西新井
早朝の西新井大師に参り、その足でグル~~リと西新井駅の北側(竹ノ塚駅との中間地点ぐらいまで)を歩き西新井駅まで、1万歩の散歩です。
・・・・・・・・・・ 浅草から東武伊勢崎線で向かうと、西新井駅で大師線に乗り換える。 ホームに降り立つと、向かいの1番線ホームに昭和30年代のリバイバルカラーの大師線が到着している。、、、、、この電車に乗ろう、急げ!


・・・・・・・・・・ 大師前駅に到着するや、スグに折り返し西新井行となる



②西新井大師 ・・・・・・・・・ 只今、時刻は8時半。 まだ、参詣客は少ないだろうと大師(総持寺)に向かう。
・・・・・・・・・・ 参道はまだ開いていない店が多い。 開いているのは、店主がお年寄りの店のだけ。


・・・・・・・・・・ 来年秋まで山門は保存修理中。 工事の為、狭くなった山門をくぐると、本堂が見える。、、、、、境内の、あちら、こちら、どちら、そちらで、初詣の準備中。 工事関係者が車でやって来る。 コリャ、ゆっくり境内を見ることも難しそうだ!


・・・・・・・・・・ まずは御本尊に手を合わせ、境内の三匝堂、不動堂などをまわり、本堂裏から境内を出た。




③栗原立体交差 ・・・・・・・・・ かつて、西新井大師の北東に位置する足立区栗原地区は、地区の中央を南北に走る東武伊勢崎線により東西の交通が遮断され、栗原1丁目・2丁目は線路の東側に、栗原3丁目・4丁目は西側に分断されていた。、、、、、足立区では昭和60年(1985)から平成3年(1991)にかけ、総延長380m、トンネル部160m、総工費36億円で東武伊勢崎線と並行する尾竹橋通りの下を抜けるトンネルを造り、東西をつないだ。 これが栗原立体交差である。、、、、、約30年前に造られた立体交差は交通量も増え、栗原地区の東西一体化に貢献したようだ。


・・・・・・・・・・ 立体交差で東武伊勢崎線の東側(足立区栗原2)に出ると、UR栗原団地が広がっている。、、、、、昭和40年代に建てられた20数棟からなる団地。 広い敷地にゆったりと建てられている団地で、生活もしやすそうだ。



④栗原氷川神社 ・・・・・・・・ 栗原2丁目に鎮座する栗原氷川神社。 創建年代は不詳だが、天正2年(1574)に再建され、栗原村の鎮守社であったと言われている。


・・・・・・・・・・ 社殿の前にはクロマツの大木が数本、堂々と天に伸びている。 おみごと!

⑤旧奥州街道 ・・・・・・・・・・ 江戸五街道の一つ「奥州街道」(日本橋から宇都宮までは日光街道と共用) その奥州街道の旧道を標す石碑が足立区島根にある。、、、、、、写真:右端の屋敷前に建てられている。 そこには、屋敷前の細い道が古代からの奥州街道であると標されている。


・・・・・・・・・・『石碑は新しそうだ、この道がホントに奥州街道?』と疑問が頭をかすめる。 すると、ちょうど屋敷の御主人らしき方が出てきたので話を伺うと、、、、、碑を建てたのは御主人のお父さまで、代々この地に住む方だ。 江戸時代以前から屋敷前の道は、近くの栗原氷川神社から続く奥州街道と言われているとのこと。 古文書もあるそうだ。 ホントの話であった。
⑥島根古蹟庚申塔 ・・・・・・・・・ 島根4丁目の公園の一端にある小祠に庚申塔が祀られていた。 宝永時代(約290年前)に建立された庚申塔で、厄除を願い村人の安全を祈ったものらしい。





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