亀戸銭座
①錦糸町 ・・・・・・・・ 錦糸町駅南口は昭和36年(1961)に建てられた民衆駅ビルで、地上7階/地下1階の建物であるが、数度のリニューアル工事で古さを感じさせない駅ビルである。
・・・・・・・・・・ 南口からガードをくぐり、駅の北側:錦糸公園に向かう、、、、、錦糸公園は関東大震災前の陸軍糧秣厰倉庫跡で、震災時にはここに約1万人の遺体が仮埋葬されたそうだ。 震災後、復興公園として整備された。、、、、、震災で亡くなった人を思うと、公園の中を歩くにも、チョイトいいかげんな歩きができないね!
・・・・・・・・・・ 錦糸公園の東側:横十間川に架かる錦糸橋 。 橋を渡ると江東区亀戸の町である。
②亀戸銭座 ・・・・・・・・・ 錦糸橋を渡ると、横十間川沿いの左側にUR亀戸2丁目団地が見える。 この団地の敷地は、江戸時代、寛文8年(1668)から安永2年(1773)の間の約100年間、当時の通貨である寛永通宝が作られていた銭座の跡である。 銭座はその後、明治40年(1907)に日清紡績株式会社の本社工場の敷地となり続いたが、戦時中の空襲で焼け野原となった。 戦後は運動場として利用され、昭和42年(1967)に旧日本住宅公団の団地が建設された。 この時、団地の一角に野球場が造られ、地下には東京都水道局亀戸給水所の配水池も作られた。、、、、、団地建設の際は敷地内から、寛永通宝が多数発見されたそうだ。
・・・・・・・・・・ 水道局亀戸給水所の正面ゲート前にある「亀戸銭座」の碑。、、、、、この付近に生息していたのが銭亀である。 甲羅には寛永通宝の模様があったとか。 本当のような、ウソの話である。
・・・・・・・・・・ 水道局亀戸給水所の正面ゲートの右隣には、 黒褐色の「日清紡績創業の地」 の碑がある。、、、、、現在の日清紡は綿紡績から、エレクトロニックス、ブレーキ、精密機器に事業をシフトし、グループ全体で23,000名以上の従業員を抱える大企業グループである。
・・・・・・・・・・ 亀戸銭座と日清紡績創業の地の碑がある、東京都水道局亀戸給水所は江東区亀戸2丁目にある。、、、、、空から見るとUR亀戸二丁目団地の中央に江東区営亀戸野球場が見える。 この球場の下に半地下式の配水池が造られている。 この給水所は、地域への配水を担うとともに、震災時には給水拠点となるため、配水池は縦横約 104m、高さ約 7m、貯水量 60,000m3のRC構造物である。 (施工はフジタ)、、、、、野球場は、近隣住民が騒音に悩まされないよう配慮し、ナイター使用はできないとのこと。
・・・・・・・・・・ 団地から見た給水所。 右側のグランドの下が配水池、左手前の屋根上にカマボコが3個並んでいるのが給水所の建屋。
・・・・・・・・・・ 給水所建屋
・・・・・・・・・・ 配水池(配水池そのものは、グランドの下で見えない。 想像して!)
・・・・・・・・・・ 亀戸給水所を囲むように、UR亀戸二丁目団地が建っている。 昭和43年(1968)完成、鉄筋コンクリート造11階建て、総戸数806戸。
③都営亀戸第二アパート ・・・・・・・・ UR亀戸二丁目団地の東側にチョコンと建つ、江東区では古い都営アパート。 昭和36年(1961)建設、全18戸。、、、、、ボロボロ!
④亀戸天神 ・・・・・・・・ 時刻は5時過ぎ、誰もいない天神様に手を合わせて帰ることにする。
⑤亀戸駅 ・・・・・・・・・ 暗くなった亀戸駅前の裏道を歩き駅へ
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