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2017年12月

2017年12月31日 (日)

お礼参り

またまた大晦日がやって来た。 我が家では、今年も家族揃って浅草寺にお礼参り。 私と妻と母と娘とその彼氏の五人。 年越し蕎麦を食べ、浅草寺に参り、しる粉で〆て、『今年一年に感謝し、来年に夢を託す』。
 
 
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2017年12月30日 (土)

中川(潮止橋・新中川橋)

中川を遡る散歩の続き。 今日はつくばエクスプレス八潮駅から、飯塚橋の上流にあたる埼玉県八潮市の潮止橋と、八潮市・三郷市の境に架かる新中川橋を巡り八潮駅に戻る、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
八潮駅 ・・・・・・・・・・・足立区の北、埼玉県南東に並ぶ八潮市と三郷市。 都心よりつくばエクスプレスで向かうと、足立区の北千住駅から三駅目が八潮駅である。 秋葉原駅からは普通で20分程、運賃は高いが、スピードは速い電車である。、、、、、平成17年(2005)8月24日に開業した、島式ホーム2面4線の高架駅。 すでに開業後10余年経過したが、今でも東京近郊の新しい駅という感じが漂っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅周辺は、広い道路沿いに建つ住宅・マンション・ファミレスなど、全てがここ10数年間の建物である。 まだ空き地も残っており点在する。 新しい町には普通の電柱は無くスッキリ、でも高圧鉄塔だけは何処でも見える。
 
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②潮止橋・・・・・・・・・・足立区の飯塚橋から上流に約3km遡った八潮市大瀬を流れる中川に架かる橋。、、、、、、私には理由が判らんが、昔は自殺が多かった橋だと聞いた。
 
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・・・・・・・・・・・・・潮止橋から下流を眺めると、左岸の遥か遠くにスカイツリーが見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流側を眺める
 
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・・・・・・・・・・・・・潮止橋南詰の土手に咲くスイセン
 
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③大瀬氷川神社・・・・・・・・・・・潮止橋南詰(八潮市大瀬)にある氷川神社の創建年代は不詳。 しかし、大瀬は猿俣(葛飾区水元)・戸ケ崎などとの水運拠点として古くから栄えた地で、神社は大瀬の鎮守社として祀られていたらしい。明治42年(1909)に浅間神社を合祀し、大正9年(1920)には中川の改修工事により当地へ遷座した。、、、、、神社には伝統の獅子舞が継承されているそうだ。 毎年7月の祭礼で奉納されているので、一度御覧アレ。
 
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④中川土手・・・・・・・・・中川の左岸(三郷市側)の土手を歩く。 この辺り、「堤防」と呼ぶようなコンクリート構造物はあまり見ることがなく、「土手」と呼んだ方がしっくりする。
 
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⑤新中川橋・・・・・・・・・・・・中川には橋名に“中川”が付く橋が多い。 鉄道橋を除き、道路橋を上流から列挙すると、中川橋(久喜市)、中川橋(春日部市)、中川人道橋(春日部市)、新中川橋(八潮市・三郷市)、中川橋(葛飾区)、中川大橋(葛飾区)と、似たような名の橋がある。、、、、、その一つ、新中川橋は八潮市と三郷市の市街地で発生している慢性的な渋滞緩和を目的として、八潮市伊勢野と三郷市戸ヶ崎を結び、県道54号松戸草加線を通す、長さ422m、幅員22m(4車線)、事業費約150億円で、平成22年(2010)11月に開通した比較的新しい橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋から南に富士山が見えた。(写真中央)
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋上か眺めると、堤防の一部が滑走路のように整備されていたが、短すぎる!? しっかりと整備が終わるまで、あと数年はかかりそうだ!
 
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⑥伊勢野天満宮・・・・・・・・・新中川橋の北詰(八潮市伊勢野)にある、村の鎮守さま。、、、、、伊勢野村を開いた朝田金次郎が、慶長5年(1600)、故郷に近い京都の北野天満宮の分霊を村の鎮守として祀ったことに始まる。、、、、、元日午前0時の参拝の為か、拝殿前の参道には明かりが用意されていた。 明治神宮、富岡八幡宮(?)もいいが、たまには元日夜中に、ここのような鎮守さま詣でもいいね。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八潮駅から帰宅

2017年12月28日 (木)

中川(常磐線中川橋梁~飯塚橋)

三日前の散歩の続きで、金町駅から中川に架かる常磐線中川橋梁と飯塚橋を巡り、亀有駅まで歩いてきた。 1万2千歩。
 
 
 
京成金町駅 ・・・・・・・・・・・・「金町」までは、我が家のある浅草橋からは、浅草橋→(都営浅草線)→押上→(京成)→京成金町のルートで、約30分、190円(都営線内は敬老パスを使用)と、JRを西日暮里経由で利用するより安く、早く行ける。 便利なもんだ!
 
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②常磐線中川橋梁・・・・・・・・・・・・亀有~金町間で、中川に架かる常磐線の鉄道橋。 JR常磐線と千代田線が並走する。

・・・・・・・・・・・・・金町駅から常磐線沿いに歩き、新金貨物線の新宿道踏切を渡り、中川の堤防に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・中川の堤防に出ると、左手に先日渡った中川橋 が、右手に常磐線中川橋梁が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側にJR常磐線、上流側に千代田線が走る。 昭和45年(1970)頃の竣工。
 
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③中川堤防を歩く・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・誰も歩いていないチョイ寒の堤防を歩く。  誰もいない青空の下の散歩は爽快である! 
 
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・・・・・・・・・・・・・中川を下る船とすれ違う。 70歳を過ぎると、船を見て手を振るのは恥ずかしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・アッ! 対岸のビルの谷間に富士山が見える! (写真中央)
 
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④中川水管橋・・・・・・・・・・・常磐線中川橋梁の上流、足立区中川と葛飾区南水元を結び、工業用水を通す、東京都水道局が管理する橋。 昭和46年(1971)に完成した。、、、、、両岸の端部では、水道管が地中にもぐり込んでいる。
 
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⑤富士j神社・・・・・・・・・川に沿い歩いていると堤防下にまだ木肌の新しい神社が見えた。 葛飾区南水元にある富士神社(飯塚富士)である。 神社は、木花咲耶姫命を祭神として、正慶元年壬申(1332)6月創建といわれ、江戸時代には旧飯塚村の鎮守だった。、、、、富士塚は拝殿の裏にある浅間山の上に、さ らに盛土をして築かれ、まるで古墳である。、、、、、さて、拝殿に向かい賽銭を投げてから、しめ縄・鈴の緒を見てビックリ、触ってガックリ、鳴らしてガッカリ、、、、ナント、しめ縄・鈴の緒はビニール紐で作られている。 しめ縄の藁の渋い色が出ていない、テカテカである。 鈴の緒をつかむと、フニャフニャ、紐の重量感・手ごたえがない。 せっかく社殿を新築したのだから、しめ縄・鈴の緒も本物を付けて欲しかった。 ご利益、期待できそうにないかもね!
 
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⑥鹿浜線中川水管橋 ・・・・・・・・・・・・中川水管橋の上流側にもう一つ水管橋がある。 こちらは飲料水が流れているようだ。 こちらも、川を越えると水道管は地中にもぐる。
 
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⑦飯塚橋・・・・・・・・・・・・東岸の葛飾区南水元と西岸の足立区大谷田・中川を結ぶ飯塚橋。 昭和30年代に架けられた旧飯塚橋は老朽化により取り壊され、平成6年(1994)に現在の長さ303.0m、幅員20.2mの鋼箱桁橋が開通した。、、、、、この飯塚橋は足立区と葛飾区を結ぶ唯一の車・人道橋である。 この橋の先には、約3.0km上流の埼玉県八潮市の潮止橋 まで橋はない。
 
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・・・・・・・・・・・・・飯塚橋から上流を眺めるが、八潮市の潮止橋は見えない。
 
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⑧中川氷川神社・・・・・・・・・・・飯塚橋を渡り、足立区に入る。 これより中川沿いに歩いて亀有駅に向かう。 さて、足立区中川では氷川神社にお立ち寄り。、、、、、、素盞嗚尊を祭神とする古社。 手水石、狛犬などの年代には古いものが多い。
 
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⑨亀有駅・・・・・・・・・・北口に到着。
 
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2017年12月25日 (月)

中川(高砂橋~中川橋)

京成本線高砂駅で下車し、新中川が中川から分流する高砂橋から北上し中川橋まで堤防沿いに歩き、常磐線亀有駅までの散歩。 1万1千歩。
 
 
 
高砂橋 ・・・・・・・・・・・・・京成電鉄高砂駅の西200m程に架かる、葛飾区青戸と高砂を結ぶ高砂橋。 初代は昭和7年(1932)に架けられ、その後、平成15年(2003)に現在の橋に架け替えられた。、、、、、現在の橋は、長さ約187m、シンプルな2径間連続斜張橋(塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造の橋)である。、、、、この橋の下流で、新中川(旧中川放水路)が中川から分岐し、今井橋の近くで旧江戸川に合流する。
 
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②京成電鉄中川橋梁・・・・・・・・・高砂橋の上流(北側)には、青砥~高砂間に架かる京成電鉄中川橋梁がある。 現在の橋は、昭和48年頃に架け替えられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・この区間では、他社の乗り入れもあり、多くの電車を見ることができる。 ちなみに、他社とは京浜急行・都営浅草線・北総鉄道・芝山鉄道である。 特急のスカイライナーも走るので、写真を撮ることに熱中すると散歩を忘れてしまう。
 
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③中川堤防・・・・・・・・・・気持ち良い青空の下、チョイと風が強く、帽子が飛ばないように注意しながら歩く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・堤防の下には広い空き地も見える。 隣には、昔は農家、今は大地主の屋敷も見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・東京都水道局の水道管、水鳥が管の上で日向ぼっこする姿も見える。
 
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④中川大橋・・・・・・・・・・・国道6号(水戸街道)を通し、葛飾区青戸と同区新宿を結ぶ中川大橋。 旧橋は昭和10年(1935)に架橋されたが、平成元年(1989)に長さ134m、幅員31mの現在の橋に架け替えられた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・橋の両側には、青戸の「延命寺」、新宿の「日枝神社」がある。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、青戸の「延命寺 」、、、、、「青砥やくじん延命寺」と呼ばれる新義真言宗の長久山地蔵院延命寺。 嘉応元年(1169)の創建で、800年以上続く古刹である。 地蔵菩薩の本尊と摩怛梨天を祀り、古くから「やくじん(疫神)さま」と呼ばれきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・お次は、新宿の「日枝神社」、、、、、、合掌形の破風を架した朱塗りの山王鳥居が迎える、葛飾の新宿の日枝神社。 永禄2年(1559)頃に創建されたとしている、江戸時代には新宿町の鎮守、明治5年には郷社に列格した。 平成20年(2008)、本殿、神楽殿、山門鳥居等を一新した。
 
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中川橋 ・・・・・・・・・・・中川大橋の上流に架かり、葛飾区亀有と新宿を結ぶ中川橋。 初代の中川橋は明治17年(1884)に明治天皇の行幸に合わせて架けられた木橋。 2代目の橋は、昭和8年(1933)に架設された鋼橋。 現在は平成20年(2008)3月10日に開通した、橋長120.6mの上路式連続鋼鈑桁橋。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・中川橋を渡れば、亀有駅はスグそこ。 JRで帰ることにした。

2017年12月23日 (土)

清砂大橋・葛西橋

東西線南砂町駅から清砂大橋を渡り荒川を越えて江戸川区へ、引き続き上流の葛西橋を渡り再度荒川を越えて江東区へ、東砂三丁目からバスで帰宅。 1万2千歩の散歩。
 
 
 
南砂町駅 ・・・・・・・・・散歩の出発点はここ南砂町駅。 天皇誕生日の今日は、通勤客も少なく、人を避けることなく歩け楽だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅から300m程東で東西線は地上に顔をだし高架となって荒川へ向かう。 私の足も東西線沿いに荒川へ向かう。
 
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②清砂大橋西詰・・・・・・・・・・・清砂大橋西詰交差点(江東区新砂3)は、千代田区大手町から門前仲町・東陽町を抜ける「永代通り」の終点である。 これより東側は「清砂大橋通り」となり江戸川区東葛西まで続く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点から車道は清砂大橋に続く。
 
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③清砂大橋・・・・・・・・・・・西岸の江東区新砂と東岸の江戸川区清新町を結ぶ、荒川と中川に架かる橋長1317.2mの長い橋。 橋名は両岸の町名から一文字頂戴。、、、、、橋は平成8年(1996)に着工し、8年後の平成16年(2004)に開通した、3径間連続斜張橋(主塔間230m)である。
 
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・・・・・・・・・・・・清砂大橋から見る下流側。 首都高湾岸線が走る荒川河口橋が望まれる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・清砂大橋から見る荒川(右側)と中川(左側)の合流点、頭上は首都高中央環状線が走る。
 
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・・・・・・・・・・・・・清砂大橋の上流側約20m離れて東西線荒川橋梁が並行する。
 
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④干潮時の水位以下・・・・・・・・・・清砂大橋の東詰(江戸川区西葛西)に鎮座する西葛西八幡神社。 神社の創建年代は不詳である、かつて地元の鎮守として祀られた。、、、、、神社のすぐ近くに背の高い中川の護岸がそそり立っている。 中川の川面は見えないが、川底に神社があるような気がするのは気のせいか。
 
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・・・・・・・・・・・・・・葛西橋から見た中川(左側)と江戸川区(右側)、、、、、、この辺りは荒川・中川の干潮時の水位より低い位置に建っている。 堤防が決壊すると2階の高さまで水がくるそうだ。
 
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葛西橋 ・・・・・・・・・現在の葛西橋は昭和38年(1963)に完成した、清洲橋をまねたようなデザイン(チョイと武骨で野暮ったい)の長さ727.4mのゲルバー橋で、荒川の右岸(江東区東砂)と中川の左岸(江戸川区西葛西)を結ぶ橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・現在の葛西橋から上流側約300mに、昭和3年(1928)に竣工した旧葛西橋が架けられていた。 その位置に立てられている区の案内板に旧葛西橋の写真がある。
 
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⑥生田稲荷神社・・・・・・・・・・・東砂3丁目の生田稲荷神社。 境内の石碑には、『慶安年中(1648~1651)当地開発のさい、土地の鎮守とす。元禄初年(1688~1703)疫病のさい、里民当社に祈願し安全を得、特に産婦の安全を守護し、神徳を崇め遠近より参詣が多い。』と記されている。 安産に御利益があるようだ。
 
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⑦東砂三丁目バス停・・・・・・・・・都営の敬老パスを持っているので、都営バス・地下鉄などに乗り放題。 ついつい安きに流れ、バスで帰ることにした。
 
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2017年12月20日 (水)

西新井

早朝の西新井大師に参り、その足でグル~~リと西新井駅の北側(竹ノ塚駅との中間地点ぐらいまで)を歩き西新井駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
東武大師線 ・・・・・・・・・・西新井駅から隣の大師前駅まで、路線距離1.0kmの盲腸線。
 
・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線で浅草から向かうと、西新井駅で大師線に乗り換えである。 ホームに降り立つと、向かいの1番線ホームに昭和30年代のリバイバルカラーの大師線が到着している。、、、、、この電車に乗ろう、急げ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・大師前駅に到着するや、スグに折り返し西新井行となる。
 
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②西新井大師・・・・・・・・・・只今、時刻は8時半。 まだ、参詣客は少ないだろうと大師(総持寺)に向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・参道はまだ開いていない店が多い。 開いているのは、店主がお年寄りの店のだけ。
 
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・・・・・・・・・・・・・来年秋まで山門は保存修理中。 工事の為、狭くなった山門をくぐると、本堂が見える。、、、、、境内の、あちら、こちら、どちら、そちらで、初詣の準備中。 工事関係者が車でやって来る。 コリャ、ゆっくり境内を見ることも難しそうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・まずは御本尊に手を合わせ、境内の三匝堂、不動堂などをまわり、本堂裏から境内を出た。
 
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③栗原立体交差・・・・・・・・・かつて、西新井大師の北東に位置する足立区栗原地区は、地区の中央を南北に走る東武伊勢崎線により東西の交通が遮断され、栗原1丁目・2丁目は線路の東側に、栗原3丁目・4丁目は西側に分断されていた。、、、、、足立区では昭和60年(1985)から平成3年(1991)にかけ、総延長380m、トンネル部160m、総工費36億円で東武伊勢崎線と並行する尾竹橋通りの下を抜けるトンネルを造り、東西をつないだ。 これが栗原立体交差である。、、、、、約30年前に造られた立体交差は交通量も増え、栗原地区の東西一体化に貢献したようだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・立体交差で東武伊勢崎線の東側(足立区栗原2)に出ると、UR栗原団地が広がっている。、、、、、昭和40年代に建てられた20数棟からなる団地。 広い敷地にゆったりと建てられている団地で、生活もしやすそうだ。 
 
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④栗原氷川神社・・・・・・・・・栗原2丁目に鎮座する栗原氷川神社。 創建年代は不詳だが、天正2年(1574)に再建され、栗原村の鎮守社であったと言われている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・社殿の前にはクロマツの大木が数本、堂々と天に伸びている。 おみごと!
 
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⑤旧奥州街道・・・・・・・・・・江戸五街道の一つ「奥州街道」(日本橋から宇都宮までは日光街道と共用) その奥州街道の旧道を標す石碑が足立区島根にある。、、、、、、写真:右端の屋敷前に建てられている。 そこには、屋敷前の細い道が古代からの奥州街道であると標されている。
 
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・・・・・・・・・・・・『石碑は新しそうだ、この道がホントに奥州街道?』と疑問が頭をかすめる。 すると、ちょうど屋敷の御主人らしき方が出てきたので話を伺うと、、、、、碑を建てたのは御主人のお父さまで、代々この地に住む方だ。 江戸時代以前から屋敷前の道は、近くの栗原氷川神社から続く奥州街道と言われているとのこと。 古文書もあるそうだ。 ホントの話であった。
 
 
⑥島根古蹟庚申塔・・・・・・・・・・島根4丁目の公園の一端にある小祠に庚申塔が祀られていた。 宝永時代(約290年前)に建立された庚申塔で、厄除を願い村人の安全を祈ったものらしい。
 
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鷲神社 ・・・・・・・・・・島根の入り組んだ道を歩いていたら、今年の8月に来た鷲神社(わしじんじゃ)に出た。 地元に密着した神社のようだ。、、、、、美しいフォームの神社。
 
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西新井駅 ・・・・・・・・・・・今日は東口に到着。 ここから帰宅する。
 
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2017年12月19日 (火)

一之江~行徳

都営新宿線一之江駅から、今井橋で旧江戸川を渡り欠真間の町を抜けて、東京メトロ東西線行徳駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①一之江駅・・・・・・・・・・都営新宿線の一之江(いちのえ)駅は昭和61年(1986)9月14日に開業した島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、、一之江駅の周辺には、一之江、一之江町、二之江町、松江、瑞江、春江そして区名が江戸川と地名に“江”の字が多い。 この辺りは、もともと沼地・入り江で、戦後の昭和40年代ぐらいまでは、白鷺の舞うハス田が広がっていた。 今は、白鷺もハス田も見当たらないマンションが建ち並ぶ都会となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅前は、空中にはられた電線が無く、スッキリとした街になっている。、、、、、無電柱化は達成しているが、高圧鉄塔が残っている。 これがチョイと邪魔だね!
 
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新中川 ・・・・・・・・・・葛飾区高砂にて旧中川分岐して直線的に南下し、瑞穂大橋の下流側で旧江戸川に合流する全長8km程の川である。 新中川は戦後に開削され、昭和38年(1963)に完成した「中川放水路」である。、、、、、今日は瑞江大橋を渡り、新中川を越える。
 
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③今井橋・・・・・・・・旧江戸川に架かる今井橋。 現在の今井橋は昭和54年(1979)に完成した。 それまでの旧橋は現在の橋の50m程上流側に、昭和26年(1951)に完成した片側一車線のコンクリート橋であった。 戦後、上野公園からこの橋の西詰まで、都営のトロリーバスが運行していたが、昭和43年(1968)頃廃止となった。 “トロリーバス”とは、懐かしいね。、、、、、、今井橋は北岸の江戸川区江戸川地区と南岸の千葉県市川市(行徳)を結んでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・橋を渡り市川市に入ると、橋の際に「今井の渡し旧跡」の案内が立っている。、、、、、寛永8年(1631)に、この場所に渡しが許可されたそうだ。 以来、大正元年(1912)に初代の今井橋が架けられるまで、渡しが利用されていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・今井の渡し跡の近く(市川市相之川)に、渡し舟の水上安全を祈願した祠「相之川香取神社」がある。、、、、、ついでに、行徳駅から西へ600m程の処(市川市香取(かんどり))に香取神社がある。 こちらは、“かとりじんじゃ”ではなく、地名に由来し“かんどりじんじゃ”と読むそうだ。 香取市の香取神社とは無関係の神社。 あ~、ややっこしい!
 
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④欠真間・・・・・・・・・・南行徳駅の北800m程の旧江戸川べりの地名。 「欠真間」は“かけまま”と読む、“けつまま”と読むと何となく汚いイメージだ。、、、、、市川駅の北、国府台の台地に連なる「真間」の地の土が台風などの自然災害でこの地に流れてきたと伝えられ「欠真間」と呼ばれるそうだ。
 
・・・・・・・・・・・・・江戸川・旧江戸川で囲まれた行徳・浦安地区は、土地が低く自然排水が殆ど不可能な処である。 雨が降ると、雨水などが溜まる一方で、勝手に川へ流れていかない土地であった。 そこで、行徳・浦安地区の川べりには30か所程の排水機場があり、雨水などを江戸川・旧江戸川に強制的に配水している。 その一つ、欠真間排水機場と、欠真間三号水門が旧江戸川べりにある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・住所は相之川であるが、欠真間に隣接する相之川日枝神社。、、、、、相之川日枝神社は、万治2年(1659)に創建したと伝えられ、明治6年(1873)に村社に列格した。
 
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・・・・・・・・・・・・・行徳・浦安地区を東西に貫く江戸時代の農業用水路の跡が、南行徳小学校の塀に「内匠堀跡(たくみぼりあと)」として標されている。、、、、、、用水は現在の鎌ヶ谷市のほうから引かれていたそうだ。 用水路は大正時代に江戸川放水路が造られ分断され、そして現在は道路沿いに暗渠化された。 当時は舟も通行できたそうだ。、、、、小学校の塀は、波を打つ形状で煉瓦積風に造られている。 これが用水路跡か、サッパリ判らん? 
 
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・・・・・・・・・・・・・浦安~本八幡間を、一時間に2~4本程度の頻度で運行している欠真間のバス停。 
 
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⑤源心寺・・・・・・・・・・・・・市川市香取(かんどり)にある浄土宗の源心寺。 源心寺は、永正年間(1504~1521)この地に不動尊像を祀った安楽院という草庵の地に開山された。 慶長16年(1611)の創建。
 
・・・・・・・・・・・・・平成12年(2000)に再建された本堂。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂2階から見る境内は広い。
 
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・・・・・・・・・・・・・鐘楼の脇に控える閻魔大王の石像。 享保3年(1718)の作。、、、、、我が家のインテリアとして欲しくなった。 真夜中に忍び込んで頂戴しようかと思ったが、閻魔の罰が怖いのでやめておく。
 
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⑥胡録神社・・・・・・・・・・・胡録神社は行徳の街(市川市湊新田)の鎮守様である。 江戸時代から、この辺りは天候に恵まれ製塩が盛んな地域であったことから、神に感謝する祭礼が盛大に行われていたそうだ。 その伝統が今も引き継がれているらしい。、、、、、今度機会あれば、祭礼を見てみたいものだ。
 
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⑦行徳駅・・・・・・・・・・昭和44年(1969)3月29日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。、、、、、駅ができた当時は、周辺にハス池が多く残っている東京郊外の駅であった。 今は私の住む浅草橋より、生活しやすい感じがする住宅地。
 
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2017年12月15日 (金)

青砥~綾瀬

今冬一番の寒さ、京成本線青砥駅から千代田線綾瀬駅まで、1万1千歩の散歩です。

 
 
 
青砥駅・・・・・・・・・青砥駅前には「ワルツの塔」というのがある。 地元葛飾区とウィーン市フロリズドルフ区が姉妹都市となり、その縁にちなみ設置されたそうだ。 塔にはワルツ王:J.シュトラウスを模しバイオリンを奏でる人物像が立っている。、、、、、通勤客が像の前を改札に向かう。、、、、どうせなら、ワルツの曲でも流せば、通勤客もチョイト浮かれて人の流れもスムースになるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・駅は昭和3年(1928)11月1日に開業した。 現在は成田方面行が3階、上野・押上方面行が2階のホームを使用する高架駅。
 
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②青戸第一団地・・・・・・・・・・青砥駅の西側に、平成5年(1993)から14年(2002)にかけ全棟が建て替えられた綺麗なUR団地である。 前身の、公団の団地は昭和31年(1956)から入居が始まった歴史ある古い団地。、、、、、現在は20数棟程の高層住宅が建ち並び、総戸数1100戸程のUR青戸第一団地。
 
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③タカラトミー青戸オフィス・・・・・・・・・青戸第一団地を横切り青戸四丁目に入ると、リカちゃん、チョロQ、プラレールなどを世に出した玩具メーカの青戸オフィスがある。 「タカラトミー」は平成18年(2006)に、ポケモンの「トミー」がチョロQの「タカラ」を合併して発足した会社である。、、、、青戸オフィスは旧タカラの本社ビルである。 この付近は、戦後まで、ブリキのおもちゃ工場などの零細工場が多かった処である。
 
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④水戸街道・・・・・・・・・・・通称水戸街道(国道6号)を越え、青戸地区から白鳥地区に入る。
 
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⑤延命寺・・・・・・・・・葛飾区白鳥4丁目に天台宗の延命寺がある。 延命寺は近江国三井寺の大僧都源慶(-1352)が三囲神社 (墨田区向島)の別当寺として創建し、寺社地が御用地となったため元禄6年(1693)小梅村へ移転した。 明治維新後の神仏分離令により、三囲神社と分離、関東大震災に罹災し、昭和2年(1927)に現在地へ移転した。、、、、、本堂は昭和12年(1937)に完成。、、、、、、三囲神社は三井家(三越)の守護神として崇敬を集めているが、延命寺は三井家と関係がないのかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・おまけの話、、、、、「延命寺」は葛飾区内に3寺ある。 ここ白鳥の天台宗の延命寺と、東水元の真言宗豊山派の延命寺、そして青戸にもう一つ、真言宗豊山派の延命寺 がある。、、、、、なんの役にもたたない知識でゴメン!
 
 
⑥上千葉砂原公園・・・・・・・・・西亀有に区立の上千葉砂原公園がある。 ここには、ヤギ、ウサギなどに触れられる「ふれあい動物広場」と、「交通公園」がある。 午前10時、お客様の子供はまだ、保育園、幼稚園、小学校で学習中。 朝からきている暇な客は、70過ぎた私一人、はずかしいので、いそいそと通過する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交通公園の片隅に、D51502機関車が保存されている。、、、、このD51は、昭和16年(1941)に国鉄鷹取工場で製造され、奈良・広島第一・小郡・新鶴見・新津・直江津と各機関区を走り、最後は昭和47年(1972)に酒田機関区で廃車となった。 約30年間で全国約190万km走行した。 ひょっとしたら、私もどこかでこの機関車が牽く列車に乗っていたかも?
 
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⑦上千葉香取神社・・・・・・・・・この地(堀切8)は中世、千葉氏一族の領地であり、付近には古城址と思われる地名が残っている。 当香取神社は葛西氏または千葉氏が下総国香取神宮を勧請したものと言われている。 社号は明治5年(1872)社格制定の時、「千葉神社」と改めたが、昭和32年(1987)に香取神社に戻した。、、、、、平成6年(1994)には、現在の鉄筋コンクリ^-ト造の社殿が建てられた。
 
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綾瀬駅 ・・・・・・・・・・・・昔は常盤線の駅、チョイ前は千代田線の駅、して今は、JRと東京メトロの共同使用駅。 駅業務は東京メトロに移管。 JRの切符は券売機で買えるが、「みどりの窓口」が無いので新幹線の切符は買えない。、、、、、さらに、駅は足立区と葛飾区の境にある。 公式の所在地は足立区綾瀬。
 
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2017年12月13日 (水)

鮫洲

夕暮れ時に、孫との約束で京浜急行のプラレール(=プラスチック製の鉄道おもちゃ)を買いに、京急グッズを扱うショップがある鮫洲駅に行ってきた。 ついでに隣の立会川駅までプチ散歩。
 
 
 
①鮫洲駅・・・・・・・・・6両編成分の長さしかない島式ホーム1面2線の両外側に通過線を2線を有する高架駅。 優等列車は全て通過、停まるのは普通だけ。、、、、、小さな駅だが、歴史は古く、明治37年(1904)5月8日に開業した。、、、、、なんで、こんな寂しい駅にショップがあるのか? 品川・蒲田・川崎などの大きな駅にある方が集客力があるのでは? チョイとぼやきたくなる駅。
 
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②代書屋・・・・・・・・・・・“鮫洲”、“府中”と言えば、東京に住む御年配は自動車運転免許試験場を思い出す人もいるだろう。 コンピュータが普及する以前は、免許の取得には試験場に行くことになっていた。 当時、駅前には“代書屋”が並び、呼び込みのおばちゃんが大声で客を捕まえていた。 写真を撮って、申請書類をタイプで打って、ハイ幾らであった。、、、、、その代書屋が駅前に一軒、静かに営業している。 客はいない、呼び込みのおばちゃんもいない。
 
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③鮫洲八幡神社・・・・・・・・・・鮫洲駅に隣接する、この辺りの総鎮守さま。 創立年代は不明だが、寛文年間(1661~1673)には、すでにあったらしい。 鉄筋コンクリート造の現社殿は八幡造で、昭和47(1972)年5月に造営された。
 
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④旧東海道・・・・・・・・・品川から西へ伸びる散策路:旧東海道だが、北品川~青物横丁あたりまでは、寺社も点在し、商店も多く賑やかな道である。 鮫洲から先は店もまばらで、寺社も少なく、散歩にはチョイと寂しいね。
 
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勝島運河 ・・・・・・・・・鮫洲駅と立会川駅の間に位置する勝島運河。 運河と言っても、船舶は立会川寄りで行き止まりとなり大きな船溜まりとなっている。 
 
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⑥立会川駅・・・・・・・・・・駅前の明かりに足を止めるサラリーマンもいそうだ。
 
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2017年12月11日 (月)

サルを追って

今年10月頃から神奈川県の平塚市・横浜市などで出没したサルは、多摩川を越え大田区・港区・新宿区に現れ、昨日はさらに北上し足立区新田付近を荒らしていたそうだ。 朝のニュースで知り、『ヨシ、今日はサルを見つけに、足立区新田から荒川を渡り対岸の足立区鹿浜付近を散歩してみよう!』、、、、、王子駅から新田までは都バスで行き、帰りは日暮里舎人ライナーに西新井大師西駅から乗車した。 1万歩の散歩です。
 
 
 
●足立区新田・・・・・・・・・足立区の大半は荒川の北側に広がっているが、北千住地区と新田地区は、それぞれ独立して荒川と隅田川に挟まれ中洲状に位置している。 新田地区はJR東十条駅の北東にあたり、隅田川は新豊橋新田橋新神谷橋 のいずれかで越えることになる。 荒川を挟み対岸は足立区鹿浜地区である。 荒川を越える橋は一本:鹿浜橋だけである。 隅田川に架かる3本の橋はいずれも北区とつながっており、足立区とつながる橋は鹿浜橋だけ。 新田地区は北区に編入した方が判りやすいかも。 また、新田地区には電車は走っておらず、公共交通機関はバスのみ。、、、、“新田”の名が示す如く、江戸時代に開発された村。、、、、サルはいずれの橋を渡って新田地区に入ったのか? また、北上するサルは鹿浜橋で荒川を越え、すでに鹿浜地区に潜伏しているかも?
 
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①区営新田二丁目アパート・・・・・・・・一見して、サルが隠れていそうなアパートだ!、、、、2棟38戸の区営住宅であった。 足立区では建物老朽化により建て替えを計画しているそうだ。、、、、一周してみたがサルはいなかった。
 
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②新田稲荷神社・・・・・・・・・・・サルが狐に化けているかも?、、、、、新田一丁目にある神社で創建は元禄10年(1697)。 社殿は戦災により焼失し、現社殿は昭和22年(1947)の再建である。、、、、境内にある、「宝暦六年丙子四月」(1756)の彫の庚申塔に三猿がいるが、逃亡中のサルはここにもいないようだ。
 
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③新田一丁目アパート・・・・・・・・・・サルが鹿浜橋から北上するなら、必ず通るであろう鹿浜橋西詰に建つ都営住宅。、、、、、昭和42年(1967)から昭和43年(1968)にかけて建てられた、568戸(12棟)の団地である。 老朽化したため、まず3割程の面積を占める5棟の取り壊しが始まった。、、、、、サルがここに逃げていれば、工事の邪魔になるので、追い払われるぞ!
 
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④鹿浜橋・・・・・・・・・・・・サルめ、幅の広い大河:荒川を渡ったか? もし、渡っていれば、目指すは日光猿軍団か? 姿は見えず、サルはいずこに?
 
・・・・・・・・・・・・・泳いで渡るには、水のつめたい荒川
 
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・・・・・・・・・・・・・高圧線は高そうで、高所恐怖症のサルなら無理だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・ここは、やっぱり橋を利用して渡るのが一番安全!、、、、、長さ 451.3mの鹿浜橋は荒川に架かる環状七号線の橋。 南岸の足立区新田一・二丁目と北岸の同区鹿浜一・二丁目をつなぐ橋として、昭和40年(1965)2月12日に開通した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南岸(足立区新田)から対岸(北岸、足立区鹿浜)を眺める
 
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⑤鹿浜虫切り・小宮鍼灸院・・・・・・・・・・・・“かんの虫”と言う言葉、年配の人は聞いたはず。 “かんの虫”がいるため、赤ちゃんの癇癪が強くなると信じられ、その昔から色々なおまじない、お祓いが行われてきた。 夜泣き、食が細い、すぐ癇癪を起しキーキーいう、引きつけるなど、赤ちゃんの特技であるが、お母さんにとってはイライラの元、はては困って小児科へ駆け込んでいます。 その“かんの虫”を抑える療法が“虫切り”である。 具体的には、赤ちゃんの要所、急所にあるツボを軽く刺激して、心身を安定させる技である。、、、、サルがキーキー言うのは“かんの虫”とは無関係。
 
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⑥江北公園・・・・・・・・・・サルの好きそうな公園があった。 木の枝を見上げ、サルを探すが見つからず。
 
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⑦環七通り・・・・・・・・・どうやらサルはこの辺りに出没していないようだ。 サルとの御対面はあきらめた! サルものは追わず。、、、、、、環七通りを歩き日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅へ向かう。
 
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西新井大師西駅 ・・・・・・・・・・日暮里・舎人ライナーの開通と同時、平成20年(2008)に開業した。
 
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●・・・・・・・・・・・・・このブログを書き終える頃ニュースで、逃亡中のサルは今日(11日)足立区・荒川区に出没したとのこと。、、、、ア・レ・レ、、、、、ということは、再び隅田川を越え、今度は南下してきたのか。 ひょっとしたら、私の住む台東区に入り、上野動物園のサル山に向かうかも、、、、、??? 乞う、ご期待。

2017年12月 9日 (土)

国道駅

昭和レトロの匂いが残るJR鶴見線国道駅に行ってきた。 京浜急行の花月園前駅で下車し、国道駅周辺をぶらつきJR鶴見駅まで、7千歩の短い散歩です。
 
 
 
①花月園前駅・・・・・・・・・・京急本線の駅で京急鶴見駅の隣の駅。 大正時代この地に「花月園遊園地」が開園し、ほぼ同時期(大正3年4月12日)に開通した京急の駅は「花月園前」と命名された。 遊園地は昭和21年(1946)に閉園したが、跡地は「花月園競輪場」に生まれ変わり、平成22年(2010)まで開催されていた。、、、、、私は、遊園地閉園の年に生まれたが、“花月園”と言えば“競輪場”の思い出がある。 昭和44年頃、ゼネコンに勤務する私は、若き現場監督として川崎にいた。 現場で働く“おばちゃん”が、競輪開催日になると、『監督、花月園に行くので、買ってきましょうか?』と声をかけてくる。 つい、つい、つられて、毎回300円程渡し車券を頼むが、当たった記憶はない。 これが賭け事の始まりで、横浜の現場に移ると車券が馬券に変わった。 身を滅ぼすには至らず、ヨカッタ!
 
・・・・・・・・・・・・・・手前は京浜急行の線路、奥がJR東海道線。 左手奥の小高い丘の上に花月園競輪場があった。 花月園前駅は踏切の左側。
 
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・・・・・・・・・・・・・競輪場からは東海道線を跨線橋で越えてくると、跨線橋正面の橋上駅舎へと続く。 競輪の開催も無くなり乗降客は減少し、京急全駅の中でもワーストテンにランクインしている。
 
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・・・・・・・・・・・・・海側(第一京浜側)の出入口。 跨線橋は自由通路となっており、線路の反対側に向かう人も通る。
 
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②国道駅・・・・・・・・・鶴見駅から京浜工業地帯の各工場に伸びているJR鶴見線。 第一京浜国道を高架で越えると、国道に面した高架下に駅の出入口がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・ 一歩踏み込むと“昭和”の匂いプンプン、昭和5年(1930)開業の駅がまっている。 開業当時には「臨港デパート」と称するアーケードの店舗が並んでいた高架下。 いまは、店も閉まっているようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・無人駅なので、自動券売機と、SUICAの読み取り機が置かれている。 3両編成の電車が一時間に数本運行され、沿線住民の生活にも利用されているようだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・エスカレーターもエレベーターもないので、階段をのぼりホームに出てみる。 まあまあ、お客はいるね。 カーブしたホームに線路をまたぐアーチ型の架線柱が印象的なデザインの駅。
 
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③鶴見川橋梁・・・・・・・・・・・・国道駅から100m程東に鶴見川橋梁が架かってる。 ここには以前、知る人ぞ知る土木の大御所:阿部美樹志(あべみきし、東京~万世橋間の高架橋の建設を指揮)の設計によるコンクリート造のアーチ橋が架かっていた。、、、、、昭和の末に鶴見川の河川改修工事が行われ、旧橋は撤去された。 現在は全長 148mの鋼単純箱桁橋(スパン=39.7m 4連)に架け替えられた。
 
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④東海道線跨線線路橋・・・・・・・・・・・昭和9年(1934)に開業した鶴見臨港鉄道(現:鶴見線)は、東海道線の山側から発着していた。 電車は出発すると総持寺の前から大きくカーブしながら東海道線を越えることとなり、横須賀線(2線)、京浜東北線(2線)、東海道本線(2線)、東海道貨物線(5線)の計11線を長さ64.9mの複線下路平行弦ワーレントラスと云う形式の東海道線跨線線路橋で右斜めにオーバークロスして海側へと向かった。、、、、このトラス橋は、鶴見臨港鉄道(昭和18年:国鉄に買収された)の設計により、昭和9年(1934)12月23日に開通した。、、、、現在の鶴見線でも、この橋梁は使用されている。 歴史的な名橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東海道線跨線線路橋付近の東海道線は線路が11本並んでいる。
 
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⑤本山駅跡・・・・・・・・・・・・鶴見線が鶴見駅を出て、東海道線沿いに国道駅へ向かう途中、総持寺参道前付近の高架橋に本山駅(ほんざんえき)があった。 鶴見臨港鉄道の駅(廃駅)である。 正式には、本山停留場と称した。、、、、現在、駅のあった高架下は川崎鶴見臨港バスの車庫となっている。 よく見ると、車庫の天井部分の一部が階段部の底となって斜めになっている。 つまりこの上にホームの一部が現存している。、、、、鶴見線に乗ると見える!
 
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●鶴見駅改札・・・・・・・・・・・鶴見駅にも鶴見臨港鉄道時代の面影が残っているが、今日は風邪の為無理せず、鶴見線のりば前を素通りして帰ることにした。
 
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2017年12月 8日 (金)

藝大音楽学部

雅万歩、一週間のご無沙汰でした。 この間私も、妻も、そして母も、家族全員が風邪をひき、それぞれが医者へ駆け込み、家の中は朝から夜まで、ゴホン・ゴホン、クシュン・クシュン、ゼイ・ゼイ。 薬を右手に、ティッシュを左手に、ぐったりとして開店・休業状態であった。、、、、、今日は朝から体調も良く、一番早く回復したと自己判定し、上野公園まで散歩してきた。 浅草橋の我が家から、上野駅、藝大をぶらつき、鶯谷駅まで1万3千歩の散歩です。
 
 
 
①上野駅・・・・・・・・・・・駅の北のはずれに架かる跨線橋「両大師橋 」から眺める上野駅。、、、、いつの間にか、この跨線橋から見下ろすことができる特急の数も少なくなり、淋しいい限り。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・・常磐線快速が終点上野駅に到着。 乗務員が交代し、折り返し運転する。、、、、、折り返す運転手は男性、到着した列車の車掌さんは女性だ! 到着し、点検し、颯爽と電車から去る車掌さん、カッコい~~い。 跨線橋から見下ろす一景。 
 
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②輪王寺両大師堂・・・・・・・・・「両大師橋」の名の由来となった、輪王寺両大師(開山堂)。、、、、、寛永寺を開山した慈眼大師(天海僧正)と、天海僧正が尊崇した天台座主の慈恵大師を祀る堂。 堂は平成元年(1989)に火災で焼失し、現在の堂は平成5年(1993)に再建された。、、、、、慈恵大師は「厄除大師」として古来よりその霊験が謳われている。 今日は、我が家の風邪の病魔を祓うべく、賽銭をはずみ手を合わせてきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内にある「幸田露伴旧宅の門」。 明治の文豪:幸田露伴(1867~1949)の谷中の旧宅の門を移築した。、、、、、素朴な造りのしもた屋風の門。
 
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③上野の建物・・・・・・・・・・・近代建築が並ぶ!
 
・・・・・・・・・・・・・東京国立博物館(旧東京帝室博物館、昭和12年竣工)と表慶館(明治42年開館)。
 
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・・・・・・・・・・・・・東京国立博物館の隣に、現在は廃止された京成電鉄の旧博物館動物園駅がある。  昭和8年(1933)に造られた石造の駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅の前には、昭和3年(1928)に建てられた黒田記念館 がイチョウの黄葉と晩秋を共演。
 
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④東京藝術大学音楽学部・・・・・・・・・・歌は音痴、楽譜は読めず、楽器はダメ(カスタネットならできる)、でも聴くのは好き。、、、、、まだ、黄葉の残る構内を一巡してきたので、少しは歌が上手になったかも? 
 
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・・・・・・・・・・・・・・明治13年(1880)に建てられた赤レンガ1号館 、明治19年(1886)の赤レンガ2号館
 
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⑤浄名院・・・・・・・・・・・・藝大音楽学部の北側に、寛文6年(1667)に寛永寺の一坊として開かれた浄名院がある。、、、、、、境内は地蔵菩薩がワンサカ・ワンサカ・エイ・エイ・イェー・イェー。 ナント、八万四千体地蔵である。 本当に84,000体あるか数えなかったが、墓石状にズラリと並んだ地蔵尊には圧倒された。、、、その一角には、明治初年神仏分離に際し、江戸六地蔵の六番(永代寺、富丘八幡宮の別当寺)は廃寺となり、地蔵尊も破壊されたため、浄名院に第六番として江戸六地蔵が造営された。、、、、、“地蔵コレクター”とでも言いたくなるような、多くの地蔵尊が祀られている寺院だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・浄名院の山門前に、「不許葷酒入山門」の碑があり、その後ろに几号水準点がある。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・寛永寺坂橋を渡り鶯谷駅から帰宅。

2017年12月 5日 (火)

雅万歩は風邪

お酉さまの翌日から、鼻水タラタラ、咳はコンコン、目はショボショボ、アリャ、アリャ、コリャ大変、風邪だ! 今日は病院で、鼻水を止める薬、喉痛の薬、解熱剤、トローチを処方してもらい、治った気分で家に帰る。 昼食後、アレレ、薬を飲んだら、ますます悪化、今日は寝ていることにした。

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