目白不動 (金乗院)
雨も上がり散歩日和。 今日は、目白不動の金乗院へ、その後、雑司ヶ谷の鬼子母神に寄って池袋駅まで、1万歩の歩きです。 (注:鬼子母神の『鬼』は、一画目の点が無い字が正しい)
①目白駅・・・・・・・・・ 明治18年(1885)3月1日、日本鉄道品川線の品川~赤羽間の開業から、なぜか半月ほど遅れ、3月16日に目黒駅と目白駅の2駅が仲良く開業。 明治39年(1906)11月1日には国有化され国鉄の駅となる。 平成12年(2000)に、3代目の現在の駅舎に改築された。、、、、駅に隣接して学習院大、チョイト離れて日本女子大があるせいか、駅からゾロゾロ出てくる女子大生の多いこと、嬉しいね!
②千登世橋・・・・・・・・ 学習院大学前を東に向かい、豊島区目白1丁目と雑司が谷との境界に架かる跨道橋。 橋上に目白通りを通し、明治通りとの立体交差になっている。 東側に連続する千登世小橋があり、都電荒川線を跨ぐ。 長さ約28mの千登世橋は、上路2ヒンジソリッドリブアーチ橋で、昭和7年(1932)2月に竣工した幹線道路同士の立体交差。
・・・・・・・・・・ チョイト思い出した私の若い頃(昭和54年)、こんな歌がありました、♪♪ ~ ~ あなたのやさしさに気付き もうすぐ二人の別れが来ると 胸が震え悲しかった 電車と車が並んで走る それを見下ろす橋の上 千登勢橋から落とした 白いハンカチが ヒラヒラ風に舞って 飛んで行ったのは あなたがそっとサヨナラを つぶやいた時でしたね ♪♪ (門谷憲二:作詞・西島三重子:作曲) (注:歌の方は千登“勢”橋です。 こちらの方が何となくいいかな)
③のぞき坂・・・・・・・・ 千登世橋の東、目白通りにめんした雑司が谷駅前から南に下る坂。(豊島区高田2) 坂上と坂下は緩やかな勾配であるが、坂の中間は非常に急な坂で、“東京一”と言われている。、、、、名のごとく、『坂下には助平が多く、女性は下から覗かれる坂』というのは真っ赤なウソ! 本当の由来は、坂の途中で急に角度を変えているため、坂上からの見通しがきかず、坂の途中まで行くと崖のように下る坂が見える。 つまり、坂の途中まで行って、覗くようにすると坂下が見通せるので「のぞき坂」となった。、、、、年寄りは、滑り止めの付いた靴を履かないと無理! 雪の降った日は死を覚悟して歩くこと!
・・・・・・・・・・ 坂上から覗くと
・・・・・・・・・・ 下から、見上げると
④金乗院・・・・・・・・ のぞき坂を下った豊島区高田2-12に金乗院がある。 金乗院は真言宗豊山派の寺院で、天正年間(1573~1592)の創建と言われている。 本尊は聖観世音菩薩。 当初は、蓮花山金乗院と称し、中野宝仙寺の末寺であった。 その後、神霊山金乗院慈眼寺と改め、護国寺の末寺となる。 昭和20年(1945)4月の空襲で本堂・宝物などの一切を焼失した。 現本堂は昭和46年(1971)に再建され、平成15年(2003)に全面改修された。 古くから当地に在る寺で、本堂裏の墓地には槍術の達人:丸橋忠弥、青柳文庫を創設した青柳文蔵などの墓がある。
・・・・・・・・・・ かつて目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)は、元和4年(1618)に大和長谷寺の僧が中興し、文京区関口駒井町にあった。 昭和20年(1945)5月の戦災により焼失したため、本尊の目白不動明王像を金乗院に移し、合併した。、、、、その目白不動明王像は、江戸守護の江戸五色不動(青・黄・赤・白・黒)の一として名高く、目白の号は寛永年間(1624~1644)に、三代将軍徳川家光が天海僧正の具申をうけ、鷹狩りによく出かけていた目黒不動にちなみ、こちらは目白不動と命名したといわれている。 不動明王像は、現在は金乗院の不動堂に祀られている。
⑤根性院・・・・・・・・ 金乗院(こんじょういん)のそばに根性院(こんじょういん)あり。 またまた、ややっこしい話だ。、、、、、金乗院(高田2-12)から東に約100mの距離に根性院(高田1-34)がある。 しかも共に真言宗豊山派の寺院。 両寺とも、意地の張り合いで名を変えぬのか? それとも、根性を試す根競べか? まぎらわしいね!、、、、根性院は、春日局の猶子榮春法印が開山となり、寛永12年(1636)に徳川幕府西の丸祈願所として神田白壁町に建立した。 その後、数回移転し、明治36年(1903)に現在地へ移転した。
⑥宿坂・・・・・・・・ 宿坂 (しゅくざか)は、目白不動の金乗院前から上る、高田1丁目と高田2丁目の間の坂で、旧鎌倉街道の一部でもある。 この坂も、急な勾配で北に向かって上り、目白通りの高田一丁目交差点に出る。 交差点の先は、雑司ヶ谷の鬼子母神表参道に続く。、、、、坂の名は、中世の頃「宿坂の関」と呼ばれる関所が設けられていたことにちなむそうだ。、、、、、この坂も年寄りには辛い、私も、息はハアハア、ゼイゼイ、足はフラフラ。 若い二人は手をつないでニコニコ、いいな~~。
⑦けやき並木・・・・・・・・ 目白通りから表参道を歩き、都電鬼子母神前停留場へ出る。、、、、只今、都電軌道下に地下の道路トンネルを工事中の為、仮の停留場。
・・・・・・・・・・ 停留場の先に、けやき並木の参道が見える
・・・・・・・・・・ 参道の途中に、複数の店が入っている木造の長屋が見える。 外部は改装し、シャレた造りだ!、、、、、、写真:右端奥に写っている木造アパートは、手塚治虫があの有名なトキワ荘(豊島区椎名町)を出た後の、昭和29年(1954)10月から移り住んだ並木ハウスである。 現在もアパートとして使われている。
・・・・・・・・・・ 参道の雰囲気をのこす並木
⑧鬼子母神堂・・・・・・・・ けやき並木を抜けると鬼子母神堂の前に出る。 鬼子母神堂は、法明寺(南池袋3)の境外仏堂。 堂は、永禄4年(1561)に現:清土鬼子母神堂(現:文京区目白台)で発掘した鬼子母神像を、稲荷社のあった現在地に村民が天正6年(1576)に堂を建立した。 その後、寛文4年(1664)、松平安藝守光晟の寄進により本堂が建立された。、、、、、近年は、昭和51年(1976)から3年間をかけ、江戸時代の姿に戻す解体復元の大修理が行われた。、、、、、堂では、ススキで作ったみみずくも売られている。
⑨池袋駅・・・・・・・・ いつも人の多い駅で、私にはどうもなじみにくい駅である。