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2018年1月16日 (火)

中野~高円寺

中央線中野駅で下車し、JR線路の南側をぶらついて、お隣の高円寺駅まで、1万歩の散歩です。



中野駅南口・・・・・・・・・ 中野駅は、明治22年(1889)、甲武鉄道(新宿~立川)の開通と同時に開業した歴史ある駅。 駅には南と北の2か所の改札口がある。 北口には、区役所、サンプラザ、ブロードウェイなどがあり、中野駅の表口のようだ。 南口は、北口とくらべチョイト元気がないようだ。、、、、今日の散歩は、南口に出て裏通りを南西方向に歩いてみることにした。
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中野3丁目の裏道・・・・・・・・ 小さなスナック、劇場、居酒屋、ブティックなどが点在する裏通り。 夜は楽しそうな町だが、朝は何処も閉まって、まだ寝ているようだ。
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高円寺天祖神社・・・・・・・・ 大久保通りの南側、杉並区高円寺南1丁目に天照大御神を祀る天祖神社がある。 寛治元年(1087)に信仰心の強い郷土民:山下久七なる人物が、伊勢神宮へ参拝し、霊を賜り、この地に社殿を建てて奉納したことが始まり。 現在の拝殿は天保2年(1831)、幣殿と本殿は明治21年(1888)に建てられた。
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庚申塔・供養塔・・・・・・・・ 青梅街道と環七通りが交差する高円寺陸橋下の交差点に、5基の庚申塔と供養塔が祀られている。 正徳3年(1713)銘・元禄7年(1694)銘の庚申塔、寛文10年(1670)銘、享保6年(1721)銘の阿弥陀塔と享保13年(1728)銘の供養塔計5基。 この辺りが、高円寺村と呼ば江ていた頃、村人の素朴な信仰で、悪病退散、村民安全などを祈願して建立したものであろう。、、、、、今は、ビルの横の狭いスペースに集団で祀られ、交差点の交通安全もめんどうをみてくれている。
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カトリック高円寺教会・・・・・・・・ 高円寺教会は、昭和3年(1928)、まだ農村の名残りをとどめる杉並村字高円寺に東京で10番目の教会として誕生した。 初代主任司祭として着任したギュスターブ・マイエ神父は、この地に昭和3年11月に仮聖堂を建てた。 当時、高円寺教会信徒数は298人程であったそうだ。 昭和6年(1931)に本格的な聖堂が地下聖堂として建てられたが第二次世界大戦で焼失した、昭和24年(1949)にこの地下聖堂の上に現在の聖堂が建てられた。、、、、終戦直後の建築で、内外装ともシンプルな教会だ!
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華徳院・・・・・・・・ 地下鉄丸ノ内線新高円寺駅から南に150m、杉並区松ノ木3に天台宗の寺院:華徳院(けとくいん)がある。 下野国佐野に創建されました。 天正年間に武蔵国霞ヶ関に移転、慶長年間に浅草蔵前に再転し、寛永寺末となる。 江戸時代には、新宿太宗寺巣鴨善養寺とともに江戸三閻魔として有名であった。、、、、1月と7月の16日は、地獄の釜の蓋もあく閻魔王の斎日。 今日がその斎日である。 華徳院では本堂を開き閻魔様のお姿を見ることができた。、、、、これで、私も江戸三閻魔との御対面が達成できた。 もう地獄へ行っても閻魔と顔なじみで優遇してもらえるだろう。
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フヂヤ薬局・・・・・・・・ 高円寺南の商店街にある薬局。 蔵のような造りの大正時代の建物。 チョイト劣化が激しいようだ。
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高円寺駅 ・・・・・・・・・ 高円寺駅南口に到着
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