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2018年2月

2018年2月28日 (水)

旧東京科学博物館本館

今朝、上野に行く用事があり、帰りに国立科学博物館に立ち寄ってきた。 ナント、65歳以上は入館料無料で、さっそく入館してきた。 一時、“科学少年”に戻って時間を忘れてきた!
 
 
 
国立科学博物館・・・・・・・・・・明治10年(1877)に教育博物館として開館したが、大正12年(1923)の関東大震災で被災してしまった。 その後、昭和5年(1930)に東京科学博物館本館として、全面にスクラッチタイルを張り、車寄せのある正面玄関を中心に左右に翼を広げた外観の、現在の建物が建てられた。 翌昭和6年11月、東京科学博物館としてオープンする。 太平洋戦争末期の昭和20年(1945)5月には、高射第一師団司令部が置かれた。 戦後は、昭和20年12月より一部展示公開が再開された。 昭和24年(1949)、法律により国立科学博物館となる。、、、、、旧東京科学博物館本館(現:国立科学博物館日本館)は関東大震災の復興事業の一環として竣工した。 設計は文部省の技師糟谷謙三が担当。 鉄筋コンクリート造による地上3階/地下1階建である。 均整のとれた立面構成とともに、中央広間・貴賓室・館長室・講堂など室内意匠のレベルも高く、震災復興期における文部省営繕の設計水準を示す建築作品として評価され、現在は国の重要文化財に指定されている。
 
・・・・・・・・・・・・・両翼を広げた国立科学博物館日本館。、、、、現在は正面玄関は一般に使用されておらず、車寄せ右側の地下から入館する。
 
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・・・・・・・・・・・・・スクラッチタイルが時代を感じさせる。
 
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・・・・・・・・・・・・・両翼の先の部分、、、、、、、丸みがある、内部は階段がある。
 
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・・・・・・・・・・・・中庭に面した部分。
 
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・・・・・・・・・・・・・・1階玄関・中央ホール。
 
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・・・・・・・・・・・・・・2階から見る中央ホール、、、、、科学博物館と云うより美術館と云う感じ!
 
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・・・・・・・・・・・・・各展示室には、判りやすく収蔵品が展示されている。、、、、修学旅行の生徒も多く、何となく自分の小学生の頃を思い出した。 あの頃(60年前)は、博物館にきて恐竜の骨を見て驚き、アンモナイトを見て騒いだ、フーコーの振り子はサッパリ理解できなかった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・両翼端部にある階段。、、、、、最上部のステンドグラスも綺麗だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・地球館の裏側に展示しているラムダロケット用ランチャーと、入口脇に展示しているD51-231機関車
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・見ごたえがあり、さらに無料(65歳以上)とは、嬉しいかぎり。 今日は、全てを見ることができなかったので、また来よう。、、、、久しぶりの科学博物館見学であった。

2018年2月25日 (日)

東京マラソン

昨夜は、カーリング女子の応援で、8時からテレビに釘付け。 五分五分の熱戦の最中(第7エンドの頃)、マススタートで高木の金メダル決定の報が速報で流れた。 「あれ? まだスケートやってたの?」てなことで、申し訳ないがメダルを意識していなかった。、、、、カーリングの接戦も見たい、マススタート金決定の瞬間の録画も見たい。 チョイト苦しい選択となった。、、、、結局、美人が多いカーリングを優先し、その後でマススタートを見て、金・銅、二つのメダルで興奮した夜である。 『おやすみなさい』は12時。
今朝は、東京マラソンのコースの一部となっている我が家(浅草橋)の周辺は、朝から人の往来が激しく、私もマラソンの応援に行ってきた。、、、、夜は、オリンピック閉会式があり、いろいろとスポーツ観戦の為、忙しい、散歩は休み。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・時刻は9時半、コースとなっている江戸通り(国道6号、水戸街道)に出てみると、既に、応援する人垣ができていた。、、、、まだランナーは通過していないが、応援する人、警備する人、みんなコース側に向いている。
 
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・・・・・・・・・・・・・9時40分、男子先週の先頭が、13km地点の浅草橋駅前を通過。、、、、白バイの警官は女性だ、目ざとく警官にガンバレ!
 
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・・・・・・・・・・・・・男子ランナーが通過する。 レース結果、1位:ディクソン・チュンバ(3、ケニア)、2位:設楽悠太(22、ホンダ)、3位:アモス・キブルト(7、ケニア)の各ランナーが通過。
 
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・・・・・・・・・・・・・後続のランナーがゾクゾク。、、、、、チョイと小さなドラ猫ような、見た顔のランナーがいた。
 
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・・・・・・・・・・・・・女子ランナーで1位となったベルハネ・ディババ(54、エチオピア)、2位のルティ・アガ(51、エチオピア)が、男子に交じり通過。
 
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・・・・・・・・・・・・・ランナーがゾクゾク続き、お巡りさんも走る。
 
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・・・・・・・・・・・・・お知り合いも登場。 『ガンバレ!』 まだまだ、レースは序盤、余裕で手を振り応えるランナー。
 
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・・・・・・・・・・・・・一般のランナーがドンドン増えてくる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・そろそろ先頭が、門前仲町を折り返して、戻って来る時間だ。 都営地下鉄浅草橋駅の地下道を抜けて、道路の反対側に移動する。、、、、、考えることは誰もが同じ、地下道は大勢の人で混雑。
 
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・・・・・・・・・・・・・給水コーナー付近で応援することにした。 早速、車椅子のランナーが通過し、その後から、先ほど応援した白バイの警官(女性)も通過。 カッコイイ、ガンバレ!
 
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・・・・・・・・・・・・・男子で3位となったアモス・キブルト(7、ケニア)も通過。
 
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・・・・・・・・・・・・・給水コーナーは、26km地点、道路の向かいは13km地点、その差は13km。 ということは、左(銀座方面)に走るランナーから、少なくとも延々13km、右(浅草方面)へ向かうランナーまで35,000人の走者の列が続いていると言うことだ。、、、、ポカリスエットの“消費量”より、“消費料”が気になるね。
 
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・・・・・・・・・・・・・応援も飽きてきた、地下道を抜け浅草橋駅に戻る。 駅前は人・人・人。、、、、、まだ浅草方面に走る人が続く。 一般ランナーの外人も多いね。
 
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・・・・・・・・・・・・・家に戻り、TVで応援することにした。 我が家への道路は交通規制され、警備員が江戸通りとは反対向きで立っている。 ご苦労さま!
 
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2018年2月23日 (金)

両国

今朝の都心は、冷たく細かな雨が降り、散歩には不向きだ。 そんな中、病院で採血があるため、隅田川を挟んだ隣の両国まで行ってきた。 我が家(浅草橋)から、行きは蔵前橋を渡り、帰りは両国橋を渡って、往復7千歩のミニ散歩。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・浅草橋駅前:「にんぎょ~~の久月」の脇を隅田川に向かう。、、、、、天保6年(1835)、横山久左衛門は武士を嫌い両刀を捨て、ひな人形をつくり始めた。これが「久月」のおこり。 その後、久左衛門は江戸に出て、神田川のほとりに人形師「久月」の看板を掲げた。、、、、、浅草橋を代表する企業の一社である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・隅田川テラスに出て、雨中の川べりを歩く。
 
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・・・・・・・・・・・・・カモメが寒そうに並んでいる。 全員で、ラジオ体操でもやったら?
 
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・・・・・・・・・・・・対岸には私が通う同愛記念病院 が見える。 建物は建て替えられたが、私が生まれる以前からある病院。
 
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・・・・・・・・・・・・・蔵前橋を渡り、病院へ急ぐ。 はやく行かないと、爺さん・婆さんが多く、待ち時間が長くなる!
 
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・・・・・・・・・・・・・到着しました。 今日は純生の新鮮な血を採られ、結果は「来週またね~」だって。 検査料2,130円払ってきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・帰りは、チョイと病院の前にある安田庭園を拝見。 庭園の一画に作られた「刀剣博物館は、まだ開いておらず、パス。
 
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・・・・・・・・・・・・・安田庭園の南側にある製紙会社の敷地角に、『花の生涯』を書いた小説家:舟橋聖一誕生記念碑がある。 舟橋聖一は明治37年(1904)12月25日にこの地(現:墨田区横網)で生まれた。 誕生日はクリスマスであり、キリストにあやかり“聖一”と名付けられたそうだ。、、、、国技館に近いこの地で生まれ育ったゆえ、相撲が好きで、横綱審議委員会の委員長を務めたのかな? 昭和51年(1976)1月没。、、、、、私は、昨年、『鼻の障害』で救急搬送。
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国国技館両国駅 前を抜けて行く。、、、、、どこぞの国の方か、両国のガード下で記念撮影。 何を撮ったのかな(?)
 
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・・・・・・・・・・・・・両国橋 を渡り、柳橋で神田川を越える。 我が地元、浅草橋に戻ってきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・帰りは、「顔が命の吉徳」前を通過。、、、、、吉徳は、正徳元年(1711)、江戸浅草茅町(現:台東区浅草橋1)に初代治郎兵衛が人形玩具店を開く。 以来雛人形手遊問屋として吉野屋治郎兵衞を名乗る。 久月と並ぶ人形店。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日の散歩は「久月」に始まり、「吉徳」で終わることとする。、、、、、我が家では、ひな人形を飾つて爺さんと婆さんのひな祭りを今年も実施予定。 娘が大きくなると、寂しいね!

2018年2月21日 (水)

哲学堂

昨日は、サーバーがパンク状態となり「雅万歩」のブログ・写真を整理し、当分は安定して利用できる容量が確保できた。 一安心。、、、整理中に、「野方の給水塔」の写真が目にとまり久しぶりに行ってみることにした。、、、大江戸線落合南長崎駅から、江古田の給水塔を見て、哲学堂公園に立ち寄り、西武新宿線新井薬師前駅まで、1万歩の散歩です。

 
 
 
①落合南長崎駅・・・・・・・・・「新目白通り」の地下に造られた島式ホーム1面2線の地下駅。 駅名のごとく、新宿区西落合と豊島区南長崎にある。 駅は平成9年12月19日、都営12号線(現:大江戸線)の駅として開業。 、、、、、建設時の仮駅名は「南長崎」(豊島区の地名)だったが、新宿区住民の要望で地名:落合(新宿区)を足して、「落合南長崎」として両区の手打ちとなったそうだ。
 
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②自性院・・・・・・・・・・・新青梅街道を落合南長崎駅から150m程西へ行くと、門柱の上に招き猫がいる真言宗豊山派の自性院。 弘法大師空海が日光山に参詣の途中で観音を供養したのが自性院の草創といわれている。、、、、、江古田ヶ原の戦(1469~1486)で、道に迷った大田道灌を寺に案内して危機を救い、戦いに大勝利をもたらした猫を供養して建てられたという「道灌招ぎ猫」と、その後江戸中期にすし職人が、ある貞女の誉れを後世に伝えたいと奉納した「猫面地蔵尊」の2体が境内の猫地蔵堂に祀られている。 節分の日だけに開帳されるそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・猫地蔵堂の内部をチョイト拝見。 秘仏は赤漆で塗られた厨子の中か? 周りにはネコ・グッズがいっぱい。 
 
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③野方給水塔・・・・・・・・・・東京23区北西部への配水を目的として、現在の江古田1丁目に、昭和3年(1928)に建設された。高さ34mの鉄筋コンクリート造構造物で、東側に階段室、頂部に換気塔を付け、水槽周壁上部にはアーチ形窓を配する。壁体内の漏水防止用鋼板に初期の溶接技術を用い、ドーム付円筒形水道塔としても最初期の事例である。、、、、国の登録有形文化財。
 
・・・・・・・・・・・・・昭和47年(1972)に給水所としては廃止され、給水塔周囲の跡地は中野区立「みずのとう公園」と「みずのとう幼稚園」になった。、、、、給水塔の正面に幼稚園があり、正面からの全景は撮影できない。
 
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・・・・・・・・・・・・・幼稚園越しに正面上部をパチリ! 空襲時の弾丸の傷跡が残されているのだが、全体的に劣化し、どれが弾丸の傷跡か?
 
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・・・・・・・・・・・・・公園から、給水塔の後ろ姿をパチリ! 公園の地下に災害対策用の給水槽が設置され、常に新鮮な飲料水100m3が用意されている。 
 
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星光山蓮華寺・・・・・・・・・・野方給水塔の西側に日蓮宗の蓮華寺がある。 創建年代不詳であるが、室町時代(南北朝時代)に橘樹郡星川村(横浜市保土ヶ谷区星川)に開山したと伝えられ、その後、江戸時代に現在地へ移転した。、、、、、中野区には日蓮宗の蓮華寺が二寺ある。 一つは、ここ中野区江古田の星光山蓮華寺。 もう一つ、中野区大和町の泉光山蓮華寺 。 ご丁寧に、山号まで似ている、“星”と“泉”の違いだけ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には東洋大学学祖であり、哲学堂を創った井上円了の墓所がある。、、、、判じ物みたいな墓石で、「井上」の“井”の字の上に“円”形の石を置いて、“井の上円りょう”と言っているようだ。 駄ジャレか? 凡人には判らぬ哲学か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・墓地の中に、将棋棋士で日本将棋連盟会長を務めた、永世棋聖(九段):米永邦雄(1943~2012)の墓所もあった。、、、、まだ新しい石で作られた駒の形の墓誌が、輝いている。
 
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⑤哲学堂公園・・・・・・・・・・井上円了の墓に手を合わせ、このまま立ち去るわけにはいかず、蓮華寺とは新青梅街道を挟み、向かい側にある哲学堂公園に寄ってきた。、、、、、哲学堂公園は、明治37年(1904)に哲学者で東洋大学の創立者:故井上円了によって精神修養の場として創設された、哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として私財を投じて整備された全国に例を見ない個性的な公園。 昭和50年(1975)に中野区立公園となり、古建築物の修復、整備を重ね、また花の名所としても親しまれる公園となった。、、、、、庭内に「七十七場」という、「真理の追究」のポイントを設け哲学体験できる庭園となっているそうだ。 哲学の“て”の字も知らぬ私には何のことだかサッパリ判らん。 正直に言わせてもらうと、アッチ・コッチ・ドッチ・ソッチに立てられた名称・解説の立札が、庭園の景観を壊し邪魔に感じた。 
 
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⑥妙正寺川調節池・・・・・・・・・・哲学堂公園の南を流れる妙正寺川は、杉並区の妙正寺池を水源に持ち、途中で江古田川を合わせ、新宿区内で神田川(高田馬場分水路)に注ぐ、延長9.7kmを有する一級河川である。 この川は、市街化の進展に伴い、流域の保水能力が低下し水害の危険性が高まり、こうした状況に対応するため、都は1時間あたり50ミリ規模の降雨に対応する護岸や地下調節池などを整備している。 その調節池が哲学堂公園前に2か所ある。 新宿区側に位置する「妙正寺川第一調節池」と、中野区側に位置する「妙正寺川第二調節池」である。 両調節池は区境にて別けられたと思われる調節池で、第一と第二の調節池は接して造られている。、、、、、調節池とは、河川の水が増水したときに、水を調節池に流入させ一時的に貯留する施設。 
 
・・・・・・・・・・・・・第一、第二とも、妙正寺川から増水した水を呑込む口が開いている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・第一調節池はUR賃貸住宅の地下にも貯水するように造られていた。 地下は駐車場のように造られているが、もちろん車など一切の物が置かれていない。
 
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・・・・・・・・・・・・・第二調節池は、公園下に地下23mまで掘り下げた貯水池が造られて、100,000m3の貯水能力があるそうだ。
 
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⑦新井薬師前駅・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に開業した駅で、その名の通り新井薬師の最寄り駅である。 現在は相対式ホーム2面2線であるが、中井~野方間の連続立体交差事業により、平成32年(2020)度の完成を目指し、島式ホーム1面2線の地下駅となる予定である。
 
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2018年2月19日 (月)

2010年・11年の記事を削除

2010年1月から書き始めたブログ『雅万歩』ですが、いつのまにか記事の量も増え、ブログ用サーバーの最大容量10GBを超える危険信号が点滅しました。 このままだと、新たな記事の掲載が難しいため、2010年・11年分の記事を削除いたします。 残念無念!

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2018年2月18日 (日)

梅島~高野

♪♪ 北風吹きぬく 寒い朝も こころひとつで暖かくなる ♪♪、、、、、今朝の寒さは、チョイと厳しく、吉永小百合の歌のようにはいかない、懐にカイロを入れてくれば良かった。 今日の散歩は、東武伊勢崎線梅島駅から、「関原」、「興野」の裏道を抜け、日暮里・舎人ライナー高野駅まで、1万歩です。
 
 
 
①梅島駅・・・・・・・・伊勢崎線の北千住~久喜間が開通した明治32年(1899)から、25年経過した大正13年(1924)10月1日に途中駅である小菅駅、五反野駅、梅島駅が開業した。、、、、、梅島駅は昭和43年(1968)に高架化されたが、駅用地の幅が狭く一般の島式ホームが造れず、ホーム中央に階段・エスカレータ・エレベータを配置し、そこから北千住寄りに上りホーム、西新井寄りに下りホームが一直線に配置されている。 通過する急行列車などは、緩行線の外側を通過する。
 
・・・・・・・・・・・・ホーム中央付近から西新井方を見ると、長いホームが伸びている。
 
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・・・・・・・・・・・・・同じ位置で振り返り、北千住方を眺めると、階段・エレベータなどがあり、その先に上り電車の到着を待つ乗客の姿が小さく見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・旧日光街道に面して、高架下に駅出入口がある。
 
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②駅前の裏道・・・・・・・・・今日の散歩の“手始め”に、駅前(足立区梅田8)の裏道を歩いてみた。、、、、、私好みの裏道のようだ!
 
・・・・・・・・・・・・・・通り抜けられるか? 行き止まりか? まずは足を踏み入れる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・お~~、行けそうだ、雰囲気もイイネ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・何だか、車も通れる裏道になった。
 
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・・・・・・・・・・・・・アリャ!、西新井に抜ける「亀田トレイン通り 」に出てしまった。、、、、チョイと期待ハズレ!
 
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③静かな町・・・・・・・・・・・「4℃、風速3m/s」、寒いのか? 公園に子供がいない。、、、、「午前9時半」、まだ早朝なのか? 商店街はシャッターが下りている。
 
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④関原の裏道・・・・・・・・・・店の開いていない商店街から裏道に入ってみた。
 
・・・・・・・・・・・・・・この道を行ってみよう!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・塀に囲まれた痴漢好みの一本道。 私も襲われないように、気を引き締めて、ベルトを締めて!
 
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・・・・・・・・・・・・・道は曲がりくねり、車も入れない細い道。
 
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・・・・・・・・・・・・・出た処は、西新井署の斜め前。 
 
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・・・・・・・・・・・・・車の通る表通りは面白くないので、西新井署の前から、再び裏通りへ入る。、、、、、この付近、アパートが多い。
 
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・・・・・・・・・・・・・キョロキョロして歩いていると、突然、お巡りさんが自転車で出てきた。 ヤバイ、咄嗟に身構えたが、私の脇を通過。 世の中、私より悪い奴がウヨウヨいるので、お巡りさんも忙しい、雑魚は相手にせず!
 
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・・・・・・・・・・・・・・右に入るか、左へ行くか? 心も迷う、迷い径。 迷ったときの神頼み。 女神を探すがいない。 右前方に老婆を発見、進路は左にとる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・この付近、建設関係の仕事に携わる人が多いようだ。 住宅の玄関先に足場用の資材が整理されたている。 若き頃、現場にいたことを思い出し、親しみを感じる光景だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・出てきた処は、尾竹橋通り「関原三丁目」交差点。
 
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⑤本木の町・・・・・・・・・・尾竹橋通りを横断し本木の町に入る。 ここでも、裏通りを探索。、、、、、こんな処に? なぜ、大型トラックが入れないような、裏通りの奥にスーパーがあるのか? 立地としては、けして良いとは言えないと思うが、地元に愛されているスーパーなのか?
 
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⑥興野の町・・・・・・・・・この町も裏道は曲がりくねった細い道である。 所々に建物を取り壊した跡地があるが道路が狭いためか、マンションを建てるなど再利用は進んでいないようだ。 でも、いずれ時間が解決するであろう。
 
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⑦興野の庚申塔・・・・・・・・・・足立区興野2の町角に3基並んだ石造物がある。 うち、右側は寛文10年(1670)、中央は正徳4年(1714)に造立された庚申塔である。、、、、庚申信仰も時代と共に廃れ、今は地元の人が細々と守り祀っているのだと思う。 いずれ守る人がいなくなるだろうが、石仏は残して欲しいね。
 
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⑧高野駅・・・・・・・・・・・・日暮里・舎人ライナーの高野(こうや)駅は、平成20年(2008)3月30日に開業した。 今年がチョウド10年目。、、、、「高野」の地名は現存しないが、江戸時代に登場した足立郡高野村が基であり、昭和51年(1976)までは「足立区高野町」として存在していた。 ちなみに、現在の高野駅は足立区扇2丁目に在る。
 
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2018年2月16日 (金)

市川大野~本八幡

武蔵野線市川大野駅から、南西方向に歩き総武線本八幡駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①市川大野駅・・・・・・・・・・市川大野駅が開業した昭和53年(1978)頃の、武蔵野線は旅客列車の運転本数は30分に1本程と少なかった。 開業後40年経過した現在は、首都圏の通勤電車として運転本数も増え便利になった。 駅は相対式ホーム2面2線のほかに中線を有する高架駅である。、、、、、私がこの駅に最初に降りたのは駅開業間もない頃で、葬儀に出席するためであった。 以来、火葬場の最寄り駅としてのチョイト暗いイメージが強く残っていた。 今日、下車してみたら、チョッピリ明るいイメージになった。 
 
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②迎米三社宮・・・・・・・・・・市川大野駅の南西の小高い処に、竹林に囲まれた三社宮がある。 この神社は、迎米(むかいごめ)集落(現大野町2)の鎮守で、奈良の春日大社、愛知の熱田神宮、兵庫の野口神社、三社の御神体を祀っている。
 
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③迎米庚申塚の馬頭観音・・・・・・・・・・本八幡方面に向かう道の脇に、迎米の庚申塚がある、ここには11基程の馬頭観音が祀られていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・その中で、日清・日露戦争時の軍馬の供養碑(写真:中央と左)と共に一基の馬頭観音(写真:右)が祀られている。 一面八臂の馬頭観音で、第一手は胸前で印を結び、第二手の右手は鉞斧を掲げている、第三手で弓矢を持ち、第四手は両手を上向きに開いていた。 文化10年(1813)建立。
 
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・・・・・・・・・・・・・・日蓮宗系「帝釈天」と刻まれた見事な庚申塔もある。
 
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④大野の町を歩く・・・・・・・・本八幡に向かいバス通りをひたすら歩く。 
 
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⑤大野新田の庚申塔・・・・・・・・・市川市大野1丁目、バス通り沿いに祀られている庚申塔。 こちらの3基は、いずれも「帝釈天」と彫られている。  左から、慶応4年(1868)、天明8年(1788)、天保9年(1838)。、、、、、この辺の人は柴又の草だんごが好きだったのか?
 
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⑥木戸口庚申塔・・・・・・・・・・・バス通りは県道180号を横切り、市川市下貝塚2丁目に入り、ここからは県道51号(市川市八幡~柏市旭町)となる。 この地に木戸口庚申塔がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・庚申塔は県道沿いに、コレマタ、3基並んでいる。 左から、文政11年(1828)、享保17年(1732)、享保5年(1720)。  
 
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⑦春日神社・・・・・・・・・木戸口庚申塔から先のバス通りは昨年歩いているので、今日は脇道にそれて歩いてきた。、、、、、、木戸口庚申塔の裏道に入ると、市川市下貝塚の春日神社がある。 小高い処に社があるが、境内には由緒書きもない、あるのは境内を掃除する箒だけ。
 
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⑧本住寺・・・・・・・・・春日神社の先、市川市下貝塚に日蓮宗の寺院、本住寺がある。 
 
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白幡神社 ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・本住寺から裏道をしばらく歩き進むと、手入れされていない竹林となる。 竹林から山を下るようにさらに進むと住宅の脇に出る。 住宅の前に小高い丘が見え、上った先は白幡神社(市川市宮久保)の脇に出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・・白幡神社は誉田別命・竹内宿禰・天満天神を祭神とし、文明18年(1486)以前の創建と思われる古社。 本八幡の駅周辺を一望できる高台に鎮座する。
 
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●・・・・・・・・・・この後、本八幡駅から帰宅。
 
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2018年2月15日 (木)

足立小台~江北

日暮里・舎人ライナーの足立小台駅で下車し、扇大橋で荒川を越え、江北の裏道を歩き回り、ライナーの江北駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①足立小台駅・・・・・・・・・・北側に荒川、南側に隅田川が流れる中洲状の処にある足立小台駅。 駅周辺には数棟のマンションがある程度で、周辺人口は少なく、駅の乗降人数は一日平均2,500人程でライナー13駅中最下位である。、、、、、駅周辺にコンビニが一軒もなく超不便な処だ。
 
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扇大橋 ・・・・・・・・・・荒川に架かる扇大橋(おおぎおおはし)を渡り、足立区扇の町に向かう。 今日の東京は暖かく、荒川の上でも風もなく、ポッカポッカ歩きやすい。、、、、、扇大橋は3径間連続鋼ゲルバー式桁/連続箱桁橋、橋長は 445.4m、幅員は 26.0m、昭和49年(1974)の竣工である。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋上から上流側を眺めると、川の先に江北橋(アーチ橋)が見える。 今日の散歩は川の右側(足立区扇・江北)を歩き、江北橋の方を目指すことにした。
 
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③地蔵堂・・・・・・・・・扇大橋の北詰から裏道に入ると、寺の塀に沿って六地蔵が祀られていた。 真言宗豊山派の吉祥院地蔵堂(足立区扇2)である。 地蔵堂は足立区本木西町にある吉祥院 の境外仏堂であった。 地蔵堂の創建年代不詳。、、、、、気が弱い私は、寺の門が閉まっていたので、境内には入らなかったが、中にも地蔵様が祀られているそうだ。 失敗、失敗。
 
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・・・・・・・・・・・・・塀の外には六地蔵の他に庚申塔が3基あった。 右は「干時明暦元年」(1655)、中央は「干時万冶三天」(1660)、左は「貞享五戊辰年」(1686)、と彫られているそうだ。 私は判読できなかった。
 
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④扇三嶋神社・・・・・・・・・・・・曲がりくねった裏道の先(足立区扇2)に、「三嶋大明神」と掲げた朱塗りの鳥居が見えた扇三嶋神社である。 扇三嶋神社は、阿出川権左衛門知康がこの地に来て本木村の小名太田を開拓した時、崇敬していた三嶋大明神を勧請して慶長年間(1596~1615)に創建した。 祭神は、大山祇命、伊佐那岐命の2神。
 
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・・・・・・・・・・・・・鳥居の横には、めずらしい仁王型の庚申塔がある。 「元禄十丁丑天」(1697)と彫られている。、、、、、公衆電話を見張る、右の阿形、左の吽形。
 
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・・・・・・・・・・・・・・扇三嶋神社の西40m程に角には道祖神もある。「文政」(1819~1830)の年号刻まれてい。、、、、、この付近は古いものが道端にゴロゴロしているようだ!
 
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⑤性翁寺・・・・・・・・・・扇2丁目には真直ぐ伸びる裏道は無いようだ。 方向感覚がおかしくなる。 今度は、浄土宗の性翁寺前に出てきた。 龍燈山貞香院性翁寺は、神亀3年(726)行基菩薩が庵を開いたのに始まり、足立庄司宮城宰相が開基となり、明応元年(1492)開山した。 江戸六阿弥陀の余り木で作られた本尊の木像阿弥陀如来坐像がある寺。 「木余り 性翁時」と呼ばれている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・また、性翁寺は阿出川對馬守を大檀那として400年来、一族の菩提寺として墓が護られている。 一族の墓が多すぎて、右も左も阿出川家の墓、よそ者の私にはどの墓が誰の墓かさっぱり判らん!
 
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⑥鳩ヶ谷街道・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・扇2丁目の裏道を、行きつ戻りつ、行ったり来たり、迷いながら歩く、、、、、江北橋通りを横断し、江北2丁目に入った。 裏通りを歩かず、江北橋通りを歩けば、江北橋を渡り北区王子方面に出たはずなのだが、失敗、江北橋から外れてしまった。
 
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・・・・・・・・・・・・・荒川土手沿いの「鳩ヶ谷街道」の入り口に出てきた。 「鳩ヶ谷街道」なんて、聞いたことがない、コリャ何処じゃ?、、、、、鳩ヶ谷街道とは、足立区江北2丁目から埼玉県川口市南鳩ヶ谷を結ぶ都道(県道)である。 こう言っても判らんね、私も知らん!
 
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・・・・・・・・・・・・・・土手沿いから離れ、直進する(写真:右の道)のが鳩ヶ谷街道
 
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⑦江北氷川神社・・・・・・・・・・鳩ヶ谷街道をチョイト歩くと左手に、旗立ち並び、お守り・キーホルダーなどグッズのメニューが貼られた賑やかな神社が見えてきた、江北氷川神社(足立区江北2)である。 神社の創建年代不詳であるが、沼田村の鎮守社であり、明治初年には村社に列格、明治時代の江北村成立に際しては江北村の総鎮守社であったそうだ。、、、、、拝殿前にも貼り紙だらけ、商魂たくましい神社だ、神様に商売繁盛の祈願すればいいのに?
 
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⑧熊之木圦・熊之木橋・・・・・・・・・・氷川神社の北側に「熊の木ひろば」(足立区江北2)という小さな公園がある。 その中に、平成25年(2013)に復元整備された熊之木圦(いり)と、熊之木橋がある。、、、、圦(いり)とは、水の出入りを調節する水門のこと。 煉瓦造りの熊之木(地名)の圦は戦後埋められてしまったが、掘り起し復元した。、、、、、アーチ型の石橋である熊之木橋も、一度解体して40m南の現在地に復元したそうだ。、、、、、歴史的価値ある遺構も、チョイと水が汚く、水溜まりのごとし。
 
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⑨江北の下町・・・・・・・・・・鳩ヶ谷街道から裏道に入ると、コレマタ「足立の下町」という光景が残っていた。 ついつい、私好みの裏道と足を踏み入れ、またも迷走(歩)してしまった。
 
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江北駅 ・・・・・・・・・・日暮里・舎人ライナーの江北駅に到着。
 
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2018年2月12日 (月)

浅草寺裏

浅草・浅草寺と隣の浅草神社(三社様)は、共に南向きに祀られている。 今日の散歩は、両寺社の裏手を歩いてきた。
 
 
 
①浅草神社・・・・・・・・浅草寺の本尊:観音像を網で拾い上げた土師真中知(はじのまなかち)、檜前浜成(ひのくまはまなり)と、浅草寺の観音像を奉安した武成(たけなり)を主祭神(三社様)とし、後に東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀した。 鎮座した年代不詳である、当初は「三社権現」と称していた。  明治元年(1868)には「三社明神」、さらに同6年に「浅草神社」と改称した。、、、、、現在の社殿は慶安2年(1649)、徳川家光が再建したもので、本殿と拝殿との間に弊殿を設けた権現造。 国の重要文化財に指定されている。
 
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②被官稲荷社・・・・・・・・・浅草神社の裏手東側の一角に、新門辰五郎が勧請した被官稲荷社がある。、、、、、安政元年(1854)、新門辰五郎(1800?~1875)の妻女が重病で床に伏したとき、京都の伏見稲荷社に祈願した。 その効あり病気全快したので、安政2年(1856)、お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、被官稲荷社を創建した。、、、辰五郎は上野寛永寺住職輪王寺の家来であった。 輪王寺宮舜仁法親王が浅草寺伝法院に隠居し、上野へ行くのに便のいい新門を造った。 その門の番を命じられたので、新門辰五郎と呼ばれ、町火消十番組頭としても、多彩な活躍をした。、、、、、社殿は一間社流造、杉皮葺。 創建以来のもので、間口約1.5m、奥行約1.4mと小さいが、覆屋を構えて保護している。 覆屋は大正時代の建築と思われる。、、、、、私も、妻が重病で床に臥したら、ローマのサンピエトロ大聖堂、パリのサンジェルマンデプレ教会、ロンドンのウェストミンスター大聖堂などへ祈願の旅に出るかな?
 
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③浅草寺一山支院・・・・・・・・・・浅草神社の北側に、浅草寺の支院が並ぶ区画が在る。 この建物は、  岡田信一郎(1883~1932)と岡田捷五郎(1894~1976)の兄弟が設計し、昭和7年(1932)に竣工した支院の住宅群です。 岡田信一郎は黒田記念館、明治生命館などを設計。 弟の捷五郎は、兄の事務所で明治生命館、琵琶湖ホテルなどの設計を行った。、、、、一山支院は1100坪の敷地に21の支院が建てられ、街路には路地的な雰囲気が漂う。 建物は不燃化のため、鉄筋コンクリート造、2階建て(3階部分は後の増築)とし、基本は2院で1棟となっている。、、、、、兄弟で設計したとは、羨ましいかぎり。
 
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④浅草寺・・・・・・・・・・・御存じ、天下の「観音様」。 今日は後ろ姿をパチリ!、、、、、女性の後ろ姿ならば襟足に色気を感じところだが、「観音様」の後ろ姿は素っ気ないね! 本堂裏の広場には、観光バスが駐車することもある。
 
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⑤浅草寺病院・・・・・・・・・・・・浅草寺が運営する社会福祉法人浅草寺病院が、本堂裏の広場を挟み向かい合わせにある。、、、、、本尊:観世音菩薩の抜苦与楽の誓いをいただき、始められた福祉事業。 明治43年(1910)、浅草寺境内念仏堂において浅草寺診療所が設立された。 その後、総合病院に変わり運営されているが、平成14年(2002)に現在の新しい病院が建てられた。、、、、「観音様」が運営する病院なので、白衣の“天使”も白衣の“観音様”かも?  急患も診てくれるらしいが、私はいまだこの病院にはお世話になっていない。 いずれ、その折にはよろしくお願いします。 
 
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⑥銅像・石碑・・・・・・・・・本堂裏の広場の縁に、銅像・石碑などが並んでいる。 チョイト紹介すると、、、、
 
・・・・・・・・・・・・・大谷米太郎夫妻像、、、、、宝蔵門を再建寄進した大谷米太郎(ホテルニューオータニ創業者)夫妻の胸像。昭和42年(1967)の造立。 
 
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・・・・・・・・・・・・・並ぶ供養塔など
 
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・・・・・・・・・・・・・・九代目市川團十郎 「暫」の像、、、、、、、当初、大正8年(1919)に造立されたもので、彫刻家新海竹太郎の作であったが、第二次世界大戦時の金属供出で失われ、昭和61年(1986)、十二世市川團十郎の襲名を期に再建された。
 
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⑦銭塚地蔵尊・・・・・・・・・広場の西側に、昭和39年(1964)に再建された堂内に、胴(四角い石塔)の上に六つの顔が載っている石の六地蔵尊が祀られている。 享保年間(1716~1735)摂津国有馬郡の山口某の妻が、庭先で「寛永通宝」がいっぱい入った壺を掘り当てたが、これに頼って働かずにいては家が滅びると思い、土中に埋め戻した。 この心掛けによって一家は繁栄したので、その壺の上に地蔵尊をまつったという。 銭塚地蔵尊は、その分身を勧請したもので、商売繁昌を祈願する人が多い。 石塔の下には「寛永通宝」が埋められているといわれる。、、、、、私も、家の地下収納から万札が入った壺が出てくることを祈願して、賽銭を奮発し10円玉を投げ入れてきた。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上、三社様、観音様の裏側(北側)の紹介です。 ショ~ウかい!

2018年2月11日 (日)

神田明神・湯島天神

今冬にしては暖かな日となり、昼から夫婦で神田明神・湯島天神・上野松坂屋(お買い物)と巡ってきた。 散歩にしては、甘酒、クリームあんみつをチョイト胃に入れ、ダイエット高架なし。
 
 
 
①神田明神・・・・・・・・・・江戸の神社では知名度抜群の神田明神だが、江戸時代に建てられた神社の建物は大正12年(1923)の関東大震災で焼失し、現在の建物は震災後に建てられたものである。 昭和9年(1934)に竣工した鉄骨鉄筋コンクリート造の現社殿は、伝統様式のデザインを引き継ぎ、鉄骨鉄筋コンクリートで造られた初期の建物として国の登録有形文化財に指定されている。、、、、、銭形平次も目を見はる江戸風の豪華絢爛たる造りで、八五郎はビックリしたと思うよ!
 
・・・・・・・・・・・・まずは、鳥居の横の天野屋で甘酒飲んで一休み。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日は建国記念日、お年寄りには紀元節、その祝日ゆえの賑わいか(?)この大勢の参拝客に驚いた。、、、、、拝殿前には行列が、、、、、私達も並んでお参り。
 
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・・・・・・・・・・・・・・おや、拝殿では新婚カップルが記念撮影。 おめでとう!
 
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・・・・・・・・・・・・・ところで、神田明神を設計したのは建築家:大江新太郎(1875~1935)と佐藤功一(1878~1941)、施工したのは木田保造(1885~1940)率いる「木田組」(後の木田建業)。 この木田保造は、単なる施工会社の社長というより、自ら設計・施工を手掛けた建築家であったらしい。 木田保造が手掛けた建物として、函館の金森倉庫、百十三銀行本店、東京の第一生命、京華女子中高等学校、昭和第一高等学校、上智大一号館などが現存している。
 
 
 
②湯島天神・・・・・・・・・・なんじゃ・なんじゃ・こりゃ・こりゃ、こりゃなんじゃ? 天神さまも、満員御礼状態。、、、、、そうか! 今日は「梅まつり」だった。 受験生も多い。
 
・・・・・・・・・・・・・・参道には屋台も出て御祭り気分。
 
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・・・・・・・・・・・・・湯島天神は、雄略天皇2年(458)、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建された。 南北朝時代の正平10年(1355)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀したそうだ。、、、、、旧社殿は明治18年に改築されたものであったが、老朽化が進んでいたため、平成7年(1995)に権現造の現社殿が再建された。、、、、また、平成12年(2000)には、「湯島神社」から「湯島天満宮」に名称を改称したのだが、私の頭の中では、「湯島天神」のままである。
 
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・・・・・・・・・・・・・梅まつりに受験生。 天神さまに願いが叶といいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここでも、結婚式が行われていた。 今日は大安(?)、まあ何でもいいか。 
 
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●・・・・・・・・・・・・・この後は、クリームあんみつで一休み。 松坂屋で買い物に付き合わされて、帰宅する。 

2018年2月 8日 (木)

辰巳運河

今朝、なぜか五月みどりの曲を思い出し、五月みどり→深川芸者→辰巳芸者→辰巳水門と連想し、「辰巳水門」が見たくなった。 散歩は有楽町線辰巳駅で下車し、辰巳水門のの周辺を歩いてきた。 辰巳運河の両岸を歩き、ほぼ一周、1万3千歩の散歩です。
 
 
・・・・・・・・・・・・・辰巳運河は、「辰巳」と「東雲」(念のため、“しののめ”と読む)の埋め立て地の間を流れ東京湾に注ぐ運河。 上流側から辰巳橋、辰巳桜橋、辰巳水門、新辰巳橋(国道357号)、辰巳道路橋(首都高)、辰巳運河橋梁(りんかい線)、新末広橋の橋梁が架かる。 両岸は、辰巳側に都営の辰巳団地、東雲側にはズラリとタワーマンションが並ぶキャナルコート。
 
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①辰巳駅・・・・・・・・・昭和63年(1988)6月8日の新富町駅~新木場駅間開業と同時に辰巳駅も開業した。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、、マンション、団地からの御出勤で、朝の駅は降りる人より、乗る人の方がずっと多いようだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅前広場から、キャナルコートのタワマンが望める。、、、、私には、迫って来る怪獣のように見える。
 
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②辰巳桜橋・・・・・・・・・・・「辰巳駅」が辰巳地区にあり、対岸の東雲地区の人の利便性を考え、駅前からキャナルコートに向け架けたと思われる歩行者専用橋。、、、、、橋長273mの:2径間連続斜張橋。 平成8年(1996)に竣工した。
 
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③辰巳水門・・・・・・・・・・・辰巳運河に昭和37年(1962)に設置された辰巳水門。 幅員11.4メートル×2連のローラーゲートで、運河沿いの町を高潮や津波の被害から守るためにある。 台風の時には、大気圧も低くなり高潮が発生しやすく、このような時には水門を閉鎖し内部の町を守る。 しかし、水門を閉鎖すると、運河が大雨で増水し水の逃げ場がないことになり、洪水の危険が高まるため、そこで水門閉鎖時に内部の水をポンプで強制的に排水する排水機施設が辰巳水門の脇に用意されている。 それが、辰巳排水機場(昭和39年設置)である。、、、、、現在、辰巳排水機場は再整備工事がすすめられている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・辰巳排水機場
 
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④キャナルコート・・・・・・・・・・威圧するようにたつタワーマンション群。 全部で何戸あるのか、数えられるものなら数えてみたい! 
 
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⑤新辰巳橋・・・・・・・・・・・最上流に、かって車道があったと思われる歩行者専用橋がある。 その隣に車専用の一般道が片側分。 そして首都高。 さらに一般道の反対車線。 橋梁がダンゴ状態で複数並んでいる。 いったいどれが新辰巳橋だ????
 
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・・・・・・・・・・・・・・高い処を走るのは首都高で辰巳道路橋
 
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辰巳団地 ・・・・・・・・・・・運河を挟み、若い人が多く賑わいを感じる東雲のキャナルコート、それとは対照的に、中高齢者が多く寂しくなった辰巳団地。 超高層と中層、シャレた建物と古びた建物、近代的スーパーと寂れた商店街、若者と老人、これが東雲と辰巳。 考えさせられるね。??????
 
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⑦辰巳橋・・・・・・・・・・辰巳運河の上流側に架かる辰巳橋は、東雲橋から辰巳団地の中央を結ぶ道路を通す。 橋は長さ 127.0m、幅 25.0m、3径間鋼製桁橋で、平成4年(1992)の完成。
 
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2018年2月 7日 (水)

後楽園~市ヶ谷

本日は内科の診察日、後楽園のクリニックへ行った帰り、チョイト神楽坂・市ヶ谷方面に散歩してきた。
 
 
 
①飯田橋交差点・・・・・・・・・・町名の「飯田橋」(旧町名:飯田町)は神田川の南側に広がり千代田区に属す、中央線の飯田橋駅の大部分も千代田区に属す、飯田橋交差点は駅の北側で新宿区の最東端:下宮比町の中にある。、、、、「飯田橋」の町名は、開府前(天正18年(1590))に徳川家康が巡視のとき、案内役としてこの村の飯田喜兵衛が買って出て、江戸の事情を詳らかに説明したので、家康は大いに喜んで喜兵衛を第一号の名主と認め、「飯田町」を名乗るように命じたそうだ。 明治14年(1881)に外濠を跨ぐ橋が架けられ、飯田町に接する橋であることから「飯田橋」と命名された。  その後、飯田町の地名は薄れ、飯田橋に変わった。、、、神田川を覆うように頭上を首都高が走る。 広すぎて、真下に神田川が流れていることが気付きにくい交差点である。、、、、私の退職直前のオフィスはこの近くで約10年通った交差点だ。
 
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②ギンレイホール・・・・・・・・飯田橋駅の西、ちょうど神楽坂の入口付近に「ギンレイホール」がある。 昭和49年(1974)に名画座としてオープンし、現在も多くの映画ファンささえられ健闘している。、、、、神楽坂下に「佳作座」という映画館もあったが、こちらは昭和63年(1988)に閉館した。 今は懐かしく思い出す映画館である。
 
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③近代科学資料館・・・・・・・・・・神楽坂通りを横切って、東京理科大学の校舎群が並ぶ中を抜けると、坂の途中に近代科学資料館(新宿区若宮町)がある。 東京理科大学の創立110年を記念して、平成3年(1991)に坂の途中に復元された校舎である。、、、、、建物の外観は、明治39年(1906)に神楽坂に建設された東京物理学校(東京理大の前身)の木造2階建校舎を復元したもの。 二村冨久(二村化学工業創業者、昭和16年(1941)東京物理学校理化学部卒業)が建設費を寄贈し、建てられた校舎。、、、、、内部には、そろばん、計算尺、機械式計算機、電子計算機、蓄音機、パソコンなど、近代科学の発展を支えてきた、計算の道具類がズラリと並んでいた。、、、、私が、小学校で習ったソロバン、大学生の頃利用したヘンミの計算尺、タイガー計算機、バイトで初めて見たFACOMの電子計算機、社会人になって利用したPC98、マッキントッシュのパソコン、見るもの全て懐かしい。 
 
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④若宮八幡神社・・・・・・・・・・・近代科学資料館前の坂を上がり西に進むと若宮八幡神社(新宿区若宮町)がある。 神社は、源頼朝が文治5年(1189)奥州藤原征伐の際に当地で宿願、奥州平定後に鎌倉の若宮八幡宮を移して仁徳天皇を勧請して創祀した。 文明年間(1469~1487)には太田道灌が江戸城鎮護のため、当社を江戸城に相対させた形で再興させた。 旧社殿は戦災で全て焼失し、今は小さな神社である。
 
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⑤東京日仏学院・・・・・・・・・・市谷船河原町の逢坂(おうさか)の中程にある東京日仏学院はフランス語学校を中心に、図書室、映画館、ショップ、レストランを備えた、フランス政府の文化発信拠点。、、、、、建物は昭和26年(1951)に坂倉準三(1904~1969)の設計で竣工した。 坂倉準三はル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築を実践した建築家である。
 
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⑥M邸・・・・・・・・・牛込のモダンなマンションが建ち並ぶ一画に、かなり、へんな形の建物がある。 アド街ック天国、アッコでおまかせなどで活躍する芸能人の豪邸。
 
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⑦裏千家東京道場・・・・・・・・・裏千家の関東の拠点として新宿区市谷加賀町のある道場。、、、、、お茶を嗜む人の建さんの場らしい。
 
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⑧N邸・・・・・・・・・・市谷甲良町に建つ、大正8年(1919)の洋風建築。 元は耳鼻咽喉科の医院、現在は閉院し住宅となっている。 手入れが良いので、古さを感じさせない、かわいらしく、チョイとメルヘンチックな建物。
 
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⑨北山伏町の洋館(A邸)・・・・・・・・市谷甲良町の北側、大久保通りからチョイト入った処に洋館がある。 大谷石を積んだ門柱の中に、洋館と日本家屋がチラッと見える。、、、、洋館は窓の建具などから戦前の建物と判断されるが詳細は不明。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これより、市ヶ谷駅に出て帰宅。 チョイト疲れた!

2018年2月 5日 (月)

谷塚~舎人

東武伊勢崎線谷塚駅から、日暮里・舎人ライナー舎人駅まで、相変わらずの寒さの中、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①谷塚駅~谷塚橋・・・・・・・・・・今日の散歩ルートで、谷塚駅から埼玉と東京の境「谷塚橋」までは昨年秋に歩いた道とほぼ同じである。
 
・・・・・・・・・・・・・・今日も浅草橋駅(我が家の最寄り駅)で、行先も定まらず地下鉄に乗り、何処で降りようか迷いながら谷塚駅まで来てしまった。 改札を出ても目的地が無いので、とりあえず西に向かって歩くことにした。
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・・・・・・・・・・・・・・駅前で草加市のコミュニティバスにすれちがう。 はでなラッピングデザインのバスで、一見、『なんじゃこりゃ!』、、、、、愛称:『パリポリくん』はもちろん名物:草加煎餅に由来する。 草加市内を2ルートで走り、運賃は最大300円(チョイト高いね)。
 
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・・・・・・・・・・・・・・真言宗豊山派の寶持院にお立ち寄り。 この寺は明治6年(1873)に本堂を仮校舎として開校した、谷塚小学校の発祥の地である。 (現本堂は平成4年11月に再建)
 
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・・・・・・・・・・・・・寶持院の南、草加バイパスが伊勢崎線をオーバークロスする付近に鎮座する谷塚氷川神社。 神社の創建年代は不詳だが、正保から元禄の間で、分村の際に上谷塚から氷川社を鎮守として譲り受けたらしい。 社殿は天保年間(1831~1845)に建てられた流れ造りの建物である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・谷塚仲町を流れる用水路のような川幅の狭い辰井川。 そこに、昭和60年(1985)に完成した、擬宝珠と朱塗りの高欄が特徴的な氷川橋が架かっている。 見てビックリ、聞いて更にビックリ、氷川橋は「草加八景」に選ばれた「辰井川十橋」の一つと言うことだ。 「草加八景」て、あるんだ! しかも観光名所にもならない「辰井川十橋」とは、驚いた!、、、、、なお、橋の際に小さな鳥居に小さな社の氷川神社がある。
 
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・・・・・・・・・・・・氷川橋の西詰に、曹洞宗の常福寺がある。 常福寺は天正7年(1579)に創建。、、、、チョイと、くたびれた佇まいの寺。
 
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・・・・・・・・・・・・・谷塚橋は毛長川に架かり、橋上には尾竹橋通りが通る。 谷塚橋の北側に、埼玉と東京の都県境があり、橋そのものは東京都側にある。 
 
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②谷塚橋~舎人駅・・・・・・・・・・谷塚橋を渡り東京都足立区東伊興の町に入る。 東伊興は「寺町」と呼ばれ、多くの寺が並んでいる。 今日は寺の前を素通りし、日暮里・舎人ライナーの通る尾久橋通りを目指し歩く。
 
・・・・・・・・・・・・・寺町を抜けたあたりに伊興遺跡公園(東伊興4)がある。、、、、ここ伊興遺跡は、神をまつり、豊かな暮らしを祈った様子のわかる出土品が多く発見された遺跡。 芝生の園内には、竪穴式住居が復元され、中でリアルな古代人が食事の準備中。 また、2階建ての展示館には出土した土器などが展示されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・伊興遺跡公園の前には淵の宮氷川神社がある。 神社の創建年代は不詳であるが、足立区内では最古の氷川神社。 この神社は伊興・竹塚・保木間の三村の鎮守となり、明治5年(1872)からは伊興村の村社となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・東伊興・古千谷本町の町を抜けて舎人駅に向かう。 この辺り、歩道の脇には水が流れ、新しい住宅も多い町である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・またまた“氷川神社”があった。 今日の散歩で4社目かな? その名は「古千谷氷川神社」。 名のごとく、足立区古千谷にある氷川神社。 創建年代不詳。 古千谷開村以来の創建で、鎮守社であった。 
 
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・・・・・・・・・・・・・日暮里・舎人ライナーの舎人駅に着いた。 平成20年(2008)3月30日開業。、、、、、私がこの駅を利用するのは、今日が初めてである。 舎人駅は終点:見沼代親水公園駅の一つ手前の駅で、舎人公園の最寄り駅はさらに手前に舎人公園駅があるので、これまで利用することが無かったようだ。 開業後、10年目で初利用!
 
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2018年2月 3日 (土)

永福寺

京王井の頭線の永福町駅の謂れとなる永福寺、一度行ってみたいと前々から思っていた。 今日の散歩、『何処に行こうか?』。 家を出たら、思い出し『永福寺に行こう!』。
京王線下高井戸駅で下車し、永福寺、井の頭線永福町駅、荒玉水道道路を歩き、丸ノ内線方南町駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①下高井戸駅(京王線)・・・・・・・・・・・大正2年(1913)に、京王電気軌道の下高井戸駅として開業。 その後、大正14年(1925)に東急世田谷線の下高井戸駅が隣接して開業。 両線の軌間は同じ1372mmで、戦時中は、線路は繋がっていたいたそうだが、現在は接続していない。、、、京王線のホームは相対式2面2線で、ものすごい急カーブ上にある。 駅舎は橋上。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅前の商店街に残る柏木精米店。 店は10数年前に閉められたままである。、、、、昭和初期の建築と思われる。
 
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・・・・・・・・・・・・・狭い商店街を抜け、まだ雪の残る甲州街道を横断する。 滑って、転んで、糞踏んで、匂い着いたら、一生の恥、注意、注意、要注意!
 
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②永昌寺・・・・・・・・・・甲州街道の北側、明治大学和泉校舎の西側に曹洞宗寺院の天長山永昌寺がある。 永昌寺は、寛永元年(1624)に江戸四ツ谷塩町で創建された。 明治43年(1910)、下高井戸にあった永泉寺を合併し、当所へ移転した。、、、、旧本堂は戦災にて焼失した。、、、、、門前では、庚申塔と地蔵尊が迎えてくれる。
 
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③永福橋・・・・・・・・・・神田川に架かる永福橋。 現在、この辺りの地名となっている“永福”は、橋の北側にある永福寺に由来する。 この橋の橋名も、かつては大橋と呼ばれていたが、現在は永福橋と呼んでいる。、、、、現橋は昭和43年(1968)に完成した。
 
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④永福寺・・・・・・・・・・神田川の北側、杉並区永福1丁目に入ると、町角のアッチ・コッチに『永福寺→』看板が見える。
 
・・・・・・・・・・・・永福橋を渡り北に進むと、道筋で子育地蔵尊が迎えてくれる。
 
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・・・・・・・・・・・・・『永福寺→』看板に従い奥へ進むと、山門が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・山門をくぐると、目の前に本堂がある。 境内は広いが、多くは墓地となっているようだ。、、、、、万歳山永福寺は曹洞宗の寺で、本尊は十一面観音像。 寺伝によると、開創は大永2年(1522)。、、、、昭和20年(1945)の空襲で本堂は焼失したが、当時、出征中であった住職の母親が燃え盛る炎の中、命がけで本尊・古文書などを運び出し、現在では永福寺村を知る貴重な資料となっている。 また、本堂は昭和36年(1961)に再建された。、、、、、地名・駅名・橋名になるほどの寺としては、チョイト期待ハズレであった。もう少し境内も広く、重文級の建物が残り、緑豊かな寺を想像していたのだがね。 ま~~、しょうがないかな。
 
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・・・・・・・・・・・・・寺の西門脇には、正保3年(1646)の五輪塔、天和元年(1681)の庚申塔、元禄4年(1691)の地蔵石像が安置されている。
 
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⑤永福稲荷神社・・・・・・・・永福寺西門の前に永福稲荷神社がある。 永福稲荷神社は、享禄3年(1530)に永福寺の和尚が、永福寺境内の鎮守として創建た。、、、、今日は節分、氏子が出て豆まきの準備中。 邪魔しないように、手を合わせ、境内を去る。
 
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⑥永福町駅・・・・・・・・・永福寺の北400m程、井ノ頭通りに面し、京王電鉄井の頭線の永福長駅がある。 昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業した。、、、現在は、3階建ての駅ビルに併設する橋上駅舎を持つ、島式ホーム2面4線の地上駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅構内に貼ってあった、昭和35年頃の永福町駅
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅に入って来る渋谷行電車。
 
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⑦荒玉水道道路・・・・・・・・・・・大正から昭和中頃にかけ、多摩川の水を砧(世田谷区)から野方(中野区)と大谷口(板橋区)の給水施設に送水するために使用された地下水道管を荒玉水道(あらたますいどう)と称する。 その水道管が敷設された上が、世田谷区喜多見から杉並区梅里に至るほぼ一直線の都道となっている。、、、、、荒玉水道道路の下には水道管が埋設されているため、車両に重量制限が設けられ、4.0tを超える車両の通行は制限されている。、、、、、今日はその一部、井ノ頭通りから方南通りまでの約500mを歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・井ノ頭通り
 
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・・・・・・・・・・・・・・井ノ頭通りと荒玉水道道路の交差点
 
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・・・・・・・・・・・・・・一車線の荒玉水道道路は重量制限され、車幅もガードレールで規制されている。、、、、、消防車は通れるかな?
 
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⑧方南通り・・・・・・・・・・大宮八幡前交差点(杉並区)で荒玉水道道路から方南通りを歩き、地下鉄丸ノ内線方南町駅に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・方南町駅 から帰宅。
 
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