浅草橋~八丁堀
●浅草橋駅 ・・・・・・・ 昭和7年(1932)7月1日に開業した総武線浅草橋駅。 都営地下鉄1号線(現:浅草線)の浅草橋駅 は昭和40年(1960)12月4日に開業した。、、、、、私が高校生のころ、駅前の江戸通りでは、開削工法で地下鉄工事が始まった。 当時の杭打ち工事には、音のうるさいディーゼルハンマを使用し、あの“ストーン・ストーン”と大きな音を響かせモンケン(重り)を落として杭を打っていた。 リズミカルな工事の騒音と、どのように造るのか好奇心もあり、学校帰りに工事現場に、度々、見に行った記憶が鮮明に残ている。、、、、、その駅部の工区は飛島土木(現:飛島建設)の施工であった。 そのゼネコンは、開通の年に私が入社した企業である。
●浅草橋 ・・・・・・・・ 神田川の最下流に架かる柳橋に次ぎ、下流から二番目に架かる橋。 現橋は昭和5年(1930)1月に開通した。 総工費27万7千円(上流の万世橋は35万円、下流の柳橋は12万1千円)で竣工した震災復興橋。 下部工の施工は間組(現:安藤ハザマ。、、、、、橋のシンボル・飾りというものがなく、印象の薄い橋である。 でも私にとっては、小学生の頃の遊び場(魚釣り)であり、忘れることのない橋である。
・・・・・・・・・・ 浅草橋から柳橋を見る、、、、、手前の船宿あたりの川底に、総武快速線トンネルがある。 残念ながら見ることはできない。
●浅草橋交差点 ・・・・・・・・ “江戸通り”と“靖国通り”が交差する処。 靖国通りは、正確には新宿大ガード東交差点から両国橋までである。 しかし通称として、浅草橋交差点から東側を“京葉道路(国道14号)”、西側を“靖国通り(都道302号)”と呼んでいる。
●薬研堀不動院 ・・・・・・・・・ 浅草橋交差点の周辺は中央区東日本橋の町である。 その町の中央に、真言宗智山派の寺院で、川崎大師東京別院でもある薬研堀不動院がある。 本尊の不動明王は、崇徳天皇の代、保延3年(1137)に真言宗中興の祖と仰がれる興教大師・覚鑁(かくばん)上人が彫り、紀州・根来寺に安置されたものである。 その後、天正13年(1585)、豊臣秀吉勢の兵火に遭った際、根来寺の大印僧都はその像を守護して葛篭(つづら)に納め、それを背負ってはるばる、隅田川のほとりの現在地に堂宇を建立し安置した。 これが現在の薬研堀不動院のはじまりです。 川崎大師の東京別院となったのは、明治25年(1892)のことである。
・・・・・・・・・・ 扉の隙間からお姿をチラッと拝見、、、、、小さくてよく判らんね!
・・・・・・・・・・ 境内には、身の丈六尺の遍路大師尊像を中央にして、右に「講談発祥記念之碑」、左に「順天堂発祥之地碑」がある。、、、、、、、昭和の時代に、ラジオ、TVで講談を聴く機会も多く、一龍齋貞丈、宝井馬琴などが出ていたが、昨今はTVで講談を聴く機会はとんとなくなり、寂しいかぎり!
●浜町 ・・・・・・・・ ♪♪ 浮いた 浮いたの 浜町河岸に ♪♪ と歌われた浜町も、柳橋と共に戦後廃れ、今は芸者の姿を見ることがない町となった。 残念無念!
●清正公寺 ・・・・・・・・・・ 浜町公園内の狭い一角にある、日蓮宗の清正公寺は、熊本本妙寺の別院。 清正公寺は、文久元年(1861)に、細川藩主細川斎護が熊本本妙寺に安置する加藤清正公の分霊を勧請して当地にあった下屋敷に創建、加藤清正公を祀り、明治維新後には一時加藤神社と称したと言われている。 明治18年(1885)仏式に戻して清正公寺と改称、管理を熊本本妙寺に委託、本妙寺別院となった。、、、、、狭い、小さな寺で、檀家はあるのか? いらぬ心配をしてしまった。
●荒汐部屋 ・・・・・・・・・ 荒汐部屋は、元小結:大豊が平成14年(2002)に浜町に開いた相撲部屋。 現在は前頭:蒼国来を筆頭に12名の力士と行司、床山それぞれ1名が相撲道に精進している。、、、、、連日、窓から稽古を見ることができ、外人さんに人気がある。
●隅田川右岸 ・・・・・・・・・ 日本橋中州で隅田川の右岸に出る。 清洲橋 、隅田川大橋、永代橋と眺め。 箱崎から八丁堀方向に歩く。、、、、、大腸菌ウヨウヨの汚染された隅田川の水がお台場に流れ、この水の中で2020年オリンピックのトライアスロン競技が行われるそうだ。 ウンチがプカプカの水で泳ぐのか! 選手に選ばれるアスリートの不安は大きいと思われる。 3年後までに綺麗な水になるかな?
●湊橋 ・・・・・・・・・・ 湊橋(みなとばし)は、中央区新川 と箱崎を結び、日本橋川に架かる橋である。 湊橋の創架は江戸時代前期、延宝7年(1679)と言われ、霊岸島(現:新川地区)と箱崎町 を結ぶ橋として架けられた。 橋名の湊橋の名称は、この一帯が江戸時代に港として「江戸湊」と呼ばれていたことに由来する。、、、、、現橋の湊橋は、関東大震災復興事業の一環で昭和3年(1928)に架けられた全長40.5mの鉄筋コンクリートの3連アーチ橋。 ちなみに、総工費は208,000円であった。、、、、、近くをは走る首都高に合わせ、近年、綺麗なタイルで化粧された。
●新亀島橋 ・・・・・・・・・ 新川地区から新亀島橋を渡り、茅場町・八丁堀地区に入る、、、、新亀島橋は亀島川 に架かる全長30.5mの橋。
●・・・・・・・・・・ 新亀島橋を撮影中、とんでもない事態が発生!、、、、、ナント、カメラのバッテリーが低下し、撮影不能となった。 普段は持っている予備のバッテリーも、今日に限り忘れてきた。 ア~~・ドジ・マヌケ・バカ・バカ・バカ、、、、、撮影はあきらめた。 あとはひたすら銀座に向かい、黙々と歩く。
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