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2018年1月

2018年1月30日 (火)

中延~戸越

今朝の気温1℃。 予報では、日中の最高気温は7℃と、お天気お姉さんが解説していた。 チョイト寒そうだと思ったが、男のやせ我慢で北風吹く中散歩に出た。 外はやはり寒い、寒い、大寒い。、、、、浅草線中延駅で下車し、気の向くまま歩いたら、最後は戸越駅に出た。 8千歩のぶらり散歩です。



中延駅・・・・・・・・・昭和43年(1968)に、第二京浜国道の下に都営1号線(現:浅草線)の中延(なかのぶ)駅が開業した。 国道わきの小さな出入口をでて、50m程歩くと東急大井町線の中延駅がある。 こちらは、昭和2年(1927)、目黒蒲田電鉄(現:東急大井町線)の高架駅として開業した。 朝の中延駅は東急から都営に乗換て、新橋・銀座方面に向かう通勤客も多い。

・・・・・・・・・・ 浅草線中延駅、、、、、1面2線の島式ホームの地下駅。
 
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・・・・・・・・・・ 大井町線中延駅、、、、高架駅、、、、気のせいか、心の迷いか、私の住む浅草橋に降りてくる通勤客と、この駅から乗る通勤客とは、人種が違うようだ。 皆、足は長く、細い、カッコイイ!
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東急大井町線 ・・・・・・・ 中延の隣り駅:荏原町まで線路沿いに歩く、、、、しかし、今日は寒い。 歩きながら手の甲を擦り、寒さに耐える。
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・・・・・・・・・・ 荏原町駅、、、、、、昭和2年(1927)7月6日の目黒蒲田電鉄(現:大井町線)の開業と同時に荏原町駅も開業した。
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法蓮寺・・・・・・・・荏原町駅の北側駅前に日蓮宗寺院の法蓮寺がある。 法蓮寺は、文永年間(1260年代)に当地の領主荏原義宗が、子息徳次郎を出家させ、自邸を捨て法連寺と旗岡八幡神社を創建したと伝えられている。 江戸時代には、別当を勤めていた旗岡八幡神社が徳川家の祈願所となった。、、、、昭和41年に現在の鉄筋コンクリート造の本堂が再建された。、、、、、余談だが、大井町線荏原町駅は、その昔、法連寺が土地を提供し駅名を「法連寺駅」とする案があった。 しかし既に東横線に「妙蓮寺駅」があり、間違いやすいので案は没となったそうだ。
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・・・・・・・・・・ 本堂横で、寒さに耐え開いたウメ
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旗岡八幡神社・・・・・・・・法連寺の隣りに、法連寺と同時に創建された旗岡八幡神社がある。、、、、、、社殿は、昭和20年(1945)空襲により焼失し、狩野探玄の筆という天井画も失われた。 現社殿は、鉄筋コンクリート造、八幡造りで、昭和39年(1964)に再建された。、、、、、神社は長元3年(1030)平忠常の乱を平定すべく、朝命を奉じた甲斐守・源頼信公が下総へ赴く際この地に宿営した祈、霊威を感得して源氏の氏神たる八幡大神を奉斎し戦勝を祈願したのがその発祥とされている。 高台に陣を布き、源氏の白旗を立て大いに武威を誇ったことから、この地が「旗岡」あるいは「旗の台」と呼ばれたそうだ。 現在の地名「旗の台」の謂れである。
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⑤ギャラリー竹内・・・・・・・・

・・・・・・・・・・ 今日は歩いていても、寒い、寒い。 裏道は日も当たらずなお寒い
 
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・・・・・・・・・・ 裏道右に、左に、また右に、自分でも方向は判らず、「延山小」の前に出た。 ふと見ると、「ギャラリー竹内 ご自由にお入りください」と書いてある。  暖かな室内に入れてもらい、現代アートをチョイト拝見。、、、、、Tetsuro OHNOという作家の作品を中心に見せてもらった。 正直、私には判らん作品もあったが、心、穏やかになり辞す。
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荏原中延駅 ・・・・・・・・ 東急池上線の駅で、昭和2年(1927)8月28日に開業した。 現在の駅は、平成元年(1989)3月19日に地下化され、駅舎も新しくなった。、、、、、今日は3か所目の“中延”駅。 浅草線中延駅からスタートして、大きく西に向かい、いつの間にかスタート地点に近い処へ戻ってきた。
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・・・・・・・・・・ 池上線は、荏原中延駅の地下化により、周辺の線路跡は一部公園となった。 細長い公園である。 公園の中を歩き、浅草線戸越駅へ向かう。
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戸越駅・・・・・・・・・ 浅草線中延駅の北隣(日本橋寄り)が戸越駅である。 この駅も第二京浜(国道1号)の地下に造られている。 昭和43年(1968)11月15日、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 島式ホーム1面2線を有する地下駅。、、、、、外観はパッとしないデザインの駅。
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2018年1月29日 (月)

奥戸街道

一週間ぶりに気温も10℃程に上がるようで、散歩する気分となった。 久しぶりに朝から歩いてきた。 京成四ツ木駅で下車し、奥戸街道を歩き総武線小岩駅まで、1万3千歩の散歩です。



・・・・・・・・ 奥戸街道(おくどかいどう)は、葛飾区立石1丁目の平和橋通り「奥戸街道入口交差点」から、江戸川区西小岩2丁目の蔵前橋通り「六軒島交差点」までの約3.5kmの区間。 古くからの街道筋で、古代東海道の一部とも重なる。 街道名は愛称として名付けられたようで、昔から「奥戸街道」と呼ばれていたわけではないようだ。 それゆえ、道筋に宿場があったり、古い商家の家並みがあるわけでもない。


奥戸街道入口交差点・・・・・・・・・ 京成押上線四ツ木駅と立石駅の中程で、平和橋通り(都道308号)が押上線と交差する。 この踏切:「四ツ木2号踏切」の20m程東側に「奥戸街道入口交差点」がある。、、、、写真:左端が押上線踏切、右奥に伸びる道が奥戸街道、手前右端から踏切を越える道が平和橋通り。
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・・・・・・・・・・ この交差点「奥戸街道入口」と表示されているが、「奥戸街道出口」 の表示は、今日の散歩で見つけることはできなかった。 何処にあるのか教えて欲しい!
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・・・・・・・・・・ 四ツ木2号踏切は、只今高架化工事中。 あと数年でこの踏切も消えることになる。
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渋江公園・・・・・・・・ 渋江公園、昨年の11月に立ち寄ったので、今日は通過する
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・・・・・・・・・・ 車道は雪も解けたが、歩道にはまだ点々と残り、歩行に注意!
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“昭和”のアパート・・・・・・・・ 奥戸街道「京成立石駅前交差点」から南に入ると戦前に建てられたと推定するアパートが残っている。 ツタが絡まり見えにくいが、玄関のコンクリート造の門、スクラッチタイル張りの玄関まわり、両開きの玄関ドア、どれもこれも昭和の香り。
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喜多向観音・・・・・・・・・・・・・立石駅の南側:東立石4、奥戸街道に面し「喜多向観音菩薩」が祀られている。、、、、寛保元年(1741)、徳川八代将軍:吉宗の時代、近くの南蔵院 と言う寺の「妙本」という尼さんが金龍山浅草寺を深く信仰して千日詣の大願を起こした。 念願の日、枕頭に金色燦燦と輝ける観世音菩薩が現れ、「汝の願い正に叶う可し、喜び多く向わんと」と謂うや何処ともなく姿を消してしまった。 そのお礼に建てたのがこの喜多向観音と言われている。、、、、浅草の観音様の御威光が、ココ立石まで及んでいた。
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本奥戸橋・・・・・・・・・ 奥戸街道が中川を越える位置に架かる橋。昭和62年(1987)に架け替えられたトラス橋、長さ122.1m。、、、、、初代の橋は昭和7年(1932)に架けられた。
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地蔵尊、馬頭観音、道標の街道三点セット・・・・・・・・本奥戸橋の西詰(葛飾区立石8)に街道の三点セットである、地蔵尊、馬頭観音、道標がセットで祀られている。、、、、、地蔵尊は、貞亨2年(1685、江戸初期)に建立された。 当初は現在の橋際の堤防内にあわもち屋という家があり、その前に在ったと言われている。、、、、 馬頭観音は江戸時代中頃に、農耕、運搬に欠かせない馬の保護仏として祀られた。 建立は安政2年(1855、江戸大地震の年)。、、、、、 道標は、出羽三山の信者の講により、宝暦5年(1755)、旅人の役にたてようと建造したもの。 『右江戸みち、左おくとみち』と標されている。、、、、、バラバラに造られた3基が、現在は一つにまとまり、地元での信仰を得ている。 
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奥戸の二社・・・・・・・・ 奥戸街道沿いの区立総合スポーツセンター(葛飾区奥戸2)に隣り合わせで二社ある。

・・・・・・・・・・ 奥戸水神社、、、、、スポーツセンターの西側に祀られている。 奥戸水神社の創建年代等は不詳だが、中川開削のとき、享保14年(1729)幕府の勘定吟味約井沢弥惣兵衛が河畔に祀ったと言われている。 小さな神社。
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・・・・・・・・・・ 奥戸天祖神社、、、、、スポーツセンターの東側に祀られている。 奥戸天祖神社は、当地が葛西御厨であった頃に、伊勢皇大神を勧請し、また下総の香取・鹿島のニ神を勧請して三社明神と称し、奥戸村の鎮守とした。
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妙厳寺・・・・・・・・・ 奥戸3丁目に真言宗豊山派の妙厳寺がある。 応永22年(1415)に創建され、永禄元年(1558)に中興された。 本尊は不動明王、、、、、本堂は安政2年(1855)の大地震で倒壊し、明治14年(1871)再建し、その後、昭和に改築された。
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・・・・・・・・・・ 妙厳寺の東で、奥戸街道は環七通りと交差し、さらに東に向かう
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宝蔵院・・・・・・・・ 新中川に架かる奥戸新橋の西詰(奥戸8)に宝蔵院がある。 宝蔵院は室町時代に創建された真言宗豊山派の寺。 本堂は昭和59年(1984)に新築された。、、、、、境内は静かな佇まい、あちらこちらには、石仏、地蔵尊、祠が点在し、まるで山郷のお寺のようだ。 秋の彼岸花が見事に咲く寺としても有名らしい。 今日は、雪の残る境内を拝見してきた。 チョイト、デフォルメされズングリした男の一物にもしっかりと手を合わせてきたが、そろそろ御利益が無くなってきたようだ、コラ、役立たず!
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八剱神社・・・・・・・・ 宝蔵院の裏手にある八剱(やつるぎ)神社。 神社は天文5年(1536)三河国碧海郡西端村の郷士杉村小左衛門が当地を開拓するに当たり、守護神として勧請したものと伝えられている。 旧奥戸新田の鎮守。 社殿は、寛永6年(1629)、正保4年(1647)、安永7年(1778)、文久3年(1863)、明治41年(1908)に再建または修覆が行われ、現在の社殿は昭和47年(1972)10月の造営である。
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奥戸新橋・・・・・・・・ 新中川に架かる奥戸新橋は、昭和36年(1961)新中川掘削工事に伴い架橋された。 橋長144.6mのプレートガーダー桁橋、、、、、新中川は掘削当時、中川放水路と呼んでいた。 私が中学生の時である、この掘削工事を見た記憶が残っている。 当時は田圃の中の掘削工事で、まだ重機は使われていなかったと記憶している。
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55号線架道橋・・・・・・・・・ 奥戸街道は奥戸新橋で新中川を越えると、新金貨物線の55号線架道橋をくぐる。 この架道橋から東側は、江戸川区となる。
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奥戸街道分岐点・・・・・・・・・・・西小岩1丁目、蔵前橋通り「六軒島交差点」、ここが奥戸街道の出口である。 キョロキョロ探しても、どこにも「奥戸街道出口」とは記していない!、、、、、やはり、入口はあるが、出口のない街道であった。

・・・・・・・・・・ 六軒島交差点はY字型の交差点で、写真左が蔵前橋通り、右に入ると奥戸街道である。
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2018年1月26日 (金)

大寒波、家でゴロゴロ

今朝8時都心の気温は零下1℃、日中の最高気温も5℃。 寒い外いそぎ飛び出て心筋梗塞、懐のカイロずり落ち大やけど、滑って転んで彼の世行き、、、、どれもこれも嫌だ。 乃木坂46の曲を聴き、南部坂47(=赤穂浪士)のビデオを観て、赤坂49(=虎屋の住所)の羊羹をいただき、家でゴロゴロ。

 

・・・・・・・・・・ ゴロゴロしながら、暖かい浅草橋の我が家で作った、雪中の合成写真。 (念のため::モデルはもちろん雅万歩自身)

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2018年1月22日 (月)

久しぶりの雪

東京は4年ぶりの大雪。 東京に住む、毎日が日曜日のおじいさんには、雪国の人には申し訳ないが、たまには大雪も趣があっていいもんだ。 今日は散歩も行かず、テレビで大雪のニュースを見ては、なんとなくムズムズ、ワクワク、スゴイ~スゴイ~。



・・・・・・・・・・ 2時頃、いよいよ積もりはじめた。 チンチョウゲの蕾、ヒヤシンスの花にも、隣りの家の屋根にも薄っすらと。
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・・・・・・・・・・・・・3時頃、そうだ、今日は歯医者の診察日だ! あっ時間だ! あわてて、失礼なきよう入れ歯と歯を磨き、ズボンをはき替え、雪の中、徒歩1分の歯医者へ駆け込んだ。 歯医者でかわいいスタッフの顔を見たとたん、入れ歯を忘れてきたことに気がついた。 その天罰か? 今日は、歯に麻酔を注射され、神経を抜かれ、治療が終わっると、フガフガ、ムニャムニャ、呂律が回らず言葉にならず、、、、帰り路、雪は深々、足下は滑り、口は腫れぼったく、たった1分の路も長く感じる。
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・・・・・・・・・・ 4時頃、コリャ大変、今夜は積もるぞ!
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・・・・・・・・・・ 6時頃。 道には足跡も残るほど積もった。、、、、そうそう、歯の麻酔がまだ効いているので、食事の味も判らず、ひたすら胃に入れるだけ。
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・・・・・・・・・・ 夜8時半過ぎ。 全ては、雪に埋もれた、、、、明日の雪掻きを覚悟した。 この日の為に、買っておいたスコップの出番が来たぞ! 明日が楽しみだ。
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2018年1月20日 (土)

南千住~三河島

JR常磐線南千住駅から隣の三河島駅まで、路地裏を歩いて、1万歩の散歩です。



南千住駅・・・・・・・・・ 南千住駅は荒川区南千住にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)・首都圏新都市鉄道(つくばエクスプレス)の駅である。 浅草橋(我が家)からは南千住駅行バスで20分ほど。、、、、明治29年(1896)、日本鉄道の駅として開業。 その後、国有化され常磐線の駅となる。 戦後は、昭和36年(1961)に営団地下鉄日比谷線の駅が開業。 さらに、平成17年(2005)につくばエクスプレスの駅も開業。、、、、3線の乗換駅であるが、利用客が少ない駅として有名(?)である。 JRの南千住駅は都区内のJR駅としては、利用客数ワースト10(一日約17,000人)にランクインする。  日比谷線の南千住駅は日比谷線全駅で最も利用客数(一日約29,000人)が少ない。 つくばエクスプレスの南千住駅は、全20駅中、少ない方から6番目の一日約10,000人である。 当然のこと、駅前の賑わいはなし!
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南千住5丁目の裏道・・・・・・・・・ まずは駅前の荒川区南千住5の裏道を歩く。 歩く人も少ない、駅前とは思えない静かな町である。 『侵入盗犯防止重点地区』の立て看板も色あせてきた。 治安が良くなってきたのか?
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・・・・・・・・・・ 日光街道(国道4号)に出た。 横断し、南千住6丁目に入る
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南千住6丁目の裏道・・・・・・・・ 日光街道を越え、かつて大毎オリオンズのフランチャイズ球場:東京球場があった南千住6丁目の裏道を歩く。 球場のあった跡地は、現在荒川総合スポーツセンターとして、また、大型スーパーとして利用されている。 ただし、球場跡地の東側周辺は、区画整理も進まず迷路のまま、昭和が残っている。
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・・・・・・・・・・ 懐かしさを感じる店の跡 
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・・・・・・・・・・ 軒下には、素盞雄神社 (南千住6)の『みんな氏子』のポスター)が貼られてた。 町会名が記されているが、今は自分が住む町会名を知らない人もいるそうだ。
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南千住1丁目の裏道・・・・・・・・ 日光街道に面する円通寺 の境内には、上野の山で戦った彰義隊士の墓がある。 その円通寺の裏手に、南千住1丁目の迷路がある。 「裏道」というより「路地」といった方がピッタリ。 まるで、他人の敷地内を歩いているようだが、私道である。 何だが、ドロボウになった気分で、自然に、足音も静かに腰をかがめ歩いていた。
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・・・・・・・・・・ こっちの路地も入ってみよう! アパートがある、家々には自家用自転車がある、井戸端会議ができる、『これぞ下町!』
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都電荒川線・・・・・・・・・ 荒川1丁目にて荒川線を越え明治通りに出る
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三河島カトリック教会・・・・・・・・・ 荒川区役所本庁舎前に、昭和46年(1971)に建てられた現教会。 チョイト、内部を拝見、、、、、教会に、お御籤のようにして、自分で籠から取り出す『今日の言葉』があった。 私も一つ取り出してみた、『慈愛ある目は人の心を喜ばせ、よい便りは人を力づける。 (箴言15.30)』と書かれていた。 意味深いね!
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・・・・・・・・・・ 昭和8年(1933)、町工場の多い三河島に初めて建てられた教会
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三河島駅 ・・・・・・・・・ 今日の散歩は、下町をグルグル、行ったり来たり。 南千住の隣り駅:三河島駅に到着。
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2018年1月18日 (木)

巣鴨~北池袋

山手線巣鴨駅で下車し、山手線の外側の裏道を西に向かい大塚駅北口前を通過し、東武東上線北池袋駅まで、1万歩の裏道散歩です。



巣鴨駅・・・・・・・・ 明治36年(1903)4月1日に日本鉄道の駅として開業。 明治39年(1906)には国鉄の駅となる。 駅舎は中山道(国道17号=白山通り)に面した橋上駅舎。、、、、「巣鴨」という駅名を私が意識したのは、私の母校:京華中・高等学校が白山通り沿いにあり、昭和30年代の当時は、白山通りに18系統(志村坂上~神田橋)の都電が走っていた。 この時、都電は「巣鴨」、「水道橋」の両駅を通っていた。 通学は都電を利用し、巣鴨方面から通う生徒と、水道橋方面から通う生徒(私はこちら)に二分され、私を含め水道橋から通う生徒は、多少都会的で垢抜けしていたように思うね。 今は皆、“じじい”となって、野暮ったくなったね!
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・・・・・・・・・・ 巣鴨駅前の跨線橋が巣鴨橋。 山手線、湘南新宿ラインが橋の下を走る。 この橋の初代は、明治36年(1903)の田端線(現:山手線)開通時に架けられた。 二代目は大正13年(1924)頃の複々線化のときらしい。 現在の橋は昭和45年(1970)の架橋。
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巣鴨3丁目・・・・・・・・ 「巣鴨3丁目」と言えば「とげぬき地蔵」、そしてチョイとランク落ちして「眞性寺の江戸六地蔵」。 今日は六地蔵に手を合わせ、地蔵通りから脇道に入り西へ歩いた。、、、、、特別、面白いもの、かわったもの、ビックリするものもなく、通り抜けて大塚駅に出てきた。
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都電大塚駅前停留場・・・・・・・・・・ JR大塚駅高架下に設けられている停留場。 明治44年(1911)8月20日、王子電気軌道の大塚駅(現在の大塚駅前停留場)が開業した。 その後、王子電気軌道は東京市に買収され、今日、都電荒川線として残っている。
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・・・・・・・・・・・ 都電の停留場から50m程の隣にはJR大塚駅がある
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空蝉橋・・・・・・・・・ 大塚駅の西側に山手線を跨ぐ橋がある、橋の名は空蝉橋(うつせみはし)。 チョイト風流なこの名は、かつて近くにあった稲荷神社境内で、セミの抜け殻が付いた松の木を明治天皇がご覧になったことが由来といわれている。、、、、、初代の橋は田端線(現:山手線)の開通した明治36年(1903)で、その後大正・昭和に架け替えられた。、、、、空蝉橋の周辺はラブホテルが多い。 ご愛用するどこぞの二人は世の無常を噛みしめながらHするのかも。
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・・・・・・・・・・・・ 空蝉橋から北西に150m程裏道を歩くと小さな出世稲荷神社(北大塚3)がある。 この神社は、空蝉橋が造られる以前まで空蝉橋の地にあり、名の由来となった松の木があった神社で、初代の橋の工事に伴い現在地に移転した。、、、、、なぜか知らぬが、神社の境界に2本のレール(写真:矢印)が埋められていた。 鉄道工事と関係するか?
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北大塚3丁目・・・・・・・・・ 私の好きな、狭い裏道を歩く
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上池袋3丁目辺り・・・・・・・・ 北大塚から、上池袋1丁目をぬけ、明治通りを横断し、上池袋3丁目に入る。 特筆すべき建物はないが、この辺りも私好みの細い道に小さな木造家屋が並ぶゴチャゴチャした町である。 家並みの先には豊島清掃工場の煙突も見える。
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・・・・・・・・・・・・・上池袋3丁目の町の中に、日蓮宗寺院の妙経寺がある。 妙経寺は、大正元年(1912)に創建され、昭和10年(1935)に岡山最上稲荷の関東別院となった。、、、、チョイトせせこましい町の中にある寺
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池袋運輸区・・・・・・・・・・ 上池袋2丁目にある、かつての池袋電車区。 埼京線に乗ると池袋から板橋に向かって右手に、山手線・赤羽線・埼京線などが留置されている処。、、、、、フェンスと太陽が邪魔で、写真が撮れない。 コンチクショウ!
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北池袋駅・・・・・・・・・ 東武東上線の駅。 併走するJR赤羽線(埼京線)の池袋~板橋間にある。 昭和9年(1934)5月1日に東武堀之内駅として開業。 戦後、しばらく廃止されていた駅だが、昭和26年(1951)9月1日に北池袋駅として再開した。、、、、、池袋駅の賑わいとは、まるっきり縁のない場末の駅
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2018年1月16日 (火)

中野~高円寺

中央線中野駅で下車し、JR線路の南側をぶらついて、お隣の高円寺駅まで、1万歩の散歩です。



中野駅南口・・・・・・・・・ 中野駅は、明治22年(1889)、甲武鉄道(新宿~立川)の開通と同時に開業した歴史ある駅。 駅には南と北の2か所の改札口がある。 北口には、区役所、サンプラザ、ブロードウェイなどがあり、中野駅の表口のようだ。 南口は、北口とくらべチョイト元気がないようだ。、、、、今日の散歩は、南口に出て裏通りを南西方向に歩いてみることにした。
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中野3丁目の裏道・・・・・・・・ 小さなスナック、劇場、居酒屋、ブティックなどが点在する裏通り。 夜は楽しそうな町だが、朝は何処も閉まって、まだ寝ているようだ。
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高円寺天祖神社・・・・・・・・ 大久保通りの南側、杉並区高円寺南1丁目に天照大御神を祀る天祖神社がある。 寛治元年(1087)に信仰心の強い郷土民:山下久七なる人物が、伊勢神宮へ参拝し、霊を賜り、この地に社殿を建てて奉納したことが始まり。 現在の拝殿は天保2年(1831)、幣殿と本殿は明治21年(1888)に建てられた。
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庚申塔・供養塔・・・・・・・・ 青梅街道と環七通りが交差する高円寺陸橋下の交差点に、5基の庚申塔と供養塔が祀られている。 正徳3年(1713)銘・元禄7年(1694)銘の庚申塔、寛文10年(1670)銘、享保6年(1721)銘の阿弥陀塔と享保13年(1728)銘の供養塔計5基。 この辺りが、高円寺村と呼ば江ていた頃、村人の素朴な信仰で、悪病退散、村民安全などを祈願して建立したものであろう。、、、、、今は、ビルの横の狭いスペースに集団で祀られ、交差点の交通安全もめんどうをみてくれている。
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カトリック高円寺教会・・・・・・・・ 高円寺教会は、昭和3年(1928)、まだ農村の名残りをとどめる杉並村字高円寺に東京で10番目の教会として誕生した。 初代主任司祭として着任したギュスターブ・マイエ神父は、この地に昭和3年11月に仮聖堂を建てた。 当時、高円寺教会信徒数は298人程であったそうだ。 昭和6年(1931)に本格的な聖堂が地下聖堂として建てられたが第二次世界大戦で焼失した、昭和24年(1949)にこの地下聖堂の上に現在の聖堂が建てられた。、、、、終戦直後の建築で、内外装ともシンプルな教会だ!
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華徳院・・・・・・・・ 地下鉄丸ノ内線新高円寺駅から南に150m、杉並区松ノ木3に天台宗の寺院:華徳院(けとくいん)がある。 下野国佐野に創建されました。 天正年間に武蔵国霞ヶ関に移転、慶長年間に浅草蔵前に再転し、寛永寺末となる。 江戸時代には、新宿太宗寺巣鴨善養寺とともに江戸三閻魔として有名であった。、、、、1月と7月の16日は、地獄の釜の蓋もあく閻魔王の斎日。 今日がその斎日である。 華徳院では本堂を開き閻魔様のお姿を見ることができた。、、、、これで、私も江戸三閻魔との御対面が達成できた。 もう地獄へ行っても閻魔と顔なじみで優遇してもらえるだろう。
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フヂヤ薬局・・・・・・・・ 高円寺南の商店街にある薬局。 蔵のような造りの大正時代の建物。 チョイト劣化が激しいようだ。
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高円寺駅 ・・・・・・・・・ 高円寺駅南口に到着
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2018年1月15日 (月)

浅草橋~立石

今朝も6時に0.0℃と連日寒さが続く。 寒い寒いと家に閉じこもっていても退屈だ。 『今日は元気よく歩いてくるぞ!』と、家を出た。 我が家(浅草橋)から水戸街道(=国道6号)沿いに歩いて葛飾区立石まで、1万5千歩、9kmの散歩です。 9時の気温は2.6℃、やっぱし外は寒い。 我慢、ガマン、やせ我慢!



am7:50・・・・・・・・ 交通事故を起こさぬ様に、私の住む浅草橋2丁目の須賀神社 に手を合わせ、スタートする。、、、、、自分では若いつもりで、股引は穿いていない、アンダーシャツは半袖、カイロは持っていない、アテントのお世話にはなっていない、さすがにこの時間チョイと寒いね。
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am8:00・・・・・・・・ 蔵前一丁目交差点通過
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am8:15・・・・・・・・ 厩橋交差点を過ぎる。 交差点角の東京厚生信用組合浅草支店 は、昭和5年(1930)に建てられたと言われている。 鉄筋コンクリート造4階建て、安藤組(現:安藤ハザマ)の設計・施工。 小柄だが味のある建物。
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am8:25・・・・・・・・ 駒形橋西詰を通過。 駒形橋 から見る隅田川はキラキラしてまぶしい!
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am8:30・・・・・・・・・・吾妻橋交差点を通過。 まだ、外人観光客はいないようだ
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am8:45・・・・・・・・ 言問橋 を渡る、、、、言問橋西交差点で水戸街道(国道6号)は鍵のてに折れ隅田川を越える。 橋の正面にスカイツリーと冬の低い太陽が迎える。
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・・・・・・・・・・・ 言問橋東詰めの牛嶋神社にもチョイトご挨拶
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・・・・・・・・・・・ 橋を渡って向島に入る。 まだ太陽は低い
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am9:15・・・・・・・・・・秋葉神社は、向島4丁目、水戸街道(国道6号)から少し入った住宅の奥に鎮座する。 神社は、当地に千代世稲荷大明神と称して正応2年(1289)頃に創建したと言われている。 元禄15年(1702)に千葉葉栄が修験道千葉山満願寺を創建し当社の別当寺となり、秋葉千代世稲荷合社として社殿を造営、明治元年に秋葉神社と改称した。、、、、、水戸街道からの参道に呑み屋の看板。 “向島”らしいね!
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am9:20・・・・・・・・ 戦後の赤線地帯、今は地元密着型商店街「鳩の街 」と、並行する商店街「地蔵坂通り」の入口を通過する。
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am9:30・・・・・・・・・ 東向島交差点で明治通りを横断し、東武伊勢崎線のガードをくぐる。 ここには、東武博物館の「6号機関車」(英国から明治31年輸入)が屋外展示されている。、、、、散歩が楽しくなる道だ
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am9:50~10:00・・・・・・・・・ 四ツ木橋を渡り、荒川、綾瀬川を越える。 さすが橋上は風が強く、寒い。、、、、帽子が飛ばされそうだ、トラックの荷台から荷が崩れそうだ、自分が橋から飛ばされそうだ、一人で歩いていると、なんだかんだ心配し、高所恐怖症の私は怖さが倍増する。
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am10:15・・・・・・・・・ 四つ木陸橋のある、本田広小路交差点に到着。 水戸街道の歩きはここまでとする。 昼食に間に合うよう家へ帰ることにした。 これより裏道を歩き京成押上線立石駅に向かう。
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am10:35・・・・・・・・・ 立石駅到着。 ここまで約2時間半の散歩。
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2018年1月12日 (金)

浅草橋~扇大橋

全国的に寒い一日。 私の住む台東区の気温は9時に2.7℃、12時で5.7℃。 今朝のNHKお天気お姉さんは、カイロを5個身に着けることを推奨していた。 とにかく寒い!、、、、今日の散歩は、70歳を過ぎた若い身体で北風の中を歩いてきた。 我が家(浅草橋)から北へ向かい、入谷でチョイト西に折れ、尾久橋通りを直進し隅田川、荒川を越え、足立区の日暮里舎人ライナー扇大橋駅まで、1万5千歩、10kmの散歩です。



am7:40・・・・・・・・・我が母校:旧台東区立柳北小学校前をスタートする。、、、、柳北(りゅうほく)小学校は、明治9年(1876)に第五中学区第十四番公立小学柳北女学校として設立され、明治41年(1908)には柳北尋常小学校と改称した。 関東大震災では校舎は焼けたが、その後いち早く大正15年(1926)に、浅草橋駅北側に復興小学校として建替えられた。 戦後は私も入学し、学校も多くの児童で教室が不足するほどであった。 しかし、平成13年(2001)に100年以上の歴史に幕をおろし閉校した。 現在は、建て替え中の蔵前小学校の仮校舎として使用されている。
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・・・・・・・・・・・ 小学校前の通称:左衛門橋通り には、浅草消防署浅草橋出張所があり、昨年11月に私が、その一週間後に我が母がお世話になった救急車が待機している。 我家にも近く、頼りになるありがたい消防署。 ただしこれ以上、救急車・消防車のお世話にはなりたくないものだ。
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am7:50・・・・・・・・・ 蔵前橋通りを横断。 蔵前小学校の児童が、元気に登校してくる。 早やいな、始業時間は何時だ?
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am8:05・・・・・・・・・ 蔵前橋通り、春日通りを越えて左衛門橋通りを北へ、元浅草1丁目に入る。 アレ?郵便ポストの向きがおかしくないか? 普通、車道に背を向けて設置されているはずだが。 ポストの埋め込み部分のコンクリートが新しく、まだ設置されて間もないようだ。 向きを間違えたのか、設置基準みたいなものが変更されたのか? どちらにしても違和感があるね。 
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am8:15・・・・・・・・・ 浅草通りを越えて、東上野の坂東法恩寺前を通過
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am8:35・・・・・・・・・ 中入谷交差点を左折し、言問通りに入り地下鉄日比谷線入谷駅前を通過
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am8:40・・・・・・・・・ 入谷交差点近く、鬼子母神の隣りに、大正15年(1926)に完成した復興小学校:旧入谷尋常小学校(旧坂本小学校)がある
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a㎥8:50・・・・・・・・・ 根岸3丁目の言問通りから、裏道の奥に明治期の外務大臣であった陸奥宗光の旧別邸が見える。 陸奥宗光は明治20年頃に三井家からこの洋館を献上された。 現在は個人の住宅として利用されている。
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am8:52・・・・・・・・ JR鶯谷駅前で言問通りから尾久橋通りに入る
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am8:55・・・・・・・・・ 荒川区東日暮里の一角に建つ建物。 2階建て?3階建て? 3階部分には外壁と窓枠はある、だが、窓にはガラスが入っていない、3階の天井も無い、窓を通して隣りの建物の外壁も見える。、、、、、不思議な建物だ!
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am9:05・・・・・・・・・ 我が家を出て1時間25分経過。 日暮里駅前を通過する。 寒いが、快調である。 これより日暮里舎人ライナーが上空を走る尾久橋通りを歩く。
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am9:10~9:30・・・・・・・・・ 日暮里舎人ライナーは、西日暮里駅を挟み、常磐線、京成本線、常磐貨物線の線路を跨いで進む。、、、、、線路好きの私には嬉しい散歩道
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am9:35・・・・・・・・・ 尾久橋通りが明治通りと交差する田端新町一丁目交差点通過
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am9:40・・・・・・・・ 赤土小学校前駅を通過、、、、“〇〇小学校前”という駅名は、バス停などには多いが、鉄道の駅としては珍しいね。 JRの駅であるかな?(私には思い出せない)
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am9:50・・・・・・・・ 熊野前駅を通過。 都電荒川線への乗換駅
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am10:05・・・・・・・・・ 尾久橋で隅田川を越え足立区に入る。 橋を渡ると足立小台駅が待っている。
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am10:10・・・・・・・・・・尾久橋に続き、扇大橋を渡り荒川を越える
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・・・・・・・・・・・ 橋上から振り返ると、富士山が見えた! 富士山が見ると、なぜか嬉しくなるのが日本人。 私は典型的な日本人かも?
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・・・・・・・・・・・・ 長い扇大橋を渡り終えたのは、am10:20
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am10:30・・・・・・・・・ 寒さは和らいだがチョイと疲れたので、今日の散歩はココまでとして、扇大橋駅から帰宅することにした。
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2018年1月10日 (水)

一之江~平井

♪♪ 北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる 清らに咲いた 可憐な花を ・・・・・ ♪♪、自然に口ずさむ今日の寒さ。 都営新宿線一之江駅で下車し、松江を抜けて総武線平井駅まで、風に立ち向かって1万3千歩の散歩です。



一之江駅 ・・・・・・・・・・散歩の行先も決めず乗った新宿線。 車内はすいている。 どこで降りようか? 決断できず、大島、東大島、船堀と駅が過ぎ、とりあえず次の一之江駅で下車することにした。
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・・・・・・・・・・さて、どっちに向かって歩くかな? 寒いので、とりあえず陽の当たる道を歩くことにした



一之江白鬚神社・・・・・・・・ 一之江駅から裏道を北西に200m程歩くと一之江白鬚神社がある。 神社は、江戸時代に東一之江村の名主宇田川源蔵の祖先と、伝左衛門とが祭神を勧請し創建したと言われている。
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感応寺・・・・・・・・・ 白鬚神社から、さらに曲がりくねった裏道を行くと、日蓮宗の感応寺の門前に出た。 感応寺は、元久2年(1205)に建立した真言宗寺院を、正応元年(1288)に日蓮聖人が改めて開山したと言われている。、、、、本堂、鐘楼堂、客殿、庫裡などすべての堂宇は、平成20年(2008)に再建したそうだ。 本堂は木造、 客殿・庫裡は、鉄筋コンクリート造で、一新された境内は明るい空間が創られている。
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長勝寺・・・・・・・・ 感応寺の北(江戸川区一之江6)には、日蓮宗の中山法華経寺の末であった、利栄山善学院と号す長勝寺がある。 長勝寺は、寛永2年(1625)頃の開山。、、、、、この付近は寺院が多く点在する。 長勝寺は広い境内が印象的な寺。
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都電の軌道遺跡・・・・・・・・ 長勝寺からは、荒川に架かる小松川橋を目指し今井街道を歩く。、、、、、その今井街道が一之江境川親水公園と交差する地点(堺橋)に、かつて今井街道に走っていた城東電車(後に都電26系統となる)の軌道遺跡が残っている。 遺跡と言っても、橋梁と線路の一部である。、、、、、26系統とは、東荒川(現:西小松川町あたり)から今井橋までの約3.2kmの区間で、城東電気軌道株式会社が大正14年(1925)に開通させた。 昭和17年(1942)、東京市に買収され市電となる。 昭和27年5月19日をもって廃止となる。 翌20日から、上野公園~今井橋間(今井街道)にトロリーバスが開通した。 昭和43年(1968)には、トロリーバスも廃止された。
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・・・・・・・・・・・・ 戦後、都電からトロリーバスにかわった
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・・・・・・・・・・・・・・トロリーバスが走っていた今井街道の今
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・・・・・・・・・・・・ 今井街道にトロリーバスが走っていた当時を偲び、街道沿いにはイラストが描かれている
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小松川大橋・・・・・・・・・・ 小松川大橋は京葉道路が荒川を越える橋で、上流側の「小松川橋」と下流側の「新小松川橋」の2橋で構成される。 全長495mの鋼ゲルバー箱桁橋、昭和44年(1969)に竣工。、、、、、老いてヨタヨタ、風に飛ばされそうだ! 荒川を渡り、平井駅まではあとチョイト。
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平井駅・・・・・・・・ JR総武線平井駅。 只今、高架下の駅舎部分の改良工事中。 店舗部分のスペースが広がるそうだ。、、、、またまた、私の住む浅草橋駅よりカッコイイ駅に生まれ変わり、浅草橋はドンドン落ち込むね。 もう、浅草橋駅は総武線内で完敗だ!
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2018年1月 9日 (火)

検見川

パソコン同好会の帰り、稲毛から検見川駅まで旧千葉街道沿いに歩いてきた。 この道は度々歩いているが、去年は歩くのを忘れていたようだ。 今日、強い風に乗って、飛ばされるように歩いてきた。



京成千葉線 ・・・・・・・・・ 京成電鉄の千葉線は、京成津田沼~千葉中央駅間を走る約13kmの路線である。 この間は総武線の海側をほぼ並走している。 開業は大正10年(1921)、、、、、一部、新京成電鉄の車両が乗り入れており、ピンクと白に塗装された電車も見ることができる。 明るい色の電車を見ながら、心ウキウキ、線路沿いに西へ向かう。
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旧日本電信電話公社検見川無線送信所 ・・・・・・・ 逓信省技師吉田鉄朗の設計による、丸味を帯びた隅部、曲線を多用し正面階段部など、ドイツ表現派風の建築で、大正15年(1926)、対外国通信を主目的として建てられた施設である。、、、、、昭和58年(1983)に施設が撤去され、現在は雑草の中で雨ざらしの廃墟状態である。 建物は内部には入れないようになっているが、破損が甚だしく痛々しい。、、、、貴重な建物で、千葉市では保存に向けて10年以上の期間検討している。 まだまだ検討は続くのか? 壊れた後に、検討が終わるのかもしれない。
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三峯神社 ・・・・・・・・ 千葉街道沿いの崖上にある、秩父の三峯神社を総本社とする神社。 江戸時代までは崖下は波打ち際で、三峯神社の灯明は検見川港に入る船の灯台であった。、、、、今は小さな神社だが、文政6年(1823)の石の鳥居、同年の石灯籠なども残っている。 パワースポットとして世に売り出し、恋人占いなども用意すると、若い娘の参拝も期待できるかも?
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露天風呂のある梅の湯 ・・・・・・・・ 旧千葉街道がまだ海に面していた頃は検見川町は漁師町であった。 その時代から、現在地(花見川区検見川町2)で100年以上営業している「梅の湯」。、、、、今は、町の銭湯として営業しているが、地下50m~60mから採取した大変綺麗な筑波山系の「井戸水」を濾過し、お湯を焚いているそうだ。 また、男女別にある「薬湯露天風呂」は、足腰の痛みに効くそうだ。 私は入浴していないので真偽は?
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善勝寺 ・・・・・・・・・ 検見川町1丁目の浄土宗寺院、求法山随流院善勝寺。 文禄元年(1592)の開創。 文久元年(1861)、検見川に大火事が発生し、類焼した。 その後、近隣の味噌倉を購入移築して、本堂に代用した。 それまで境内にあった釈迦堂・庚申堂・祖師堂などの諸堂宇は、復旧再建の見込みなく、すべて仮本堂に合座した。、、、、、昭和36年(1961)に至り、現在の本堂・庫裡を建立して、ようやく昔日の面目の一部を回復した。、、、、山門は江戸時代(1745)の建立。 鐘楼堂も江戸時代(1721)の建立だが、鐘は太平洋戦争で供出してしまった。
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検見川神社 ・・・・・・・・・ またまた来ました検見川神社。 まだ正月モードの神社は、初詣の参拝者がちらほら。 お守り、お札を授かる人もいる。
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新検見川駅 ・・・・・・・・ 昭和26年(1951)7月15日、国鉄の駅として開業。 現在は、複々線上の緩行線に設けられた島式ホーム1面2線を有する地上駅。 駅舎は橋上にある。、、、、ちなみに、“新”のない検見川駅は京成電鉄千葉線の駅で、大正10年(1921)に検見川神社の近くに開業した。
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2018年1月 7日 (日)

亀戸天神

正月気分もいよいよ終わり、今日は「七日正月」。 我が家でも正月飾りをはずし、“松”とお飾りは神社へ納め七草粥を食した。、、、、、昼から夫婦で亀戸天神 に参る。



・・・・・・・・・・ JR亀戸駅から神社へ向かう、、、、、天気晴朗なれど、人波はさほどでもなし
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・・・・・・・・・・ 神社へ向う途中、大道芸に拍手。 江戸切子もチョイト拝見、芸術品を見て感嘆し、値段を見て仰天。
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・・・・・・・・・・ 正月三が日も過ぎ参拝客は少なくなった。 
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・・・・・・・・・・ 拝殿前の行列も短く、待ち時間10分程で手を合わせることができた。
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・・・・・・・・・・ 賽銭は奮発して10万円程投げ入れるつもりで、財布にあった小銭を全額入れてきた。 ちなみに、私が35円、妻が500円。、、、、、御利益を大いに期待!
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・・・・・・・・・・ 境内のウメは蕾も膨らんできた。、、、、、早や咲きのウメが一部開花していた。
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・・・・・・・・・・ 青空の下、スカイツリーもよく見える
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・・・・・・・・・・ 今日は並ばなくても入れそうだ、チョイトお立ち寄り。 “くず餅”のお土産と重複しないように、“クリームみつまめ”をいただく。 できたら“大盛り”を注文したかった。
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・・・・・・・・・・ お腹も満たされ、天神橋を渡り錦糸町駅前を抜けて帰宅。
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2018年1月 5日 (金)

浅草橋~押上

三が日の正月行事をこなし、昨日は年始の挨拶まわりを終え、今日から平常勤務。、、、、今朝の寒さは、我が身にはチョイト厳しく、散歩も近場にした。 我が家(浅草橋)から、鳥越・蔵前の神社に寄って、厩橋を渡り押上(スカイツリー)まで、1万歩の歩きです。



鳥越神社 ・・・・・・・・・ JR浅草橋駅から徒歩8分、我が家から徒歩4分。 神社は蔵前橋通りに面する。、、、、白雉2年(651)、日本武尊を祀って白鳥神社と称したのが始まり。 前九年の役のおり源義家がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。 それを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神と改めたと伝えられている。 祭神は日本武尊、相殿に徳川家康。、、、、、今日、仕事始めの企業も多く、お祓いを受ける人も見られる。
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蔵前神社 ・・・・・・・・・ 都営浅草線・大江戸線の蔵前駅から徒歩2分。 江戸通り、春日通から一本裏道に入った処に鎮座する神社。 元禄6年(1694)、徳川綱吉が山城国男山の石清水八幡宮を勧請した。 以来、社領200石を寄進され、江戸城鬼門除け、徳川将軍家の祈願所として崇敬を受けた。、、、、、宝暦7年(1757)以来たびたび勧進相撲が行われ、回向院・富岡八幡宮とともに三大拠点の一つであった。 社号標や玉垣は大日本相撲協会からの寄進と思われる、千代の山、鏡里、東富士等、懐かしい横綱の四股名が読める。 残念ながら、貴乃花、白鵬、日馬富士の名は無い。
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厩橋 ・・・・・・・・・ 西岸の台東区蔵前・駒形と、東岸の墨田区本所を結び隅田川に架かる。 現在の橋は、3径間下路式タイドアーチ橋、橋長 151.4m、幅員 22.0m、大正15年(1926)着工、昭和4年(1929)9月竣工。 橋名は西岸の蔵前にあった「御厩河岸(米蔵のための荷駄馬用の厩があった)」にちなんでいる。
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・・・・・・・・・・ 橋の上は、風も吹き、寒い、寒い!
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実相寺 ・・・・・・・・・ 厩橋を渡り墨田区の裏道を歩き、日蓮宗実相寺に出た。 是應山実相寺は、慶長2年(1597)の創建。 越前朝倉義景に仕えていた熊谷安左衛門が熊谷家伝来の法華経の利益により白狐を助け、その縁により文殊菩薩を勧請したことから熊谷稲荷を祀っている。、、、、、チョイト古そうな鉄筋コンクリート造の本堂は昭和30年代の建物と推測した。
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業平橋住宅 ・・・・・・・・・ 墨田区業平、大横川の岸に建つ業平住宅は昭和47年(1972)に建てられたマンションである。 この辺りでは、総戸数362戸、14階建ての大きな建物だ。、、、、、現在は中古として、2LDKで2000万円程の価格らしい。 安いか、高いか?
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・・・・・・・・・・ 業平橋住宅の前は、小梅銭座跡、、、、、小梅銭座は、元文元年(1736)寛永通宝の銅銭を鋳造したところで、銭貨の背面上部に「小」の文字が入ってます。 この付近の数か所で銭が造られていたそうだ、今の造幣局である。 念のため、足元をキョロキョロ見まわしたが小銭すら落ちていなかった。
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東武橋・京成橋 ・・・・・・・・・ スカイツリーを挟み、北十間川に架かる橋で、西側に「東武橋」、東側に「京成橋」である。 それぞれ橋の袂に東武鉄道・京成電鉄の旧本社があった。

・・・・・・・・・・ まずは東武橋 、、、、、業平1丁目と押上1丁目を結び、昭和初期に架けられたが、現在の橋は昭和63年(1988)3月に架け替えられた。 橋の脇にできた「すみだ水族館」の建っている場所に東武鉄道の本社はあった。
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・・・・・・・・・・ 次は京成橋 、、、、、業平3丁目と押上1丁目を結び、昭和4年(1929)に架けられたが、現在の橋は昭和37年(1962)7月に架け替えられた。 橋の北側にできた複合ビル(ニトリ、ライフが入居)の建っている場所に京成電鉄の本社はあった。
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・・・・・・・・・・ 最後に、スカイツリーを見上げて、散歩はココまで!
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2018年1月 1日 (月)

初詣

平成30年(2018)の始まり。 昭和64年(1989)1月7日、昭和天皇崩御と新天皇即位にともない新元号「平成」が決定され、当時内閣官房長官だった小渕総理が新元号を発表した。 はやいもので、あれから30年、来年にはまた新たな元号になる。 戦後生まれの私も、三つの元号の時代を経験できそうだ。 来る新しい時代も健康に迎えられるよう、今のうちに神頼みしておこう!、、、、、今日は夫婦で、まず我が家の氏神様、浅草橋駅裏の銀杏岡八幡神社に参り、その足で戌年にあやかり水天宮に詣でてきた。



銀杏岡八幡神社 ・・・・・・・・ 源義家が奥州征伐のため下向の折、当地(現:台東区浅草橋)で休憩中川上より銀杏の枝が流れてきた。義家はその枝を丘の上にさし立て「朝敵退治のあかつきには枝葉栄うべし」と祈願した。奥州平定の後再びこの地に帰り至ったとき銀杏が大きく繁茂していたので義家は神恩に感謝し太刀一振を捧げ、八幡宮を勧請したのが、康平5年(1062)で神社の創祀といわれている。、、、、、江戸時代には、福井藩松平家屋敷地となり、松平家の邸内社となり、享保10年(1725)公収され町内(福井町=私の出生地)の産土神となった。 明治維新後には村社となる。、、、、、神社の周りは、最近、多くの呑み屋が開店し、夜の街が創られつつあるようだ。
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水天宮 ・・・・・・・・・ 御存じ、日本橋の水天宮は安産の神様。 我が家の娘は手元を離れ手も空いたので、老いて子育てに再び挑戦するか。 まずは子宝を授かって、、、、てな、ことは毛頭考えておらず、ただ戌年に縁がありそうで、我が家からも近い水天宮に詣でただけである。

・・・・・・・・・・ 水天宮宇は文政元年(1818)港区赤羽にあった有馬藩邸に当時の藩主有馬頼徳が領地(福岡県久留米市)の水天宮の分霊を神主に命じて藩邸内の分社に祀らせたのが創め。、、、、、、江戸時代の水天宮は藩邸内にあった為、庶民は普段参拝できず、門外より賽銭を投げ参拝した。 ただし毎年5日の縁日に限り殿様の特別の計らいにより藩邸が解放され参拝を許された。 その当時、参拝の妊婦の方が鈴の緒のおさがりを頂いて腹帯として安産を祈願したところ非常に安産だったことから人づてにこの御利益が広まった。、、、、明治維新により藩邸が没収され有馬邸が青山に移ると共に青山へ、更に明治5年(1872)11月1日、現在の日本橋蛎殻町に鎮座した。、、、、現社殿は平成28年(2016)に建て替えられたものである。 竹中工務店の設計・施工で、地下1階/地上6階、延べ床面積は約5000㎡の建物。

・・・・・・・・・・ 我が家からは徒歩30分の地にあるが、着いたら。行列ができている。 賽銭箱の前までは、並ぶこと1時間。 ナンジャ・コリャ、でも行列は若い夫婦が多く、お腹がポッチャリしている人もいる。 チョイト他の神社とは雰囲気が違うね!
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・・・・・・・・・・ 賽銭箱に、奮発し万札を入れたら、神様が喜び御利益に子宝を授けてくれるかも? 70過ぎての子宝は、コリャ大変だ! ここは、御利益をあまり期待せず100円玉にしておいた。
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・・・・・・・・・・ 水天宮には七福神の弁財天が祀られている。 こちらにも手を合わせたが、お姿は奥に隠れて拝見できず。
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・・・・・・・・・・ そうそう、ここは「日本橋七福神巡り」の一社。 グッズを売る娘さんが弁財天に見えた。

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●・・・・・・・・・・ 東日本橋の「薬研堀不動尊」にも手を合わせて帰る。
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