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2018年4月

2018年4月29日 (日)

目黒不動 (瀧泉寺)

GWが始まった! 私は一年中がGWなので、どうでもいいや! 今日は、午後から妻と目黒不動に行ってきた。 帰りは、雅叙園に寄って“ひと休み”。



不動前駅・・・・・・・・ 浅草橋の我が家からは、都営浅草線に乗り三田駅で、都営三田線に乗換る。 三田線は東急目黒線に乗り入れており、目黒駅の次が不動前駅。 我が家から、約30分で到着、結構近いものだ!、、、、、不動前駅は目黒不動の最寄り駅であるが、JR目黒駅と同様で、目黒区ではなく品川区に位置する。 品川駅は港区にある。 ついでに、新宿駅の半分は渋谷区にある。 以上、有名な話。、、、、、不動前駅は、大正12年(1923) 3月11日に目黒不動前駅として開業し、同年10月には不動前駅に改称した。 また、路線の分割により、平成12年(2000)に、目蒲線から目黒線に改称した。 駅名は“不動前”であるが、“前”とは名ばかりで、実際は700m以上離れており、チョイト遠い。
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かむろ坂・・・・・・・・ 山手通りのかむろ坂下交差点から西に向かって約500m程上る坂。 勾配はきつくなく、両側の桜並木が美しい(今年は既に散った)坂である。、、、、、“かむろ坂”は「禿坂」と書く。 “禿(かむろ)”とは、“ハゲ”ではなく、江戸時代、遊郭に住み花魁などの身の回りを世話する見習い幼女を言う。 延宝7年、白井権八が品川で処刑され、そのあとを慕って遊女小紫が自害した時、その幼女(かむろ)もあとを追って桐ヶ谷の二ツ池に身をなげたと言われている。 その後、この一帯の丘陵を禿山と呼び、これに通じる坂を禿坂とよんでいる。、、、、「禿坂」を“ハゲ坂”と読むと、坂の雰囲気がガラリ変わるね。
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瀧泉寺・・・・・・・・ かむろ坂から北へ向かい目黒区下目黒に、天台宗の寺院:泰叡山(たいえいざん)瀧泉寺(りゅうせんじ)がある。 瀧泉寺は大同3年(808)に慈覚大師が開創した、関東最古の不動霊場である。 目黒不動明王を本尊とし、一般には目黒不動尊の通称で呼ばれている。 もちろん、この地の地名「目黒」の出どこである。、、、、、江戸時代には三代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の厚い保護を受け、江戸五色不動の一つとなった。

・・・・・・・・・・ 仁王門は、三間の朱塗りの楼門で、昭和37年(1962)に鉄筋コンクリート造で再建された。
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・・・・・・・・・・ 境内は仁王門のある平地と本堂のある台地の2段構えで、本堂に向かう階段横に、開祖:慈覚大師が持っていた独鈷を投げたら滝泉が湧き出し、「独鈷の滝」と名付けられた池。 中に「水かけ不動」が立っている。、、、、風の強い日は、風向きに注意して水をかけないと、水が我が身に戻って来る。 ズボンを濡らすと、漏らしたように見られてチョイト恥ずかしいからね。
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・・・・・・・・・・ 独鈷の滝の横には、「垢離堂」と呼ばれる小堂があり、中には「青龍大権現」がいる。、、、、、堂の中は埃っぽいようだPM2.5の影響か?
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・・・・・・・・・・ 境内中央の階段(男坂)を上り本堂へ向かう
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・・・・・・・・・・ 階段上で鳥居をくぐると、昭和56年(1981)に再建された入母屋造に千鳥破風をもつ鉄筋コンクリート造の本堂が出迎えてくれる。
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・・・・・・・・・・ 肝心要の目黒不動明王は秘仏で12年の眠りに入っている。 酉年に目覚め開帳されるそうだ。、、、、、本堂天井の龍の絵は日本画家:川端龍子の作。
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・・・・・・・・・・ 本堂の裏側に銅製の大日如来坐像がある。 天和3年(1683)の作。、、、、、人気があるのか、こちらも手を合わせる人が絶えないようだ。
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・・・・・・・・・・ 境内からチョイとはずれて、裏の墓地に行くと、江戸時代中期の儒者で、サツマイモ(甘藷)の栽培を普及させた青木昆陽(1698~1769)の墓がある。 墓石には「甘藷先生墓」と刻まれ、昆陽が生前に立てさせたものと言われている。
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雅叙園・・・・・・・・ 山手通りを横断し、目黒川を越え、雅叙園に向かう。
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・・・・・・・・・・ 『チョイト疲れたから休憩しよう!』と入った雅叙園。 今日も結婚式が多く、振袖の外人さん、遠くに白のウエディングドレスも見える。 建築士の私の興味は建物より花嫁、年とれば知識より色気。、、、、、夫婦の会話も結婚式が話題となって、しばしコーヒータイム。
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カトリック目黒教会(聖アンセルモ聖堂) ・・・・・・・・ 雅叙園から教会の前に出る。 この教会は、旧帝国ホテル建設の際、フランク・ロイド・ライトの助手として活躍したアントニン・レーモンドが、戦後はじめて手がけた作品である。 打放しコンクリートによる折版構造の壁で、隙間から外の光が差し込み、神聖な空間を創りだしている。 昭和31(1956)竣工。、、、、、、今日は、短時間で聖堂を拝見。
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目黒駅前・・・・・・・・ 駅に到着、お不動さまのご利益を期待して帰る
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2018年4月27日 (金)

目黄不動 (最勝寺)

英語も話せない欧米帰りの青い目の不動、徹夜麻雀で大損した赤い目の不動、エレベータの中で屁をこえた人を白い目で見つめる不動、酒の飲みすぎで黄疸になり黄色い目の不動、乃木坂46のメンバーを黒い瞳で見つめる不動、みんな目の色変えて右往左往する不動。 こんなお不動さんに会ってみたいと、江戸五色不動巡りは続く、今日は目黄不動のいる江戸川区平井の最勝寺に行ってきた。
平井駅から、最勝寺、旧中川、亀戸中央公園とまわり、亀戸駅まで、1万歩の散歩です。



平井駅・・・・・・・・ 通勤通学時間帯、到着するのは混んでいる電車ばかり、ホームには乗れない人もいる。
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・・・・・・・・・・ 駅南口には、、とんかつ屋、コンビニ、カフェ、ベーカリーなど9店舗が並ぶ「シャポーロコ平井」が今年3月にオープンした。、、、、、こういう店がオープンすると、若い娘がよってきて、殺風景な駅も華やかになるのだ。 我が町の浅草橋駅より綺麗で、便利だ、負けた!
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行徳道・・・・・・・・ 平井駅の北側、都道449号とJR総武本線が交差する地点と、最勝寺を結ぶ裏通りは「行徳道」と呼ばれた街道の一部がある。 私は、この道を歩き最勝寺に向かう。

・・・・・・・・・・ 行徳道(ぎょうとくみち)は、中川 (旧中川 )の平井の渡しから 、四股(荒川の下となった、佐倉道と行徳道の交差点)をとおり、今井の渡しに達する街道。
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・・・・・・・・・・ 最勝寺の近くで、行徳道は荒川(念のため:::江戸時代には現在の荒川は無かった)の下にもぐり、対岸の今井街道 に続く。
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最勝寺・・・・・・・・ 荒川土手の際に位置する、天台宗の寺院、牛宝山明王院最勝寺。 寺伝によれば、貞観2年(860)に隅田川畔(現:墨田区東駒形)に草創された。 近世には、墨田区向島の牛島神社の別当を務めた。 ちなみに、牛島神社の創建は最勝寺と同じ貞観2年である。 大正2年(1912)、最勝寺は駒形橋の架橋工事による区画整理で、現在地である南葛飾郡下平井(現:江戸川区平井1-25)へ移転した。、、、、本堂の内陣は鉄筋で大金庫式に造られ、その中に本尊の釈迦如来(慈覺大師の作)を安置している。
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・・・・・・・・・・ 最勝寺の目黄不動(めきふどう)は天平年間(729~766)に名僧:良弁が隅田川のほとりで作った、高さ127㎝程の像である。 像は、最勝寺の末寺:東栄寺の本尊として祀られていた。 江戸時代には、徳川将軍家の崇拝するところとなり、殊に家光の崇拝は篤く、仏教の大意に基づいて江戸府内に五色不動の霊場が設けられた。 この時、東栄寺の本尊も目黄不動と称され、江戸の町を守護する不動尊として広く信仰された。 明治時代に東栄寺は廃寺となり、本尊不動明王像は最勝寺に遷座された。 この時より、最勝寺は「明王院」と号するようになる。、、、、、現在、不動明王像は不動堂に安置されている。
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平井白髭神社・・・・・・・・ 荒川沿いの最勝寺から、旧中川沿いの白髭神社(平井2-3)にやってきた。、、、、、平井白髭神社の創建年代は不詳だが、逆井村草創以来の鎮守で建治年間(1275~1278)の草創と言われている。 室町時代後期から太田道灌の家老土谷相模守が平井の当地周辺を所領し、代々氏子総代を勤めてきた。、、、、、社殿は昭和45年(1970)に鉄筋コンクリート造で改築した。 また、広い境内は盆踊りのためか、砂利敷きで樹木が少ない。
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平井浅間神社・・・・・・・・・ 白髭神社の北、旧中川沿いに平井浅間神社がある。 この神社は、特別な社殿はなく、富士塚の頂上に石の小祠が祀られているだけだ。、、、、、平井浅間神社の創建は長享2年(1488)とも伝えられ、神社の富士塚は「逆井の富士」として知られている。、、、、、、社殿が無いためか、社務所が無い。 社務所が無いので、可愛いい巫女さんがいない、つまらない!、、、、、七五三詣で、安産祈願など受け付けていないのかな?
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旧中川・・・・・・・・ 旧中川に架かる「ふれあい橋」を渡り、江東区亀戸の町に入る。、、、、、ふれあい橋は歩行者専用橋で、橋長:56m、1径間鋼製アーチ橋。平成6年(1994)に竣工した。
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亀戸中央公園・・・・・・・・ 旧中川沿いで、総武本線を挟み東西に広がる約10万㎡の大きな公園。、、、、、、この地は、大正7年(1918)から始まり昭和49年(1974)の移転まで、日立製作所亀戸工場として使用されてきた。 その後、昭和55年(1980)に都立の亀戸中央公園として整備され開園した。 樹木数:2,950本、9,300株が緑豊かに茂る公園で、運動施設なども整備されている。 、、、、思い出した、近くには精工舎亀戸工場もあった。 戦前・戦後の工場地区である。
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亀戸水神駅・・・・・・・・ 亀戸中央公園の近くに、亀戸線の亀戸水神駅がある。 チョイト駅前を通って行こう!、、、、、懐かしい昭和30年代の、インターナショナルオレンジの車体にミディアムイエローの帯を巻いた8000系リバイバルカラー車両 と御対面。
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JR亀戸駅・・・・・・・・ 駅に到着、今日はココまで!
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2018年4月26日 (木)

京成曳舟~平井

今日も、夕暮れ時の散歩となった。 京成曳舟駅から、墨田区八広、東墨田の町を歩き、中平井橋で旧中川を越えて江戸川区に入り、平井駅まで、昨日の続きのような下町散歩です。 9千歩。 



京成曳舟駅前・・・・・・・・ 京成曳舟駅で下車した。 京成押上線高架化工事はほぼ終わり、駅前の核となるタワーマンションは入居済みである。 しかし、駅の南側は仮の駐車場となったまま、いまだ再開発工事に着手していない。、、、、、この駐車場出入口に、以前この地にあった工場の門柱だけが2本残っている。 門柱には、「興国ゴム工業株式会社 向島工場 東京都墨田区寺島町4-75」のプレートが埋め込まれ、その下に現住所のプレートが貼られている。 ソウダ!この地に「興国ゴム工業」の前身が誕生したのは、大正13年(1924)。 以来、平成まで(?)工場があったと思う。 「墨田区寺島町」の地名は昭和40年(1965)まで使用し、その後は「京島」となる。、、、、、“昭和の門柱”の運命や、今後いかに?
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下町の裏道・・・・・・・・・ 今日も下町(墨田区八広)の裏道を歩いてきた。、、、、、チラチラ、緑が見える裏道。 狭い道、フォークリフトで丁寧に運ぶ!
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明治通りに残る長屋・・・・・・・・ 明治通り沿いに、木造の住宅兼店舗の長屋が何棟か残っている。 その内、京島交差点近くの2棟。

・・・・・・・・・・ 明治通りと四つ目通りが交差する京島交差点の角に建つ6軒(?)長屋。 再開発するのか、既に空き家となったようだ。 消えゆく昭和の長屋、残念!
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・・・・・・・・・・ 明治通りに面して建つ6軒長屋(京島3)。 この一画は戦災で焼けなかったところで、モルタル吹付外壁の長屋が残っている。 現存する6軒長屋の右側に、以前同じ外観の6軒長屋があった。 元は6軒長屋が2棟あったようだ。
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昭和の質屋!・・・・・・・・・ 八広2丁目の質屋さん。 家紋を染め抜いた紺ののれんが下がり、石造りの質蔵を控え、玄関の脇には暗くなってコッソリ訪れる客用の木戸もある、下町の質屋さん。、、、、着物を質入れし遊んだ、いなせな兄さんは、もう居ないね!
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・・・・・・・・・・ 質屋の裏に茶乃小林園があった。 営業しているのかな?
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墨田清掃工場・・・・・・・・・ 墨田区八広の隣り町:東墨田に、巨大な墨田清掃工場がある。 333億円の費用と約3年半の建設期間を要し、平成10年(1998)に建てられた清掃工場。 焼却能力は600トン/日で、余熱を利用した発電では13,000kWの出力がある。、、、、、、高い煙突は、スカイツリーと並び町のシンボルか?
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・・・・・・・・・・ また、隣の健康施設「すみだスポーツ健康センター」へ、清掃工場の余熱供給も行われている。 プールはもちろん“温水”。
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旧中川・・・・・・・・・ 清掃工場の脇に流れる旧中川。 旧中川は荒川によって、分断された昔の中川の下流側である。 この川は墨田区と江戸川区の区境でもある。、、、、、分断され、大きな池のようになった旧中川は住民の憩いの場を提供しているようだ。
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・・・・・・・・・・ 旧中川に架かる中平井橋。 この橋を渡り、江戸川区に入る、、、、長さ: 68m、幅:13m、平成20年(2008)竣工。
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都営平井七丁目第3アパート・・・・・・・・ 中平井橋を渡ると右手に、地上14階建ての大きな都営アパートがある。 昭和60年~61年に建てられ、450戸程が入居しているそうだ。
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・・・・・・・・・・ 都営アパートの隣りは、洗剤の「ライオン」の平井事業所
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夕暮れのスカイツリー・・・・・・・・ 旧中川の土手からスカイツリーを見る
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平井駅・・・・・・・ そろそろ皆さんご帰宅のようです。 私も帰宅する。
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2018年4月25日 (水)

押上・東向島

水が半分干からびていた睡蓮鉢を満水にしてくれた午前中の豪雨も昼過ぎに止み、午後は青空になった。 3時過ぎに夕飯前の散歩として、押上駅から、押上2丁目、東向島2丁目・3丁目の町をブラブラ歩き、京成曳舟駅まで歩いてきた。 1万歩。



押上2丁目・・・・・・・ 今日散歩した押上・向島付近は、ハっさん、熊さん、御隠居さんの住む神田・上野・浅草と違い、関東大震災後につくられた新たな「下町」である。 落語の舞台とはならないが、中高年には懐かしい昭和の匂いが残るまちである。

●・・・・・・・・・・ 押上駅で下車し、東武鉄道本社前の一番マイナーな出入口から地上に出た。、、、、、スカイツリーの足下にある中層の東武鉄道の本社ビル。 線路を挟み、スカイツリーの反対側に位置しているからか、付近には観光客の姿は見えない。
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●・・・・・・・・・・ 押上2丁目の裏道を歩く。 玄関先には手入れの行き届いた花壇が並ぶ。 裏道前方にはタワーマンションが建ち始めた。 私の好きな機械油の匂いが漂う町工場も健在である。
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●・・・・・・・・・・ 押上2丁目の町の中程に、天台宗の飛木山普門院圓通寺がある。 圓通寺は、応仁元年(1467)に創建された。 寺の歴史は古く、建物は新しい。
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・・・・・・・・・・ 圓通寺に残る地蔵菩薩立像。 「明暦二年」銘地蔵像は左手に宝珠、右手に錫杖を持つが、錫杖の一部が損傷しているのは惜しい。 区内で確認されている近世石仏の最古の例として、非常に貴重なもの。
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●・・・・・・・・・・ かつて圓通寺が別当であった、地続きで隣り合う飛木稲荷神社。 創建の詳細については、度々の水害・火災などで、記録が失われ不明だが、明治時代の「神社明細帳」では、応仁2年(1468)の創建と書かれており、どうやら古いことは確からしいね。
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・・・・・・・・・・ 神社の名の由来は、古老の言い伝えによると、大昔ある暴風雨の際にイチョウの枝が飛んできてこの地に刺さり、いつの間にか高くそびえるようになった。 これは吉兆なことと稲荷神社を祀ったのが、「飛木」の名の起源らしい。 境内には大イチョウがある。
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●・・・・・・・・・・ 飛木稲荷の北100m程にもう一社:高木神社がある。 こちらも古く、創立年代は不詳だが、飛木稲荷の創建と同年の応仁2年(1468)と伝えられている。、、、、、、至近な地に、同年代に2社が創建されたなんて、なにか謎がありそうだが、判らない!
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東向島2丁目・・・・・・・・・「曳舟側通り」を横断し、東向島2丁目に入る。 東武伊勢崎線の曳舟駅の西側地区である。
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●・・・・・・・・・・ 東武伊勢崎線曳舟駅 はリニューアル工事中。、、、、、曳舟駅からは、伊勢崎線の上り浅草方面・押上方面、下り北千住方面と、亀戸線の起点で亀戸方面の、四方向に線路が伸びている。 ターミナル駅だ! しかし、これまでは単に路線の分岐駅としての性格が強く、乗降客も多くはなく、薄暗い駅だった。 近年は、スカイツリーができ、この辺りも活気が出てきたのか、駅の一部はリニューアルされ、駅に併設して病院・商業施設もオープンした。 現在は北側の高架下で工事がすすめられている。

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●・・・・・・・・・・ 駅前の飲食店街裏にある「ふじのき公園」では、何組かの子供が遊ぶ姿を見た。 今どきの子は、公園で遊ばないと思っていたが、ここではボール遊びもしている。 学校・塾帰りの“タムロ”でもないようだ。 「下町の子」だ!

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●・・・・・・・・・・ 東向島2丁目の裏道を歩く。 レトロな書体の看板掲げイラッシャ~イ。  おばあちゃんは子守しながら裏道散歩。 雨上がり何処の家も傘を干す。

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東向島3丁目・・・・・・・・・「水戸街道」(国道6号)を横断し、東向島3丁目に入る。

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●・・・・・・・・・・ 町のメインストリート「地蔵坂通り」、通りの北の端に子育地蔵堂 がある。、、、、、商店は活気がないね。

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●・・・・・・・・・・ 東向島3丁目の裏道を歩く。 方向感覚が狂う迷路のような裏道。 奥に進むと懐かしのゴミ箱を発見。 こっちの裏道の奥には、駐車場に2台のリヤカーが停められている。

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●・・・・・・・・・・ 蓮花寺 門前の道標二基。 蓮花寺は、かつて「寺島の大師」として、川崎、西新井の大師と並んで江戸三大師の一つとして栄えていた。 ここにある道標は大師参りの人々の為に建てられたものである。 ともに江戸時代のものである。

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●・・・・・・・・・・ この後、明治通りを歩いて京成曳舟駅から帰る

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2018年4月21日 (土)

一言不動 (浅草寺)

陽が傾き始めた頃、浅草に行ってきた。 チョイト、浅草寺に手を合わせて帰るつもりだった。  すると、御公家さんカブレの花魁の出来損ないのような口調で、観音さまの声が聞こえた、『マチャレ、浅草寺にもお不動さまが居るザマス、チョイト御挨拶をして行ってクンナマシ~』、、、、、そうだ、五色不動巡りの“おまけ”で、浅草寺のお不動さまに会って行こう。



●週末の浅草寺・・・・・・・・ 混んでいる。 中国、韓国、タイ、インドネシア、フランス、アメリカ、カナダ、どの人がどこの国の人かサッパリ判らん、何しろ外人が多い。、、、、かつては、修学旅行・農協の団体さん、はとバスの御一行が多かった、遠い昔(?)のこと。 いまは、外人さんの個人旅行が多く、揚げ饅頭、きび団子を食べながら、ワイワイ、ガヤガヤ。
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浅草不動尊・・・・・・・・ 浅草寺のお不動さまはいずこに? チョイト探してみたら、ナント、宝蔵門(仁王門)の西側スグ横に「浅草不動尊」がある。 「浅草(あさくさ) 不動尊」で、「浅草寺(せんそうじ) 不動尊」ではないの? 、、、、、写真:右端が宝蔵門、中央に五重塔、左側の赤い矢印の屋根が浅草不動尊である。
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・・・・・・・・・・ 『これが、浅草寺のお不動さまか。 いつも前を通っているが、ほとんど意識しておらず知らなかった。』 70余年通った浅草寺だが、はじめてお不動さまを意識し、その姿を見たく賽銭箱の処まで行き、内部を覗く、真っ暗で何も見えない。 住職か(?)、寺の関係者らしき人に睨み返され、嫌われ、お不動さまの姿は拝めず、あきらめた。
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・・・・・・・・・・・・・堂には「不動尊」の提灯が下がり、堂の横には「なでぼとけ」の像もある。
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・・・・・・・・・・ 由緒ぐらいは知りたいので、チョイト調べてみたら、ナンジャ・コリャ?、、、、、「浅草寺」のホームページにはなにも書かれてない。 別のホームページでは、ここは天台宗の「宝光山大行院」と称し、厄除け、開運、虫封じにご利益がある寺らしい。 関東三十六不動霊場の22番目の札所であったが、現在は札所からはずされているようだ。、、、、、ちかくにあった、浅草寺の境内案内図にも名前がない。 破線の丸印が宝光山大行院。 完全に浅草寺の境内の内にあるが、浅草寺に属する院ではないらしい。 一体どうなっているのか?、、、、、チョイト謎の多い寺院だな! 観音さまとお不動さま、ひょっとすると“男女の確執”か?
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一言不動・・・・・・・・ 浅草寺のお不動さまは、いずこかや?

・・・・・・・・・・ ありました、居ました、浅草寺のお不動さまです。 本堂の西側、薬師堂の隣りの小さな堂の中でコチンコチンになっています。
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・・・・・・・・・・ 名は「一言不動尊(ひとことふどうそん)」と云う。、、、、“一言多い”口うるさいお不動さま? そうではなくて、一言の願いを叶えてくれるありがたいお不動さま。
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・・・・・・・・・・ チョイト、扉の格子から覗いてお姿拝見!
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・・・・・・・・・・ 早速、一言の願い、『次回のジャンボ、7億円当たりますように!』
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●・・・・・・・・・・ これで、7億円は我のものとなる。 しめ、しめ。

2018年4月20日 (金)

目赤不動 (南谷寺)

目青、目白に続き、今日は本駒込の目赤不動に行った。 最寄り駅ではないがチョイト遠くの田端駅から歩きはじめ、動坂をとおり南谷寺へ、目赤不動と対面したら団子坂を下り千駄木駅まで、1万歩の散歩です。



田端駅・・・・・・・・ 明治29年(1896)4月1日、日本鉄道の駅として開業。 現在は、山手線、京浜東北線の電車しか停車しないが、かつては常盤線の列車が発着した時期もあった。、、、、、近くには尾久車両センターなどもあり、鉄道好きに愛されている駅である。
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東台橋・童橋・・・・・・・・ 田端駅の前を通る都道458号線は、駅の南側で道灌山を切り通し(名称:田端切り通し)で抜けて行く。 その切り通しに架かる橋が東台橋(とうだいばし)。 切り通しができたのは昭和8年(1933)であり、東台橋もおそらく同時期に竣工したと思われる。、、、、、東台橋から切り通しを眺めると、両側の石積みの高さ:約20mにあらためてビックリ。
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・・・・・・・・・・ 東台橋から100m程南に、近くの滝野川第一小学校へ通う児童の通学路として利用されている、童橋(わらべばし)が架かっている。 昭和8年(1933)完成。 歩行者専用橋である。、、、、、切り通しはまだ続く。 私が目指す目赤不動は、この道の先2km程の処にある。
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田端八幡神社・・・・・・・・ 切り通しが終わる田端2丁目の交差点角に田端八幡神社がある。 文治5年(1189)に源頼朝が、この地の豪族豊島氏と共に奥州藤原一族を平定し、その帰路に鎌倉八幡宮を勧請した。 田端村の鎮守さま。 社殿は平成4年(1992)に再建され、いまだ木の香りが残っている。
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・・・・・・・・・・ 神社の参道脇、正しくは神社の隣り東覚寺の門前に不動堂がある。 その不動堂を守る一対の仁王像(赤紙仁王尊)がある。 仁王には赤紙がペタペタ貼られ、像の顔も形も判らない。 赤紙を自分の患部と同じ位置に貼ると病気身代わりとなるそうだ。、、、、根性の悪い私は、どこに紙を貼るのだ!、、、、この仁王像は、元は八幡神社の鳥居前にあったそうだ。 明治の神仏分離令で、神社の別当であった東覚寺に移った。
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動坂・・・・・・・・ 都道458号は動坂下交差点から文京区に入る。 都道の西側は本駒込4丁目、東側は千駄木4丁目。 坂上は動坂上交差点で、坂の全長200m程、この間の高低差12mで傾斜は緩やかである。、、、、名の由来は、、、、かつて、この坂上に不動像が祀られていたが、三代将軍家光の目にとまり、本駒込の南谷寺に移され目赤不動となった。 不動像の跡には、日隈地蔵が祀られた。 そこで、坂は“不動坂”と呼ぶべきところだが、略して「動坂(どうさか)」と呼ばれている。
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・・・・・・・・・・ 坂上の都立駒込病院の一角に動坂貝塚記念碑がある。 昭和49年(1974)に駒込病院の外溝工事中に貝塚が確認され、2次にわたる発掘調査が行われた結果、縄文時代の遺跡と確認された。 また、江戸時代には、八代将軍徳川吉宗が復活した鷹匠の屋敷跡でもある。、、、、、碑のプレートは黒ずみ、案内板がなければ、なんだかサッパリ判らん!
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徳源院・・・・・・・・ 本駒込3丁目に入ると、臨済宗妙心寺派寺院の慈雲山徳源院がある。 徳源院は、寛永7年(1630)湯島に創建、天和2年(1682)に現在地へ移転した。、、、、、現在は、さほど広くない境内だが、緑豊かに整備されている。
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・・・・・・・・・・ 境内の一角に、日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)が祀られている。 この地蔵は、動坂の上にあった目赤不動を南谷寺に移した跡に建立されていた。 願いごとを日を限って祈願すれば、不思議と満願の日に先立ち霊験あらたかなることより「日限地蔵」といわれている。、、、、、ジャンボ宝くじを買って、抽選前の一週間祈願したら、7億円が当たるかな? 誰か試してみたら!、、、、、昭和60年(1985)に動坂より徳源院に移された。
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南谷寺・・・・・・・・ 田端駅から歩いてきた都道が本郷通りにぶつかる駒本小学校前交差点の北:本駒込1丁目に天台宗の南谷寺(なんこくじ)がある。 南谷寺は、比叡山南谷の万行律師が、元和年間(1615~1624)に駒込動坂に庵を設け不動明王像を安置した。 これが南谷寺の創建である。 寛永年間(1624~1644)三代将軍家光が鷹狩りの途中、動坂のこの庵に立ち寄り、この不動を、目黒・目白不動と同じように”目赤不動”と呼ぶように伝え、寺領を現在地に寄進した。、、、、、家光はゲーム感覚で、五色全部揃えたかったのかな?
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・・・・・・・・・・ 不動堂には、黒目の目赤不動が祀られている
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●・・・・・・・・・ これにて、本日の目的を達成。 あとは、我が家へ帰るだけ!




光源寺・・・・・・・・ 団子坂に向かう途中、文京区向丘2丁目の光源寺に寄ってみた。、、、、浄土宗の寺院で天正17年(1589)に、神田四軒町に創建された。その後、江戸城拡張に伴い、慶安元年(1648)駒込の現在地に移転した。
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・・・・・・・・・・ かつて、境内には、元禄10年(1697)造立の十一面観世音立像が安置されていた。 木彫で高さは二丈六尺(約8m)あり、奈良の大仏みたいに堂の窓から顔が拝観できたそうだ。 多くの参詣者に慕われた観音さまも、昭和20年(1945)5月25日夜半の東京大空襲によって、全焼の災いにあい、焼失した。、、、、平成5年(1993)、関係者の思いが実り、高さ6mの観音像が再興された。 長谷寺の十一面観音と同じく、錫杖を右手に持ち、金箔、金粉の極彩色に彩られた平成の観音像である。、、、、、全て純金で作られていたら、簡単に見せないだろうね!

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団子坂・・・・・・・・ 千駄木2丁目と3丁目の境の坂。 由来は、その名のごとく、坂の近くに団子屋があったと言われている。 悪路のため転ぶと団子のようになるからと云う説もある。 長さ180mの坂。、、、、坂の上には、森鴎外、夏目漱石、高村光太郎が居住していた。、、、、、この三人は、元祖『だんご三兄弟』かも?
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千駄木駅・・・・・・・・ 団子坂下にある、地下鉄千代田線の駅。 昭和44年(1969)12月20日開業。
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・・・・・・・・・・ 地下鉄に乗るつもりで駅に向かったら、駅前のバス停に私が住む台東区の循環バスが来た! オー、ラッキー、急遽バスに切り替えて帰宅する。
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2018年4月19日 (木)

目白不動 (金乗院)

雨も上がり散歩日和。 今日は、目白不動の金乗院へ、その後、雑司ヶ谷の鬼子母神に寄って池袋駅まで、1万歩の歩きです。  (注:鬼子母神の『鬼』は、一画目の点が無い字が正しい)



目白駅・・・・・・・・・ 明治18年(1885)3月1日、日本鉄道品川線の品川~赤羽間の開業から、なぜか半月ほど遅れ、3月16日に目黒駅と目白駅の2駅が仲良く開業。 明治39年(1906)11月1日には国有化され国鉄の駅となる。 平成12年(2000)に、3代目の現在の駅舎に改築された。、、、、駅に隣接して学習院大、チョイト離れて日本女子大があるせいか、駅からゾロゾロ出てくる女子大生の多いこと、嬉しいね!
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千登世橋・・・・・・・・ 学習院大学前を東に向かい、豊島区目白1丁目と雑司が谷との境界に架かる跨道橋。 橋上に目白通りを通し、明治通りとの立体交差になっている。 東側に連続する千登世小橋があり、都電荒川線を跨ぐ。 長さ約28mの千登世橋は、上路2ヒンジソリッドリブアーチ橋で、昭和7年(1932)2月に竣工した幹線道路同士の立体交差。
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・・・・・・・・・・ チョイト思い出した私の若い頃(昭和54年)、こんな歌がありました、♪♪ ~ ~ あなたのやさしさに気付き もうすぐ二人の別れが来ると 胸が震え悲しかった  電車と車が並んで走る それを見下ろす橋の上 千登勢橋から落とした 白いハンカチが ヒラヒラ風に舞って 飛んで行ったのは あなたがそっとサヨナラを つぶやいた時でしたね ♪♪ (門谷憲二:作詞・西島三重子:作曲)   (注:歌の方は千登“勢”橋です。 こちらの方が何となくいいかな)



のぞき坂・・・・・・・・ 千登世橋の東、目白通りにめんした雑司が谷駅前から南に下る坂。(豊島区高田2) 坂上と坂下は緩やかな勾配であるが、坂の中間は非常に急な坂で、“東京一”と言われている。、、、、名のごとく、『坂下には助平が多く、女性は下から覗かれる坂』というのは真っ赤なウソ! 本当の由来は、坂の途中で急に角度を変えているため、坂上からの見通しがきかず、坂の途中まで行くと崖のように下る坂が見える。 つまり、坂の途中まで行って、覗くようにすると坂下が見通せるので「のぞき坂」となった。、、、、年寄りは、滑り止めの付いた靴を履かないと無理! 雪の降った日は死を覚悟して歩くこと!

・・・・・・・・・・ 坂上から覗くと
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・・・・・・・・・・ 下から、見上げると
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金乗院・・・・・・・・ のぞき坂を下った豊島区高田2-12に金乗院がある。 金乗院は真言宗豊山派の寺院で、天正年間(1573~1592)の創建と言われている。 本尊は聖観世音菩薩。 当初は、蓮花山金乗院と称し、中野宝仙寺の末寺であった。 その後、神霊山金乗院慈眼寺と改め、護国寺の末寺となる。 昭和20年(1945)4月の空襲で本堂・宝物などの一切を焼失した。 現本堂は昭和46年(1971)に再建され、平成15年(2003)に全面改修された。 古くから当地に在る寺で、本堂裏の墓地には槍術の達人:丸橋忠弥、青柳文庫を創設した青柳文蔵などの墓がある。
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・・・・・・・・・・ かつて目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)は、元和4年(1618)に大和長谷寺の僧が中興し、文京区関口駒井町にあった。 昭和20年(1945)5月の戦災により焼失したため、本尊の目白不動明王像を金乗院に移し、合併した。、、、、その目白不動明王像は、江戸守護の江戸五色不動(青・黄・赤・白・黒)の一として名高く、目白の号は寛永年間(1624~1644)に、三代将軍徳川家光が天海僧正の具申をうけ、鷹狩りによく出かけていた目黒不動にちなみ、こちらは目白不動と命名したといわれている。 不動明王像は、現在は金乗院の不動堂に祀られている。
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根性院・・・・・・・・ 金乗院(こんじょういん)のそばに根性院(こんじょういん)あり。 またまた、ややっこしい話だ。、、、、、金乗院(高田2-12)から東に約100mの距離に根性院(高田1-34)がある。 しかも共に真言宗豊山派の寺院。 両寺とも、意地の張り合いで名を変えぬのか? それとも、根性を試す根競べか? まぎらわしいね!、、、、根性院は、春日局の猶子榮春法印が開山となり、寛永12年(1636)に徳川幕府西の丸祈願所として神田白壁町に建立した。 その後、数回移転し、明治36年(1903)に現在地へ移転した。
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宿坂・・・・・・・・ 宿坂 (しゅくざか)は、目白不動の金乗院前から上る、高田1丁目と高田2丁目の間の坂で、旧鎌倉街道の一部でもある。 この坂も、急な勾配で北に向かって上り、目白通りの高田一丁目交差点に出る。 交差点の先は、雑司ヶ谷の鬼子母神表参道に続く。、、、、坂の名は、中世の頃「宿坂の関」と呼ばれる関所が設けられていたことにちなむそうだ。、、、、、この坂も年寄りには辛い、私も、息はハアハア、ゼイゼイ、足はフラフラ。 若い二人は手をつないでニコニコ、いいな~~。
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けやき並木・・・・・・・・ 目白通りから表参道を歩き、都電鬼子母神前停留場へ出る。、、、、只今、都電軌道下に地下の道路トンネルを工事中の為、仮の停留場。
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・・・・・・・・・・ 停留場の先に、けやき並木の参道が見える
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・・・・・・・・・・ 参道の途中に、複数の店が入っている木造の長屋が見える。 外部は改装し、シャレた造りだ!、、、、、、写真:右端奥に写っている木造アパートは、手塚治虫があの有名なトキワ荘(豊島区椎名町)を出た後の、昭和29年(1954)10月から移り住んだ並木ハウスである。 現在もアパートとして使われている。
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・・・・・・・・・・ 参道の雰囲気をのこす並木
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鬼子母神堂・・・・・・・・ けやき並木を抜けると鬼子母神堂の前に出る。 鬼子母神堂は、法明寺(南池袋3)の境外仏堂。 堂は、永禄4年(1561)に現:清土鬼子母神堂(現:文京区目白台)で発掘した鬼子母神像を、稲荷社のあった現在地に村民が天正6年(1576)に堂を建立した。 その後、寛文4年(1664)、松平安藝守光晟の寄進により本堂が建立された。、、、、、近年は、昭和51年(1976)から3年間をかけ、江戸時代の姿に戻す解体復元の大修理が行われた。、、、、、堂では、ススキで作ったみみずくも売られている。
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池袋駅・・・・・・・・ いつも人の多い駅で、私にはどうもなじみにくい駅である。
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2018年4月13日 (金)

目青不動 (教学院)

しばらくぶりに、東京の五色不動を巡る散歩をすることにした。 その第一番目として、三軒茶屋にある教学院(最勝寺)の目青不動に行ってきた。 三軒茶屋から下北沢まで、9千歩の散歩です。


・・・・・・・・・・ 五色不動は江戸五色不動とも呼ばれ、目青不動(教学院:世田谷区太子堂)、目白不動(金乗院:豊島区高田)、目赤不動(南谷寺:文京区本駒込)、目黒不動(瀧泉寺:目黒区下目黒)、目黄不動(永久寺:台東区三ノ輪)、目黄不動(最勝寺:江戸川区平井)の6寺5種の不動尊の総称。 五色とは密教の陰陽五行説に由来し、青・白・赤・黒・黄でそれぞれ東・西・南・北・中央を表している。 目ん玉の色が五色ではないので、お間違いなきように。 、、、、、有名な伝説として、江戸時代三代将軍:徳川家光が天海大僧正の建言により江戸府内から5箇所の不動尊を選び、天下太平を祈願したともいわれている。 ホントの話では、五色の不動尊は、何かの要因でセットとして作られたものでなく、それぞれ、バラバラに登場したそうだ。 明治時代以降に、こじつけて五色不動となったらしい。



三軒茶屋駅(田園都市線) ・・・・・・・・ 国道246号(玉川通り)と世田谷通りの分岐点地下に造られた、東急田園都市線の三軒茶屋駅。、、、、、前身の玉川電気鉄道の三軒茶屋駅は明治37年(1904)3月に開業し、昭和44年(1969))5月10日に廃止された。 昭和52年(1977))4月7日、新玉川線(現:田園都市線)が開業し、相対式ホーム2面2線を有する地下駅となる。

・・・・・・・・・・ 首都高の下の三軒茶屋交差点。 その地下に駅はある。 交差点の付近に、江戸時代、3軒の茶屋があったことから「三軒茶屋 」となったそうだ。、、、、、近くに女子大があるせいか、やたら若い娘が多い駅で、できることなら引っ越したい。
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・・・・・・・・・・ 玉川通りと世田谷通りの分岐点に、大山道の道標が建てられている。 この道標は寛延2年(1749)に建立され、文化9年(1812)に再建されたもの。 刻まれている文字は、正面に【左相州通大山道】、左側面に【此方二子通】、右側面に【右富士、登戸、世田谷通】と刻まれている。
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三軒茶屋駅(世田谷線) ・・・・・・・ 田園都市線の三軒茶屋駅から、西に約100m行くと、かつての三軒茶屋駅跡に再開発されたキャロットタワー(地上27階建て)がある。 世田谷線の三軒茶屋駅はこのビルの1階である。、、、、大正14年(1925)1月、玉川電気鉄道(玉電)の駅として開業。 平成4年(1992)11月、現在のキャロットタワーに移転。 頭端式ホーム2面1線を有する地上駅で、線路両側のホームは乗車専用ホーム・降車専用ホームとなっている。、、、、、2両連結のかわいらしい300系電車が満員の乗客を運んでいる。 
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教学院・・・・・・・・ 三軒茶屋駅の西側に、天台宗の寺院、竹園山最勝寺教学院がある。、、、、、慶長9年(1604)江戸城内紅葉山に創建され、その後、赤坂、青山へ移転し、現在地へは明治41年(1908)に移った。 教学院が青山にあった頃、麻布の観行寺が廃寺となり、本尊であった目青不動が教学院に移された。、、、、、、教学院の本尊は阿弥陀如来で、目青不動は秘仏として不動堂に祀られている。 青い目をした不動明王は恥ずかしいのか非公開の為、拝見できるのは代役の寛永19年(1642)作の前立の青銅製不動明王像である。、、、、【チョイトないしょの話】教学院が青山にあった頃、同寺には「青山の閻魔さま」と親しまれた閻魔大王の像があった。 そこに、観行寺の不動像がもたらされ、「青山」の不動さまとして、後に目“青”不動としてこじつけられたようだ。

・・・・・・・・・・ まずは、山門本堂
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・・・・・・・・・・ 不動堂前立青銅製不動明王像
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西太子堂駅・・・・・・・・・・三軒茶屋から300m程はなれた隣り駅。 大正14年(1925)に西山駅として開業し、昭和14年(1939)に西太子堂駅に改称した。 相対式ホーム2面2線を有する無人の地上駅。、、、、、三軒茶屋駅が再開発により、西太子堂駅の方に移動したことにより、駅間の距離も短くなり利用客は極めて少ないらしい。
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・・・・・・・・・・ ちょうど、昨年の9月に「玉電110周年 幸運の招き猫電車」として、沿線の豪徳寺招き猫をデザインしたラッピングカーがやってきた。
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太子堂八幡神社・・・・・・・・・ 西太子堂駅の北に太子堂八幡神社がある。 神社は太子堂村が新田開墾された天正年間(1573-1591)頃に創建されたと推定される。
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・・・・・・・・・・ 境内社弁天社でかわいらしいお御籤があった。 私も引いてみたら“吉”。 『願望(ねがいごと) 他人の助けにより早く成功します』だって、7億円ジャンボ買わなければ!!!
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鎌倉道・・・・・・・・・ 八幡神社の西側と下北沢と代田の境を結ぶ道で、鎌倉へ通ずる鎌倉道の一部である。、、、、、今日はこの道をとおり、下北沢まで歩いた。

・・・・・・・・・・ 鎌倉道の標識もあるが、普通の裏道である
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・・・・・・・・・・ 途中、北沢川には鎌倉橋が架かってる
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・・・・・・・・・・ 小田急線複々線化工事の現場に出た、、、、今は地下にもぐった小田急線が、かつては、ここを走っていたのだ。
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・・・・・・・・・・ かつて、踏切の際に祀られていた地蔵さん。 その名もズバリ「踏切地蔵尊」。、、、、、まだ小田急線が地下化していなかった頃、ここにあった踏切で事故が頻発したと思われる。 おそらく地元の人が、事故にあった人の霊を弔い、事故が無くなるようにと願いを込めて祀ったお地蔵さんであろう。
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下北沢駅・・・・・・・・・ 小田急電鉄と京王電鉄の駅で、両線は当駅で立体交差している。 しかし、小田急線は地下にもぐったため、高架で走る京王線だけが姿が見える。、、、、、只今、駅舎工事の真っ最中
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2018年4月11日 (水)

お茶の水坂・皀角坂

朝から春の嵐。 外は“吹き飛ばされそうな風”ではなく、工事現場の看板が“吹き飛ばされた風”、歩く女性のスカートが“巻き上がる風”である。 嵐の中、私は後楽園の循環器内科クリニックに検診に行ってきた。 行きに「お茶の水坂」、帰りに「皀角坂」を歩いてきた。



お茶の水坂・・・・・・・・・『“お茶の水”とは、将軍に献上した神田川の水を指している』、これ、嘘っぱち! この付近の神田川は江戸時代:元和年間(1615-1626)に、本郷台地に外堀として掘られた川である。 堀ができる以前には、ここ本郷台地には神田川はなかった。 当時、本郷台地の一角(現:元町公園付近、本郷1丁目)にあった高林寺(現:向丘2丁目)の境内に湧き水があり“お茶の水”として将軍(徳川家光)に献上したことから、「お茶の水」の地名となった。 これ、ホント!、、、、、その神田川北岸に沿い、お茶の水に上る坂なので「お茶の水坂」と、江戸時代に命名された。

・・・・・・・・・・ 現在の坂は、外堀通りの一部で坂上には東京医科歯科大学病院順天堂大学病院などがズラリと並んでいる。、、、、、昨年は、私が東京医科歯科大学病院へ、我が母が順天堂大学病院に救急搬送され、我が家御用達のありがたい病院である。 ちなみに、私も母も既に完治し、ピンピンの元気。
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・・・・・・・・・・ 坂の途中に、関東大震災の復興公園「元町公園 」がある。 昭和5年(1930)の開園当時の姿がほぼそのまま残る貴重な公園である。 
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・・・・・・・・・・ 神田川側には神田上水懸樋(掛樋)跡 の碑がある。、、、、、江戸時代、神田川に木製の樋(とい)「懸樋(かけひ)」を架け、川の上に神田上水を通し、江戸市中に給水した地点である。 神田川の水面からかなり高い位置に架けられていた。
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・・・・・・・・・・ お茶の水坂の下は水道橋交差点。 橋の上から神田川を見ると、左岸(北岸)に神田川分水路の合流口が開いている。
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●・・・・・・・・・・ 後楽園のお庭の隣りのクリニックで受診し、 検査項目、全て異常なし、『あたり前田のクラッカー』。 受付嬢と、2か月後の再会を約し帰途に就く。



小石川橋通りガード・・・・・・・ 水道橋と飯田橋の駅間、神田川から日本橋川が分岐する処に小石川通り架道橋(三崎町3)が架かる。 明治37年(1904)に甲武鉄道が、ドイツの橋梁メーカー「HARKORT」社に発注し、輸入した橋梁だ。日本に現存する同社の橋梁としては唯一の上路ワーレントラス橋である。桁には銘板が残っている。、、、、、煉瓦の橋台、石積みの盛土にも当時の匂いが残っている。、、、、、現在は、南側に中央快速線用の複線が増設されており、南側からは見えない。 緩行線が走る北側の複線部が当時からの架道橋である。
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③三崎稲荷神社・・・・・・・ 神社は水道橋駅の南側にある。 三崎稲荷神社は、寿永元年(1182)豊島郡三崎村鎮守として創建し、慶長8年(1603)・万治2年(1659)・万延元年(1860)と移転を続け、明治38年(1905)に現在地に移転した。 祭神は、宇迦之御魂神、素盞嗚尊、大市姫神、大物主神の四神。、、、、境内にある大きな銀杏の木からパワーが出ており、交通安全・旅行安全などの御利益があるそうだ。 私も手を合わせてきた。
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皀角坂・・・・・・・・・ 水道橋駅前から神田川の南側をお茶の水に向かい上る坂。 お茶の水坂の向かい側に位置するこの坂は、「皀角坂」と書き、「さいかちざか」と読む。 「サイカチ」は野山にはえる落葉高木で、枝にとげが多く、葉は羽状形で、花も実も豆に似ている木。 江戸時代にはサイカチの木が多くあったそうだ、現在は坂上に3本植えられている。 

・・・・・・・・・・ 坂の上り口。 水道橋駅前の東洋高等学校の横を上る。
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・・・・・・・・・・ 線路脇を上るので、鉄道おたくの私には嬉しい坂だ。、、、、この写真を撮った地点が、皀角坂側の神田上水懸樋跡である。
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・・・・・・・・・・ 坂の中程のビルに、松尾芭蕉の作と言われている「皂角子の実はそのままの落葉哉」の句碑
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・・・・・・・・・・ 坂の上に標識がある。 「皀角」を“サイカチ”と読める人を尊敬したくなる難しい坂名だ!
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・・・・・・・・・・ さらに、サイカチの木を知っている人は神様みたいな人だ! 知らない人は写真をよく見て、丸い可愛い若葉、手裏剣が刺さったようなトゲトゲ。
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・・・・・・・・・・ 坂上にもう一つ標識がある。 歩道に頭を出した、ユーモラスな標識。 裏面には「昭和五十年一月 駿河台西町会 中島萬」と彫られている。
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●・・・・・・・・・・ お茶の水駅前をとおり、秋葉原駅を抜け、浅草橋へ歩く。

2018年4月 9日 (月)

六郷土手~京急蒲田

しばらくご無沙汰している京急本線の雑色(ぞうしき)駅で降りてみようと家を出た。 電車が雑色駅に着く寸前、気が変わって多摩川橋梁が見たくなり、一つ先の六郷土手駅で降りることにした。 六郷土手駅から、第一京浜(国道15号)の東側を歩き、京急蒲田駅まで、8千歩の散歩です。



六郷土手駅・・・・・・・・ 明治39年(1906)10月1日1906、京浜電気鉄道の六郷堤駅として開業。 その後、時期不明だが現在の六郷土手駅に改称した。 昭和20年には空襲で全焼し、戦後になって駅が再建された。 昭和47年頃の六郷川鉄橋(現:六郷川橋梁)架け替えに伴い駅は高架化された。 ホームは相対式2面2線で、改札は高架下に設置されている。 駅はその名のごとく六郷川(多摩川)の土手上にある。
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・・・・・・・・・・ 六郷土手駅のホームの先は京急六郷川橋梁に続いている。 写真背景のビルは多摩川の対岸:川崎に建つ建物である。
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京急六郷川橋梁・東海道本線六郷川橋梁・・・・・・・・ 多摩川土手に上がると、対岸に川崎を望み、右に東海道本線六郷川橋梁、左に京急六郷川橋梁が架かる。
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・・・・・・・・・・ 東海道本線六郷川橋梁、、、、、明治4年(1871)、日本初の鉄道の橋梁として初代の木造橋が架けられた。 その後、明治10年(1877)に二代目となる鉄製トラス橋、明治45年(1912)には三代目の橋梁に架け替えられた。 現橋梁は四代目で、京浜東北線多摩川橋が昭和42年(1967)、東海道本線六郷川橋梁が昭和46年(1971)に竣工したもので、いずれも全長520m、流水部のみ3連の連続トラス構造で、河川敷を渡る部分はコンクリート製の連続桁構造である。、、、、、河川敷部分が広く、トラス部分は川崎寄りの遥か彼方である。
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・・・・・・・・・・ 京急六郷川橋梁、、、、、、、京急の電車が初めて六郷川を渡ったのは、明治34年(1901)2月1日である。 このときは、単線の仮の木橋であった。 明治39年(1906)には、複線の木橋が架けられた。 明治42年(1909)に六郷川鉄橋の建設に着手し、2年後の4月1日に、6連のトラス橋、上路プレートガーダー、全長515.897mの堂々とした鉄橋が完成した。、、、、昭和47年(1972)3月31日に、現橋である京急六郷川橋梁が完成した。 プレートガーダー桁なしの8連トラス橋、全長550.56mである。 トラス橋が見事に連なり壮観である。
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六郷橋・・・・・・・・・・ 京急六郷川橋梁の下流側に、第一京浜(国道15号)が走る六郷橋が架かっている。、、、、旧六郷橋を段階的に拡幅するために、昭和54年(1979)に着工し、平成9年(1997)に全ての工事が完了し、現在の六郷橋となった。 長さ443.7m、幅34.4m。 橋の幅は倍以上となり、車道も片側3車線に増加した。 総工費は約125億円とのこと。
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・・・・・・・・・・ 六郷橋の北詰(大田区)に旧橋の橋門・親柱が残されている
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六郷神社・・・・・・・・・ 六郷土手駅と雑色駅のほぼ中間に、第一京浜に面し六郷神社がある。(東六郷3)、、、、、天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、六郷神社の創建と言われている。 文治5年(1189)源頼朝もまた奥州征定の時、祖先の吉例にならい、白旗を立てて戦いでの勝利を祈願したので、建久2年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営した。、、、、、現本殿は享保4年(1719)建立、拝殿は昭和62年(1987)に総檜権現造で建て替えられた。 また、現存する神門前の石造神橋は、梶原景時が寄進した。 境内の広い、大きな神社である。 本殿奥に付属の幼稚園があり、園児を送ってきたママが境内を自転車で乗り回すのはチョイトいただけないね!
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・・・・・・・・・・ 境内に、明治7年(1874)に架けられた旧六郷橋木橋の親柱が残されてる
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七辻・・・・・・・・・ 大田区南六郷1と南蒲田2が接する位置に、7本の道路が交差する「七辻」と呼ばれる交差点がある。 交差する道路の道幅はさほど広くはないが、それなりに交通量は多いようだ。 しかし信号機はない! ドライバーの譲り合いの精神により信号機は不要なのかも?

・・・・・・・・・・ パノラマ撮影した交差点 7本の道路判るかな?
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・・・・・・・・・・ 七辻の上空写真
Google



京急蒲田駅・・・・・・・・・ 明治34年(1901)2月1日に、蒲田駅として開業。 大正14年(1925)に京浜蒲田駅に改称。 昭和62年(1987)に京急蒲田駅に改称。 平成13年(2001)に高架化工事に着手し、平成22年(2010)に上り線の高架化完成、平成24年(2012)10月21日には下り線の高架化も完成した。 ちなみに、10月21日は吾輩(雅万歩)の誕生日である。 おめでたい日だ!、、、、、駅は2階・3階に島式ホーム2面6線を有する高架駅。 本線と空港線の分岐点である。 分岐駅だが、この駅で乗り換える時、電車はチョイトややっこしい停車をするので、戸惑うね! 『どう、ややっこしいか?』説明するのもややっこしいので、気になる人は自分で体験してみてね。
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2018年4月 6日 (金)

浅草橋~梅島

今日は、散歩をはじめた原点に立ち戻り、“健康のため”速足で、チョイト遠くまで歩いてきた。 浅草橋の我が家から、国際通り、日光街道、墨堤通りを通り、東武伊勢崎線の梅島駅まで、1万7千歩の散歩です。



● a.m.7:36・・・・・・・・・いつものように浅草橋駅から出発。
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・・・・・・・・・・ 浅草橋は、お江戸日本橋と浅草観音様のちょうど中間に位置し、秋葉原の隣りでもあり、成田・羽田の空港には乗り換えなしの電車で一本、スカイツリーも地下鉄で4駅目、東京・上野駅までは15分新幹線に乗るのも便利、外人さんが好きな“下町”のド真ん中、など、地の利に恵まれている。 浅草橋駅周辺は只今ホテル建設が盛んで、駅の裏道を入る我が家の近くでも建設中。、、、、帽子好きのおばさんが経営する〇パホテル、店名に地名を並べたがる〇横イン、道順が判りにくいルー〇イン、など、ビジネスホテルがめじろ押し。、、、、ちなみに浅草橋駅から東武浅草駅まで、この間ビジネスホテル・旅館は30軒以上ある。 数えてみたが途中でやめた!
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● a.m.7:46・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点を通過。、、、、交差点の南西角に「天文台跡」の案内板がある。 この付近に、江戸時代後期、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として、天文台がおかれていたそうだ。 現在はスモーカの喫煙所である。
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● a.m.7:48・・・・・・・・・蔵前一丁目交差点の北側100m程の処で、国道6号(水戸街道、江戸通り)から都道462号(国際通り)が分岐する。 写真:右に向かう国道6号、左に進む都道462号。
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● a.m.8:08・・・・・・・・・国際通りと雷門通りがT字型に交差する、雷門一丁目交差点を通過。 正面に見えるスカイツリーも、今日は私の頭の中と同じで、薄ぼんやりしている。
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● a.m.8:16・・・・・・・・・国際通りの名となった「国際劇場」の跡地に建った「浅草ビューホテル 」。 国際劇場は昭和57年(1982)に閉鎖された。 既に30数年が過ぎ、劇場を知るのは高齢者となった。 ビューホテルも建てられてから今年で33年、既に浅草のシンボル的建物として定着している。、、、、SKDのラインダンス、もう一度、生で見たいね!
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・・・・・・・・・・ 浅草ビューホテル前の植え込みには、サツキだかツツジだか判らんけれど咲いていた。
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● a.m.8:33・・・・・・・・・11月「酉の市」で賑わう鷲神社 (おおとりじんじゃ)前を頭を下げて通り過ぎる。
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・・・・・・・・・・ 鷲神社前の国際通りのサクラは、只今満開。 薄緑の葉も光を透し、いいね!
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● a.m.8:44・・・・・・・・・東京メトロ三ノ輪駅の頭上で、国際通りは昭和通りにぶつかる。 ここで国際通りは終わる。、、、、、これより、昭和通り(国道6号、日光街道)を歩く。
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● a.m.8:55・・・・・・・・・三ノ輪駅北側の浄閑寺(じょうかんじ)に立ち寄る。 吉原遊廓で亡くなった遊女がここ浄閑寺に投げ込まれた。 その遊女を弔う新吉原総霊塔がある。 チョイト、懇ろに手を合わせて行く。、、、、、「生まれては苦界 死しては浄閑寺」の花又花酔の句。
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・・・・・・・・・・ 寺では法事が行われているようだ、我、静かに立ち去る。
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● a.m.9:10・・・・・・・・・荒川区内で広い氏子域をもつ素盞雄神社 (すさのおじんじゃ)の前を素通りするかと思ったが、花の彩に誘われてチョイト参拝して来た。
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● a.m.9:17・・・・・・・・・千住大橋を渡り足立区に入る。、、、、、昭和2年(1927)に竣工した、隅田川に架かる復興橋のひとつ。 現在は東側(下流側)に新橋が並行して架けられ、上下線が分離している。
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● a.m.9:25・・・・・・・・・京成本線千住大橋駅 を通過
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● a.m.9:25・・・・・・・・・千住宮元町交差点にて、日光街道から墨堤通り(都道461号)に入る。
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● a.m.9:53・・・・・・・・・千住桜木交差点にて、墨堤通りは尾竹橋通りにぶつかり、ハイ・ココまでヨ~~
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● a.m.9:57~10:04・・・・・・・・・西新井橋 で荒川を越える。、、、、ビニール袋が風に舞う橋上では、か弱い私も飛ばされるようであった。
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● a.m.10:10・・・・・・・・・西新井橋北詰にて、尾竹橋通りから外れ、裏道を東武伊勢崎線の梅島駅へ向かう。、、、、、本当は、西新井駅まで行きたかったが、ここからまだ45分以上かかると見込まれ断念した。
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・・・・・・・・・・ 梅島駅に向かい、ひたすら歩く、歩く、歩く
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● a.m.10:33・・・・・・・・・梅島駅 に到着。 1万7千歩の散歩もここで終わり
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2018年4月 4日 (水)

八潮市立資料館

東武伊勢崎線草加駅から、つくばエキスプレス八潮駅に向かて歩いたが、途中でタイムアウトとなり、八潮市立八幡図書館の前からバスで草加駅まで戻った。 1万歩の散歩です。



草加駅 ・・・・・・・・ 『またまた、来てしまった!』 散歩の行先を定めていないので、今日も下車した駅は草加だった。 駅前の地図を見て、つくばエキスプレスの八潮駅に向かって歩いてみることにした。 チョイト、ルートを頭に叩き込む、『駅前の道を真直ぐ行って綾瀬川を渡る。 川を渡ったら、川沿いを歩き「大曽根」の町に入る。 「大曽根」では、地元の可愛い娘に八潮駅までのルートを聞く。』 ヨシ、出発!
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コンフォール草加・・・・・・・・・ 草加駅前の通りを行くと、左側に綺麗な団地が見えた。 昭和35年(1960)に建設された410戸のテラスハウス型の公団団地が建て替えられ、総戸数507戸(最高9階建て)の新しいUR団地となった。 名は「コンフォール草加」。 平成11年(1999)から平成15年(2003)にかけ建設された。 ちなみに家賃は、1LDK(70㎡)で10万円程、高いか安いかは判りませ~~ん。
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手代新橋・・・・・・・・ 草加駅の西1km程の処に手代新橋(てしろしんばし)がある。 橋は県道を通し、綾瀬川に架かる。
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・・・・・・・・・・ 橋上から上流側を望む。 草加の名所:草加松原はこの橋から1km程上流にあるので、見えない。
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・・・・・・・・・・ 下流側には、手代橋が見える。 映画に出てきそうな、味のある“昭和”の橋。
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・・・・・・・・・・ 橋を渡ると、そこから八潮市である
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●・・・・・・・・・・ 綾瀬川を越え八潮市に入ったので、これより綾瀬川沿いに歩き、「大曽根」の町を目指すのだが、チョイト裏道を歩いてみた。、、、、、これが、タイムアウトとなった一因
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八潮キリスト教会・・・・・・・・・ 裏道を歩いていると、小さなかわいらしい教会:「ウェスレアン・ホーリネス教団 八潮キリスト教会」(八潮市南後谷)である。 チョイト、ドア越しに内部を覗いていると、教会の方に声をかけられ、内部を拝見することができた。 また、牧師さんも居られて話を伺うことができた。(有難うございました)、、、、、建物は20年程前に建てられたもので、内部は予想以上に広く明るい建物である。
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八潮市立資料館・・・・・・・・・ 再び裏道を歩くと、「八潮市立資料館 →」の案内が目に入る。 『建設工事中に出土した土器の破片を展示する薄暗い資料館だろう。』と、勝手に想像し、『観に行くべきか 止めとくべきか それが問題だ!』  『どうせ駅の方角だからチョイト寄ってみるか。』と、案内に沿って裏道を行く。
 
・・・・・・・・・・ 建物は、ナント、鉄筋コンクリート造2階建てのまともな資料館だった。 チョイと小馬鹿にして八潮市に失礼したようだ。
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・・・・・・・・・・ 入館料無料で、八潮市の歴史的背景である「水と生活」をテーマとした展示が行われていた。 来館者は私一人、『御自由に見学してください。』 解りやすく、整理された状態で展示されており、私も納得。、、、、、立ち寄って良かった!
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・・・・・・・・・・ 旧藤波家住宅・・・・・資料館敷地内に、明治9年(1876)に建てられた埼玉郡八條領後谷村の開発名主:藤波家の住宅が移築保存されている。、、、こちらも、見学させてもらった。 (最初の全景写真は資料館作成のパンフレットによる)
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●・・・・・・・・・・ 資料館も見ごたえがあった。 時間を大幅に使用し、このままだと昼までに我が家に帰れないかも?、、、、、とりあえず、八潮駅に向かい歩く。



観音寺・・・・・・・・ 人に尋ね駅への道を急ぐ。 オヤ、寺の屋根らしきものが目に入る。 チョックラ、寄って行くか。、、、、真言宗豊山派寺院の観音寺。 観音寺は、天文3年(1534)に開創、元和7年(1621)に開山した。 現本堂は文政11年(1827)の建築。 昭和43年(1968)に本堂を大改修した。 朱塗りの回廊が目立つね!
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●・・・・・・・・・・ 予想外に時間をとられ、駅まではまだ時間がかかりそうだが、速足で歩く、歩く、歩く。 少し行くと、市の八幡図書館があり、その前のバス停にバスが来た。 男の勇気と決断で、どこ行きか判らず、飛び乗った。 結果は、「草加駅行」のバスで来た道を引き返すようなルートで駅まで運ばれ、我が家(浅草橋)には、12時前に到着した。、、、、、八潮駅までは歩けなかったが、中身の濃い散歩であった。

2018年4月 3日 (火)

浅草橋~大塚

我が家(浅草橋)から、湯島、本郷、春日、小石川と、ひたすら歩いて大塚駅まで、1万4千歩の散歩です。



● a.m.7:22・・・・・・・・・・ 我が家のある浅草橋駅をあとにする、、、、この時間に勤務先へ向かう人がもういる。 早出かな?
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● a.m.7:29・・・・・・・・・・ 我が母校:旧台東区立柳北小学校の前を通過。 現在は蔵前小学校の仮校舎として使用中。
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・・・・・・・・・・ 旧柳北小学校の隣り、都立忍岡高等学校の裏門脇に「蓬莱園跡」の碑がある。、、、、、ここ、旧柳北小学校、忍岡高校のある一帯は、かつて平戸藩松浦氏の屋敷跡で、蓬莱園と称する庭園があった。 約2,600坪の庭園は“今は無く”、高校校庭に一本の大イチョウを残すだけである。
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● a.m.7:32・・・・・・・・・・ 浅草橋で唯一の大使館。 それは、コンゴ民主共和国大使館、、、、、時々、近くのスーパーで大使館員が買い物しています。 浅草橋も国際的な町に変貌している。
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● a.m.7:36~7:53・・・・・・・・・・ 鳥越一丁目交差点より、蔵前橋通りを歩き、昭和通り、JR京浜東北線・山手線、中央通りと交差し西に向かう。
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● a.m.7:55・・・・・・・・・・ 蔵前橋通りは、妻恋坂交差点から清水坂下交差点まで新妻恋坂を上ることになる。 この坂は昭和4年(1929)に震災復興道路として通じた蔵前橋通りの坂で、昔からある北側に並行する妻恋坂にちなみ命名された。、、、、ここから、ダラダラ上るのは辛いので、私は並行する妻恋坂を上る。
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● a.m.8:01・・・・・・・・・・ 妻恋坂にある、妻恋神社に手を合わせて行く
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● a.m.8:02・・・・・・・・・・ 妻恋坂を上ると、清水坂にT字にぶつかる。 清水坂の下が新妻恋坂である。、、、、チョイト、ややっこしいね! どうでもいいか!
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● a.m.8:07・・・・・・・・・・ 蔵前橋通りが本郷通りに合流するサッカーミュージアム入口交差点、、、、ここより本郷通りを歩く。 (写真は右端から手前に本郷通り、中央左寄りから上ってた蔵前橋通り)
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● a.m.8:16・・・・・・・・・・ 本郷三丁目交差点を通過。 ここから春日通りを歩く
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● a.m.8:23・・・・・・・・・・ 春日通りからチョイト脇にそれ、明治19年(1886)に創立した弓町本郷教会に立ち寄って行く。 現教会は昭和元年(1926)に竣工した。
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● a.m.8:28・・・・・・・・・・ 寄り道ついでに、丸ノ内線が本郷三丁目駅から後楽園駅に向かう時、地上に顔を出す処をトンネルの上からチョイト撮影。 (写真奥が後楽園駅)
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● a.m.8:33・・・・・・・・・・ 真砂坂を下る。 この坂の名は「東富坂」で、「真砂坂(まさござか)」は別名らしい。 明治41年(1908)に命名するとき、坂下の春日町交差点を挟み、東に上る坂を「東富坂」、西に上る坂を「富坂」としたそうだ。、、、、、私には、坂上にあった停留場「真砂町」を通る都電で通学していた時期もあった。 学生時代の思い出もあり、真砂坂の方がシックリくるね。
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● a.m.8:34・・・・・・・・・・ 春日町交差点を通過
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● a.m.8:38・・・・・・・・・・ 私は、まだ若い老人なので、「アテント」、「ライフリー」などは利用していない。 しかし散歩していると、緊急のお呼びがかかる。 ここいらで、スッキリと身繕いをしようと、文京区役所に寄ってきた。、、、、出た! スッキリ、サッパリ、気分爽快!
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● a.m.8:52・・・・・・・・・・ 文京区役所からは、北西方向に都道436号(小石川西巣鴨線)をひたすら歩けば大塚駅である。、、、、、眼病治癒の「こんにゃく閻魔」として知られる源覚寺(小石川2)では、チョックラ手を合わせて行こう! コンニャクは持参していないので、お賽銭をチョッピリ。
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● a.m.9:01・・・・・・・・・・・小石川の岡埜栄泉(おかのえいせん)前を通過。、、、、、東京に岡埜栄泉は30数店あるそうだ。 どこも、名物は豆大福で、老舗と言われているが、何処が本店やら、本家やら、元祖は何処だ! 長い年月の暖簾分けで、サッパリ判らん!
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● a.m.9:15・・・・・・・・・・ 共同印刷本社前を通過。、、、、昭和10年(1935)に建設された建物も劣化し、そろそろ建て替えの話が出ているようだ。
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● a.m.9:18・・・・・・・・・・ 小石川消防署前を通過。、、、、、門柱の上にのっている望楼は、旧大塚消防署(小石川消防署の前身で、昭和初期の名建築であった)の望楼をデザインしている。
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● a.m.9:42・・・・・・・・・・ 文京区から豊島区に移り、大塚駅も近づいてきた。
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● a.m.10:00・・・・・・・・・・ 大塚駅前の天祖神社に寄ってみることにした。、、、、南口の商店街に紛れている天祖神社は大塚の氏神様。 氏子のエリアは意外に広く、南大塚、北大塚、巣鴨、西巣鴨、上池袋1丁目、東池袋2~5丁目がその範囲。 参拝客は絶えず、商売繁盛か?
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● a.m.10:19・・・・・・・・・・ 大塚駅に到着。 ここまで14,000歩、靴もそろそろ買い替えなければならなくなってきた。
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2018年4月 2日 (月)

一之江~新小岩

やっと、難病の風邪に打ち勝ち社会復帰し、朝から久しぶりに散歩。 今日は、足慣らしを兼ね、都営新宿線一之江駅から総武線新小岩駅まで、1万4千歩も散歩です。



一之江駅 ・・・・・・・・ 江戸川区の中央部に、昭和61年(1986)9月14日に開業した地下駅。、、、、駅名の“一之江”とは、“一番目の川”という意味らしい。 隣には「二之江」という町がある。 ところで、この“川”は何川だ? どうやら、江戸川・中川など大きな川を指しているのではなく、農業用水路を指しているようだ。 村人が開削した用水路で、一番最初の川を“一之江”と呼んだみたいだ。 用水路だから、今になって「どれが一番目?」と問われても特定できないようだ。
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中空のマンション・・・・・・・・ 一之江駅前にあるマンション、オヤ? 駅側の駐車場から見ると、1階から3階までの一部がポッカリ中空になっている。 その上の4階から7階までは、住宅がある。 あの穴は何だ!
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・・・・・・・・・・ 気になったので、穴を見に行った。 確かに、中空となっており、下は自転車置き場となっていた。 『なぜ、3階まで中空となっているのか?』、掃除をしていたマンション管理の人に聞くと、『私にはワカリマセン、古い住人の方に聞いてください。』 そこで、ちょうど居合わせた古い住人に聞いてみた。 『ア、この穴は、南側に建つ住宅の方が風通しを良くしたいと言われ、あけたそうですよ!』、、、、、マンション建設に対する住民のエゴか? 権利か? それとも法令に従って、何か別の根拠があるのか? 真実が知りたくなった。 もったいない空間だ。、、、、、なおマンションは鉄筋コンクリート造・7階建て、全36戸、平成8年(1996)完成。
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昭和の雑居木造建築?・・・・・・・・ 環七通りを横断し、一之江4丁目の裏道を歩くと木造のアパートのような建物に、呑み屋の看板がイッパイ? 凄い、ナント、居酒屋「むつ美」、居酒屋「美月」、居酒屋「みっちゃん」、スナック「順子」と4店の看板が出ている。、、、、私が散歩した時刻は午前9時。 すべて店は閉まり確認できないが、“雑居ビル”ならぬ“雑居木造建築”である。
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・・・・・・・・・・ さらにビックリ、確認するため横の路地に行くと、そこに、この建物の2階にもう一軒:居酒屋「ひょうたん島」があるようだ。 奥に階段もある!
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妙音寺・薬王寺・・・・・・・・ 一之江5丁目の妙音寺は真言宗豊山派の寺院で医王山不動院と号す。 建久元年(1190)の開山で、江戸川区でも有数の古刹である。、、、、、この寺には“片目の鮒”の伝説が残されている。 その説明、『むかし、ひとりの目の不自由な娘がいました。その娘は、目を治そうと、妙音寺の薬師如来に21日の願をかけ、食を断ってお祈りしました。 すると満願の日に、目が見えるようになりました。 娘はお礼にと薬師の池にたくさんの鮒を放ったところ、鮒は全て片目になったといわれています。』、、、、、、小さいが、静かな落ち着いた雰囲気の寺。
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・・・・・・・・・・ この辺りは、昔から農業を営む家も多く立派な住宅も多い
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・・・・・・・・・・ 妙音寺から北へ約350m行くと、妙音寺の隠居寺であった真言宗豊山派の補弥落山薬王寺がある。 薬王寺は、文治2年(1186)祐宣法印が開山・創建した。
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抹香屋のタブ・・・・・・・ 薬王寺の北側、京葉道路と環七通りの交差点に「一之江抹香亭」と命名した地域の活動拠点がある。 ここは、旧東一之江村の旧家:抹香屋田澤家の跡地で、仏事で焼香にに使用する抹香(まっこう)づくりを生業としていた田澤家があった。田澤家では、抹香の原料としてタブノキの葉や皮を使用していた。、、、、、そのタブノキの大木が一本残されている。、、、、、満開のサクラもついでにパチリ。
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同潤会普通住宅・・・・・・・・・・・・・・同潤会は、関東大震災後、東京を中心に復興支援のため設立された団体である。 当時としては先進的な設計や装備で、鉄筋コンクリート造の同潤会アパートが都内各地で建設された。 一方、鉄筋コンクリート造のアパートは建設コストもかかるため、昭和に入ると木造の住宅を造ることになった。、、、、ここ、松江2-31に残る木造住宅は同潤会の普通住宅である。 建物は朽ち、現:同潤会通りに沿い多くが建てられたが、現存するは極一部だけ。

・・・・・・・・・・ 松江2丁目から北上し菅原橋交差点に至る同潤会通り。 京葉道路、中央二丁目交差点近くのバス停は、その名もズバリ、「同潤会」。
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・・・・・・・・・・ そして、現存する普通住宅が京葉道路から入った裏道にある。 まぎれもなく、70年の風雨に耐えてきた木造の「同潤会アパートメント」。 空き家となったようだ。
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・・・・・・・・・・ 近くの京葉道路に面し、「同潤会病院」もある
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菅原橋交差点・・・・・・・・・ 江戸川区中央3丁目・4丁目、本一色1丁目・2丁目、松本3丁目の各町が接し、千葉街道が抜ける菅原橋交差点は、多差路の日本一(?)。 人によると10差路と云う人も、11差路と云う人もいる。 私の数えでは11差路が正解と思う。、、、、、各自で地図を見て、現地に行って、なん差路だか数えてチョウダイ
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新小岩駅・・・・・・・・ 只今、新小岩駅は自由通路の工事中。 まだ完成しないね!
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