牛田~尾竹橋
浅草から東武伊勢崎線に乗り、北千住の一つ手前:牛田駅で下車する。 ここから隅田川沿いに遡り尾竹橋まで、1万歩の散歩です。
①牛田駅・関屋駅 ・・・・・・・・・ 東武伊勢崎線牛田駅、京成本線関谷駅の両駅は共に足立区千住曙町にあり、一車線の道路を挟み互いに向き合っている。 双方の改札は30m程しか離れていない。、、、、、ああ、それなのに、なぜ駅名が違うのか? 答えは、昔、双方の会社が競い合っており、仲が悪かった。 東武の方は、駅の辺りに、むかし牛田圦(うしだいり)と呼ばれた農業用水路が近くにあり、それに由来し「牛田」と命名した。 京成の方は、この辺りを描いた葛飾北斎の浮世絵「関屋の里」に由来し「関屋」と命名した。 故に、駅開業から約85年間、鉄道会社は違う、駅名は違う、お客は間違う! ぜひそろそろ両駅とも、「牛田関屋」とか、「千住曙町」とか、駅名を統一して改名してもらいたいね。 お客様第一に考えて!
・・・・・・・・・・ 牛田駅、、、、、昭和7年(1932)に開業した、相対式2面2線の地上駅。


・・・・・・・・・・ 関屋駅 、、、、、牛田・関屋の両駅に挟まれたファミリーマートは、商売繁盛。

・・・・・・・・・・ 相対式2面2線の高架駅:関屋駅(昭和6年開業)は、牛田駅と反対側の墨堤通り側にも出られる。

②岡田商事引込線跡 ・・・・・・・・ 牛田駅から墨堤通りを北千住方向に歩くと、左側の京成本線高架橋の下に、廃線のレールの跡を見ることができる。 レールの先は墨堤通りを横断し、東武伊勢崎線に向いている。 間違いなく、伊勢崎線から分岐していた跡だ!、、、、、昭和19年(1944)、東武鉄道は、伊勢崎線から分岐して隅田川まで貨物線を伸ばし、当時の市街の住民のウンコ(糞尿)を積んだオアイ船から、列車にウンコを積み替え、埼玉方面の農家に肥料として運んだそうだ。 そのレール跡が、現:岡田商事という鉄骨解体業者の敷地に残っている。



③隅田川左岸 ・・・・・・・・・・左岸といっても、千住関屋町付近。 対岸は荒川区南千住の汐入地区で、超高層住宅が建ち並んでいる。、、、、、チョイと南千住の方は、朝もや・もや・もや、スッキリしない。



④やっちゃば緑道 ・・・・・・・・ 千住の中央卸売市場足立市場近くの交差点に、北千住駅から市場に貨物線が敷かれていた線路跡の、「やっちゃば緑道」がある。 引込線は戦時中に敷設されたようだ。、、、、、線路は無いが、今にでも、貨物列車が向かってくるような雰囲気が残っている。


⑤千住大橋駅 ・・・・・・・・ 京成本線の千住大橋駅は昭和6年(1931)12月19日に開業した。、、、、、これまでは、日光街道(国道4号)に面した高架下の出入口がメインであったが、駅南側に三菱地所による大規模都市再開発「ポンテグランデTOKYO」が事業推進中である。 暗い駅が、明るい駅に変身!


・・・・・・・・・・・・・ ポンテグランデTOKYO再開発事業



⑥再び隅田川左岸 ・・・・・・・・・ 千住桜木付近に出た、対岸は荒川区町屋。、、、、朝もやは消えた。 歩く先に尾竹橋が見える。


⑦尾竹橋 ・・・・・・・・ 隅田川に架かる橋で都道313号(尾竹橋通り)を通す。 南詰は荒川区町屋、北詰は足立区千住桜木である。 長さ130.3mの3径間連続ローゼ桁橋で、平成4年(1992)に竣工。


●・・・・・・・・・ 尾竹橋を渡り、バス停「尾竹橋」から帰る。、、、、早く帰って、大統領補佐官:イバンカさんのニュースを見よう! 熱烈なファンになってしまった。

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