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2017年11月

2017年11月30日 (木)

酉の市

今年の酉の市 は“三の酉”まである。 火事が多くならないように、くれぐれも“火の用心”。、、、、我が家では、この11月は、私の鼻血事件に、夫婦旅行に、孫の遊び相手に、家族の急病に、チョイと忙しい月となり、一の酉、二の酉は行けず、今日の三の酉も夕刻にやっと行ける余裕ができた。 去年買った古い熊手を持って、来年こそ幸運と財産を“かき集め”る新しい熊手を貰いに、お参りに行ってきた。、、、、私のささやかな願い『年末ジャンボ一等7億円当選』を叶えてくれるよう、賽銭も弾み手を合わせる。



鷲神社 ・・・・・・・・・ 台東区千束の鷲神社(おおとりじんじゃ)は、日本武尊を祀り、武運長久、開運、商売繁盛の神として信仰される。 神社の隣は「酉の寺」と言われる鷲在山長国寺(法華宗本門流)。 こちらにも手を合わせてきた。
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熊手 ・・・・・・・ 落ち葉を「かき集める」道具の熊手を、昔の商売人は「運をかき込む」「金銀をかき集める」道具と洒落た。 熊手は縁起物とみなされ、時代と共に、宝船、七福神、大判小判、松竹梅など様々な飾りが施され、太い竹の柄が幸運をイッパイかっ込むようだ、見てるだけでも楽しいものである。
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●・・・・・・・・・・ 毎年、酉の市に参り、熊手も買って帰るが、年末ジャンボの一等に当選したためしなし。 どうも御利益がなさそうだ!

2017年11月27日 (月)

南砂町~西大島

地下鉄東西線南砂町駅で下車し、北に2.5km程離れた都営新宿線大島駅まで、複数の団地の中をぶらつき、1万1千歩の散歩です。



南砂町駅 ・・・・・・・・・ 昭和44年(1969)3月29日、東西線全線開業時に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、朝は通勤客がホームにあふれ狭く感じ、ホームから落ちる危険をも感じる。 只今、東京メトロでは南砂町駅改良工事を、総投資額340億円かけ大規模に進めている。 具体的には、ホーム1面を新たに造り2面3線にする、またコンコースを改良し、現在両端にある改札口を中央に統合し1か所とするそうだ。 完成は平成32年(2020)を予定。
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都営南砂三丁目アパート ・・・・・・・ 南砂町駅前にズラリと並ぶ都営住宅は、昭和41年(1966)から43年(1968)にかけ建設された。 「みどり団地」という愛称をもつ総戸数600戸(14棟)の団地。、、、、築50年経過し、現在、建ち並ぶ14棟の内、4号棟から7号棟の4棟は取り壊され、12階建ての高層住宅に建て替え中。、、、、駅前の一等地の都営住宅で、建て替えると家賃も高くなりそうだね!
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南砂の町 ・・・・・・・・ 表通りには団地・マンションが建ち並ぶ町。 裏通りは車も通りずらい細い道が残る住宅地。
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・・・・・・・・・・ 南砂の北側を流れていた仙台堀川 は親水公園に変わり、住民の憩いの場となっている。
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北砂の町 ・・・・・・・・・ 南砂の北側、清洲橋通りを越えると北砂の町になる。 こちらの町も団地とマンションが並び、その谷間に細い道が通る住宅地。

・・・・・・・・・・ 清洲橋通りに面し、巨大なコンクリートの塊が圧倒する「北砂四丁目住宅」。 東京都住宅供給公社が販売した、昭和47年(1972)札幌オリンピックの年に建てられた14階建て、総戸数526戸の分譲マンションである。、、、、中央の吹き抜けの周りに住居を配した巨大な建物。、、、、大きさにつられ、“チョイト拝見”したが、普通の集合住宅であった。
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・・・・・・・・・・ 路地を歩き、“砂町銀座”商店街に出た。 まだ、シャッターが下りている店もあるが、そろそろ営業開始の時刻かな? 
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・・・・・・・・・・ 砂町銀座の南側には、亀高神社がある。 亀高神社は、当地亀高新田開拓の際に五穀豊穣の神として寛永年間(1624~44)に創建、亀高新田村の鎮守であった。、、、、、地元の鎮守として村人に愛されたであろう神社。 現社殿は昭和43年(1968)に鉄筋コンクリート造にて建て替えられた。
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・・・・・・・・・・ 亀高神社の南隣に真言宗智山派の持宝院がある。 持宝院の創建年代は不詳だが、創建時期は寛永3年(1626)とも元亀・天正年間とも云われている。、、、、、アレ、エロ坊主でもいるのかな? ピンクの本堂がお出迎え。 それとも、極楽浄土の色はピンクかも。
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・・・・・・・・・・ 砂町銀座の北側には、けして大きな教会ではないが、かわいらしい教会があった。 日本基督教団の砂町教会である。 教会の創設は昭和8年(1933)で、現聖堂は昭和59年(1984)の竣工。、、、、、地元の信者に愛される教会のようだ!
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・・・・・・・・・・ 北砂5丁目に旧日本住宅公団の時代である昭和52年(1977)から平成8年(1996)にかけて建てられた、総戸数2781戸のUR北砂五丁目団地がある。、、、、敷地内の樹木は秋色に染まり、穏やかな秋晴れがお出迎え。
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進開橋 ・・・・・・・・・・・・小名木川に架かる進開橋を渡り大島の町に入る。
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西大島駅 ・・・・・・・・ 都営新宿線に、昭和53年(1978)12月21日に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。
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2017年11月24日 (金)

足立の薬師寺

春に散歩した足立区伊興の寺町界隈。 寺院の並ぶ寺町からチョイとはずれた薬師寺は紅葉の名所である。 今日の散歩は、竹ノ塚で下車し、薬師寺の紅葉狩り、帰りは隣の草加市の谷塚駅まで歩いてきた。 1万1千歩。、、、、竹ノ塚駅から寺町界隈までは、春に歩いたルートと同じなので、変わった処のみ紹介する。



東岳寺 ・・・・・・・・・ 竹ノ塚駅から北西に400m程行った曹洞宗の寺院:東岳寺。 ここには「東海道五拾三次」を描いた安藤広重の墓がある。 東岳寺は慶長18年(1614)浅草鳥越(浅草橋の我が家の近く)に創建した。 関東大震災後、広重の墓は寺と一緒に、現在の足立区に移転した。、、、、さほど広くない境内だが、季節の草木が彩づいている。
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・・・・・・・・・・ 境内にある初代安藤広重の墓記念碑
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・・・・・・・・・・ 広重の記念碑の隣には、その広重に心酔し、浮世絵を世界に広めた米国人ハッパー(1863〜1936)の墓もある。 彼の人生の半分ほどの46年間、日本に住み日本文化と広重の作品を研究し、世界中にその素晴らしさを広めたそうだ。 広重の作品を愛するあまり、自分のことを広重ハッパーと名乗り、没後は憧れていた広重の隣で眠る幸せ者である。 (写真右)、、、、、写真左の石柱のようなものは、川柳で有名な花屋久次郎の遺跡.
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薬師寺 ・・・・・・・・・・ 曹洞宗寺院の医王山薬師寺は、万治2年(1659)の創建。 この寺は、足立区報でも紹介される程の有名な紅葉の寺らしい。、、、、私が春に訪れた時、住職から紅葉の時期に参詣するように案内された。 訪れてみると、ほんのチョイト早かったようだ。 地元の方の話では、一番いい時期には境内の参道が真紅になるそうだ。 今日の落ち葉はパラパラ。
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寺町 ・・・・・・・・・ 東伊興4丁目の寺町を歩く 
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・・・・・・・・・・ 寺町を抜けると谷塚橋。 足立区と草加市の境である毛長川に架かる橋。、、、、谷塚駅から谷塚橋までは、こちらを見て
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・・・・・・・・・・ 橋の近くに咲いていた
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谷塚駅 ・・・・・・・・ 伊勢崎線の駅では、東京に最も近い埼玉県内の駅だが、普通列車しか停まらない駅。 優等列車は全て全速力で通過!
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2017年11月22日 (水)

古代東海道(続き)

一昨日の散歩の続きです。 奥戸小学校前の案内図に従い、今日は立石駅から白鬚まで赤線で示された古代東海道を歩いてきた。 1万3千歩。
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立石駅前 ・・・・・・・・・ 葛飾区役所、チョロQ・プラレールの製造元タカラトミーの本社がある、葛飾区の行政・経済の中心地(?)だが、京成電鉄の普通列車しか停まらない駅。 戦後は赤線・青線地帯もあり、駅北側はその当時の面影も残る、下町の“歌舞伎町”。
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・・・・・・・・・・ 駅前の「立石仲見世」商店街、まだ開店前!
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・・・・・・・・・・ 立石仲見世を抜けると、古代東海道のルートの一部である奥戸街道に出る。
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渋江公園 ・・・・・・・・・ 渋江公園は奥戸街道に面し立石駅から約500m程の処、テニスコートなどがある広い公園。 
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・・・・・・・・・・ 渋江公園は昭和27年(1952)の開園以前はセルロイド製のオモチャ工場があった敷地で、園内にその「葛飾区セルロイド工業発祥記念碑」がある。 記念碑は「セルロイド=平和、希望、児童」と云う判りにくいコンセプトにより、子供を配している。、、、、セルロイドのおもちゃ、下敷き、筆箱、学生服のカラーなど、かつては身の回りに多く見られたが、今は見ることがなくなった。 でも、ピンポン玉は今でもセルロイド製らしい。
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・・・・・・・・・・ また公園の芝生広場の一角には、「キャプテン翼」の登場人物・岬太郎くんの銅像が配置されている。
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奥戸街道入口交差点 ・・・・・・・ 渋江公園の西側、50m程、奥戸街道の一方の入口(出口?)がある。  奥戸街道はこの交差点で、平和橋通りと“T”字型に交わる。、、、、、古代東海道は交差点から西へ真直ぐ、京成押上線の踏切を越え、「まいろーど四つ木商店街 」に入る。、、、、、踏切も、数年後には高架化され消える運命!
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四つ木白髭神社 ・・・・・・・・・ 商店街の通りから住宅地の裏通りに入ると四つ木白髭神社がある。 古代東海道の面影を求め立ち寄ってみた。、、、、、承応3年(1654)四つ木村が立石村から分村したとき、四つ木村の鎮守として勧請された神社だが、私の期待する面影は見つけることができなかった。
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ひたすら直進 ・・・・・・・・ 白髭神社から再び商店街に戻り、人影のない商店街を西へ向かうと、国道6号(水戸街道)に出る。  古代東海道は水戸街道を斜めに横断し、荒川に並行する綾瀬川に沿って走る首都高の処で途切れる。、、、、、葛飾区内の古代東海道のルートはここまで!
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墨田区内の古代東海道 ・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・ 古代東海道の時代には、存在しなかっ荒川を四つ木橋で渡る。、、、、、昔(平安時代)の人が見たらビックリする、堂々と流れる荒川。
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・・・・・・・・・・ 葛飾区側のルートを伸ばすと、墨田区墨田4丁目の「ほがらか保育園」の脇を抜ける道路につながる。、、、、、保育園前の荒川土手には、古代東海道を見守るように石仏が祀られている。 勝手に想像して、平安時代に荒川で溺死した人を弔う石仏か? バカな!荒川は昭和に入って完成した川だ! 
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・・・・・・・・・・ 古代東海道は東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅前の踏切に通じていた。
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・・・・・・・・・・ この踏切は私にとって、一生忘れられない愛おしい踏切である。 今から4年程前、踏切の正面にある交番の前で起きた脱臼事件 の現場だ!、、、、、古代東海道は交番の左側を入っていく。
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・・・・・・・・・・ 古代東海道は正面に高層の「白鬚東アパート」を仰ぎ見る、墨堤通りにぶつかる。 ここで、奥戸小学校前の案内図にあった古代東海道のルートは終わる。、、、、、、アパートは隅田川沿いに建ち、防災拠点でもある。
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⑦感動!・・・・・・・・ 今日の散歩は古代東海道沿いに歩いてきたが、ここまで「古代東海道」の文字を発見することはできなかった。 これより先はルートも不明、時間もそろそろ昼だ、散歩はここまで、バス停を探しに向かう。

・・・・・・・・・・・・・・白鬚東アパート沿いに墨堤通りを歩いていると、バス停が見つかった。、、、、、オヤ、本数が少ないけど、あと10分くらいで浅草寿町行くが来るから、乗って帰ろう!
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・・・・・・・・・・ バスを待つ数分、バス停前をブラブラ、、、、、オヤ、何か書いてある?
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・・・・・・・・・・ 見てビックリ、読んで感動、目をこすり喜び、鼻水たれて恥ずかし~~い。 ナント、『古代東海道』の文字がある。 バスが来るぞ!、じっくり読む時間もなく、あわてて写真を撮る。
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・・・・・・・・・・ 大正3年(1914)まで白鬚橋の近くにあった住田渡(すみだのわたし)は、古代東海道の一部であったと書かれている。、、、、最後の最後に感動した散歩である。

2017年11月20日 (月)

古代東海道

「東海道」と言えば、東京駅から神戸駅までの「JR東海道線」か、江戸時代に整備された五街道の一つ東京日本橋から京都三条大橋までの「東海道」をイメージする。 どちらも、東京駅・日本橋から西に向かって伸びて行くのが「東海道」。、、、、、ところがギッチョン、大化の改新以後に街道が整備され、平安時代には平安京を起点に街道が整備された。 この頃の「東海道」は畿内から伸び武蔵国(東京都)・下総国(千葉県)を抜けて常陸国(茨木県)までであった。 つまり、京都から東京都心部、葛飾区、市川市を抜けて茨木県まで伸びていた。、、、、、今日の散歩は、その「古代東海道」の一部、京成小岩駅から立石駅までの区間を歩いてきた。 1万歩



●・・・・・・・・「古代東海道」なる街道があったことを、私が知ったのは、今日散歩の途中で奥戸小学校前を通った時その案内板を見たからである。 70余年東京に住んでいて、初めて知った知識。、、、、、案内板の地図は南北が逆だが、鐘ヶ淵駅・四ツ木駅・立石駅・奥戸橋・三和橋・京成小岩駅と葛飾区の中を通っていた。
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京成小岩駅 ・・・・・・・・・ 島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 昭和7年5月15日に開業。 駅出入口は南北に2か所あるが、駅前の賑わいは期待薄!、、、、JR総武線の小岩駅とはかなり離れている、乗り換えは無理。

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愛国学園 ・・・・・・・・ 京成小岩駅近くに、私立の中・高等学校と、短大がある。 昭和13年(1938)設立の女子校である。 “愛国”とは、チョイト戦前の匂いがする校名だ!、、、、校舎の前の通りが古代東海道である。

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立石大通踏切 ・・・・・・・・・葛飾区細田1丁目にある新金貨物線(新小岩~金町)の踏切。 踏切名は「立石大通踏切(たていしおおどおりふみきり)」で、この辺りでは古代東海道は立石大通りと呼ばれていたのかも?、、、、、貨物線は運転本数も少なく単線だ!

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・・・・・・・・・・ この辺りでは、かつての古代東海道で、拡張工事が行われていた。

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三和橋 ・・・・・・・・ 三和橋(さんわばし)は、新中川に架かる橋のひとつで、東岸の葛飾区細田三丁目と西岸の細田二丁目を結んでいる。 橋長119.0mの3径間連続プレビーム合成桁橋。、、、、、旧三和橋は、昭和36年(1961)に架けられ、完成から約50年経過し劣化が進み、耐震性も低下したため、平成24年(2012)6月に現橋が完成した。、、、、古代東海道の頃は、もちろん橋はなかったが、新中川も無かった。 新中川は昭和38年(1963)に中川放水路として完成した新しい川である。

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奥戸小学校 ・・・・・・・・・ 三和橋を渡ると奥戸の町に入る。 この学校前で、古代東海道を知ることができた。

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奥戸橋 ・・・・・・・・・ 奥戸小学校を過ぎると、中川に架かる奥戸橋を渡る。 高砂1丁目と立石8丁目を結ぶ、飾りの少ないガータ橋。 昭和47年(1972)11月竣工。、、、、古代人はこの川を泳いで渡ったのか?

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南蔵院 ・・・・・・・・・ 奥戸橋を渡り中川沿いに歩くと、真言宗豊山派寺院の南蔵院がある。 長保年間(999-1004)に創建したと伝えられ、境内からは、明治時代に破却されたものの古墳が出土しており、古くから栄えた一角にある。、、、、、古代東海道を知る寺院か?

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立石祠 ・・・・・・・・・・「立石」の地名は、立石八丁目にある立石様という石に由来する。 この立石様は、公園の中央にある祠の中心に鎮座している。 付近にかつて古墳があったことやその材質(房州石という凝灰石の一種)から、古墳の石室などと同様、千葉県鋸山付近より同地に持ち込まれたと推定されている。また、奈良・平安時代には立石付近を横断していた古代東海道の道標として転用されていたと考えられている。、、、、、立石様の石は、頭がかろうじて見える程度で全身は土の中。

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帝釈道の道標 ・・・・・・・・ 立石祠の近く、中川の岸に、正面に大きく「帝釋天王」と彫られてた道標がある。  横側には「文政三(=1820年)庚辰歳四月」の文字が見て取れる。 このあたりで「帝釋天」といえば、柴又の寅さんがいる「題経寺」のことを指す。 ここは帝釈道の分岐点でもあった。

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西円寺/諏訪神社 ・・・・・・・・・ 新義真言宗寺院の西円寺は、永禄10年(1567)の創建。 江戸時代には立石諏訪神社の別当寺であった。、、、、、今日は経営する幼稚園の行事があるらしく、怪しい親爺は境内に近寄れなかった。

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・・・・・・・・・・ 立石諏訪神社の創建年代は不詳だが、元文4年(1799)の資料に記載のあることから江戸時代中期には創建されていたらしい。

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立石駅 ・・・・・・・・ 立石駅を挟む、四つ木~青砥間の高架化工事に着手し、立石駅はいよいよ高架駅に変わる予定。 また、駅の両側の再開発も計画され、数年後には大変身するであろう。、、、、、古代東海道の散歩も、今日はここまで!

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2017年11月16日 (木)

観泉寺

今夏に訪れた杉並区今川の観泉寺に、秋の色を求めて歩いてきた。 西荻窪から、荻窪八幡神社、観泉寺、妙正寺と1社2寺を巡って荻窪駅まで、1万2千歩の散歩です。



荻窪八幡神社 ・・・・・・・・・ 杉並区上荻の荻窪八幡神社は、第59代・宇多天皇の寛平年間(889~898、平安時代前期)に創祀されたものと伝えられている。 旧上荻窪村の鎮守。、、、、、永承6年(1051)、源頼義が奥州の安倍貞任征伐の途中、当社で戦勝を祈願し、後の康平5年(1062)に凱旋の折、神恩に感謝して当社を厚く祀ったと言われている。 その後の文明9年(1477)に江戸城主であった太田道灌は石神井城主:豊島泰経を攻める際に、この故事にならって当神社に武運を祈願した。 この時植えた槇の樹一株が、500年経ったいまなお神社の境内にそびえる「道灌槇」で、御神木として崇められている。、、、、、、本殿は明治28年(1895)、拝殿は昭和11年(1936)に建てられた。
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観泉寺 ・・・・・・・・・ こちらは、地名も杉並区今川にある、今川氏の菩提寺観泉寺。 夏に訪れたときは、緑豊かに手入れの行き届いた庭であった。 秋の色に染まった庭も見たく、今日の再訪となった。、、、、、慶長2年(1597)観音寺として創建。 正保2年(1645)今川13代直房(桶狭間で織田信長に敗れた今川義元の子孫)は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤めました。 その功により井草村など三か村五百石の加増をうけ、当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とした。

・・・・・・・・・・ 山門から本堂へ、、、、、東京の紅葉は京都みたいに、一斉に赤くならないようだ!
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・・・・・・・・・・ 横の鐘楼は無ゴ~~ン
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・・・・・・・・・・ 閻魔堂は、秋の陽射しを受け眩しそう
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・・・・・・・・・・ 庭の樹々もチョイと色づいた
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・・・・・・・・・・ 今川の御先祖さんは墓地で熟睡!
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妙正寺 ・・・・・・・・・ 観泉寺から東へ向かい杉並区清水にある、日蓮宗の寺院:法光山妙正寺に参る。 妙正寺は十界諸尊を本尊とし、ほかに大黒天・鬼子母神・三十番神・弁財天などの諸像が祀られている、仏様の揃い踏み。、、、、、約六百年前の文和元年(1352)、中山法華経寺の第三世日祐上人が、妙正寺のほとりに堂を建て、法華経守護の天照大神・八幡大神・春日大神など三十番神を勧請したのが始まり。 正保3年(1646)に堂を再建し中興する。 慶安2年(1649)、三代将軍徳川家光が鷹狩りの折、神前に武運長久を祈願し、葵の紋幕と朱印地五石を寄進してからは、「御朱印寺」として一層有名になった。 なお、隣の妙正寺公園を源として、王子から隅田川に注ぐ川は妙正寺川である。、、、、、本堂は昭和6年(1931)に改築し、鐘楼は昭和38年(1963)に建て替えられた。

・・・・・・・・・・ 山門の脇には、紅葉ならぬ、桜のお出迎え
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・・・・・・・・・・・・・山門を抜ければ、スグ前に本堂
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・・・・・・・・・・ 鐘楼をチョイと見上げて、ゴーン
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・・・・・・・・・・ 妙正寺の墓地に眠る、囲碁の本因坊:知伯。 本因坊知伯(ちはく)は、宝永7年(1710)に生まれ、享保18年(1733)に没した、江戸時代の囲碁棋士で、六世本因坊。、、、、知伯の本姓は井口であるが、妙正寺の墓地には井口姓の墓が多く、アッチャ、コッチャ、墓を覗き探すこと15分。 やっと見つけた、小さな墓石!
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2017年11月15日 (水)

北の丸公園

我が家(浅草橋)から、神田駅、一ツ橋をとおり、清水門から北の丸公園に入り、田安門から出て飯田橋駅まで、1万4千歩の散歩です。




浅草橋から一ツ橋・雉子橋まで ・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・ まもなく8時、浅草橋駅から職場に向かう人に交じり、神田川を越え、靖国通りを横断し、神田駅に向かう。、、、、東京に生まれて70余年、神田界隈は育った町でもある。 『アレ? 岩本町のここに花屋があったはず。 隣は莫大小(メリヤス)の問屋だったっけ?』、『神田駅前ガード下にはロマンポルノの映画館があったな。 向かいに、ケーキ屋の小鍛冶があった。 JTBはまだある。』、『神田駅周辺には、ハワイ、日の丸、ハリウッドなどキャバレーがあったが、今は無い! 寂しいね。』、『美土代町のYMCAでは、地下にプールがあって、中学生の私はフルチンで泳がされた。 YMCAの建物があった場所は?、判らなくなった!』、、、、いつの間にか壊され、建て替えられ、ビルが並ぶ町となった神田界隈。 一人で数十年前の街並みを思い浮かべ、懐かしみ歩いてきた。
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・・・・・・・・・・ 神田錦町に2年前にオープンした複合ビル「テラススクエア」は、博報堂の跡地に建てられた地上17階・地下2階建てのビルである。 ビルの一部には昭和5年(1930)に竣工した博報堂旧本館が復元されている。
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・・・・・・・・・・ 日本橋川に架かる一ツ橋。 徳川家康が江戸城に入った頃は、現在の橋の位置に 丸太の一本橋が架かっており、「一ツ橋」の橋名は、この一本橋から名付けられたと言われている。 そして、寛永年間(1624~1643)になると、この丸太の一本橋の江戸城側に 一ツ橋御門が設置され、同時に見附橋としての「一ツ橋」が架けられる。 これが「一ツ橋」の由来である。、、、、現在の一ツ橋は、大正14年(1925)に架けられた、全長:19.6m、全幅:28.0mの 鋼製桁橋である。
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・・・・・・・・・・ 一ツ橋の上流側に、もう一つ古い橋が架かっている、雉子橋(きじばし)である。 江戸時代の雉子橋門跡の近くに架かる橋で、徳川家康が朝鮮の使節を饗応するために、好物の雉子を囲った場所がこの辺りであった。、、、、、、明治36年(1903)に鉄橋に改架したが、関東大震災で被災した。 現在の橋は大正14年(1925)10月25日に架けられた、長さ32.89m、幅27.6mの鋼橋です。
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清水門 ・・・・・・・江戸城北の丸に登城する門で、現在の千代田区役所庁舎前にある、門を入ると科学技術館の横に出る。  江戸城の他の門に比べると、どちらかというとマイナーな門であるが、重要文化財である。、、、、、、寛永元年(1624)助役大名:浅野長晟により建てられた枡形の城門。 江戸時代の雰囲気を色濃く残している。
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吉田茂の像 ・・・・・・・・・・清水門を入ると芝生地の一角に吉田茂の像がある。 像は昭和56年(1981)に公園内に建てられた。 昭和の名宰相がなぜここに?
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北の丸公園の秋 ・・・・・・・・
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●・・・・・・・・・・ このあと、田安門から公園を出て飯田橋駅より帰宅

2017年11月12日 (日)

知らない町に行ってきた!

昨日まで、“東京→(山形新幹線)→米沢→(米坂線)→村上→(羽越線)→新潟→(上越新幹線)→東京”のルートで、妻と旅行してきた。 この旅の一番の目的は、新潟県関川村の「渡邉邸」を訪れることでした。 雅万歩と同性で、故郷のようでもあり、親戚のようでもある、豪農の屋敷を見学してきた。、、、、第二の目的は、村上市内の「黒塀通り」を歩くこと、既に冬の風も吹き始め、観光客も少なく静かな小路を散策してきた。、、、、、今だ訪れたことがなかった二つの町を歩き、印象深い旅となった。

二つの町をチョイト紹介します・・・・・・・・




関川村 ・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・ 米坂線「越後下関」駅から徒歩10分程で、旧米沢街道に面して、国の重要文化財である豪農の屋敷、明治時代に建てられた旧医院などが並んでいる。

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・・・・・・・・・・ 一般に公開されている渡邉邸は1817年(=江戸時代、伊能忠敬が活躍した頃)に建てられた。 3000坪の敷地に500坪の大邸宅。 主屋は41m×36m程の大きさで、国の重要文化財。 点在する多くの蔵や屋敷を囲む塀まで全て重要文化財なり。、、、、広い長い土間、多くの蔵が、厳しい冬の生活を支えているようだ。

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・・・・・・・・・・ 渡邉家の分家の渡邉家御新宅、明治38年築。 現在は東桂苑と呼ばれ、関川村が管理している。

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・・・・・・・・・・ 紹介ついでに、関川村にてこの夜の泊りは、吊り橋の奥にある鷹の巣温泉

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・・・・・・・・・・ 吊り橋の架かる「荒川」は、磐梯朝日国立公園から流れ下り、日本一の水質を誇る川らしい。、、、、、“清流”と言われても、橋の上から見ると???

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村上の城下町 ・・・・・・・・・ 村上は、戦国時代は本庄氏、江戸時代は村上氏が築いた城下町。 しかし今は、城跡には石垣が残るだけ。


・・・・・・・・・・ 築200年以上経つ武士の住宅「若林家住宅」。 ボロ屋に見えるが、こちらも国の重要文化財。

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・・・・・・・・・・ 松尾芭蕉もこの通りを歩いて浄念寺に参拝したと言われている「黒塀通り」。 城下町の風情を残す小路。

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・・・・・・・・・・・・・浄土宗の寺院、快楽山称名院浄念寺は1500年頃の開基である。 本堂は1818年に再建された、大きな白壁土蔵造りで、コレマタ、国の重要文化財。

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・・・・・・・・・・ さすが城下町、今に残る町屋の多くは老舗の酒屋・茶舗・漆器屋など、ついつい土産に財布も緩む。

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2017年11月 7日 (火)

夕暮れの浅草寺

夕暮れ時に浅草寺へ行ってきた




浅草地下街 ・・・・・・・・ 東武浅草駅と新仲見世から入る浅草地下街。 地下街は地下鉄浅草駅と松屋デパートの地下食品売り場とも連絡している。 昭和の空気が漂う地下街で、古川ロッパ、エノケン、デンスケなどに出会いそうな雰囲気である。、、、、午後4時、まだ呑んでいる客はいないようだ。
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浅草寺 弁天堂 ・・・・・・・・ 浅草寺本堂に向かう仲見世通りの右側(東側)裏に、弁天山と呼ばれる小高い丘に建つ、昭和58年(1983)に鉄筋コンクリート造で再建されたお堂がある。 堂の中には白髪の老女弁財天が祀られている。、、、、、本尊が、“老女”の弁天様では見たくないね! 弁天様は若いピチピチの姿が一番!(扉は閉まり姿は見えず、残念!)
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・・・・・・・・・・ お堂の右手前に、芭蕉の句 “花の雲 鐘は上野か 浅草か” で有名な鐘がある。 鐘楼は昭和25年(1950)の再建であるが、鐘は元禄5年(1692)に改鋳されたものだ。江戸時代の“時の鐘”の一つだ。、、、、あと50余日で大晦日、除夜の鐘として、浅草橋の我が家まで聞こえるかな?

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旧五重塔跡 ・・・・・・・・・ 現在の五重塔は本堂に向かい左側(西側)に建立されているが、かつてはその反対側(右側)に建てられていた。 その位置には、現在、「旧五重塔跡」と記された石碑が建てられている。  浅草寺の五重塔は、天慶5年(942)平公雅による創建以後、いく度か炎上するもその都度再建されてきた。 昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲により惜しくも焼失した国宝旧五重塔(高さ33メートル)は、江戸時代の慶安元年(1648)、第三代将軍徳川家光(1604~51)により建立されたものである。

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・・・・・・・・・・ 石碑の位置から見る本堂

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ライトアップの浅草寺 ・・・・・・・・・ 外人観光客へのサービスかな?

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⑤お店も賑わい・・・・・・・・・・・チョイとナイショで、撮らせてもらいました

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2017年11月 6日 (月)

チョイと病院へ

● ちょうど一週間前、鼻血タラ・タラの大出血事件が起きた。 そのアフターフォローのため、上野駅近くの病院へ行ってきた。 (ちなみに、私の住む浅草橋駅周辺では、耳鼻咽喉科、産婦人科、泌尿器科、眼科の町医者は、皆無と言っていいほど少ない、都会の医療過疎地帯である。 受診するには大病院へ行くことになる)、、、、同じような事件が二度と起きないよう、先生に『もう鼻血が出ないようにしてください!』と懇願。 『左の穴はしっかり焼けてます。 右の穴は出血するような状態ではないです』ということで、完全に鼻血を遮断するするのは無理らしいが、診てもらい一安心。、、、、まだ若いつもりの70歳、“美人を見ては鼻血ブー!”なら嬉しいのだがね。
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● 病院の帰り、念には念を入れ下谷神社に詣で、病気平癒の願かけをする。、、、、賽銭は10円でいいかな? 横の御札所から、巫女さんが私の姿を見つめてる。 急遽、財布から100円玉を2枚取り出し投げ入れる。、、、、手を合わせた後、巫女さんの顔をじっくり見て、シマッター!
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● 下谷神社とは、浅草通りを挟み北側に台東区役所庁舎がある。 寄ってみるか!、、、、、昭和48年(1973)築の10階建て庁舎の屋上に出てみた。 『ナント、素晴らしい眺め!』と、感嘆の声を期待して上ってみたが、『ナ~~ンダ、何処にでもあるような眺め』と、チョイと落胆。、、、、、、天気が良いので我慢するか!
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2017年11月 4日 (土)

牛田~尾竹橋

浅草から東武伊勢崎線に乗り、北千住の一つ手前:牛田駅で下車する。 ここから隅田川沿いに遡り尾竹橋まで、1万歩の散歩です。




牛田駅・関屋駅 ・・・・・・・・・ 東武伊勢崎線牛田駅、京成本線関谷駅の両駅は共に足立区千住曙町にあり、一車線の道路を挟み互いに向き合っている。 双方の改札は30m程しか離れていない。、、、、、ああ、それなのに、なぜ駅名が違うのか? 答えは、昔、双方の会社が競い合っており、仲が悪かった。 東武の方は、駅の辺りに、むかし牛田圦(うしだいり)と呼ばれた農業用水路が近くにあり、それに由来し「牛田」と命名した。 京成の方は、この辺りを描いた葛飾北斎の浮世絵「関屋の里」に由来し「関屋」と命名した。 故に、駅開業から約85年間、鉄道会社は違う、駅名は違う、お客は間違う! ぜひそろそろ両駅とも、「牛田関屋」とか、「千住曙町」とか、駅名を統一して改名してもらいたいね。 お客様第一に考えて!

・・・・・・・・・・ 牛田駅、、、、、昭和7年(1932)に開業した、相対式2面2線の地上駅。
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・・・・・・・・・・ 関屋駅 、、、、、牛田・関屋の両駅に挟まれたファミリーマートは、商売繁盛。
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・・・・・・・・・・ 相対式2面2線の高架駅:関屋駅(昭和6年開業)は、牛田駅と反対側の墨堤通り側にも出られる。
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岡田商事引込線跡 ・・・・・・・・ 牛田駅から墨堤通りを北千住方向に歩くと、左側の京成本線高架橋の下に、廃線のレールの跡を見ることができる。 レールの先は墨堤通りを横断し、東武伊勢崎線に向いている。 間違いなく、伊勢崎線から分岐していた跡だ!、、、、、昭和19年(1944)、東武鉄道は、伊勢崎線から分岐して隅田川まで貨物線を伸ばし、当時の市街の住民のウンコ(糞尿)を積んだオアイ船から、列車にウンコを積み替え、埼玉方面の農家に肥料として運んだそうだ。 そのレール跡が、現:岡田商事という鉄骨解体業者の敷地に残っている。
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隅田川左岸 ・・・・・・・・・・左岸といっても、千住関屋町付近。 対岸は荒川区南千住の汐入地区で、超高層住宅が建ち並んでいる。、、、、、チョイと南千住の方は、朝もや・もや・もや、スッキリしない。
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やっちゃば緑道 ・・・・・・・・ 千住の中央卸売市場足立市場近くの交差点に、北千住駅から市場に貨物線が敷かれていた線路跡の、「やっちゃば緑道」がある。 引込線は戦時中に敷設されたようだ。、、、、、線路は無いが、今にでも、貨物列車が向かってくるような雰囲気が残っている。
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千住大橋駅 ・・・・・・・・ 京成本線の千住大橋駅は昭和6年(1931)12月19日に開業した。、、、、、これまでは、日光街道(国道4号)に面した高架下の出入口がメインであったが、駅南側に三菱地所による大規模都市再開発「ポンテグランデTOKYO」が事業推進中である。 暗い駅が、明るい駅に変身!
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・・・・・・・・・・・・・ ポンテグランデTOKYO再開発事業
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再び隅田川左岸 ・・・・・・・・・ 千住桜木付近に出た、対岸は荒川区町屋。、、、、朝もやは消えた。 歩く先に尾竹橋が見える。
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尾竹橋 ・・・・・・・・ 隅田川に架かる橋で都道313号(尾竹橋通り)を通す。 南詰は荒川区町屋、北詰は足立区千住桜木である。 長さ130.3mの3径間連続ローゼ桁橋で、平成4年(1992)に竣工。
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●・・・・・・・・・ 尾竹橋を渡り、バス停「尾竹橋」から帰る。、、、、早く帰って、大統領補佐官:イバンカさんのニュースを見よう! 熱烈なファンになってしまった。
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2017年11月 2日 (木)

新小岩~四ツ木

夕暮れ時に、総武線新小岩駅から京成押上線四ツ木駅まで歩いてきた。 1万歩




新小岩駅 ・・・・・・・・ 夕日となる直前に新小岩駅で下車した。 まだ、退社時間前で乗降客も少ないようだ。
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平和橋通り沿いの1社2寺 ・・・・・・・・・ 中川に架かる平和橋にちなみ、新小岩駅前をとおり堀切菖蒲園駅の方へ抜ける都道が平和橋通り  、、、、、雅万歩では、おなじみの寺社を歩いてきた

・・・・・・・・・・ まずは、西新小岩の東光寺。 真言宗の東光寺は、慶長元年(1596)に創建された。 境内には、安政大地震の様子を伝える石造地蔵像が祀られている。
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・・・・・・・・・・ 次は、東新小岩にある、新義真言宗の上品寺。 こちらには、私の好きな閻魔大王坐像がある。 大王は、地獄に住み、死して地獄に堕ちる人間の生前の善悪を正し、罪あるものには、苦しみを与える冥王として信仰する人が多い。 私も生きているうちに仲良くなり、天国へ行けるようゴマをすっておくことにしている。
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・・・・・・・・・・ 平和橋の南詰には天祖神社。 創建は鎌倉時代。 現社殿は昭和43年(1968)の造営。
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夕日の平和橋 ・・・・・・・・ 中川に架かる平和橋、、、、、スカイツリーがよく見える!
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木根川薬師の町 ・・・・・・・ 天台宗の青龍山薬王院浄光寺。 本尊薬師如来は伝教大師の作といわれ、むかしから「木根川薬師(きねかわやくし)」として世に知られている。
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・・・・・・・・・・ 取り壊しを待つ近くの団地が、夕日を受け寂しそう
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・・・・・・・・・・ 寂れた木根川商店街、、、、、営業しているのは角の床屋と奥の中華料理屋だけ。 あとは空き家。、、、、、???
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荒川土手の夕暮れ ・・・・・・・・
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四ツ木駅へ ・・・・・・・・・・・・・昭和の町「渋江商店街」の灯りが泣きそうだ!
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2017年11月 1日 (水)

西新井~扇大橋

東武伊勢崎線西新井駅から、南西方向に進み尾久橋通りに出て、扇大橋・尾久橋を渡り、荒川区に入る気持ちで歩きはじめた。 しかし、尾竹橋通りを越えてから方向感覚がチョイとずれ、我が足は南に向かっていた、気がつけばそこは中曽根城跡なる処、これでは荒川区に入るのはチョイとキツイ、結局、日暮里・舎人ライナーの扇大橋駅まで、1万歩の散歩となった。



西新井ヌーヴェル ・・・・・・・ 西新井駅西口斜め前の再開発地区の総称。 現住所で言うと「足立区西新井栄町1丁目」 この地区はかつて日清紡東京工場の跡地で、平成10年(1998)に都市再生機構が工場跡地(約11.6ha)を取得した。 その後、平成18年(2006)頃から開発事業が具現化し、現在は、大型商業施設を中心に、約2000戸の集合住宅、病院、警察署などがある。

・・・・・・・・・・ 都心に向かう通勤客がホームに並ぶ西新井駅 。 西口は駅ビルの2階。
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・・・・・・・・・・ 新しいビルばかりが並ぶ西新井ヌーヴェル 、、、、綺麗な街だが、チョイと味気ない街と思うのは私だけか?
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本木2丁目付近の裏道 ・・・・・・・・・・ 西新井駅から南西に約1㎞の歩いた町
 

・・・・・・・・・・ 西新井ヌーヴェルを抜けて、「関原三丁目」バス停付近で尾竹橋通りを横断し、本木地区に入る。
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・・・・・・・・・・ ここいらから、裏道を歩くことにした。(これが、方向感覚を狂わせてしまうのだ!) この辺りは、住宅と町工場が入り交じり、所々に空き地のある雑多な町。 間違っても、高級住宅地とは言えない。
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・・・・・・・・・・ 商店街ではないが、店がある、銭湯もある。 オヤ!廃業した菓子屋もある、脇の路地を歩いてみよう!
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・・・・・・・・・・ 道は中曽根神社に出た。 中曽根神社は、千葉次郎勝胤公によって室町時代に築城された中曽根城内に、千葉氏の崇敬する妙見社を勧請したものといい、昭和7年興野の雷神社を合祀して中曽根神社と改称した。、、、、、、どう見ても、城跡とは思えない神社だが、社殿は白と黒を基調に塗られ、どことなく城郭風である。 境内には「中曽根城跡」の碑もある。、、、、、なお、「中曽根」の地名は、ノーベル平和賞を受賞した元首相とは無関係だ。 江戸時代以降に使われた本木村の小字名。
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宝寿院 ・・・・・・・・・ 中曽根神社の西側200m程の処(本木東町)に、真言宗豊山派寺院の宝寿院がある。 宝寿院は、武蔵千葉氏の祈願所として応永元年(1394)に創建した。 寺の山門(朱塗りの薬医門)付近の土中から文永9年(1272)刻銘の板碑が発見された。 また、近辺を「小屋の内手」と言い、中曽根城と縁の深い地らしい。
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本木御嶽神社 ・・・・・・・・・ 宝寿院の南100mにある、千葉氏の家臣が日頃から信仰する武州御嶽山を勧請して永禄4年(1561)創建したと思われる神社がある。、、、、、社殿の後ろに庚申塔がある。、、、、、この辺りは、武蔵千葉氏の縄張りのかも?
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吉祥院 ・・・・・・・・・ 本木西町の真言宗豊山派寺院吉祥院は、正応元年(1288)に開山した。 古くから名刹であったそうだ、住職は権大僧都として、毎年正月には葵の紋のついた籠で江戸城に登場したと言われている。、、、、、本堂は昭和57年(1982)の再建で、八間四面、入母屋造りの重厚な建物である。、、、、、、庭の手入れも行き届き、豊かな緑に癒される寺
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扇1丁目 ・・・・・・・・・ 足立区の南側を流れる荒川に架かる扇大橋 、その北詰の両側に広がる町が足立区扇である。 「扇」とは粋な地名だ、気になるので調べてみた。 昭和49年(1974)の住居表示の時に、昔からの地名に何ら関係なく、ただ町域が扇のように南に広がっていることから「扇」と命名したそうだ。 私には、チョイと納得しがたいね。、、、、、ところで、都心に近い町でありながら、田畑が残る田舎町だ。
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扇大橋駅 ・・・・・・・ 扇の町の中央に位置する日暮里・舎人ライナーの駅
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