« 古代東海道 | トップページ | 足立の薬師寺 »

2017年11月22日 (水)

古代東海道(続き)

一昨日の散歩の続きです。 奥戸小学校前の案内図に従い、今日は立石駅から白鬚まで赤線で示された古代東海道を歩いてきた。 1万3千歩。
1711200916441-2



立石駅前 ・・・・・・・・・ 葛飾区役所、チョロQ・プラレールの製造元タカラトミーの本社がある、葛飾区の行政・経済の中心地(?)だが、京成電鉄の普通列車しか停まらない駅。 戦後は赤線・青線地帯もあり、駅北側はその当時の面影も残る、下町の“歌舞伎町”。
1711220759050
1711220805450


・・・・・・・・・・ 駅前の「立石仲見世」商店街、まだ開店前!
1711220816420
1711220813120


・・・・・・・・・・ 立石仲見世を抜けると、古代東海道のルートの一部である奥戸街道に出る。
1711220818330



渋江公園 ・・・・・・・・・ 渋江公園は奥戸街道に面し立石駅から約500m程の処、テニスコートなどがある広い公園。 
1711220842300
1711220837590


・・・・・・・・・・ 渋江公園は昭和27年(1952)の開園以前はセルロイド製のオモチャ工場があった敷地で、園内にその「葛飾区セルロイド工業発祥記念碑」がある。 記念碑は「セルロイド=平和、希望、児童」と云う判りにくいコンセプトにより、子供を配している。、、、、セルロイドのおもちゃ、下敷き、筆箱、学生服のカラーなど、かつては身の回りに多く見られたが、今は見ることがなくなった。 でも、ピンポン玉は今でもセルロイド製らしい。
1711220841180


・・・・・・・・・・ また公園の芝生広場の一角には、「キャプテン翼」の登場人物・岬太郎くんの銅像が配置されている。
1711220837140



奥戸街道入口交差点 ・・・・・・・ 渋江公園の西側、50m程、奥戸街道の一方の入口(出口?)がある。  奥戸街道はこの交差点で、平和橋通りと“T”字型に交わる。、、、、、古代東海道は交差点から西へ真直ぐ、京成押上線の踏切を越え、「まいろーど四つ木商店街 」に入る。、、、、、踏切も、数年後には高架化され消える運命!
1711220847210
1711220850380
1711220853180



四つ木白髭神社 ・・・・・・・・・ 商店街の通りから住宅地の裏通りに入ると四つ木白髭神社がある。 古代東海道の面影を求め立ち寄ってみた。、、、、、承応3年(1654)四つ木村が立石村から分村したとき、四つ木村の鎮守として勧請された神社だが、私の期待する面影は見つけることができなかった。
1711220900320
1711220901350



ひたすら直進 ・・・・・・・・ 白髭神社から再び商店街に戻り、人影のない商店街を西へ向かうと、国道6号(水戸街道)に出る。  古代東海道は水戸街道を斜めに横断し、荒川に並行する綾瀬川に沿って走る首都高の処で途切れる。、、、、、葛飾区内の古代東海道のルートはここまで!
1711220912110
1711220916020
1711220922420
1711220925220



墨田区内の古代東海道 ・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・ 古代東海道の時代には、存在しなかっ荒川を四つ木橋で渡る。、、、、、昔(平安時代)の人が見たらビックリする、堂々と流れる荒川。
1711220927280
1711220929580
1711220930440


・・・・・・・・・・ 葛飾区側のルートを伸ばすと、墨田区墨田4丁目の「ほがらか保育園」の脇を抜ける道路につながる。、、、、、保育園前の荒川土手には、古代東海道を見守るように石仏が祀られている。 勝手に想像して、平安時代に荒川で溺死した人を弔う石仏か? バカな!荒川は昭和に入って完成した川だ! 
1711220950270
1711220949420


・・・・・・・・・・ 古代東海道は東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅前の踏切に通じていた。
1711220956060


・・・・・・・・・・ この踏切は私にとって、一生忘れられない愛おしい踏切である。 今から4年程前、踏切の正面にある交番の前で起きた脱臼事件 の現場だ!、、、、、古代東海道は交番の左側を入っていく。
1711220958380


・・・・・・・・・・ 古代東海道は正面に高層の「白鬚東アパート」を仰ぎ見る、墨堤通りにぶつかる。 ここで、奥戸小学校前の案内図にあった古代東海道のルートは終わる。、、、、、、アパートは隅田川沿いに建ち、防災拠点でもある。
1711221007010



⑦感動!・・・・・・・・ 今日の散歩は古代東海道沿いに歩いてきたが、ここまで「古代東海道」の文字を発見することはできなかった。 これより先はルートも不明、時間もそろそろ昼だ、散歩はここまで、バス停を探しに向かう。

・・・・・・・・・・・・・・白鬚東アパート沿いに墨堤通りを歩いていると、バス停が見つかった。、、、、、オヤ、本数が少ないけど、あと10分くらいで浅草寿町行くが来るから、乗って帰ろう!
1711221040070


・・・・・・・・・・ バスを待つ数分、バス停前をブラブラ、、、、、オヤ、何か書いてある?
1711221041570


・・・・・・・・・・ 見てビックリ、読んで感動、目をこすり喜び、鼻水たれて恥ずかし~~い。 ナント、『古代東海道』の文字がある。 バスが来るぞ!、じっくり読む時間もなく、あわてて写真を撮る。
1711221041450


・・・・・・・・・・ 大正3年(1914)まで白鬚橋の近くにあった住田渡(すみだのわたし)は、古代東海道の一部であったと書かれている。、、、、最後の最後に感動した散歩である。

« 古代東海道 | トップページ | 足立の薬師寺 »

散歩」カテゴリの記事

建築」カテゴリの記事

葛飾区」カテゴリの記事

墨田区」カテゴリの記事