西新井~扇大橋
東武伊勢崎線西新井駅から、南西方向に進み尾久橋通りに出て、扇大橋・尾久橋を渡り、荒川区に入る気持ちで歩きはじめた。 しかし、尾竹橋通りを越えてから方向感覚がチョイとずれ、我が足は南に向かっていた、気がつけばそこは中曽根城跡なる処、これでは荒川区に入るのはチョイとキツイ、結局、日暮里・舎人ライナーの扇大橋駅まで、1万歩の散歩となった。
①西新井ヌーヴェル・・・・・・・・西新井駅西口斜め前の再開発地区の総称。 現住所で言うと「足立区西新井栄町1丁目」。 この地区はかつて日清紡東京工場の跡地で、平成10年(1998)に都市再生機構が工場跡地(約11.6ha)を取得した。 その後、平成18年(2006)頃から開発事業が具現化し、現在は、大型商業施設を中心に、約2000戸の集合住宅、病院、警察署などがある。
・・・・・・・・・・・・・・都心に向かう通勤客がホームに並ぶ西新井駅 。 西口は駅ビルの2階。
・・・・・・・・・・・・・・新しいビルばかりが並ぶ西新井ヌーヴェル。、、、、綺麗な街だが、チョイと味気ない街と思うのは吾輩だけか?
②本木2丁目付近の裏道・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・西新井ヌーヴェルを抜けて、「関原三丁目」バス停付近で尾竹橋通りを横断し、本木地区に入る。
・・・・・・・・・・・・・・ここいらから、裏道を歩くことにした。(これが、方向感覚を鈍らせてしまうのだ!) この辺りは、住宅と町工場が入り交じり、所々に空き地のある雑多な町。 間違っても、高級住宅地とは言えない。
・・・・・・・・・・・・・・商店街ではないが、店がある、銭湯もある。 オヤ!廃業した菓子屋もある、脇の路地を歩いてみよう!
・・・・・・・・・・・・・道は中曽根神社に出た。 中曽根神社は、千葉次郎勝胤公によって室町時代に築城された中曽根城内に、千葉氏の崇敬する妙見社を勧請したものといい、昭和7年興野の雷神社を合祀して中曽根神社と改称した。、、、、、、どう見ても、城跡とは思えない神社だが、社殿は白と黒を基調に塗られ、どことなく城郭風である。 境内には「中曽根城跡」の碑もある。、、、、、なお、「中曽根」の地名は、ノーベル平和賞を受賞した元首相とは無関係だ。 江戸時代以降に使われた本木村の小字名。
③宝寿院・・・・・・・・・・・中曽根神社の西側200m程の処(本木東町)に、真言宗豊山派寺院の宝寿院がある。 宝寿院は、武蔵千葉氏の祈願所として応永元年(1394)に創建した。 寺の山門(朱塗りの薬医門)付近の土中から文永9年(1272)刻銘の板碑が発見された。 また、近辺を「小屋の内手」と言い、中曽根城と縁の深い地らしい。
④本木御嶽神社・・・・・・・・・・・宝寿院の南100mにある、千葉氏の家臣が日頃から信仰する武州御嶽山を勧請して永禄4年(1561)創建したと思われる神社がある。、、、、、社殿の後ろに庚申塔がある。、、、、、この辺りは、武蔵千葉氏の縄張りのかも?
⑤吉祥院・・・・・・・・・・・本木西町の真言宗豊山派寺院吉祥院は、正応元年(1288)に開山した。 古くから名刹であったそうだ、住職は権大僧都として、毎年正月には葵の紋のついた籠で江戸城に登場したと言われている。、、、、、本堂は昭和57年(1982)の再建で、八間四面、入母屋造りの重厚な建物である。、、、、、、庭の手入れも行き届き、豊かな緑に癒される寺。
⑥扇1丁目・・・・・・・・・・・・足立区の南側を流れる荒川に架かる扇大橋 、その北詰の両側に広がる町が足立区扇である。 「扇」とは粋な地名だ、気になるので調べてみた。 昭和49年(1974)の住居表示の時に、昔からの地名に何ら関係なく、ただ町域が扇のように南に広がっていることから「扇」と命名したそうだ。 私には、チョイと納得しがたいね。、、、、、ところで、都心に近い町でありながら、田畑が残る田舎町だ。
⑦扇大橋駅 ・・・・・・・・・扇の町の中央に位置する日暮里・舎人ライナーの駅。