観泉寺
今夏に訪れた杉並区今川の観泉寺に、秋の色を求めて歩いてきた。 西荻窪から、荻窪八幡神社、観泉寺、妙正寺と1社2寺を巡って荻窪駅まで、1万2千歩の散歩です。
①荻窪八幡神社 ・・・・・・・・・ 杉並区上荻の荻窪八幡神社は、第59代・宇多天皇の寛平年間(889~898、平安時代前期)に創祀されたものと伝えられている。 旧上荻窪村の鎮守。、、、、、永承6年(1051)、源頼義が奥州の安倍貞任征伐の途中、当社で戦勝を祈願し、後の康平5年(1062)に凱旋の折、神恩に感謝して当社を厚く祀ったと言われている。 その後の文明9年(1477)に江戸城主であった太田道灌は石神井城主:豊島泰経を攻める際に、この故事にならって当神社に武運を祈願した。 この時植えた槇の樹一株が、500年経ったいまなお神社の境内にそびえる「道灌槇」で、御神木として崇められている。、、、、、、本殿は明治28年(1895)、拝殿は昭和11年(1936)に建てられた。




②観泉寺 ・・・・・・・・・ こちらは、地名も杉並区今川にある、今川氏の菩提寺観泉寺。 夏に訪れたときは、緑豊かに手入れの行き届いた庭であった。 秋の色に染まった庭も見たく、今日の再訪となった。、、、、、慶長2年(1597)観音寺として創建。 正保2年(1645)今川13代直房(桶狭間で織田信長に敗れた今川義元の子孫)は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤めました。 その功により井草村など三か村五百石の加増をうけ、当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とした。
・・・・・・・・・・ 山門から本堂へ、、、、、東京の紅葉は京都みたいに、一斉に赤くならないようだ!



・・・・・・・・・・ 横の鐘楼は無ゴ~~ン

・・・・・・・・・・ 閻魔堂は、秋の陽射しを受け眩しそう

・・・・・・・・・・ 庭の樹々もチョイと色づいた

・・・・・・・・・・ 今川の御先祖さんは墓地で熟睡!

③妙正寺 ・・・・・・・・・ 観泉寺から東へ向かい杉並区清水にある、日蓮宗の寺院:法光山妙正寺に参る。 妙正寺は十界諸尊を本尊とし、ほかに大黒天・鬼子母神・三十番神・弁財天などの諸像が祀られている、仏様の揃い踏み。、、、、、約六百年前の文和元年(1352)、中山法華経寺の第三世日祐上人が、妙正寺のほとりに堂を建て、法華経守護の天照大神・八幡大神・春日大神など三十番神を勧請したのが始まり。 正保3年(1646)に堂を再建し中興する。 慶安2年(1649)、三代将軍徳川家光が鷹狩りの折、神前に武運長久を祈願し、葵の紋幕と朱印地五石を寄進してからは、「御朱印寺」として一層有名になった。 なお、隣の妙正寺公園を源として、王子から隅田川に注ぐ川は妙正寺川である。、、、、、本堂は昭和6年(1931)に改築し、鐘楼は昭和38年(1963)に建て替えられた。
・・・・・・・・・・ 山門の脇には、紅葉ならぬ、桜のお出迎え


・・・・・・・・・・・・・山門を抜ければ、スグ前に本堂


・・・・・・・・・・ 鐘楼をチョイと見上げて、ゴーン

・・・・・・・・・・ 妙正寺の墓地に眠る、囲碁の本因坊:知伯。 本因坊知伯(ちはく)は、宝永7年(1710)に生まれ、享保18年(1733)に没した、江戸時代の囲碁棋士で、六世本因坊。、、、、知伯の本姓は井口であるが、妙正寺の墓地には井口姓の墓が多く、アッチャ、コッチャ、墓を覗き探すこと15分。 やっと見つけた、小さな墓石!

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