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我が家(浅草橋)から、神田駅、一ツ橋をとおり、清水門から北の丸公園に入り、田安門から出て飯田橋駅まで、1万4千歩の散歩です。
昨日まで、“東京→(山形新幹線)→米沢→(米坂線)→村上→(羽越線)→新潟→(上越新幹線)→東京”のルートで、妻と旅行してきた。 この旅の一番の目的は、新潟県関川村の「渡邉邸」を訪れることでした。 雅万歩と同性で、故郷のようでもあり、親戚のようでもある、豪農の屋敷を見学してきた。、、、、第二の目的は、村上市内の「黒塀通り」を歩くこと、既に冬の風も吹き始め、観光客も少なく静かな小路を散策してきた。、、、、、今だ訪れたことがなかった二つの町を歩き、印象深い旅となった。
二つの町をチョイト紹介します・・・・・・・・
①関川村・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・米坂線「越後下関」駅から徒歩10分程で、旧米沢街道に面して、国の重要文化財である豪農の屋敷、明治時代に建てられた旧医院などが並んでいる。
・・・・・・・・・・・・・一般に公開されている渡邉邸は1817年(=江戸時代、伊能忠敬が活躍した頃)に建てられた。 3000坪の敷地に500坪の大邸宅。 主屋は41m×36m程の大きさで、国の重要文化財。 点在する多くの蔵や屋敷を囲む塀まで全て重要文化財なり。、、、、広い長い土間、多くの蔵が、厳しい冬の生活を支えているようだ。
・・・・・・・・・・・・・・・渡邉家の分家の渡邉家御新宅、明治38年築。 現在は東桂苑と呼ばれ、関川村が管理している。
・・・・・・・・・・・・・紹介ついでに、関川村にてこの夜の泊りは、吊り橋の奥にある鷹の巣温泉。
・・・・・・・・・・・・吊り橋の架かる「荒川」は、磐梯朝日国立公園から流れ下り、日本一の水質を誇る川らしい。、、、、、“清流”と言われても、橋の上から見ると???
②村上の城下町・・・・・・・・・村上は、戦国時代は本庄氏、江戸時代は村上氏が築いた城下町。、、、、、城跡には石垣が残るだけ。
・・・・・・・・・・・築200年以上経つ武士の住宅「若林家住宅」。 ボロ屋に見えるが、こちらも国の重要文化財。
・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉もこの通りを歩いて浄念寺に参拝したと言われている「黒塀通り」。 城下町の風情を残す小路。
・・・・・・・・・・・・・浄土宗の寺院、快楽山称名院浄念寺は1500年頃の開基である。 本堂は1818年に再建された、大きな白壁土蔵造りで、コレマタ、国の重要文化財。
夕暮れ時に、浅草寺へ行ってきた。
②浅草寺 弁天堂・・・・・・・・・・浅草寺本堂に向かう仲見世通りの右側裏に、弁天山と呼ばれる小高い丘に建つ、昭和58年(1983)に鉄筋コンクリート造で再建されたお堂がある。 堂の中には白髪の老女弁財天が祀られている。、、、、、本尊が、“老女”の弁天様では見たくないね! 弁天様は若いピチピチが一番!
・・・・・・・・・・・・・お堂の右手前に、芭蕉の句 “花の雲 鐘は上野か 浅草か” で有名な鐘がある。 鐘楼は昭和25年(1950)の再建であるが、鐘は元禄5年(1692)に改鋳されたものだ。江戸時代の“時の鐘”の一つだ。、、、、あと50余日で大晦日、除夜の鐘として、浅草橋の我が家まで聞こえるかな?
③旧五重塔跡・・・・・・・・・・・現在の五重塔は本堂に向かい左側(西側)に建立されているが、かつてはその反対側(右側)に建てられていた。 その位置には、現在、「旧五重塔跡」と記された石碑が建てられている。 浅草寺の五重塔は、天慶5年(942)平公雅による創建以後、いく度か炎上するもその都度再建されてきた。 昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲により惜しくも焼失した国宝旧五重塔(高さ33メートル)は、江戸時代の慶安元年(1648)、第三代将軍徳川家光(1604~51)により建立されたものである。
④ライトアップの浅草寺・・・・・・・・・・・・外人観光客へのサービスかな?
⑤お店も賑わい・・・・・・・・・・・チョイとナイショで、撮らせてもらいました。
浅草から東武伊勢崎線に乗り、北千住の一つ手前:牛田駅で下車する。 ここから隅田川沿いに遡り尾竹橋まで、1万歩の散歩です。
夕暮れ時に、総武線新小岩駅から京成押上線四ツ木駅まで歩いてきた。 1万歩。
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