巣鴨~北池袋
山手線巣鴨駅で下車し、山手線の外側の裏道を西に向かい大塚駅北口前を通過し、東武東上線北池袋駅まで、1万歩の裏道散歩です。
①巣鴨駅・・・・・・・・ 明治36年(1903)4月1日に日本鉄道の駅として開業。 明治39年(1906)には国鉄の駅となる。 駅舎は中山道(国道17号=白山通り)に面した橋上駅舎。、、、、「巣鴨」という駅名を私が意識したのは、私の母校:京華中・高等学校が白山通り沿いにあり、昭和30年代の当時は、白山通りに18系統(志村坂上~神田橋)の都電が走っていた。 この時、都電は「巣鴨」、「水道橋」の両駅を通っていた。 通学は都電を利用し、巣鴨方面から通う生徒と、水道橋方面から通う生徒(私はこちら)に二分され、私を含め水道橋から通う生徒は、多少都会的で垢抜けしていたように思うね。 今は皆、“じじい”となって、野暮ったくなったね!
・・・・・・・・・・ 巣鴨駅前の跨線橋が巣鴨橋。 山手線、湘南新宿ラインが橋の下を走る。 この橋の初代は、明治36年(1903)の田端線(現:山手線)開通時に架けられた。 二代目は大正13年(1924)頃の複々線化のときらしい。 現在の橋は昭和45年(1970)の架橋。
②巣鴨3丁目・・・・・・・・ 「巣鴨3丁目」と言えば「とげぬき地蔵」、そしてチョイとランク落ちして「眞性寺の江戸六地蔵」。 今日は六地蔵に手を合わせ、地蔵通りから脇道に入り西へ歩いた。、、、、、特別、面白いもの、かわったもの、ビックリするものもなく、通り抜けて大塚駅に出てきた。
③都電大塚駅前停留場・・・・・・・・・・ JR大塚駅高架下に設けられている停留場。 明治44年(1911)8月20日、王子電気軌道の大塚駅(現在の大塚駅前停留場)が開業した。 その後、王子電気軌道は東京市に買収され、今日、都電荒川線として残っている。
・・・・・・・・・・・ 都電の停留場から50m程の隣にはJR大塚駅がある
④空蝉橋・・・・・・・・・ 大塚駅の西側に山手線を跨ぐ橋がある、橋の名は空蝉橋(うつせみはし)。 チョイト風流なこの名は、かつて近くにあった稲荷神社境内で、セミの抜け殻が付いた松の木を明治天皇がご覧になったことが由来といわれている。、、、、、初代の橋は田端線(現:山手線)の開通した明治36年(1903)で、その後大正・昭和に架け替えられた。、、、、空蝉橋の周辺はラブホテルが多い。 ご愛用するどこぞの二人は世の無常を噛みしめながらHするのかも。
・・・・・・・・・・・・ 空蝉橋から北西に150m程裏道を歩くと小さな出世稲荷神社(北大塚3)がある。 この神社は、空蝉橋が造られる以前まで空蝉橋の地にあり、名の由来となった松の木があった神社で、初代の橋の工事に伴い現在地に移転した。、、、、、なぜか知らぬが、神社の境界に2本のレール(写真:矢印)が埋められていた。 鉄道工事と関係するか?
⑤北大塚3丁目・・・・・・・・・ 私の好きな、狭い裏道を歩く
⑥上池袋3丁目辺り・・・・・・・・ 北大塚から、上池袋1丁目をぬけ、明治通りを横断し、上池袋3丁目に入る。 特筆すべき建物はないが、この辺りも私好みの細い道に小さな木造家屋が並ぶゴチャゴチャした町である。 家並みの先には豊島清掃工場の煙突も見える。
・・・・・・・・・・・・・上池袋3丁目の町の中に、日蓮宗寺院の妙経寺がある。 妙経寺は、大正元年(1912)に創建され、昭和10年(1935)に岡山最上稲荷の関東別院となった。、、、、チョイトせせこましい町の中にある寺
⑦池袋運輸区・・・・・・・・・・ 上池袋2丁目にある、かつての池袋電車区。 埼京線に乗ると池袋から板橋に向かって右手に、山手線・赤羽線・埼京線などが留置されている処。、、、、、フェンスと太陽が邪魔で、写真が撮れない。 コンチクショウ!
⑧北池袋駅・・・・・・・・・ 東武東上線の駅。 併走するJR赤羽線(埼京線)の池袋~板橋間にある。 昭和9年(1934)5月1日に東武堀之内駅として開業。 戦後、しばらく廃止されていた駅だが、昭和26年(1951)9月1日に北池袋駅として再開した。、、、、、池袋駅の賑わいとは、まるっきり縁のない場末の駅