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2018年1月29日 (月)

奥戸街道

一週間ぶりに気温も10℃程に上がるようで、散歩する気分となった。 久しぶりに朝から歩いてきた。 京成四ツ木駅で下車し、奥戸街道を歩き総武線小岩駅まで、1万3千歩の散歩です。



・・・・・・・・ 奥戸街道(おくどかいどう)は、葛飾区立石1丁目の平和橋通り「奥戸街道入口交差点」から、江戸川区西小岩2丁目の蔵前橋通り「六軒島交差点」までの約3.5kmの区間。 古くからの街道筋で、古代東海道の一部とも重なる。 街道名は愛称として名付けられたようで、昔から「奥戸街道」と呼ばれていたわけではないようだ。 それゆえ、道筋に宿場があったり、古い商家の家並みがあるわけでもない。


奥戸街道入口交差点・・・・・・・・・ 京成押上線四ツ木駅と立石駅の中程で、平和橋通り(都道308号)が押上線と交差する。 この踏切:「四ツ木2号踏切」の20m程東側に「奥戸街道入口交差点」がある。、、、、写真:左端が押上線踏切、右奥に伸びる道が奥戸街道、手前右端から踏切を越える道が平和橋通り。
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・・・・・・・・・・ この交差点「奥戸街道入口」と表示されているが、「奥戸街道出口」 の表示は、今日の散歩で見つけることはできなかった。 何処にあるのか教えて欲しい!
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・・・・・・・・・・ 四ツ木2号踏切は、只今高架化工事中。 あと数年でこの踏切も消えることになる。
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渋江公園・・・・・・・・ 渋江公園、昨年の11月に立ち寄ったので、今日は通過する
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・・・・・・・・・・ 車道は雪も解けたが、歩道にはまだ点々と残り、歩行に注意!
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“昭和”のアパート・・・・・・・・ 奥戸街道「京成立石駅前交差点」から南に入ると戦前に建てられたと推定するアパートが残っている。 ツタが絡まり見えにくいが、玄関のコンクリート造の門、スクラッチタイル張りの玄関まわり、両開きの玄関ドア、どれもこれも昭和の香り。
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喜多向観音・・・・・・・・・・・・・立石駅の南側:東立石4、奥戸街道に面し「喜多向観音菩薩」が祀られている。、、、、寛保元年(1741)、徳川八代将軍:吉宗の時代、近くの南蔵院 と言う寺の「妙本」という尼さんが金龍山浅草寺を深く信仰して千日詣の大願を起こした。 念願の日、枕頭に金色燦燦と輝ける観世音菩薩が現れ、「汝の願い正に叶う可し、喜び多く向わんと」と謂うや何処ともなく姿を消してしまった。 そのお礼に建てたのがこの喜多向観音と言われている。、、、、浅草の観音様の御威光が、ココ立石まで及んでいた。
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本奥戸橋・・・・・・・・・ 奥戸街道が中川を越える位置に架かる橋。昭和62年(1987)に架け替えられたトラス橋、長さ122.1m。、、、、、初代の橋は昭和7年(1932)に架けられた。
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地蔵尊、馬頭観音、道標の街道三点セット・・・・・・・・本奥戸橋の西詰(葛飾区立石8)に街道の三点セットである、地蔵尊、馬頭観音、道標がセットで祀られている。、、、、、地蔵尊は、貞亨2年(1685、江戸初期)に建立された。 当初は現在の橋際の堤防内にあわもち屋という家があり、その前に在ったと言われている。、、、、 馬頭観音は江戸時代中頃に、農耕、運搬に欠かせない馬の保護仏として祀られた。 建立は安政2年(1855、江戸大地震の年)。、、、、、 道標は、出羽三山の信者の講により、宝暦5年(1755)、旅人の役にたてようと建造したもの。 『右江戸みち、左おくとみち』と標されている。、、、、、バラバラに造られた3基が、現在は一つにまとまり、地元での信仰を得ている。 
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奥戸の二社・・・・・・・・ 奥戸街道沿いの区立総合スポーツセンター(葛飾区奥戸2)に隣り合わせで二社ある。

・・・・・・・・・・ 奥戸水神社、、、、、スポーツセンターの西側に祀られている。 奥戸水神社の創建年代等は不詳だが、中川開削のとき、享保14年(1729)幕府の勘定吟味約井沢弥惣兵衛が河畔に祀ったと言われている。 小さな神社。
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・・・・・・・・・・ 奥戸天祖神社、、、、、スポーツセンターの東側に祀られている。 奥戸天祖神社は、当地が葛西御厨であった頃に、伊勢皇大神を勧請し、また下総の香取・鹿島のニ神を勧請して三社明神と称し、奥戸村の鎮守とした。
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妙厳寺・・・・・・・・・ 奥戸3丁目に真言宗豊山派の妙厳寺がある。 応永22年(1415)に創建され、永禄元年(1558)に中興された。 本尊は不動明王、、、、、本堂は安政2年(1855)の大地震で倒壊し、明治14年(1871)再建し、その後、昭和に改築された。
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・・・・・・・・・・ 妙厳寺の東で、奥戸街道は環七通りと交差し、さらに東に向かう
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宝蔵院・・・・・・・・ 新中川に架かる奥戸新橋の西詰(奥戸8)に宝蔵院がある。 宝蔵院は室町時代に創建された真言宗豊山派の寺。 本堂は昭和59年(1984)に新築された。、、、、、境内は静かな佇まい、あちらこちらには、石仏、地蔵尊、祠が点在し、まるで山郷のお寺のようだ。 秋の彼岸花が見事に咲く寺としても有名らしい。 今日は、雪の残る境内を拝見してきた。 チョイト、デフォルメされズングリした男の一物にもしっかりと手を合わせてきたが、そろそろ御利益が無くなってきたようだ、コラ、役立たず!
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八剱神社・・・・・・・・ 宝蔵院の裏手にある八剱(やつるぎ)神社。 神社は天文5年(1536)三河国碧海郡西端村の郷士杉村小左衛門が当地を開拓するに当たり、守護神として勧請したものと伝えられている。 旧奥戸新田の鎮守。 社殿は、寛永6年(1629)、正保4年(1647)、安永7年(1778)、文久3年(1863)、明治41年(1908)に再建または修覆が行われ、現在の社殿は昭和47年(1972)10月の造営である。
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奥戸新橋・・・・・・・・ 新中川に架かる奥戸新橋は、昭和36年(1961)新中川掘削工事に伴い架橋された。 橋長144.6mのプレートガーダー桁橋、、、、、新中川は掘削当時、中川放水路と呼んでいた。 私が中学生の時である、この掘削工事を見た記憶が残っている。 当時は田圃の中の掘削工事で、まだ重機は使われていなかったと記憶している。
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55号線架道橋・・・・・・・・・ 奥戸街道は奥戸新橋で新中川を越えると、新金貨物線の55号線架道橋をくぐる。 この架道橋から東側は、江戸川区となる。
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奥戸街道分岐点・・・・・・・・・・・西小岩1丁目、蔵前橋通り「六軒島交差点」、ここが奥戸街道の出口である。 キョロキョロ探しても、どこにも「奥戸街道出口」とは記していない!、、、、、やはり、入口はあるが、出口のない街道であった。

・・・・・・・・・・ 六軒島交差点はY字型の交差点で、写真左が蔵前橋通り、右に入ると奥戸街道である。
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