秋山~本八幡
久しぶりの青空。 北総線秋山駅から総武本線本八幡駅まで、1万3千歩の散歩です。
①秋山駅・・・・・・・・・今から26年前の平成3年(1991)に開業した駅。 北総台地に、掘割状で半地下式に造られた、相対式ホーム2面2線の駅である。 駅前ロータリーに、地下鉄の出入口に似た駅出入口がある。、、、、いまだに駅前には、コンビニが無い、喫茶店が無い、そば・ラーメン屋が無い、呑み屋が無い、何にも無い。 これからの寒い夜、帰宅する独り者は胃袋を温めることができるのかな?
②高塚八幡神社・・・・・・・・・・・秋山駅の南東へ800m程歩くと、県道180号線(松戸原木線)に面して鳥居が見える。 松戸市高塚新田にある高塚八幡神社である。、、、、、チョイと長い参道の両側には雑草と樹木が茂り、奥へ進むと県道の騒音も消され、静かな境内となる。、、、、、高塚八幡神社は源義経が木曽義仲を追討した宇治川の合戦で活躍した名馬「生月(いけずき)」が眠る塚の上に祀(まつ)られており、「高塚」の地名の由来になっている。 平安時代からこの地域は小金牧という馬の放牧地で、この合戦で先陣争いをした佐々木高綱と梶原景季が乗った名馬・生月と摺墨(するすみ)も小金牧産だったそうだ。
③梨香台団地・・・・・・・・・・・・高塚八幡神社の南側にある梨香台団地は、昭和50年(1975)に建てられた、戸数960戸(10棟)の旧住宅公団の団地。 団地周辺には梨を栽培する梨園が多く、自家栽培の果物・野菜などと共に道路沿いで売る農家が多い。、、、、、この辺りは、昭和45年(1970)の高塚団地、昭和50年の梨香台団地の完成により人口が急増し、昭和47年(1972)には、日本初の5階建て校舎となった松戸市立梨香台小学校が創立されたそうだ。 小学校にはエレベータはなかったと思われる、児童には良き足腰の運動となったであろう。 老いた先生は辛かったかもね? なお、昭和55年度の梨香台小学校は、27学級、生徒数1034名、教職員41名だったそうだ。
④高塚新田にて・・・・・・・・・・松戸市の最南端:高塚新田にて、、、、、住宅の間に点在する梨園、、、、、梨園を整地した跡か?広い空き地、、、、、鳥の餌場か?柿の木
⑤木戸口庚申塔・・・・・・・・・・八幡から市川大野へ向かう県道51号沿いに、素晴らしい庚申搭が3基祀られている。(市川市下貝塚2) 文政11年(1828)、享保17年(1732)、享保5年(1720)と、200年前から300年前の庚申塔が良好な状態で残されているのだ。
⑥所願寺・・・・・・・・・・・・所願寺は市川市宮久保にある、寛文6年(1666)の創立の日蓮宗の寺院。 境内の案内板によると、同寺の縁起は次のように記されている。 『江戸時代、一人の貴女が病を患って都を離れ、近くの美女ヶ崎に流れ着いた。 村人はこの貴女を助け所願寺に住まわせた。 のちに近くの村に移り住み、法華経を信仰して、中山法華経寺で祈祷を受け、病癒え、出家し一寺を建立した』 、、、、アレ? 村人が助け住まわせたのが所願寺、後に建立したのが所願寺(?)。 なんだか変だ。
⑦白幡神社・・・・・・・・・・・市川市宮久保の台地の上に鎮座する誉田別命・竹内宿禰・天満天神を祀る白幡神社。 創建は文明18年(1486、=室町時代)以前と言われている。 県道に面し参道入口の階段があり、そこを上ると八幡地区を一望する台地の上に立つことができる。 ここから、社殿までは台地の縁に沿って細い参道を歩く。、、、、、、社殿は平成元年(1989)10月21日に竣工した。 奇しくもこの日は、私(雅万歩)の43歳の誕生日であった。(たまたまの偶然ですね!)
⑧真間川・・・・・・・・・・平成7年(1995)8月に竣工した宮久保橋を渡り、一級河川:真間川を越える。 ここ辺りの真間川は農業用水路の幅だ、これでも「一級河川」?、、、、、橋を渡り、本八幡駅までは、もう一頑張り!
⑨本八幡駅・・・・・・・・・・・・・・総武本線本八幡駅に到着。 久しぶりに青空の下、気持ち良い散歩ができた。
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