目青、目白に続き、今日は本駒込の目赤不動に行った。 最寄り駅ではないがチョイト遠くの田端駅から歩きはじめ、動坂をとおり南谷寺へ、目赤不動と対面したら団子坂を下り千駄木駅まで、1万歩の散歩です。
①田端駅・・・・・・・・・明治29年(1896)4月1日、日本鉄道の駅として開業。 現在は、山手線、京浜東北線の電車しか停車しないが、かつては常盤線の列車が発着した時期もあった。、、、、、近くには尾久車両センターなどもあり、鉄道好きに愛されている駅である。
②東台橋・童橋・・・・・・・・・・田端駅の前を通る都道458号線は、駅の南側で道灌山を切り通し(名称:田端切り通し)で抜けて行く。 その切り通しに架かる橋が東台橋(とうだいばし)。 切り通しができたのは昭和8年(1933)であり、東台橋もおそらく同時期に竣工したと思われる。、、、、、東台橋から切り通しを眺めると、両側の石積みの高さ:約20mにあらためてビックリ。
・・・・・・・・・・・・・東台橋から100m程南に、近くの滝野川第一小学校へ通う児童の通学路として利用されている、童橋(わらべばし)が架かっている。 昭和8年(1933)完成。、、、、歩行者専用橋である。、、、、、切り通しはまだ続く。 私が目指す目赤不動は、この道の先2km程の処にある。
③田端八幡神社・・・・・・・・・・・切り通しが終わる田端2丁目の交差点角に田端八幡神社がある。 文治5年(1189)に源頼朝が、この地の豪族豊島氏と共に奥州藤原一族を平定し、その帰路に鎌倉八幡宮を勧請した。 田端村の鎮守さま。 社殿は平成4年(1992)に再建され、いまだ木の香りが残っている。
・・・・・・・・・・・・・・神社の参道脇、正しくは神社の隣り東覚寺の門前に不動堂がある。 その不動堂を守る一対の仁王像(赤紙仁王尊)がある。 仁王には赤紙がペタペタ貼られ、像の顔も形も判らない。 赤紙を自分の患部と同じ位置に貼ると病気身代わりとなるそうだ。、、、、根性の悪い私は、どこに紙を貼るのだ!、、、、この仁王像は、元は八幡神社の鳥居前にあったそうだ。 明治の神仏分離令で、神社の別当であった東覚寺に移った。
④動坂・・・・・・・・・・・都道458号は動坂下交差点から文京区に入る。 都道の西側は本駒込4丁目、東側は千駄木4丁目。 坂上は動坂上交差点で、坂の全長200m程、この間の高低差12mで傾斜は緩やかである。、、、、名の由来は、、、、かつて、この坂上に不動像が祀られていたが、三代将軍家光の目にとまり、本駒込の南谷寺に移され目赤不動となった。 不動像の跡には、日隈地蔵が祀られた。 そこで、坂は“不動坂”と呼ぶべきところだが、略して「動坂(どうさか)」と呼ばれている。
・・・・・・・・・・・・坂上の都立駒込病院の一角に動坂貝塚記念碑がある。 昭和49年(1974)に駒込病院の外溝工事中に貝塚が確認され、2次にわたる発掘調査が行われた結果、縄文時代の遺跡と確認された。 また、江戸時代には、八代将軍徳川吉宗が復活した鷹匠の屋敷跡でもある。、、、、、碑のプレートは黒ずみ、案内板がなければ、なんだかサッパリ判らん!
⑤徳源院・・・・・・・・・・・本駒込3丁目に入ると、臨済宗妙心寺派寺院の慈雲山徳源院がある。 徳源院は、寛永7年(1630)湯島に創建、天和2年(1682)に現在地へ移転した。、、、、、現在は、さほど広くない境内だが、緑豊かに整備されている。
・・・・・・・・・・・・・・境内の一角に、日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)が祀られている。 この地蔵は、動坂の上にあった目赤不動を南谷寺に移した跡に建立されていた。 願いごとを日を限って祈願すれば、不思議と満願の日に先立ち霊験あらたかなることより「日限地蔵」といわれている。、、、、、ジャンボ宝くじを買って、抽選前の一週間祈願したら、7億円が当たるかな? 誰か試してみたら!、、、、、昭和60年(1985)に動坂より徳源院に移された。
⑥南谷寺・・・・・・・・・・田端駅から歩いてきた都道が本郷通りにぶつかる駒本小学校前交差点の北:本駒込1丁目に天台宗の南谷寺(なんこくじ)がある。 南谷寺は、比叡山南谷の万行律師が、元和年間(1615~1624)に駒込動坂に庵を設け不動明王像を安置した。 これが南谷寺の創建である。 寛永年間(1624~1644)三代将軍家光が鷹狩りの途中、動坂のこの庵に立ち寄り、この不動を、目黒・目白不動と同じように”目赤不動”と呼ぶように伝え、寺領を現在地に寄進した。、、、、、家光はゲーム感覚で、五色全部揃えたかったのかな?
・・・・・・・・・・・・・不動堂には、黒目の目赤不動が祀られている。
●・・・・・・・・・・・・・これにて、本日の目的を達成。 あとは、我が家へ帰るだけ!
⑦光源寺・・・・・・・・・・・・団子坂に向かう途中、文京区向丘2丁目の光源寺に寄ってみた。、、、、浄土宗の寺院で天正17年(1589)に、神田四軒町に創建された。その後、江戸城拡張に伴い、慶安元年(1648)駒込の現在地に移転した。

・・・・・・・・・・・・・かつて、境内には、元禄10年(1697)造立の十一面観世音立像が安置されていた。 木彫で高さは二丈六尺(約8m)あり、奈良の大仏みたいに堂の窓から顔が拝観できたそうだ。 多くの参詣者に慕われた観音さまも、昭和20年(1945)5月25日夜半の東京大空襲によって、全焼の災いにあい、焼失した。、、、、平成5年(1993)、関係者の思いが実り、高さ6mの観音像が再興された。 長谷寺の十一面観音と同じく、錫杖を右手に持ち、金箔、金粉の極彩色に彩られた平成の観音像である。、、、、、全て純金で作られていたら、簡単に見せないだろうね!
⑧団子坂・・・・・・・・・千駄木2丁目と3丁目の境の坂。 由来は、その名のごとく、坂の近くに団子屋があったと言われている。 悪路のため転ぶと団子のようになるからと云う説もある。 長さ180mの坂。、、、、坂の上には、森鴎外、夏目漱石、高村光太郎が居住していた。、、、、、この三人は、元祖『だんご三兄弟』かも?
⑨千駄木駅・・・・・・・・・・団子坂下にある、地下鉄千代田線の駅。 昭和44年(1969)12月20日開業。
・・・・・・・・・・・・・地下鉄に乗るつもりで駅に向かったら、駅前のバス停に私が住む台東区の循環バスが来た! オー、ラッキー、急遽バスに切り替えて帰宅する。