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2017年11月20日 (月)

古代東海道

「東海道」と言えば、東京駅から神戸駅までの「JR東海道線」か、江戸時代に整備された五街道の一つ東京日本橋から京都三条大橋までの「東海道」をイメージする。 どちらも、東京駅・日本橋から西に向かって伸びて行くのが「東海道」。、、、、、ところがギッチョン、大化の改新以後に街道が整備され、平安時代には平安京を起点に街道が整備された。 この頃の「東海道」は畿内から伸び武蔵国(東京都)・下総国(千葉県)を抜けて常陸国(茨木県)までであった。 つまり、京都から東京都心部、葛飾区、市川市を抜けて茨木県まで伸びていた。、、、、、今日の散歩は、その「古代東海道」の一部、京成小岩駅から立石駅までの区間を歩いてきた。 1万歩



●・・・・・・・・「古代東海道」なる街道があったことを、私が知ったのは、今日散歩の途中で奥戸小学校前を通った時その案内板を見たからである。 70余年東京に住んでいて、初めて知った知識。、、、、、案内板の地図は南北が逆だが、鐘ヶ淵駅・四ツ木駅・立石駅・奥戸橋・三和橋・京成小岩駅と葛飾区の中を通っていた。
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京成小岩駅 ・・・・・・・・・ 島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 昭和7年5月15日に開業。 駅出入口は南北に2か所あるが、駅前の賑わいは期待薄!、、、、JR総武線の小岩駅とはかなり離れている、乗り換えは無理。

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愛国学園 ・・・・・・・・ 京成小岩駅近くに、私立の中・高等学校と、短大がある。 昭和13年(1938)設立の女子校である。 “愛国”とは、チョイト戦前の匂いがする校名だ!、、、、校舎の前の通りが古代東海道である。

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立石大通踏切 ・・・・・・・・・葛飾区細田1丁目にある新金貨物線(新小岩~金町)の踏切。 踏切名は「立石大通踏切(たていしおおどおりふみきり)」で、この辺りでは古代東海道は立石大通りと呼ばれていたのかも?、、、、、貨物線は運転本数も少なく単線だ!

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・・・・・・・・・・ この辺りでは、かつての古代東海道で、拡張工事が行われていた。

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三和橋 ・・・・・・・・ 三和橋(さんわばし)は、新中川に架かる橋のひとつで、東岸の葛飾区細田三丁目と西岸の細田二丁目を結んでいる。 橋長119.0mの3径間連続プレビーム合成桁橋。、、、、、旧三和橋は、昭和36年(1961)に架けられ、完成から約50年経過し劣化が進み、耐震性も低下したため、平成24年(2012)6月に現橋が完成した。、、、、古代東海道の頃は、もちろん橋はなかったが、新中川も無かった。 新中川は昭和38年(1963)に中川放水路として完成した新しい川である。

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奥戸小学校 ・・・・・・・・・ 三和橋を渡ると奥戸の町に入る。 この学校前で、古代東海道を知ることができた。

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奥戸橋 ・・・・・・・・・ 奥戸小学校を過ぎると、中川に架かる奥戸橋を渡る。 高砂1丁目と立石8丁目を結ぶ、飾りの少ないガータ橋。 昭和47年(1972)11月竣工。、、、、古代人はこの川を泳いで渡ったのか?

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南蔵院 ・・・・・・・・・ 奥戸橋を渡り中川沿いに歩くと、真言宗豊山派寺院の南蔵院がある。 長保年間(999-1004)に創建したと伝えられ、境内からは、明治時代に破却されたものの古墳が出土しており、古くから栄えた一角にある。、、、、、古代東海道を知る寺院か?

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立石祠 ・・・・・・・・・・「立石」の地名は、立石八丁目にある立石様という石に由来する。 この立石様は、公園の中央にある祠の中心に鎮座している。 付近にかつて古墳があったことやその材質(房州石という凝灰石の一種)から、古墳の石室などと同様、千葉県鋸山付近より同地に持ち込まれたと推定されている。また、奈良・平安時代には立石付近を横断していた古代東海道の道標として転用されていたと考えられている。、、、、、立石様の石は、頭がかろうじて見える程度で全身は土の中。

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帝釈道の道標 ・・・・・・・・ 立石祠の近く、中川の岸に、正面に大きく「帝釋天王」と彫られてた道標がある。  横側には「文政三(=1820年)庚辰歳四月」の文字が見て取れる。 このあたりで「帝釋天」といえば、柴又の寅さんがいる「題経寺」のことを指す。 ここは帝釈道の分岐点でもあった。

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西円寺/諏訪神社 ・・・・・・・・・ 新義真言宗寺院の西円寺は、永禄10年(1567)の創建。 江戸時代には立石諏訪神社の別当寺であった。、、、、、今日は経営する幼稚園の行事があるらしく、怪しい親爺は境内に近寄れなかった。

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・・・・・・・・・・ 立石諏訪神社の創建年代は不詳だが、元文4年(1799)の資料に記載のあることから江戸時代中期には創建されていたらしい。

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立石駅 ・・・・・・・・ 立石駅を挟む、四つ木~青砥間の高架化工事に着手し、立石駅はいよいよ高架駅に変わる予定。 また、駅の両側の再開発も計画され、数年後には大変身するであろう。、、、、、古代東海道の散歩も、今日はここまで!

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