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2018年1月 1日 (月)

初詣

平成30年(2018)の始まり。 昭和64年(1989)1月7日、昭和天皇崩御と新天皇即位にともない新元号「平成」が決定され、当時内閣官房長官だった小渕総理が新元号を発表した。 はやいもので、あれから30年、来年にはまた新たな元号になる。 戦後生まれの私も、三つの元号の時代を経験できそうだ。 来る新しい時代も健康に迎えられるよう、今のうちに神頼みしておこう!、、、、、今日は夫婦で、まず我が家の氏神様、浅草橋駅裏の銀杏岡八幡神社に参り、その足で戌年にあやかり水天宮に詣でてきた。



銀杏岡八幡神社 ・・・・・・・・ 源義家が奥州征伐のため下向の折、当地(現:台東区浅草橋)で休憩中川上より銀杏の枝が流れてきた。義家はその枝を丘の上にさし立て「朝敵退治のあかつきには枝葉栄うべし」と祈願した。奥州平定の後再びこの地に帰り至ったとき銀杏が大きく繁茂していたので義家は神恩に感謝し太刀一振を捧げ、八幡宮を勧請したのが、康平5年(1062)で神社の創祀といわれている。、、、、、江戸時代には、福井藩松平家屋敷地となり、松平家の邸内社となり、享保10年(1725)公収され町内(福井町=私の出生地)の産土神となった。 明治維新後には村社となる。、、、、、神社の周りは、最近、多くの呑み屋が開店し、夜の街が創られつつあるようだ。
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水天宮 ・・・・・・・・・ 御存じ、日本橋の水天宮は安産の神様。 我が家の娘は手元を離れ手も空いたので、老いて子育てに再び挑戦するか。 まずは子宝を授かって、、、、てな、ことは毛頭考えておらず、ただ戌年に縁がありそうで、我が家からも近い水天宮に詣でただけである。

・・・・・・・・・・ 水天宮宇は文政元年(1818)港区赤羽にあった有馬藩邸に当時の藩主有馬頼徳が領地(福岡県久留米市)の水天宮の分霊を神主に命じて藩邸内の分社に祀らせたのが創め。、、、、、、江戸時代の水天宮は藩邸内にあった為、庶民は普段参拝できず、門外より賽銭を投げ参拝した。 ただし毎年5日の縁日に限り殿様の特別の計らいにより藩邸が解放され参拝を許された。 その当時、参拝の妊婦の方が鈴の緒のおさがりを頂いて腹帯として安産を祈願したところ非常に安産だったことから人づてにこの御利益が広まった。、、、、明治維新により藩邸が没収され有馬邸が青山に移ると共に青山へ、更に明治5年(1872)11月1日、現在の日本橋蛎殻町に鎮座した。、、、、現社殿は平成28年(2016)に建て替えられたものである。 竹中工務店の設計・施工で、地下1階/地上6階、延べ床面積は約5000㎡の建物。

・・・・・・・・・・ 我が家からは徒歩30分の地にあるが、着いたら。行列ができている。 賽銭箱の前までは、並ぶこと1時間。 ナンジャ・コリャ、でも行列は若い夫婦が多く、お腹がポッチャリしている人もいる。 チョイト他の神社とは雰囲気が違うね!
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・・・・・・・・・・ 賽銭箱に、奮発し万札を入れたら、神様が喜び御利益に子宝を授けてくれるかも? 70過ぎての子宝は、コリャ大変だ! ここは、御利益をあまり期待せず100円玉にしておいた。
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・・・・・・・・・・ 水天宮には七福神の弁財天が祀られている。 こちらにも手を合わせたが、お姿は奥に隠れて拝見できず。
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・・・・・・・・・・ そうそう、ここは「日本橋七福神巡り」の一社。 グッズを売る娘さんが弁財天に見えた。

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●・・・・・・・・・・ 東日本橋の「薬研堀不動尊」にも手を合わせて帰る。
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