も作られた。、、、、、団地建設の際は敷地内から、寛永通宝が多数発見されたそうだ。


・・・・・・・・・・ 水道局亀戸給水所の正面ゲート前にある「亀戸銭座」の碑。、、、、、この付近に生息していたのが銭亀である。 甲羅には寛永通宝の模様があったとか。 本当のような、ウソの話である。

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・・・・・・・・・・ 水道局亀戸給水所の正面ゲートの右隣には、 黒褐色の「日清紡績創業の地」 の碑がある。、、、、、現在の日清紡は綿紡績から、エレクトロニックス、ブレーキ、精密機器に事業をシフトし、グループ全体で23,000名以上の従業員を抱える大企業グループである。

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・・・・・・・・・・ 亀戸銭座と日清紡績創業の地の碑がある、東京都水道局亀戸給水所は江東区亀戸2丁目にある。、、、、、空から見るとUR亀戸二丁目団地の中央に江東区営亀戸野球場が見える。 この球場の下に半地下式の配水池が造られている。  この給水所は、地域への配水を担うとともに、震災時には給水拠点となるため、配水池は縦横約 104m、高さ約 7m、貯水量 60,000m3のRC構造物である。 (施工はフジタ)、、、、、野球場は、近隣住民が騒音に悩まされないよう配慮し、ナイター使用はできないとのこと。



・・・・・・・・・・ 団地から見た給水所。 右側のグランドの下が配水池、左手前の屋根上にカマボコが3個並んでいるのが給水所の建屋。

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・・・・・・・・・・ 給水所建屋

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・・・・・・・・・・ 配水池(配水池そのものは、グランドの下で見えない。 想像して!)

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・・・・・・・・・・ 亀戸給水所を囲むように、UR亀戸二丁目団地が建っている。 昭和43年(1968)完成、鉄筋コンクリート造11階建て、総戸数806戸。

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都営亀戸第二アパート ・・・・・・・・ UR亀戸二丁目団地の東側にチョコンと建つ、江東区では古い都営アパート。 昭和36年(1961)建設、全18戸。、、、、、ボロボロ!

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亀戸天神 ・・・・・・・・ 時刻は5時過ぎ、誰もいない天神様に手を合わせて帰ることにする。

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亀戸駅 ・・・・・・・・・ 暗くなった亀戸駅前の裏道を歩き駅へ

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2017年10月12日 (木)

見沼代親水公園~草加

秋を求めて見沼代親水公園駅から草加駅まで歩いてみた。 1万1千歩。 “秋”はどこかに隠れ、暑い日差しの中、汗も吹き出し“夏”が再来したようだ。、、、、2年程前に、今日と逆に草加から見沼代親水公園まで歩いていた。 重なって立ち寄った処もある。



日暮里舎人ライナー ・・・・・・・・ 今日も車両の先頭に座り、子供の視線を感じながら、窓にかじりつく親爺
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・・・・・・・・・・ 終点、見沼代親水公園駅です。

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・・・・・・・・・・ 見沼代親水公園駅は東京23区の最北端の駅、この先には駅はなく、軌道も天に向かいチョン切れている。

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都県境 ・・・・・・・・・・ 見沼代親水公園駅から200m程歩くと、水質はキレイと言えない毛長川が流れ、その先80m程で東京都足立区と埼玉県草加市遊馬町の境となる。、、、、境には標識があるのみで、もちろん、“線”はひかれていない。

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庚申塔 ・・・・・・・・・ 遊馬町(東)交差点の一角に2基の庚申塔がある。 右の庚申塔は文化10年(1813)と彫られている。 左右共に見事な庚申塔である。、、、、、中央、下半身が埋もれているのも庚申塔かも?

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・・・・・・・・・・ 庚申塔の向かい側には天王社が祀られている。 詳細は不明?

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西願寺 ・・・・・・・・ 浄土宗の西願寺(さいがんじ)は、遊馬山一行院と号す。 西願寺は、元和元年(1615)の創建と言われている。

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遊馬町の秋 ・・・・・・・・ 柿とザクロは実も心も色づき、食べてくれる人を待っている。

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柳島町の石仏 ・・・・・・・・・ 草加市柳島町、県道103号に面し、覆屋の中に2基の石仏が並んでいる。 左は庚申塔らしい明暦2年(1656)と彫られている。 右は何だろう(庚申塔かも?)寛文4年(1664)である。、、、、、判読の難しい状態となっている。 できれば、チャンと説明文を書いておいて欲しいね。 

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・・・・・・・・・・ 道路を挟み向かい側のマンションの際に小さな石仏が祀られている。、、、、、 こちらは、50cmほどの像で、コリャなんぞや? 地蔵さんかな?、、、、、写真を撮るのに腰を低くして、『ア、イテ・テ・テ!』、また腰を痛めたか? 歳だから腰は大切にしないと、妻が悲しむかも?

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柳島調節池 ・・・・・・・・・ 草加市、川口市を流れる辰井川は、昭和55年から河川整備と調節池、排水機場の工事を進め洪水調整機能を整備している。 その一つが柳島調節池である。 大雨などによる辰井川の氾濫を防ぐ目的で、調節池が造られている。 普段は、柳島遊水緑地として、地元市民の釣り場であり、運動公園である。、、、、、水車小屋風の排水機室がかわいらしい。

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C56機関車 ・・・・・・・・ 国道4号(日光街道)をこえ草加駅に近づくと、草加神社の参道脇に氷川中公園がある。 園内にC56110が保存されている。 昭和12年(1937)に三菱造船で誕生し昭和44年(1969)まで約32年間旅客貨物用として活躍した列車である。 最高時速は75Kmで運転され、廃車となるまでは、1,730,888.9km(地球45周)走破した機関車である。、、、、、、塗装も綺麗に静態保存されている。 どうも、近くの保育園児に人気があるようで、園児を避けて写真を撮るのに苦労した。 園児もかわいいが、先生もかわいいね!

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草加神社 ・・・・・・・・・ 草加市氷川町にある草加神社の創建年代は不詳。 天正年間(1573~1592)に大宮氷川神社を勧請、氷川社と称して創建し、南草加村の鎮守社であったと言われている。 明治6年村社に列格、明治42年(1909)に谷古宇稲荷神社、高砂八幡神社、宿篠葉神明神社など近隣の11社を合祀、草加神社と改称した。、、、、、現拝殿は平成16年(2004)に改築された。 また、本殿は天保(1830~1843)の建物である。、、、、、もう七五三の準備は万全かな?

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草加駅 ・・・・・・・・ 西口に到着、暑い・暑い散歩であった!

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2017年10月11日 (水)

清川~八広

今日も夕食前の散歩。 台東区の北、かつて“山谷”と呼ばれた地、「清川二丁目」バス停で降り、白鬚橋を渡り東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅前を抜け、京成押上線八広駅まで、1万歩の散歩です。



アサヒ商店街 ・・・・・・・・・ 清川二丁目バス停で降りると、清川二丁目交差点から東に橋場交番前まで353m程の地味なアサヒ商店街がある。 アサヒ会通りと称する歩道のあるバス通り沿いに、派手な看板・飾りも少ない店舗が、途切れ途切れに並ぶ静かな商店街である。 付近には、かつて“ドヤ”と呼ばれた簡易宿泊所もあり、ドヤ住まいと思われる人も食料品を求め買い物をする光景が見られる。、、、、私の先を歩く労務者風の人が、突然、歩道の植木に向かいズボンを下げて放尿を始めた。 この瞬間、我が目は見てはいけないものを見た。 秋の味覚:高級松茸だ、今年は生育が悪く小ぶりであった。 『オイ、オイ、空はまだ明るいぞ、植木に水をやるのは、暗くなってからにしろ!』 商店街には“山谷”の時代の光景が残っていた、感動の一瞬であった。(残念ながら、この場面はカメラに収めてません。)

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橋場の裏通り ・・・・・・・・ 隅田川寄りの町「橋場」には、昭和の建物がまだ、まだ残っている。

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隅田川 ・・・・・・・・ 塗替塗装工事中の白鬚橋 を渡る、、、、、顔面に包帯を巻いた重症患者のような白鬚橋から、隅田川上流を望む。

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白鬚東アパ―ト ・・・・・・・・・ 墨田区の隅田川沿いに長さ1.2kmに渡って延々と団地が長城のごとく連なっているのが「白鬚東アパート」である。 「防災拠点」として、昭和47~61年(1972~1986)に掛けて18棟の団地が連結して作られた。、、、、、今だ、長城としての機能を発揮する機会なし、一度はその効果を見てみたいが、見ることなしに済めばありがたいね。

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トミンハイム墨田一丁目 ・・・・・・・・・ 墨堤通りを挟み白鬚東アパートの前に立つ、東京都住宅供給公社のアパート、300戸強が入居する14階建ての建物は平成12年(2000)の完成。、、、、、白鬚東、トミンハイムと巨大なアパートが建ち並ぶ光景は凄いね。

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首塚地蔵尊 ・・・・・・・・ 墨田2丁目の真言宗智山派寺院「正福寺」の寺内に首塚地蔵尊がある。 天保4年(1833)洪水の危険をふせぐため、隅田川橋場附近の川浚い工事において、川床より多くの頭骨が発掘された。 当時の正福寺の和尚は、この地に合葬、碑をたてて「首塚」といったと伝えられている。 この縁で、首から上の病いに功験があるからと、参詣の香華がたえないそうだ。、、、、、首から上の病とは?、、、、ボケ、ハゲ、蓄膿、顔面神経麻痺、ブス、白内障、思いついたまま書いてみた。

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鐘ヶ淵駅 ・・・・・・・・・・・私には忘れることのできない思い出(脱臼事件 )ある駅である。 今日は、夕暮れの駅をパチリ。

・・・・・・・・・・ まずは、鐘ヶ淵駅。 下り(北千住方面)は西口へ、上り(浅草方面)は東口へ
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・・・・・・・・・・ 駅前の踏切。 よそ見して、怪我しないように注意しましょう。

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・・・・・・・・・・ 駅周辺のお店。 派手な店、大きな店、カッコいい店、若者向けの店、いずれもありません。 あるのは、昔ながらの人情ある店ばかり。

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八広駅 ・・・・・・・・・ 国道6号(水戸街道)を横切って、薄暗い八広駅に到着

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2017年10月 9日 (月)

牛田~堀切

夕食前のミニ散歩と言うことで、夕日が出始めた頃、東武伊勢崎線牛田駅から一駅手前の堀切駅まで、電車を見ながら歩いてきた。



牛田駅 ・・・・・・・・ 急行・準急の優等列車は全て通過し、普通列車と区間急行・区間準急と名付けられた北千住~浅草間は各駅停車の列車が停まる都会のローカル駅。、、、、、降り立つと、なぜか“ホット”する駅である。
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駅前の店 ・・・・・・・・ 静かな駅前に、地元の人のみぞ知る、地元の名店、、、、、「中華そば」の暖簾がイイネ!

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東武と京成の交差点 ・・・・・・・・ 上を走る京成電車。 下を走る東武電車。

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堀切駅 ・・・・・・・・・・ “昭和”の匂いが残る駅。 哀愁をおびた駅。 私の好きな駅。、、、、、下り(北千住方面)は三角屋根の駅舎。 上り(浅草方面)は土手下の駅舎。 上下ホームを連絡する構内通路なんて、贅沢なものはないよ!

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2017年10月 8日 (日)

千駄ヶ谷~渋谷

夫婦で散歩です。 今日は妻のリクエストに応える処を案内し、千駄ヶ谷から渋谷までの散歩です。



千駄ヶ谷駅 ・・・・・・・ JR東日本では、東京オリンピック・パラリンピック開催時に多くの利用客が見込まれる、千駄ヶ谷、信濃町、原宿の各駅を、只今改良工事中。 千駄ヶ谷駅では、使用していない首都高側の臨時ホームを新宿方面の専用ホームに改良し、上下線のホームを別にする、改札口は新宿寄りに移設する。 さらに、改札口やコンコースを拡張して混雑緩和を図るほか、ホームドアを設置する。 臨時ホームは撤去され、首都高と線路の間に空間ができている。 今後、ここに新たにホームが造られる予定。 JRは3駅の改良工事に約250億円掛けるそうだ、オリンピックは金が掛かるね!
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東京体育館 ・・・・・・・・ 昭和28年(1953)東京都は渋谷区千駄ヶ谷にあった旧・葵会館の跡地に新しく都立体育館を建設すると発表。  昭和29年(1954)に総工費3億5千万円(当時の価格)にて旧東京体育館が完成した。 完成後は、アジア競技大会、東京オリンピックの会場としても使用された。 しかし、昭和61年(1986)に老朽化のため一時閉鎖し、平成2年(1990)に槇文彦の設計で現在の体育館がリニューアルオープンした。 収容人数は 10,000席(固定:6,000席、仮設:4,000席)である。、、、、2020年のオリンピックでも使用するそうだ。 既存施設の利用、大いに結構、コケコッコー。

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新国立競技場 ・・・・・・・・・ 只今、大成建設が頑張って一生懸命工事中。 スタンド部分の鉄骨が組みあがってきた。 凄い数のクレーンが林立し、まさに“地図に残る仕事”。

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鳩森八幡神社/将棋会館 ・・・・・・・ 昨今の将棋ブームを反映し、将棋は指せず、積み将棋しかできない我が妻も、藤井四段は知っている。、、、、『ナントかの森神社と、近くの将棋会館を見に行こう!』と、リクエストを頂戴し、一名様ご案内!、、、、まずは、鳩森八幡神社へ。 そして、隣りの将棋会館へ。

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瑞円寺 ・・・・・・・・・ 将棋会館から南東に100m程離れている、曹洞宗の瑞円寺は、高雲山金剛院と号す。 瑞円寺の創建年代は不詳であるが、徳川秀忠(1632年逝去)より寺領8石1斗の御朱印状を拝領したと言われている。 瑞円寺は千駄ヶ谷の総鎮守:鳩森八幡神社の別当寺。、、、、、広い、よく整備された境内は、見事な梅林(時季はずれで緑の葉だけ)や、椿、つつじ、萩なども植えられている。、、、、、境内には享保5年(1720)の銘のある庚申塔が残されている。

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神宮前の町 ・・・・・・・・ 瑞円寺から、神宮前3丁目・4丁目の若者の町をぶらつく。 原宿の竹下通りから広がり・続く町で、10代~30代くらいの若者を対象に商売する町である。、、、、我が夫婦のごとく、60歳を超えた人は、お呼びでない! 『チョイと疲れたので一休みしよう!』と思ったが、甘味処は無い。 50年前の名曲喫茶、純喫茶も無い。 あるのは、ハンバーガー、クレープ、アイスクリームの店とオープンカフェ。 しかも、どこも騒々しい姉ちゃんと、ダメージパンツの兄ちゃんで満員。 さらに、チャイニーズ、コーリアの若者も交じり、コリャ・ダメだ!、、、、表参道も超満員。、、、、とうとうボヤキが出た、『こんなことなら二人で柴又の帝釈天か、巣鴨のお地蔵様へ行った方が落ち着けたね!』

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渋谷駅到着 ・・・・・・・・・ とうとう休憩もとらずに渋谷駅到着。 ここも、大規模再開発の真最中。、、、、、今日の散歩は、我が夫婦も『都会に住む 田舎者』となったことを感じ、老いたことを感じ、チョイと疲れ体力の衰えを感じた。

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2017年10月 6日 (金)

千束

浅草橋駅前から東京駅発南千住駅西口行のバスに乗り、「清川二丁目」で下車。 台東区千束の町をぶらつき、浅草寺、雷門まで、1万1千歩の散歩です。
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ドヤ街 ・・・・・・・・ 台東区の北、日本堤と清川の町が接するあたりの地域はかつて「山谷(さんや)」と呼ばれた地区である。 大阪の釜ヶ崎、横浜の寿町と並び、日本の三大“人足寄場”の一つで、私が知る終戦直後の山谷は、日雇い労務者の集まる地区であった。 かつて、町の中心は、その労務者が寝泊まりする簡易宿泊所(通称:ドヤ)が並び、365日24時間、町中のいたるところで酒の匂いがし、日中の路上での賭博、所かまわず立ち小便、酔っぱらいの喧嘩など、女・子供にはチョイと怖い町であった。 男の私も注意して歩いた町であった。、、、、、今は、高齢化により皆さんおとなしくなったようだ。 簡易宿泊所の並ぶ道を歩いてみたが、路上で酒を飲む人、酔いつぶれる人は見られず、道路に人が出ていない。 清潔で、静かで、安心して歩ける街に変わった。
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吉原 ・・・・・・・・・ 『山谷に来たら 吉原も』と、訳の判らぬ寝言を言って、気持ちが誘う吉原へ、チョイト見物に立ち寄ってみた。


・・・・・・・・・・ 土手通りの「見返り柳」を目印に、タクシーの出てきた道を入ると吉原遊廓唯一の公式ゲート「大門」があった処。、、、、写真:ガソリンスタンド前が土手通りで、見返り柳も見える

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・・・・・・・・・・ 吉原遊廓の「大門」は今は無く、あるのは「よし原 大門」と記したポールが立つのみ。 ここが、吉原の中央通り、、、、、なぜか静かだ?

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・・・・・・・・・・ ソープランドが並び、各店の前では黒のスーツを着たお兄さんが手招きして客を呼び込んでいた光景が今日は見られない。 しかも、シャッターの下りている店もある。 静かだ、ひょっとすると一斉休業かな? それとも、ソープランド組合(?)の慰安旅行か?、、、、、、私なりに考えた答えは、『客引き禁止条例』の影響かも。 これで、安心して歩ける街になるのか。 でも、客引きのいない吉原は、静かすぎてチョイト寂しいね。

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・・・・・・・・・・ 遊廓街を挟み大門とは反対側の位置に吉原神社がある。 その昔の遊女・花魁も神社に手を合わせたのかな?  私も、かつて悲しい運命で泣いたであろう多くの遊女を偲び手を合わせる。

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飛不動 ・・・・・・・・ 吉原を抜けた台東区竜泉3にある飛不動(とびふどう)。 龍光山三高寺正寶院が寺の名。 享禄3年(1530)に創建の天台宗の修験寺院。 本尊は木造不動明王坐像で、「飛不動」の通称で知られている。 由来は、昔、寺の住職が大和の大峰山に本像を背負って修行に行ったところ、江戸の寺では本尊が留守のため、お不動様の分身に祈った。すると、お不動様は一夜にして当地へ飛び帰り、人々の願いを叶えたと伝えられている。 お不動様が飛行機に乗って帰ってきたようなものだ! そこで、近年は航空安全の守護神として、「航空安全」、「飛行安泰」のお札、飛行機の入った絵馬などもある。、、、、、ここでは、北朝鮮のミサイルが日本から反れるのを祈ってくれるのかな?

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お酉さま ・・・・・・・・・ 11月の酉の日は“お酉さま”。 今年は11月6日、18日、30日と三の酉まである。 火事に要注意!と言うことで、お酉さまの準備に忙しい聖地、鷲神社と長國寺に寄ってきた。 お酉さまは、神社と寺のコラボによる年の瀬のフェスティバル。


・・・・・・・・・・ 東京で“お酉さま”と言えば「鷲神社(おおとりじんじゃ)」。 鷲神社は天日鷲命、日本武尊をお祀りした由緒ある神社。 社伝によると天照大御神が天之岩戸に隠れたとき、天宇受売命が岩戸の前で舞い開いた時、弦(げん)という楽器の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だと喜び、以後、この楽器を扱っていた神様を鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命と称することとなった。 また、日本武尊が東夷征討の際、社に立ち寄り戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをした。 その日が11月の酉の日であり、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭、つまり「酉の市」である。、、、、、拝殿の“おかめ”は顔を撫でて笑顔になるよう祈るそうだ。 でも見方を変えると、“おかめ”は賽銭箱を見張り、お金が入ることに喜びを感じているのかも?

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・・・・・・・・・・ 鷲神社の北隣には、浅草酉の市の発祥の寺と称している長國寺がある。、、、、、長國寺は江戸時代初期、寛永7年(1630)に大本山:長國山鷲山寺の和尚によって、浅草寺町に開山された。 山号を鷲在山(じゅざいさん)寺号を長國寺(ちょうこくじ)と称す。 寛文9年(1669)には坂本伝衛門氏の後ろだてにより、吉原の西隣にあたる現在の地(台東区千束)に移転した。

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浅草寺 ・・・・・・・・・・・・最後は浅草寺で手を合わせ、新仲見世で買い物し、帰宅。

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2017年10月 5日 (木)

浅草橋~八丁堀

数日前に買ったズボンの裾上げができていることを思い出し、散歩がてら店に貰いに行くことにした。 我が家(浅草橋)から銀座まで、1万1千歩の歩きです。、、、、、浅草橋から銀座までは、表通りを普通に歩くと徒歩1時間程。 8時に我が家を出て、店が開く10時過ぎまでは、2時間以上あるので、隅田川沿いの裏道をウロウロ、キョロキョロ歩くことにした。



浅草橋駅 ・・・・・・・ 昭和7年(1932)7月1日に開業した総武線浅草橋駅。 都営地下鉄1号線(現:浅草線)の浅草橋駅 は昭和40年(1960)12月4日に開業した。、、、、、私が高校生のころ、駅前の江戸通りでは、開削工法で地下鉄工事が始まった。 当時の杭打ち工事には、音のうるさいディーゼルハンマを使用し、あの“ストーン・ストーン”と大きな音を響かせモンケン(重り)を落として杭を打っていた。 リズミカルな工事の騒音と、どのように造るのか好奇心もあり、学校帰りに工事現場に、度々、見に行った記憶が鮮明に残ている。、、、、、その駅部の工区は飛島土木(現:飛島建設)の施工であった。 そのゼネコンは、開通の年に私が入社した企業である。

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浅草橋 ・・・・・・・・ 神田川の最下流に架かる柳橋に次ぎ、下流から二番目に架かる橋。 現橋は昭和5年(1930)1月に開通した。 総工費27万7千円(上流の万世橋は35万円、下流の柳橋は12万1千円)で竣工した震災復興橋。 下部工の施工は間組(現:安藤ハザマ。、、、、、橋のシンボル・飾りというものがなく、印象の薄い橋である。 でも私にとっては、小学生の頃の遊び場(魚釣り)であり、忘れることのない橋である。

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・・・・・・・・・・ 浅草橋から柳橋を見る、、、、、手前の船宿あたりの川底に、総武快速線トンネルがある。 残念ながら見ることはできない。 

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浅草橋交差点 ・・・・・・・・ “江戸通り”と“靖国通り”が交差する処。 靖国通りは、正確には新宿大ガード東交差点から両国橋までである。 しかし通称として、浅草橋交差点から東側を“京葉道路(国道14号)”、西側を“靖国通り(都道302号)”と呼んでいる。

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薬研堀不動院 ・・・・・・・・・ 浅草橋交差点の周辺は中央区東日本橋の町である。 その町の中央に、真言宗智山派の寺院で、川崎大師東京別院でもある薬研堀不動院がある。 本尊の不動明王は、崇徳天皇の代、保延3年(1137)に真言宗中興の祖と仰がれる興教大師・覚鑁(かくばん)上人が彫り、紀州・根来寺に安置されたものである。 その後、天正13年(1585)、豊臣秀吉勢の兵火に遭った際、根来寺の大印僧都はその像を守護して葛篭(つづら)に納め、それを背負ってはるばる、隅田川のほとりの現在地に堂宇を建立し安置した。 これが現在の薬研堀不動院のはじまりです。 川崎大師の東京別院となったのは、明治25年(1892)のことである。

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・・・・・・・・・・ 扉の隙間からお姿をチラッと拝見、、、、、小さくてよく判らんね!

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・・・・・・・・・・ 境内には、身の丈六尺の遍路大師尊像を中央にして、右に「講談発祥記念之碑」、左に「順天堂発祥之地碑」がある。、、、、、、、昭和の時代に、ラジオ、TVで講談を聴く機会も多く、一龍齋貞丈、宝井馬琴などが出ていたが、昨今はTVで講談を聴く機会はとんとなくなり、寂しいかぎり!

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●浜町 ・・・・・・・・ ♪♪ 浮いた 浮いたの 浜町河岸に ♪♪ と歌われた浜町も、柳橋と共に戦後廃れ、今は芸者の姿を見ることがない町となった。 残念無念!

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清正公寺 ・・・・・・・・・・ 浜町公園内の狭い一角にある、日蓮宗の清正公寺は、熊本本妙寺の別院。 清正公寺は、文久元年(1861)に、細川藩主細川斎護が熊本本妙寺に安置する加藤清正公の分霊を勧請して当地にあった下屋敷に創建、加藤清正公を祀り、明治維新後には一時加藤神社と称したと言われている。 明治18年(1885)仏式に戻して清正公寺と改称、管理を熊本本妙寺に委託、本妙寺別院となった。、、、、、狭い、小さな寺で、檀家はあるのか? いらぬ心配をしてしまった。

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荒汐部屋 ・・・・・・・・・ 荒汐部屋は、元小結:大豊が平成14年(2002)に浜町に開いた相撲部屋。 現在は前頭:蒼国来を筆頭に12名の力士と行司、床山それぞれ1名が相撲道に精進している。、、、、、連日、窓から稽古を見ることができ、外人さんに人気がある。

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隅田川右岸 ・・・・・・・・・ 日本橋中州で隅田川の右岸に出る。 清洲橋隅田川大橋、永代橋と眺め。 箱崎から八丁堀方向に歩く。、、、、、大腸菌ウヨウヨの汚染された隅田川の水がお台場に流れ、この水の中で2020年オリンピックのトライアスロン競技が行われるそうだ。 ウンチがプカプカの水で泳ぐのか! 選手に選ばれるアスリートの不安は大きいと思われる。 3年後までに綺麗な水になるかな?

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湊橋 ・・・・・・・・・・ 湊橋(みなとばし)は、中央区新川 と箱崎を結び、日本橋川に架かる橋である。 湊橋の創架は江戸時代前期、延宝7年(1679)と言われ、霊岸島(現:新川地区)と箱崎町 を結ぶ橋として架けられた。 橋名の湊橋の名称は、この一帯が江戸時代に港として「江戸湊」と呼ばれていたことに由来する。、、、、、現橋の湊橋は、関東大震災復興事業の一環で昭和3年(1928)に架けられた全長40.5mの鉄筋コンクリートの3連アーチ橋。 ちなみに、総工費は208,000円であった。、、、、、近くをは走る首都高に合わせ、近年、綺麗なタイルで化粧された。

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新亀島橋 ・・・・・・・・・ 新川地区から新亀島橋を渡り、茅場町・八丁堀地区に入る、、、、新亀島橋は亀島川 に架かる全長30.5mの橋。

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●・・・・・・・・・・ 新亀島橋を撮影中、とんでもない事態が発生!、、、、、ナント、カメラのバッテリーが低下し、撮影不能となった。 普段は持っている予備のバッテリーも、今日に限り忘れてきた。 ア~~・ドジ・マヌケ・バカ・バカ・バカ、、、、、撮影はあきらめた。 あとはひたすら銀座に向かい、黙々と歩く。

2017年10月 2日 (月)

上中里~西巣鴨

JR京浜東北線上中里駅から都営三田線西巣鴨駅まで、1万歩の散歩です。



上中里駅 ・・・・・・・・ 京浜東北線の駅で、島式ホーム1面2線の地上駅。 昭和8年(1933)7月1日に開業した駅である。 駅の自慢(?)は、23区内のJR駅の中で利用客数が、越中島駅(京葉線)の約1万1千人に次いで少ないことである。 上中里駅の一日1万5千人程の乗降客数は第2位。 ちなみに3位は、尾久駅(東北本線)で約1万8千人。 ついでに4位は、三河島駅(常磐線)の約2万2千人。 おまけで5位は、潮見駅(京葉線)の約2万6千人。、、、、、駅周辺には大型スーパー、元気な商店街などが無く。 駅前コンビニも無い。、、、、、利用客は少なく、店はない、都会の秘境駅。 でも、電車はキチンと止まってくれるので、ご安心を!
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平塚神社 ・・・・・・・・ 上中里駅隣の崖上に平塚神社はある。 神社の創立は平安後期といわれている。、、、、、平塚神社の境内は、かつて平塚城があった処である。 平塚城の城主:豊島近義は後三年の役で城に立ち寄った源義家から饗応の返礼として鎧1領を譲られた。 この鎧は清浄な地に埋め、塚を築き、平塚城の鎮守とした。 そして塚は「甲冑塚(かっちゅうづか)」とよばれ、高さが低いため「平塚」ともよばれた。 豊島近義は社殿を建て、源義家、源義綱、源義光を「平塚三所大明神」として祀り、一族の繁栄を祈願した。 これが、平塚神社の始まりである。、、、、、本郷通りから参道が拝殿へ約200m真直ぐ延びている、境内はこの参道を中心とした、細長い敷地である。

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無量寺 ・・・・・・・・ 平塚神社から本郷通り横断した南に旧古河庭園がある。 その旧古河庭園の東隣りにひっそりと身を隠すように無量寺がある。 寺の山門は、庭園の入口とは正反対の側の裏道を入った処にある。、、、、、旧古河庭園を訪れる観光客は多いが、無量寺を訪れる人は少なく、知る人ぞ知る隠れた名園の寺院である。 静かで落ち着き、手入れも行き届き、四季の花咲く庭園は、ナイショでお勧めする処。 くれぐれも他言無用!


・・・・・・・・・・ 無量寺は真言宗豊山派の寺院で、佛寶山西光院と号す。 創建年代は不詳だが、鎌倉時代または室町時代らしい。、、、、昔は長福寺と称していたが、慶安元年(1648)には江戸幕府より寺領8石5斗余の御朱印状を拝領し、9代将軍の幼名長福丸と同名であることを避けるため寺号を佛寶山長福寺から佛寶山西光院無量寺と改称した。

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・・・・・・・・・・ 山門に近い参道の両側は竹林風で、地蔵さまが迎えてくれる。

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・・・・・・・・・・ さらに参道の奥には、もう一つ門がある。 この門をくぐり、緑で覆われた参道の先に本堂が見える。

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・・・・・・・・・・ 本堂前ではタヌキの“二僧”がお出迎え。 若い“尼僧”のお出迎えなら、もっと嬉しいのだが!、、、、、江戸六阿弥陀詣での第三番目の寺として、平安後期の阿弥陀如来が本堂の正面に安置されている。

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・・・・・・・・・・ 本堂横の大師堂には、雷除けにご利益があるという「雷除けの本尊」:聖観音像が安置されている。

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・・・・・・・・・・ 安永9年鑄造の鐘をかける鐘楼

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染井の町 ・・・・・・・・・ JR巣鴨駅の北側、染井霊園付近を抜け、西巣鴨駅に向かう。

・・・・・・・・・・ 北区・豊島区の境に生まれた染井銀座商店街を横切り西に向かう、、、、、まだ準備中の店が多く、シャッターも下りている。 歩いてもつまらないんで、脇道に入る。

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・・・・・・・・・・ マンションの出始めた昭和39年(1964)に建てられた「染井マンション」(豊島区駒込6)

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・・・・・・・・・・ 水原秋櫻子の墓前に手を合わせ、染井霊園を抜ける、、、、、、秋耕や あらはの墓に 手向花  (秋櫻子)

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・・・・・・・・・・ 東京外語大(北区西ヶ原4)が平成12年(2000)に府中市に移転した跡地には、現在公園と老人ホームが建っている。 その跡地に沿って北西に上る坂を下瀬坂 (しもせざか)という。 長さ150m程で、かなり急な坂である。 坂の名は、明治32年(1899)、ここに設けられた「海軍下瀬火薬製造所」に由来する。、、、、、老人ホームからは、公園の先にスカイツリーを望むことができる。 眺望良好。

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・・・・・・・・・・ 新庚申塚停留所で、都電荒川線の線路を横切る

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大都映画巣鴨撮影所跡 ・・・・・・・ 荒川線新庚申塚の北側、白山通りに面した旧朝日中学校(現:巣鴨北中学校)の敷地は、巣鴨撮影所があった場所らしい。 白山通りに面した校庭跡に、大都映画巣鴨撮影所跡を示すプレートが埋め込まれている。、、、、「大都映画」、聞いたことないね? 戦後生まれの私には知らぬ社名だ! 大正8年(1919)に天活(天然色活動写真)が撮影所を開設して以来、何度か持ち主が変わったが、昭和8年(1933)に大都映画が発足し昭和17年(1942)まで存続した。 年間100本余りの映画が製作され、戦前の映画界では製作本数最多を誇っていたそうだ。

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●・・・・・・・・・・ 大都映画撮影所跡のプレートの隣は西巣鴨駅。 ちょうどよい、都営地下鉄で帰ることにする。

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