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2017年11月15日 (水)

北の丸公園

我が家(浅草橋)から、神田駅、一ツ橋をとおり、清水門から北の丸公園に入り、田安門から出て飯田橋駅まで、1万4千歩の散歩です。




浅草橋から一ツ橋・雉子橋まで ・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・ まもなく8時、浅草橋駅から職場に向かう人に交じり、神田川を越え、靖国通りを横断し、神田駅に向かう。、、、、東京に生まれて70余年、神田界隈は育った町でもある。 『アレ? 岩本町のここに花屋があったはず。 隣は莫大小(メリヤス)の問屋だったっけ?』、『神田駅前ガード下にはロマンポルノの映画館があったな。 向かいに、ケーキ屋の小鍛冶があった。 JTBはまだある。』、『神田駅周辺には、ハワイ、日の丸、ハリウッドなどキャバレーがあったが、今は無い! 寂しいね。』、『美土代町のYMCAでは、地下にプールがあって、中学生の私はフルチンで泳がされた。 YMCAの建物があった場所は?、判らなくなった!』、、、、いつの間にか壊され、建て替えられ、ビルが並ぶ町となった神田界隈。 一人で数十年前の街並みを思い浮かべ、懐かしみ歩いてきた。
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・・・・・・・・・・ 神田錦町に2年前にオープンした複合ビル「テラススクエア」は、博報堂の跡地に建てられた地上17階・地下2階建てのビルである。 ビルの一部には昭和5年(1930)に竣工した博報堂旧本館が復元されている。
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・・・・・・・・・・ 日本橋川に架かる一ツ橋。 徳川家康が江戸城に入った頃は、現在の橋の位置に 丸太の一本橋が架かっており、「一ツ橋」の橋名は、この一本橋から名付けられたと言われている。 そして、寛永年間(1624~1643)になると、この丸太の一本橋の江戸城側に 一ツ橋御門が設置され、同時に見附橋としての「一ツ橋」が架けられる。 これが「一ツ橋」の由来である。、、、、現在の一ツ橋は、大正14年(1925)に架けられた、全長:19.6m、全幅:28.0mの 鋼製桁橋である。
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・・・・・・・・・・ 一ツ橋の上流側に、もう一つ古い橋が架かっている、雉子橋(きじばし)である。 江戸時代の雉子橋門跡の近くに架かる橋で、徳川家康が朝鮮の使節を饗応するために、好物の雉子を囲った場所がこの辺りであった。、、、、、、明治36年(1903)に鉄橋に改架したが、関東大震災で被災した。 現在の橋は大正14年(1925)10月25日に架けられた、長さ32.89m、幅27.6mの鋼橋です。
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清水門 ・・・・・・・江戸城北の丸に登城する門で、現在の千代田区役所庁舎前にある、門を入ると科学技術館の横に出る。  江戸城の他の門に比べると、どちらかというとマイナーな門であるが、重要文化財である。、、、、、、寛永元年(1624)助役大名:浅野長晟により建てられた枡形の城門。 江戸時代の雰囲気を色濃く残している。
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吉田茂の像 ・・・・・・・・・・清水門を入ると芝生地の一角に吉田茂の像がある。 像は昭和56年(1981)に公園内に建てられた。 昭和の名宰相がなぜここに?
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北の丸公園の秋 ・・・・・・・・
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●・・・・・・・・・・ このあと、田安門から公園を出て飯田橋駅より帰宅

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