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2018年2月23日 (金)

両国

今朝の都心は、冷たく細かな雨が降り、散歩には不向きだ。 そんな中、病院で採血があるため、隅田川を挟んだ隣の両国まで行ってきた。 我が家(浅草橋)から、行きは蔵前橋を渡り、帰りは両国橋を渡って、往復7千歩のミニ散歩。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・浅草橋駅前:「にんぎょ~~の久月」の脇を隅田川に向かう。、、、、、天保6年(1835)、横山久左衛門は武士を嫌い両刀を捨て、ひな人形をつくり始めた。これが「久月」のおこり。 その後、久左衛門は江戸に出て、神田川のほとりに人形師「久月」の看板を掲げた。、、、、、浅草橋を代表する企業の一社である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・隅田川テラスに出て、雨中の川べりを歩く。
 
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・・・・・・・・・・・・・カモメが寒そうに並んでいる。 全員で、ラジオ体操でもやったら?
 
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・・・・・・・・・・・・対岸には私が通う同愛記念病院 が見える。 建物は建て替えられたが、私が生まれる以前からある病院。
 
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・・・・・・・・・・・・・蔵前橋を渡り、病院へ急ぐ。 はやく行かないと、爺さん・婆さんが多く、待ち時間が長くなる!
 
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・・・・・・・・・・・・・到着しました。 今日は純生の新鮮な血を採られ、結果は「来週またね~」だって。 検査料2,130円払ってきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・帰りは、チョイと病院の前にある安田庭園を拝見。 庭園の一画に作られた「刀剣博物館は、まだ開いておらず、パス。
 
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・・・・・・・・・・・・・安田庭園の南側にある製紙会社の敷地角に、『花の生涯』を書いた小説家:舟橋聖一誕生記念碑がある。 舟橋聖一は明治37年(1904)12月25日にこの地(現:墨田区横網)で生まれた。 誕生日はクリスマスであり、キリストにあやかり“聖一”と名付けられたそうだ。、、、、国技館に近いこの地で生まれ育ったゆえ、相撲が好きで、横綱審議委員会の委員長を務めたのかな? 昭和51年(1976)1月没。、、、、、私は、昨年、『鼻の障害』で救急搬送。
 
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・・・・・・・・・・・・・・両国国技館両国駅 前を抜けて行く。、、、、、どこぞの国の方か、両国のガード下で記念撮影。 何を撮ったのかな(?)
 
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・・・・・・・・・・・・・両国橋 を渡り、柳橋で神田川を越える。 我が地元、浅草橋に戻ってきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・帰りは、「顔が命の吉徳」前を通過。、、、、、吉徳は、正徳元年(1711)、江戸浅草茅町(現:台東区浅草橋1)に初代治郎兵衛が人形玩具店を開く。 以来雛人形手遊問屋として吉野屋治郎兵衞を名乗る。 久月と並ぶ人形店。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日の散歩は「久月」に始まり、「吉徳」で終わることとする。、、、、、我が家では、ひな人形を飾つて爺さんと婆さんのひな祭りを今年も実施予定。 娘が大きくなると、寂しいね!

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