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2018年5月

2018年5月30日 (水)

法真寺

本日は3軒の医者通い。 9時から上野の病院で泌尿器科に受診し、帰宅するや浅草橋の整形外科へ腰痛のリハビリに、昼食済ますと本郷の医院で胆石のエコー検査。 通う病気はどれもこれも高齢者の証となるような病気である。、、、、、医者も薬局のように、ポイントカードを発行して、10000ポイント貯まると夫婦で熱海旅行ご招待、20000ポイントで霊柩車の割引サービス、50000ポイントで葬式一切無料サービスなど、特典をつけて欲しいね。 バッチリ、貯められそうだ!
、、、、ところで、午後に行った医者は東大赤門前の内科だが、法真寺の参道に面しているので、チョイト帰りにお寺に寄ってきたので、ご紹介。



東大赤門・・・・・・・ 東大の正門と言えば「赤門」。 ブ~~ゥ、間違い、東大の正門は「正門 」? 「赤門」とは別に「正門」がチャントある。 でも、正門と間違えるくらい有名な赤門。 ご存じ、旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門で、1827年に第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女:溶姫を迎える際に造られたものである。 切妻造の薬医門で、左右に唐破風造の番所を置いている。 国の重要文化財。
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参道・・・・・・・ 赤門の真正面に、法真寺の参道がある。 右手には石柱がたち、すぐ判る。 正面には本堂の屋根も見える。
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法真寺・・・・・・・・・ 寺は、和順山歓喜院法真寺といい、慶長元年(1596)に京都知恩院より、寺号を附与された浄土宗の寺院。 家康公御台所の天野図書が、同家下屋敷を寄進し、寺の開基となり創建した。、、、、、明治の文人「樋口一葉」ゆかりの寺。 樋口家は明治9年(1876)にこの法真寺の隣に居を移し、一葉は9歳までの5年間住んだそうだ。 この時代が樋口家では最も安定した時であった。 一葉の作品「ゆく雲」に登場する「腰ごろもの観音さま」も法真寺に現存している。、、、、寺では、200年来の本堂の改修工事を行い、最近完了した。 樋口一葉を意識してか、境内は全体的にモダンな雰囲気で造られている。

・・・・・・・・・・ 本堂正面
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・・・・・・・・・・ 本尊は荘厳に輝く阿弥陀如来坐像
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・・・・・・・・・・ 窓には大正ロマンの雰囲気(?)を醸し出すステンドグラス
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・・・・・・・・・・ 本堂横に山門か?
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・・・・・・・・・・ 一葉が「ゆく雲」の中で書いている「腰衣観世音菩薩
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・・・・・・・・・・ 一葉塚もある
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・・・・・・・・・・ 赤レンガで外装されたモダンな霊園管理事務所「桜木の宿」、、、、、後に一葉が少女時代を日記で回想する時、当時の家を「桜木の宿」と呼んだ。
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●・・・・・・・・・・ 雨が降ってきた! コリャ大変! 急ぎ帰ることに・・・・・・

2018年5月29日 (火)

荻窪~下井草

JR中央線荻窪駅から北上して西武新宿線下井草駅まで、1万歩の裏道散歩です。 



荻窪駅 ・・・・・・・・ 荻窪駅は明治24年(1891)12月21日、甲武鉄道の駅として開業。 2面4線の地上駅で、八王子側の西口は橋上駅舎となっている。 新宿側は地下駅舎となっており、改札は地下通路にあり、地下通路から南口・北口に出る構造。、、、、、今日の散歩のスタートは北口である。
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ことぶき通り商店街・・・・・・・・ 荻窪駅前の青梅街道に商店街の入り口がある。 「なないろこみち」と命名されたゲートにチョイト気を引かれた。 英語でいえば「レインボー・ロード」、何となく大きな賑わいのある商店街というイメージだが、「なないろこみち」と言われると、何となくビル裏に呑み屋が並ぶチョイト寂しげな小路をイメージ。、、、、、とにかく、歩いてみよう!
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・・・・・・・・・・ 地元密着型の雰囲気で、全長170m程のこじんまりとした商店街だった
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天沼八幡神社・・・・・・・・・ 杉並区天沼2に鎮座する八幡さま。 天沼八幡神社は、応神天皇を祭神とする神社。 神社は、旧天沼村字中谷戸の鎮守社として天正年間(1573~1591)に創建。 主祭神は応神天皇(誉田別命)。、、、、、現社殿は、昭和52年(1977)に鉄筋コンクリート造にて改築した。
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天沼2丁目・・・・・・・・ 天沼(あまぬま)2丁目の裏道は、静かな住宅地を巡る道である。 けして高級住宅地とは思えないが、小柄で落ち着いた戦後の建物が多く、住み心地のよさそうな町である。
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・・・・・・・・・・ 天沼2丁目北側のバス通りを境に、「本天沼」の町に入る。 バス通りは「天沼協和会」という商店街。、、、、、“バス通り”と書いていたら、60年程前のNHKのテレビドラマ「バス通り裏」を思い出した。 平日の19時過ぎに放送されていた15分の帯ドラマで、現在の朝ドラに似た、夕ドラであった。 ストーリはよく覚えていないが、主題歌は覚えているし、歌えるぞ! ♪♪ 小さな庭をまんなかに おとなりの窓 家の窓 いっしょに開く窓ならば ヤー こんにちはと手を振って こんなせまいバス通り裏にも ぼくらの心が かよいあう ♪♪ 十朱幸代、岩下志麻、佐藤英夫、田中邦衛などが出演していた、覚えているかな?、、、、、天沼の町は、「バス通り裏」の町だったかも?
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本天沼稲荷神社・・・・・・・・ 本天沼稲荷神社は、杉並区本天沼2にある神社。 創建年代は不詳。 近くの蓮華寺に残る過去帳の記録などから、1600年前後に創建されたと推定されている。、、、、現本殿は山王日枝神社(現:港区赤坂)の内殿を移築したもの、拝殿は平成15年(2003)に新たに造営したものである。
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蓮華寺・・・・・・・・ 本天沼稲荷神社から東へ約250m歩くと、真言宗室生寺派に属する天沼山蓮華寺がある。(この寺には、昨年9月に訪れている)、、、、、、開創は室町時代らしい。 昭和37年(1962)に建立された本堂には不動明王坐像と昭和19年に出羽湯殿山から請来した不動明王立像が安置されている。、、、、、寺は草木が茂り、田舎の素朴な寺を感じさせる雰囲気だ。 写真は、山門、本堂、弁財天堂
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・・・・・・・・・・ 旧本堂は杉並第五小学校の前身である桃野尋常高等小学校の分教場に使用されていたそうで、現本堂前にその記念の石碑がある。、、、、ところで、昔の校名は「桃野」、いい名だ。 今の校名は「杉並第五」、味気ない、色気ない、つまらない名だ。
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旧早稲田通り・・・・・・・・ 旧早稲田通りに沿って歩き、下井草駅へ向かう

・・・・・・・・・・ 早稲田通りの本天沼二丁目交差点に出た。 ここから、旧早稲田通りが分岐して北上し、下井草駅前を抜け、西東京市保谷方面へ伸びている。
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・・・・・・・・・・ 下井草2丁目の民家の角に祀られた地蔵堂。 謂れ・由緒不明。
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・・・・・・・・・・ 妙正寺川に架かる松下橋。 その北詰に発見! 今は珍しいハト小屋があった。 しかも、多くのハトが居る、居る、居る。、、、、、今どき珍しい、伝書鳩か? 100羽以上いそうだ!
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⑧下井草駅・・・・・・・・・ 西武新宿線の駅で、昭和2年(1927)4月16日に開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅、現橋上駅舎は平成19年(2007)に完成した。
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2018年5月27日 (日)

瑞江~小岩

都営新宿線瑞江駅から北上して総武線小岩駅まで、熱中症に注意しながら、1万1千歩の散歩です。



瑞江駅・・・・・・・・ 昭和61年(1986)9月14日、新宿線船堀~篠崎間の延伸時に同時開業した瑞江(みずえ)駅。 島式ホーム1面2線の地下駅で、駅直上の駅ビルに出入口がある。、、、、、今日は日曜日、みんなまだ“寝て曜日”、電車も空いている。
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瑞江の町・・・・・・・・・ 明治にできた「瑞穂村」と「一之江村」が、大正時代に入って合併し、双方の村名から一字づつ採って拵えたのが「瑞江」の始まり。「瑞穂」とは「瑞々しい稲穂」で、穫れたてほやほやの稲穂を神に捧げるところから、目出度い言葉として、特に地名に用いられた。 戦後になるまでは、田畑の広がる農村だったらしい。 戦後は農地改良され、さらに、地下鉄が開通し急速に都市化された町。、、、、、駅周辺には歴史的な遺構・神社仏閣など、ないようだ。 また、所々には畑・ビニールハウスが点在する、農村の名残!、、、、、見るべき物なし! スタコラ・サッサと先を急ぐ。
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春江町・・・・・・・・ 瑞江から京葉道路の北側、春江町に入る。、、、、、この町も瑞江の続きで雰囲気も似た町である

・・・・・・・・・・ なぜか住所は「瑞江」にある、昭和7年(1932)創立の「春江小学校」。 平成27年(2015)に完成した現在の新校舎
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・・・・・・・・・・ 小学校の近くの天祖神社では、境内で町内会が主催する「もちつき大会」の準備中。 本日12時に餅を配るそうだ、この暑さの中、くれぐれも身体に注意して餅つきしてね!
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・・・・・・・・・・ 京葉道路を越え、春江町2丁目から1丁目に入る
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春江町住宅・・・・・・・・ 京葉道路の北側に、この辺りでは大きな建物である東京都住宅供給公社の「春江町住宅」が見える。 昭和47年(1972)から翌年にかけ完成した、地上11階建ての建物3棟からなる住宅は、総戸数398戸の団地。
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・・・・・・・・・・ チョイト10階からの展望をパチリ! 遠く市川市を眺める、抜群の眺望。、、、、、ここに、観光地にある3分100円の望遠鏡を据えたら、儲かるかも?
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鹿骨~小岩駅・・・・・・・・・ 春江町から鹿骨(ししぼね)の町に入る、ここからは、昨年5月に歩いたルートとほぼ同じ処を歩いたので、写真だけ載せる。、、、、、散歩の前に過去のルートなどを調べて歩いているわけではないが、同じ人間が同じ処を歩くと、不思議と歩くルートも同じになるようだ。 犬のように電柱に小便を掛けながら散歩してるわけではないのだが?!
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2018年5月25日 (金)

東松戸~松戸

北総線東松戸駅から畑と住宅の中をJR松戸駅までの散歩です。 1万3千歩。



東松戸駅・・・・・・・・ 平成3年(1991)3月31日、北総開発鉄道の駅として開業した。 JR武蔵野線を跨いで、地上17mの高さにある島式ホーム2面4線の高架駅。、、、、、松戸市内にある20の鉄道駅で、駅名に“松戸”とつく駅が5駅ある。 全部、言えたら“松戸”通だろう。 正解は、松戸、北松戸、新松戸、東松戸、松戸新田。、、、、、東松戸駅は、松戸駅から東南方向に直線で4km程の処にあり、北総線により目覚めた町。

・・・・・・・・・・ 都営、京成、北総の各車両が乗り入れている
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・・・・・・・・・・ 北総線側の出入口・改札口
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・・・・・・・・・・ JR側の出入口
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・・・・・・・・・・ 北総線ホームから見るJR武蔵野線
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真隆寺・・・・・・・・ 東松戸駅前から、北東方向に裏道を500m程歩き、紙敷の町に入ると、、赤っぽい山門が見えた。 どうやら、最近造った山門のようだ。 もともとは真言宗の寺で、鎌倉時代に日蓮宗の改宗したらしい。 チョイト手を合わせて行くことにした。 
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③古民家「旧斎藤邸」・・・・・・・・ 真隆寺の先で、電柱に『国登録有形文化財 旧斎藤邸』の道案内が目にとまる。 案内に従い細い道を進み旧斎藤邸に行ってみた。 アリャ、門が閉まっている! 貼り紙を見ると開門は10時から、只今9時、開くまで1時間は待ってられないので拝観はあきらめた。 旧民家らしく周囲は樹木で囲まれ、家の姿はまるっきり見えない。、、、、、と、云うことで、文化財の写真は無し! 残念、観たかった!
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のどかな風景・・・・・・・・・ 松戸市紙敷の田園。 流れる川は国分川
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本法寺・・・・・・・・ 畦道を歩き、国分川を越えて、紙敷から松戸市和名ケ谷にはいると、高台の上に寺の屋根が見える。 行ってみよう!、、、、、、寺は山号を頂昌山、寺号を本法寺という。 市川市真間山弘法寺を本山とし、池上本門寺を大本山として、山梨県身延山久遠寺を総本山とする、日蓮宗の寺である。 “本山”の多い寺だ!、、、、、本法寺は大同2年(807)、弘法大師により創設された。 その後、年代は不明だが後に真言宗から天台宗に改宗。 建治3年(1277)には、天台宗から日蓮宗に改宗した。 “×2”の寺。、、、、、山門、本堂などは、昭和57年(1982)に整備された建物である。、、、、、檀家の多そうな寺だ!
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・・・・・・・・・・ 境内から見る景色
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日枝神社・・・・・・・・ 本法寺の北西300m程の処に、下総国分寺の分社として祀られ、隣郷十数カ村の総社である日枝神社がある。 由緒・沿革については、江戸時代に文書が焼失し、その詳細は不明。 しかし、豊臣秀吉(1537~1598)より朱印状を賜った記録が残っており、さらに、徳川幕府代々の将軍より社領五石の朱印状を賜る格式の高い神社であるとのこと。、、、、、私は見たことがないが、江戸時代初期より始まった三匹獅子舞(松戸市無形文化財)は有名らしい。 ホントか(?)
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新東京病院・・・・・・・・・ 松戸にあって新東京病院とは是如何に? 浦安にあって東京デズニ-ランドと云うが如し。、、、、、日枝神社の西隣の高台の上にたつ、18の診療科を有する近代的な総合病院。 常勤医師が97名いるそうだ。、、、、、チョイト、入院したくなる病院?
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松戸の台所・・・・・・・・ 松戸市松戸新田にある、広さは東京ドーム1個分の松戸南部市場の中を通り抜けてきた。 野菜や果物から魚、肉、花まで様々な品物を取り扱っており、地元千葉県東葛地区をはじめ、隣接する江戸川・葛飾・足立の江東3区および埼玉の一部を主要商圏とする約500万人を賄う台所の役割を担っている。、、、、地元の若い主婦も買い物に来るそうだ。 今日は厄日か、年寄りばかり。
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・・・・・・・・・・ 台所の隣りはURの野菊野団地。 昭和50年(1975)に完成した、総戸数:約750戸の賃貸住宅。、、、、この団地のウリは、“一般入場可能な松戸南部市場に程近く、豊かな食生活を予感させる団地”とのこと。
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松戸駅・・・・・・・・ JR常磐線と新京成線が乗り入れている、常磐線の主要駅の一つ。 明治29年(1896)12月25日に日本鉄道の駅として開業した。 出口は西口と東口があり、西口はロータリーもありイッチョマエの駅である。 東口はチョイトせせこましく、雑然とした駅前で、どうも落ち着かない雰囲気だ。、、、、、今日、私のお帰りは東口から
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2018年5月22日 (火)

こてはし団地~八千代台

稲毛へ行った帰り、チョイト散歩してきた。 JR稲毛駅から、バスで「こてはし団地」まで行き、京成八千代台駅まで小鳥のさえずりを聴きながら田園風景を堪能してきた。 約2時間の散歩。



稲毛駅前で・・・・・・・・ JR稲毛駅は東西の出入口とも駅前ロータリーがあり、路線バスが多発している。 東口は内陸側に向かうバス、西口は稲毛海岸方面に向かうバスが発着する。、、、、、今日は東口のバス案内板を見て、一番遠くまで行きそうな路線:「こてはし団地」行(オレンジ色のライン)に乗ってみた。
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・・・・・・・・・・ 「こてはし台団地」とは、千葉市花見川区の東部にある、千葉県住宅供給公社が分譲した戸建て住宅の団地。 10ヶ町以上に及ぶ団地らしい、その中心は「こてはし台」という町らしい、こてはし台は1丁目から6丁目まである。 団地の中心部は5丁目のスーパーがある処らしい。(帰宅してから調べたので、多少?)、、、、、バス停は“こてはし団地”、団地名は“こてはし台団地”。、、、、、“こてはし”とは、昔の村名「犢橋村」(こてはしむら)から借用したらしい。 難しい字だ!



こてはし団地バス停・・・・・・・ バスは団地に入って行く、まずは「こてはし団地入口」、続いて「こてはし第一」、第二、第三と、「こてはし第六」まで続き、最後が終点「こてはし団地」。 どこで降りるか考える知識・余裕もなく、終点はきっと団地の中心部と思い込んでいた自分は、否が応でも終点で降りる運命になった。、、、、始点の稲毛駅から終点まで500円、オヤオヤ、高い~! でも、降りたのは自分一人、コリャ、安いのかも?
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・・・・・・・・・・ 寂しい終点の「こてはし団地」バス停、店は一軒もない、あるのはバスの駐車場だけ、ナンジャ、ココはドコジャ!、、、、、想像していた団地中央の商店街なんて、どこにも見えない!
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団地を歩く・・・・・・・・ バス停から、右に、左に、どっちに行ったらいいの? 聞く人がいない、カワイ~~イ娘もいない! 『仕様がない、生姜は乾物屋で売っているよ』、駄洒落を言う余裕はある。 ここで、伝家の宝刀タブレットを出して地図を見ると、『ナント云うことだ!』! 自分がいる処は、こてはし台団地の北の端、道も行き止まりの処であった。 住所は千葉市花見川区横戸台(住所が判っても来たことない地、何の役にもたたん。) 地図をみると京成本線の八千代台駅が一番近そうだが、ココから4km以上ある。 覚悟を決め、歩くことにした。

・・・・・・・・・・ 歩けど、歩けど、小奇麗な住宅は並んでいるが、コンビニがない、店がない、人に会わない、現代のゴーストタウンだ!

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田舎道・・・・・・・・・ 団地から抜けたようで、住宅は見えなくなって、木立・畑が左右に広がる。 ウグイスも鳴いている。 山間に入った気分。 道端の地蔵さま、庚申塔も癒してくれてるようだ。 いいね!
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・・・・・・・・・・ 途中で、印旛沼流域13市町村の生活排水や工場排水の下水道処理を担う、中継ポンプ場の一つ円筒形の「柏井ポンプ場」の前を通る。 下水は、ここからさらに千葉市美浜区の「花見川終末処理場」に送られる。
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花見川に架かる柏井橋・・・・・・・・ 只今、柏井橋は架け替え工事中。 仮設の橋を渡り、印旛沼から流れ東京湾に注ぐ花見川をこえる。、、、、、この辺りは渓谷のように深いので、水質が綺麗ならキャンプなどできそうだ。
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柏井町を歩く・・・・・・・・ 柏井橋を渡り、ひたすら八千代台駅に向かいあるく。、、、、道筋には大きな農家が点在。、、、、、オヤ、里山の雰囲気が、遠くに花見川団地の高層棟が見えた。、、、、、道端の庚申塔はいつの時代のものか、道標も兼ねていた。、、、、、花見川公民館前を通過。
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八千代台駅・・・・・・・ 八千代台駅前のメインストリートを歩く。 我が町:浅草橋よりお店は多いようだ。 カラオケ、ボーリング場、レストランビル、ドトールもある、TSUTAYAもある、負けたか!
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・・・・・・・・・・ 京成本線の八千代台駅に到着。、、、、、、八千代台駅は昭和31年(1956)3月20日に開業した。 駅は島式ホーム2面4線を有する地上駅。 橋上駅舎である。 開業当時は駅周辺は草茫々の原野だったそうだ。 1日平均乗降人員は約47,000人である。
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2018年5月21日 (月)

野方

JR中野駅から、私が眼科で世話になっている東京警察病院前をとおり、その北側に広がる「野方」の町をぶらつき野方駅までの散歩です。 9千歩。



中野駅 ・・・・・・・・ 明治22年(1889)4月11日、甲武鉄道(新宿~立川)の開通と同時に開業した老舗の駅。、、、、、今朝は何かあったのか?それとも、日常的な混雑なのか? 中央線快速下りで降車した人が改札へ向かう階段で足止めされ、ホームは人であふれていた。 また、中野から乗車する人は、改札前で入場規制され、こちらもあふれていた。 野次馬根性で、何かあったのか聞きたくなったが、周囲の人は騒がず黙々と流れに乗って歩いていた。 私も、ジッとこられ流れに身を任せて改札を出た。 結局、日常的な混雑のようだ。、、、、、中野駅の改良工事が急務であることを、身をもって体験できた。
 
・・・・・・・・・・ 中央・総武緩行線ホームはガラガラ
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・・・・・・・・・・ 中央快速線上りホーム(手前)はボチボチ
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・・・・・・・・・・ 中央快速線下りホーム(手前から2つ目)はアリャ・コリャ・ナンジャ!
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・・・・・・・・・・ 中野駅からの乗客は、改札前で入場規制。 イライラ・セカセカ・遅れちゃう~~
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野方署前の地蔵尊・・・・・・・ 私の美しい瞳を診てくれる東京警察病院 の東隣りに野方警察署がある。 昭和11年(1936)野方署として独立し、昭和61年(1986)には3代目の現庁舎(4階建て)が竣工した。
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・・・・・・・・・・ 野方署前の早稲田通りを挟んで向かいの角(中野区野方1)に地蔵尊が祀られている。、、、、、地蔵尊は、子育地蔵として地元の人が花を添えているようだ。 寛保元年(1741)の建立。 横に「沼袋村新橋念沸講中」と書かれているので、この地は、昔、沼袋村であったかも。
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妻戀神社・・・・・・・・ 警察病院前に鎮座するのは妻戀神社(野方1)。 湯島にも妻戀神社があったが、関係あるのか?、、、、、湯島の「妻戀神社」 から、分霊を勧請したのが始まりと言われているそうだ。 祭神は、日本古代史の英雄である日本武尊(やまとたけるのみこと)、その妃である弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)、穀物・食物の神である倉稲魂命(うかのみたまのかみ)の三神。 創建の年代は不明だが、江戸中期には既にこの地にあったと言われている。、、、、、チョイト、病院前で思い出した都都逸、『たった一度の 注射が効いて こうも会いたく なるものか』、『戀という字を 分解すれば 糸し糸しと 言う心』
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野方一丁目の地蔵尊・・・・・・・・ 警察病院前の裏道を北の方向に歩いていくと、道の角(野方1)に2基の小さな地蔵さんが祀られていた。 向かい側には、「劇作家 田中千禾夫・澄江 旧居跡」の碑がある。、、、、、地蔵さんの謂れは判らないが、地蔵さんのあるこの地には田中千禾夫・澄江の両劇作家夫妻の長男:田中聖夫と奥さん:三田恭子がつくった「嫁菜の花美術館」があったそうだ。 美術館は昭和63年(1988)に閉館。、、、、おはずかしいが、田中千禾夫・澄江の両劇作家の作品を私はよく知らないので、これ以上書かないことにする。
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南向地蔵・・・・・・・・・ 田中千禾夫旧居跡前の裏道を道なりに進み、野方2丁目に入る。 この付近は道も真直ぐではなく、入り組んでいる、自分の現在位置はサッパリ判らん状態。 道に迷ったら先住民に聞けばいいと開き直るが、そもそも行先定めない散歩で迷うはずがない!
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・・・・・・・・・・ さほど大きくない「野方第二公園」の前に南向地蔵か祀られている。、、、、、祠の中には、右側に子育て地蔵、左に庚申塔が祀られている。 この二基の石仏は、以前あった場所の周囲の交通が激しくなり、現在地に移転したそうだ。、、、、、庚申塔には、「貞享四丁卯天十月善日」(1687、江戸時代)の日付が彫られている。
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妙正寺川・・・・・・・・・ 妙正寺川を新橋でこえ、野方2丁目から野方3丁目に入る。、、、、川は透明度も高く、水質は良いようだ、しかし川底にゴミが見えるのは良くないね。
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東京アートスクール・・・・・・・・ 新橋を渡り、道なりに北に向かうと右側(沼袋4)に花と緑の豊かな専門学校が見えた。 その看板には「スターを育てる 東京アートスクール 宝塚・OSK・ミュージカルの世界で出身者活躍中」と、記されている。 宝塚出身者が先生となり、宝塚受験の予備校である。 私も入学してみたいが、助平親爺として願書も受け取ってもらえないだろうね。
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三点セット!・・・・・・・・・・野方3丁目の東端に位置する二俣に、庚申塔地蔵尊二十三夜碑の三点セットで構成された祠がある。、、、、、庚申塔は享保21年(1756)と彫られ、台座は道標となっている。 地蔵尊は延享元年(1744)に建立されたもの。 二十三夜碑は昭和2年(1927)の建立である。
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唐破風笠付庚申塔・・・・・・・ 願掛け地蔵のある二股の東側(野方3丁目と沼袋3丁目の境)を行くと、西武新宿線の踏切りがある。 ここで、新宿線をパチリ!
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・・・・・・・・・・ 踏切の先50m程の角に、唐破風の笠が付いた庚申塔がある。 三猿の上に邪鬼を踏みつける青面金剛像が彫られた庚申塔で、「是時元文五年」(1740)の建立。 台座には、道標として、「右 中村みち、左 中野道」。、、、、やたら、庚申塔、地蔵などの多い野方の道だ。
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・・・・・・・・・・ 野方駅に向かう
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野方駅・・・・・・・・ 昭和2年(1927)4月16日に開業した、西武新宿線の駅。 島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。 
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・・・・・・・・・・ 環七通り(都道318号)が、ホームの下をアンダーパスで直交する珍しい駅。 ホームから撮影。
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2018年5月19日 (土)

西馬込~洗足池

朝食時は曇り、家を出ると雨粒が落ちてきた。 地下鉄浅草線に乗り、『何処で降りようか? 何処へ行こうか? 雨は止んだか?』、考え迷い悶々と、とうとう終点の西馬込まで来てしまった。 こうなりゃ足の向くまま気の向くままに歩き、着いた処は池上線洗足池駅。 1万歩の散歩です。



西馬込駅
・・・・・・・ 昭和43年(1968)11月15日に、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業した、相対式2面2線の終着駅だが車止めは無い。 駅の先、500m程にある車両基地へ線路は続く。、、、、、今日は週末、通勤客は少なく、ホームも電車もガラガラ。、、、、、地上に出たら、雨は降っていない。 ヨシ、歩くぞ!
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馬込給水塔・・・・・・・・・・馬込駅から西へ500m程歩くと、住宅街の中の高台に2基のドーム型屋根の給水塔が見える。 多摩川浄水場、長沢浄水場より水を引き、 大田区・品川区に配水している。 2基のうち南側、白いドーム屋根が第一給水塔で、昭和26年(1951)に完成。 北側、黒いドーム屋根の第二給水塔は、昭和29年(1954)に完成した。 2基とも、鉄筋コンクリート造り、高さ:28m、直径:32m、容量:9,000m3。、、、、戦後生まれのどっしりと構えた給水塔で安定感がある。
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六郎坂・・・・・・・・ 大田区仲池上一丁目10番と13番の間を北へ上る坂道。 六郎坂(ろくろうざか)の名は、江戸時代後期、池上村のために尽くした海老沢六郎左衛門の屋敷が坂に沿ってあったことに由来する。、、、、、坂の上は海抜20m程で、見晴らしは良いね!
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林昌寺・・・・・・・・ 仲池上1丁目にある、日蓮宗の寺院。 山号は長松山。 旧本山は池上本門寺。 開創は文亀3年(1503)といわれ、500年の歴史を誇る古刹。 本堂は昭和32年(1957)に再建されたが、山門は震災・戦災を免れ明治35年(1902)の建設。、、、、、山門まわりの緑に招かれチョイト手を合わせていたら、住職が出てこられ隣の子安八幡神社の別当であったことなど寺の歴史をチョイトお話いただいた。
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子安八幡神社・・・・・・・ 林昌寺に隣接する子安八幡神社は、鶴岡八幡宮の分霊を勧請して康元元年(1256)に創建、池上本門寺の伽藍造立に際して天正9年(1581)当地へ遷座した。、、、、天保14年(1843)造の旧社殿は大正14年(1925)7月30日に惜しくも焼失し、昭和2年(1927)9月に鉄筋コンクリート造の現社殿が再建された。、、、、神社は林昌寺とともに、小高い台地の突端にあり、参道は急な石段である。 足踏み外し、階段を転げ、運悪くポックリ、隣りの寺で「南妙法蓮華経」、と云うことのないように注意!
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・・・・・・・・・・ 境内から眺める北西(大田区雪谷)方向
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上池台の町・・・・・・・ 子安八幡神社から下ると、目の前に新幹線が走る。 ここは仲池上1丁目、線路の向こうは上池台5丁目
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・・・・・・・・・・ 人通りの少ない町(上池台3)? 今日は週末だからか? 
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・・・・・・・・・・ 揃いの街路灯、商店街か? 活気なし。 (上池台3)
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・・・・・・・・・・ 洗足池駅に近づくと、こちは本物の商店街「洗足池 ファミリーロード」が駅まで続く。 (上池台2)
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東京で一番低い桁高(?)のガード・・・・・・・・・ 洗足池駅前の中原街道を五反田方向に50m程歩くとモスバーガーがある。 その横を見ると、線路下に通り抜けられそうな砂利道がある。 ただし桁下1.3m程のガードで、頭をかなり下げて歩かないと枕木にぶつかる高さ。 奥の階段を上がると住宅地。、、、、電車が通過する時、ガード下に入るのはチョイト怖いね!
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洗足池駅・・・・・・・・ 昭和2年(1927)8月28日、池上電気鉄道洗足池駅として開業した。 ホームは高架相対式2面2線構造で、駅の規模は小さく、ホーム上屋は木造、高架下通路は狭く、昭和の匂いプンプンの駅だ!、、、、、駅前には中原街道を挟み、ボート遊びのできる洗足池がある。
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長~い腰掛け・・・・・・・・・帰りは洗足池駅から池上線に乗ったので、チョックラ途中の旗の台駅 で降りた。 目的は、旗の台駅池上線ホームに残る、木製の長い腰掛けを写真に収めておくため。、、、、、かつては待合室でよく見かけた、10人以上が座れる、あの長い腰掛けが残っている。 座りやすく絶妙なカーブで作られている椅子は、多くの人の尻の温もりを吸収して黒光りしている。 重要文化財として保存してもらいたいね!
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2018年5月17日 (木)

町屋1丁目

荒川区役所前でバスを降り、区役所の北側 「荒川2丁目」と、町屋斎場の北側 「町屋1丁目」を中心にブラリブラリと散歩をしてきた。 帰りは京成町屋駅から帰宅。 9千歩。



荒川区役所・・・・・・・「荒川区役所前」バス停で降りる。 三河島カトリック教会 の建物の前だが、今日は教会に寄らず、明治通りを横断し区役所の建物に向かう。
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・・・・・・・・・・ 昭和43年(1968)に建てられた地上7階/地下1階建ての荒川区役所本庁舎がある。 大成建設の設計・施工。 平成23年(2011)に耐震補強工事も終えた。、、、、、建物正面は明治通り側に向き、今の時期はツツジが彩を添えている。
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「皇太子殿下御降誕記念」国旗掲揚塔・・・・・・・・「荒川二丁目」停留所近くの、交番(現:荒川区峡田安全安心ステーション)脇に残る、昭和10年(1935)に建立された「皇太子殿下御降誕記念」のアールデコ風国旗掲揚塔。 「皇太子」とは今上天皇のことで、今上天皇が誕生したのは昭和8年12月23日である。 昭和8年は日本が国際連盟を脱退した年でもある。 地元商工会結成10周年記念に建てた、当時は国民の祝賀ムードも最高潮となったのであろう。
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都電荒川線・・・・・・・・「荒川二丁目」停留場付近にて、、、、、線路の両側にはバラの花が綺麗に咲いている
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●・・・・・・・・・・ 都電荒川七丁目停留場から北へ200m程、京成本線高架橋をくぐるとスグ前が町屋斎場。
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町屋斎場・・・・・・・・・ 町屋斎場(荒川区町屋1)は民営の火葬場・斎場。 平成6年(1994)に斎場棟や休憩室も含め全面改築された近代的な斎場である。、、、、、もう50年程前になるが、我が祖父母の火葬の時は、当時は寺社建築の様式を反映した木造の建物であった。 待合室の屋根越しに、焼いている白い煙が煙突から出るのが見え、その光景は強烈な印象となり残っている。、、、、、ここは史跡でもあり、『 町屋火葬場は江戸五三昧の歴史を伝える。江戸五三昧とは、千駄木(駒込)・桐ヶ谷(荏原)・渋谷(代々幡)・炮烙新田(葛西)・小塚原(千住)にあった火葬場をいう。小塚原の火葬場は寛文九年(1669)に下谷・浅草あたりの各寺院から移されたもので、火葬寺・火屋などともよばれた。明治二十年、周辺の市街化により廃止、二年後に町屋に移転した。一方、火葬場の増設許可が下り、同二十年、東京博善社が日暮里火葬場を新設。その後、同火葬場は町屋火葬場の隣地に移ることになり、同三十七年の移転とともに、町屋火葬場と合併した。』と標されている。
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町屋1丁目の町・・・・・・・・ 町屋斎場の北側に広がる町。 町中の道路は整理されておらず迷路状態。 住宅兼工場の町工場が多い町。 「朝鮮会館」なる建物もあり朝鮮系の人も居るようだ。 韓国系の人も居るだろう。 高齢者も多そう、デイサービスの送迎車が行ったり来たり。
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町屋の一本松跡・・・・・・・・・ 公園「一本松グリーンスポット」(町屋1-9)の一角に、「町屋の一本松」の跡がある。 「一本松」は第二次世界大戦によって枯れてしまい、現在は二代目の松が跡を継いでいる。 町屋の一本松は、元禄6年(1693)に町屋村と三河島村との境に植えられたそうだ。 一本松の根元には、寛文8年(1668)9月吉日銘の庚申塔が残されている。、、、、今の町の姿からは想像しにくいが、この辺りは江戸の町からはずれた農村だったであろう。
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京成電鉄 町屋駅 ・・・・・・・・ 町屋1丁目の町を巡り、京成電鉄 町屋駅に着いた。、、、、、昭和6年(1931)12月19日、京成電気軌道(現:京成電鉄)の町屋駅が開業した。 島式ホーム1面2線を有する高架駅である。、、、、都電荒川線の町屋駅前停留場は高架ホームから見下ろすことができる。 東京メトロの町屋駅はチョイトしか見えない!(地下鉄だからね。)、、、、、都電の停留場は大正2年(1913)に稲荷前停留場として開業した。 東京メトロの町屋駅は昭和44年(1969)の開業である。
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2018年5月16日 (水)

竹ノ塚~西新井大師西

東武伊勢崎線竹ノ塚駅から日暮里舎人ライナー西新井大師西駅まで、1万歩の散歩です。



竹ノ塚駅・・・・・・・・ 竹ノ塚駅は伊勢崎線の開通から約半年後の明治33年(1900)3月21日に開業。 伊勢崎線の北千住~北越谷駅間は複々線区間であるが、竹ノ塚駅の付近だけは近くに営団地下鉄検車区(現:東京メトロ千住検車区竹ノ塚分室)および東武鉄道西新井工場(現:廃止)といった車両基地があり、高架化されず地上線のままであった。 その為、駅南北の踏切は「開かずの踏切」となっていた。 平成17年(2005)に駅南側の踏切で死傷事故が発生したのを切っ掛けとして、連続立体交差事業(高架化)が開始された。 現在、2022年3月の事業完成を目標に工事が進められている。、、、、、完成まで、まだまだ!


・・・・・・・・・・ 竹ノ塚に停車する緩行線は、上下線ともまだ地上ホームに停まる。
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・・・・・・・・・・ 優等列車の走る下り線は高架化された
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・・・・・・・・・・ 駅改札はホーム下の地下である。 東口駅ビルは店舗の営業を終了している。
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第十四中学校・・・・・・・・・ 駅から西に歩いていると、正面に「足立区立第十四中学校」が見えた。 “第十四”(?)とは地名ではなく、区内の中学校に連番をふった名称だ。 足立区内には区立中学校が40数校(廃校を含む)あり、「伊興中学校」、「千寿桜堤中学校」など、地名を冠した中学校が半数以上ある。 しかし、梅島・西新井・竹ノ塚駅周辺には、第一中学校から第十六中学校まで欠番なしで(内5校は閉校)、連番の中学校が現存する。、、、、お役所仕事の臭いがするチョイト味気ない名だ。 地名なり、地域の特徴を生かした校名に変えられないのかな! 
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洗濯日和・・・・・・・ 気象庁発表、東京の今日は29℃で、今年最高、7月中旬並みの気温。、、、、一斉に洗濯・布団干し
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六万部経塚・・・・・・・・・ 足立区伊興で見つけた石碑。 六万部とは、法華経二十八品を繰り返し6万回にわたり唱える意味で、六万部経塚の名の由来もここにある。 この塚の南東にある寿福山長勝寺の第一世智性院日座聖人が宝永2年(1705)に、万民の平安と幸せを祈願して、小石に題目を書写してここに埋めたと言われている。 右側の古い小さな石碑が宝永2年(1705)の経塚碑。、、、、、6万回経を唱えるのに何日かかったのか? 私ならチョンボするのだが。
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実相院・・・・・・・・ 伊興4丁目には、真言宗豊山派の寶光山実相院横沼寺がある。 実相院は、天平年間行基菩薩による開山といわれている。 西新井薬師総持寺の末寺。 本尊聖観世音菩薩は、古くから子育て観音として信仰をあつめているそうだ。、、、、、母乳の不足に悩むお母さんが、御供米を戴き皆御利益を賜ったそうだ。 乳が出すぎたら、お父さんにも御裾分け。、、、、現本堂は文永年間(1264~1274、鎌倉時代)の建築。
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若宮八幡宮・・・・・・・・ 伊興2丁目にある横沼厨子の鎮守。 祭神は誉田別尊(応神天皇)。 境内に古禄(第六天)神社・天満宮・三峯神社が摂社として祀られている。、、、、、正面の鳥居が低く、長身の人は頭上に注意!
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西新井を歩く・・・・・・・・ マンションが並ぶ道、工業高校前の道、公園の中の道、を歩いて西新井大師西駅に向かう。
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西新井大師西駅・・・・・・・・ 平成20年(2008)3月30日、開業。、、、、、西新井大師 のお参りは当駅で下車し、東に直線距離で約1km。 お年寄りは、お大師さんに到着すると同時に、息切れし天国に直行。 この駅で降りたら後悔すること間違いなし。 確かに駅は、お大師さんの西にあるが、チョイト遠すぎる。 駅名を変更した方がいいね。
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2018年5月15日 (火)

秋山~市川真間

北総線秋山駅から京成本線市川真間駅まで、1万歩の散歩です。 今日の散歩ルートとほぼ同じルートを昨年歩いている。 →→→ コチラ



秋山駅・・・・・・・ 平成3年(1991)3月31日に開業した、相対式ホーム2面2線を有し、掘割による半地下式の駅。 1日平均乗降人員は7,000人程で、大きな駅ではない。、、、、、人影のまばらな駅前、バス停にも並ぶ人はいない。
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北総台地を歩く・・・・・・・ 植え付け前の土づくり、準備完了!   大根か、人参か、ネギか、それとも何か?、何の種を蒔くのか?
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・・・・・・・・・・ 北総線が開通して30年近くになる、住宅が建ち並んできた!
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・・・・・・・・・・ 屋根の間に、遠くスカイツリーが見える。
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厳島神社・・・・・・・ 秋山駅のある松戸市から、市川市に入ると稲越町となる。 ここに主柱を4本の支柱で支える両部鳥居が迎える、厳島神社がある。 神社の創建年代は不明。、、、、、、由緒を知りたい、気になる神社だ!?
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国分高校前を通過・・・・・・・・ 千葉県立国分高等学校前の坂から、遥か遠くにJR市川駅前のタワーマンションが見える!、、、、まだまだ、道半ば!
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国分川調節池緑地・・・・・・・・・ 市川市東国分では、真間川流域の総合治水対策事業の一環として調節池が整備された。 松戸市五香西を水源として市川市の真間川にそそぐ国分川と春木川は洪水対策が求められ、面積約24ヘクタール、貯水量約303,000立方メートルの治水施設がで千葉県により整備された。 そのうち約9.8ヘクタールは市川市で公園として整備された。、、、、、調節池は上池・中池・下池の3ブロックある。 今日は下池の周囲を歩いたが、なにしろ広い! いずれ上池と中池も歩く機会があるだろう。

・・・・・・・・・・ 調節池を挟み、西に国分川、東に春木川が流れる。 どちらも、川幅はさほど広くなく、『こんな川が氾濫するのか?』と言いたくなる。
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・・・・・・・・・・ 氾濫を避けるため、水量が増えると水を一時的に蓄えておく調節池、3箇所ある内の一つ下池。
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・・・・・・・・・・ 国分川の西側では外環道工事中。 まもなく開通かな?
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六所神社・・・・・・・ 市川市須和田のバス通りに面して鎮座する下総国総社。 古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。 これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。 六所神社もそのうちの下総国の総社にあたる。 当時、国司の働き方改革の一つかも?、、、、祀られている祭神も、ズラリ、大己貴尊、伊弉諾尊、素盞嗚尊、大宮売尊、布留之御魂、彦火瓊々杵尊。
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・・・・・・・・・・ 神社の近くには、“街道の蕎麦屋”という感じの素晴らしい雰囲気の店:田中屋がある。 まだ店は開いていなかった、昼には暖簾が下がるようだ。
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国府台女子学院・・・・・・・・・ 真間川を越え、市川真間駅近くに、大きくモダンな校舎で、浄土真宗本願寺派に基づく仏教の教えを重視した小中高一貫女子校:「国府台女子学院」がある。 仏教系の学校だが、コースは普通科と英語科である。 尼さん養成学科などは無いので、お間違いなきように!
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市川真間駅 ・・・・・・・・ 大正3年(1914)8月30日に開業。 島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。、、、、JR市川駅からは400m程北側にある。 今日はチョイト疲れたので、ここから我が家のある浅草橋まで帰ることにする。 京成線は都営浅草線に乗り入れており、運が良ければ、浅草橋まで乗り換えなしの一本で帰ることができるのだが、今日はツイてない、青戸乗換だった!
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2018年5月11日 (金)

東急目黒線 (洗足~田園調布)

先日の東急目黒線 (目黒~洗足)の続き、今日は洗足駅から田園調布駅まで、1万歩の散歩です。



洗足駅・・・・・・・ 今日の散歩は洗足駅から・・・・・・電車は洗足駅に進入する
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・・・・・・・・・・ 改札口にはこれから出勤する人も
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洗足~大岡山間・・・・・・・・ かつての線路敷きに沿い細長く造られたスーパー。、、、、、電車はスーパーの下を走ってる
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・・・・・・・・・・ 目黒線は環七通り「北千束五差路交差点」の下を抜け大岡山駅へ向かう。 写真:手前が環七通り、中央が目黒線線路敷き跡で奥が大岡山方向。
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・・・・・・・・・・ 環七通りを過ぎると、洗足と大岡山両駅の中間と思われる付近で目黒線は地上(掘割)に顔をだす。
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・・・・・・・・・・ 目黒線に乗り入れる都営三田線の6300形車両
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大岡山駅 ・・・・・・・・ 大正12年(1923)3月11日1923、目黒蒲田電鉄線(現:目黒線)の開通と同時に大岡山駅も開業した。 昭和2年(1927)7月6日には、目黒蒲田電鉄大井町線も開業する。 平成9年(1997)に駅は地下化され、方向別ホームとなる。 平成19年(2007)11月3日より、駅直上にツタの絡まる135床の総合病院「東急病院」が移転してきた。 電車の中で気分が悪くなっても、駅の病院なら救急車を呼ぶ必要もないね。、、、、、大岡山駅は大田区北千束にあるが、駅の西側は東京工業大学のキャンパスで目黒区である。 この目黒区側の町名が「大岡山」。 またまた、ややっこしい話!

・・・・・・・・・・ 目黒方面から来ると、尻から入る東急病院(大岡山駅)。、、、、そ~~だ、東急病院には肛門外科があるから、痔も治してくれるかも?
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・・・・・・・・・・ ツタの絡まるステーション&ホスピタル 
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大岡山~奥沢間・・・・・・・・ 大岡山駅を出た目黒線は、南北を東京工業大学 のキャンパスに挟まれて走る。、、、、、東工大は私が入りたかった大学だが、先方が拒否したため断念した。 憧れの大学をチョイト覗いてきた! 
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・・・・・・・・・・ 目黒線と大井町線は、東工大の付近で地下(大岡山駅)から顔を出す。 両サイドの2線が目黒線、中央の2線が大井町線。
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・・・・・・・・・・ 大井町線は目黒線を越えて、自由が丘方面に向かう。
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・・・・・・・・・・ 大井町線緑が丘駅の高架下に東工大ゲートがある。、、、、キャンパス内を歩いてきた私もここから出る。
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・・・・・・・・・・ 緑が丘駅 は東急大井町線の駅
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・・・・・・・・・・ 緑が丘駅から目黒線に戻り、再び線路沿いに歩く。、、、、、東急の車両が来た! 3000形だ! 平成12年(2000)から走った電車だ!
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・・・・・・・・・・ 次に目に入ったのは、今や、見ることが少なくなった線路わきの梯子(ハシゴ)。 竹製ではなくFRP(繊維強化プラスチック)の梯子だった。 昔は竹製で、架線の保守点検に使用されていたが、今は保線車両の設備が向上し線路わきに梯子を用意しておく必要性が少なくなったそうだ。、、、、竹製ではないが、この光景は貴重。
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奥沢駅・・・・・・・・ 目黒線で唯一世田谷区にある駅。 大正12年(1923)3月11日に開業。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を有する地上駅。 ホームの北側には、目黒線の車両基地(元住吉検車区奥沢車庫)がある。   上り・下りホームはそれぞれ独立し、改札もそれぞれ独立している。   (写真:右側は車庫、左側はホーム)
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・・・・・・・・・・ 目黒線に乗り入れてる埼玉高速鉄道の2000系電車に御対面
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・・・・・・・・・・ 日吉方面改札。 目黒方面改札。 そしてホーム
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奥沢~田園調布間・・・・・・・・・ 世田谷区奥沢の町を抜ける目黒線
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・・・・・・・・・・ 東急東横線の下にもぐり込む目黒線、、、、、、東横線上下線の間に割り込むように、目黒線は東横線の下をとおり田園調布駅に向かう。
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・・・・・・・・・・ 目黒線は東横線の地下、、、、、東横線上下線の間隔が徐々に広がっていく。 田園調布駅で目黒線が、この間に出て4線が並ぶ。
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田園調布駅・・・・・・・・ 駅の手前から再び大田区に入る。、、、、、、田園調布駅も、大正12年(1923)3月11日、目黒蒲田電鉄の目黒~丸子(現・沼部)間開通と同時に開業した。 開業当時の駅名は調布駅。 大正15年(1926)、田園調布駅に改称。、、、、、、現在は、平成の時代に始まった地下化で、島式ホーム2面4線の地下駅。

・・・・・・・・・・ 東横線が渋谷方面から田園調布駅(写真:中央奥)に向かう線路敷き。 上下線の間に目黒線のトンネル(市松模様の緑の下)が割り込んで上ってくる。
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・・・・・・・・・・ 地下化され駅舎も新しくなった
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・・・・・・・・・・ 田園調布駅と言えば、駅のシンボルとして復元された旧駅舎がある。、、、、、旧駅舎の屋根の形は、マンサード・ルーフという欧州中世期の民家をモデルとしたものらしい。 神宮外苑の絵画館や上高地帝国ホテル、伊豆の川奈ホテルなどを設計した矢部金太郎の設計である。
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●・・・・・・・・・・ これにて、目黒線(目黒~田園調布)を踏破!

2018年5月 6日 (日)

東急目黒線 (目黒~洗足)

今日の散歩は、東急目黒線に沿いに目黒駅から洗足駅まで、9千歩の歩きです。


・・・・・・・・・・ 目黒線とは、、、、、大正12年(1923)3月11日に東急電鉄の母体となった目黒蒲田電鉄の目黒線として、目黒~丸子(現:沼部)間が開業した。 同年11月1日には丸子~蒲田間が開通し目蒲線に改称した。 目蒲線の時代の主要駅は、目黒・武蔵小山・洗足・大岡山・田園調布・多摩川・沼部・下丸子・蒲田であった。 平成12年(2000)8月6日に目蒲線は、目黒寄りの目黒線と、蒲田寄り多摩川線に分割され消滅した。 目黒線は目黒~田園調布間の6.5kmとなる。 平成18年(2006)7月2日には、目黒不動前~洗足間の地下化が完成。



東急 目黒駅・・・・・・・・ 大正12年、2面3線頭端式の地上駅として開業した。 昭和28年(1953)には駅ビルができたが、平成9年(1997)には現在の構造となった。 駅上の地上17階建ての「JR東急目黒ビル」は平成14年(2002)の竣工。、、、、私が記憶している目蒲線の目黒駅は地下に東急ストアーがあった薄汚れた駅ビルの時代。 今では、駅前に立っても、昭和の面影なし。

・・・・・・・・・・ JR東急目黒ビルの地下にホームがある。 目黒線には、東京メトロ南北線と都営三田線が乗り入れ、JRを含め4線のターミナル。、、、、、駅前道路の向かいにはJR目黒駅 西口がある。
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・・・・・・・・・・ 改札はビルの地下
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・・・・・・・・・・ 1面2線の地下ホーム
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目黒~不動前間・・・・・・・・目黒駅を出た目黒線は、杉野学園 東側の坂の地下を抜け地上に顔を出す。
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・・・・・・・・・・ 目黒線は、目黒川を越え、山手通りを越える。
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不動前駅・・・・・・・・ ちょうど一週間前、当駅で下車し夫婦で目黒不動尊に参拝した。、、、、、大正12年(1923)3月11日、「目黒不動前駅」として開業し、同年の10月には「不動前駅」に改称した。 平成11年(1999)11月10日、目黒~洗足駅間の連続立体交差事業に伴い高架駅となる。、、、、表通りからチョイト引っ込んだ静かな駅だ。
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不動前~武蔵小山間・・・・・・・線路の南側の坂を上る
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・・・・・・・・・・ 住宅の横を入ると、跨線人道橋があった。 線路が見えないようアクリル板で目隠しされていたが、執念でチョイトの隙間を見つけ、かろうじて不動前駅のホームが見えた!、、、、、これから先、目黒線は地下化されトンネルに入ってしまう。 じばし、線路は見納めとなる。
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・・・・・・・・・・ 線路敷きは「不動前緑道公園」と称し、隣りの武蔵小山駅の直前まで続く。、、、、、普段の散歩なら、延々と続き変化の少ない“この手の公園”は嫌い、脇道にそれるのであるが、今日は我慢して歩いてきた。 歩く足の下に電車が走っていると思うと、上からドリルで穴でも開けて見たくなるね。
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武蔵小山駅・・・・・・・ 大正12年(1923)3月11日、小山(こやま)駅として開業。 翌年、武蔵小山(むさしこやま)駅に改称。 平成18年(2006)には地下化された。 島式ホーム2面4線の地下駅で、緩行と急行の接続がある。、、、、、駅名は、東北本線の「小山(おやま)」と間違えないように、地名の「小山」に旧国名「武蔵」を冠した。

・・・・・・・・・・ 平成22年(2010)9月、駅ビルがオープンし、駅前ロータリーもでき、明るい駅前である。
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・・・・・・・・・・ 駅前では41階建て(高さ:約145m)のタワーマンション2棟が建設中
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・・・・・・・・・・ 駅前には、有名な武蔵小山商店街もある。、、、、、私の住む浅草橋より住みやすそう、生活しやすそう、負けた!
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武蔵小山~西小山間・・・・・・・・ この間は「武蔵小山緑道公園」と名を変えて、再び退屈な公園が続く。、、、、公園の出入口部分の柵、自転車が入れるギリギリの幅しかなく、バイクなどは通れないようだ。 車椅子はどうする?
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・・・・・・・・・・ 公園にあった目黒線の案内板に、昭和初期から戦後にかけ製造された旧型車両。 昭和60年代に目黒線をチョッピリ走った東急5000系「ステンレスガエル」もあった。
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西小山駅・・・・・・・・ 西小山駅は昭和3年(1928)8月1日に開業した。 この駅も平成18年(2006)に地下化され、その後、駅ビル、駅前広場が完成した。、、、、同じような駅が続くね!
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西小山~洗足間・・・・・・・・ またまた緑道公園、名は「西小山緑道公園」。 飽きた!
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・・・・・・・・・・ 目黒線と云うが、目黒駅から西小山緑道公園までは、駅も線路敷きも品川区内に属している。 この先、大岡山付近は大田区、奥沢駅付近は世田谷区、田園調布駅付近は再び大田区である。 つまり、目黒区内にあるのは、洗足駅と大岡山の東工大キャンパス付近だけ。 これで、“目黒”線とは?


・・・・・・・・・・ 洗足駅の手前150m程の地点で、やっと緑道公園の終わりとなった。 掘割の線路敷きを囲う柵の隙間から線路が見えた! チョイ先には跨線橋もある、不動前から地下にもぐった目黒線が見えるはずだ!、、、、、橋の上、線路脇から電車に手を振り、車窓から手を振り返される、ほほえましい光景がここでは見られない、残念、無念!
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・・・・・・・・・・ 電車の姿が見えないと、よけい見たくなるもので、いろいろ場所・姿勢・角度を変えて撮った写真。
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洗足駅・・・・・・・・ 洗足駅は大正12年(1923)3月11日に開業。 昭和40年(1965)には環七通りとの立体交差のため地下化された。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、、、駅名は、この地が開業以前より田園都市株式会社が分譲した「洗足田園都市」と言う分譲地だった事に由来する。 その「洗足」は洗足池の伝説にちなむが、駅から池までは1km程の距離がある。 池上線の「洗足池駅 」と駅名が似ているのは、開業当時は目黒線は目黒蒲田電鉄、池上線が池上電気鉄道で同業他社だった名残からだ。、、、、、ついでに、「洗足」駅と「洗足池」駅の中間地点に「北千束」駅(大井町線)がある。 さらに、ややっこしくすると、町名の「洗足」は目黒区、町名の「千束」は太田区。 そして、町名の「千束」の中に、「洗足池」がある。 自分の頭の中で整理してね!
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2018年5月 4日 (金)

立石~綾瀬

五月晴れの「みどりの日」。 ばば・じじ・ばばの3人暮らしの我が家では、毎日がゴールデンウィーク。 連休期間中は静かな都心でのんびり過ごすのが一番! ・・・とは言っても、朝から晩まで家に籠っていては退屈だ、今日は京成押上線立石駅から常磐線綾瀬駅まで歩いてきた。 1万3千歩。



立石駅・・・・・・・・ 押上線の高架化に伴い駅も高架駅となる。 2022年度の事業完了を目指し、既に工事は着工している。、、、、そろそろ地上の立石駅は見納めか?
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・・・・・・・・・・ 駅北側の再開発も計画されている。 北側には2棟が予定され、東街区には葛飾区役所が入居する地上13階/地下3階(敷地:約4,650m²、延べ:約40,400m²)の建物、西街区には住宅(約600戸)・商業施設などが入る地上36階/地下2階(敷地:約7,130m²、延べ:約81,100m²)の建物ができるそうだ。、、、、、店舗は取り壊され更地となった処も出てきた。 昭和の雰囲気が強く残る「呑んべい横丁 」や、赤線跡の飲み屋街 なども無くなる。 また東京がチョッピリつまらなくなっていく!
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梅田稲荷神社・・・・・・・・ 立石駅北側の商店街を抜けたあたり(立石4-30)にある稲荷神社。 神社のある旧梅田村はもと立石村に属し、後の江戸時代初期に独立した村である。 神社の創立は、村が独立した頃と推定されている。
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・・・・・・・・・・ 神社の前には、日蓮宗寺院の積善寺があり、その墓地に寄り添うように、二つの祠がある。 一つは、南葛八十八箇所の35番札所でお大師さんが祀られている。 もう一つは、地蔵さん。、、、、、葛飾区を中心に八十八箇所あるそうだ。 四国に行かず、近場で八十八箇所巡りができるとは、コリャ・アンチョコ。
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立石からお花茶屋をとおり堀切へ・・・・・・・・ 葛飾区役所前へ出た。 区役所が立石駅前に移転したら、この建物は取り壊し?
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・・・・・・・・・・ 水戸街道(国道6号)を越えて、葛飾区お花茶屋に入る。、、、、、、南にスカイツリー、北にスカイライナーを見る。
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・・・・・・・・・・ 連休で、家の中を整理したようだ。 衣装箱として利用していた茶箱が不要となった。、、、、、お茶の葉を入れていた“茶箱”、その優れた防湿性・防虫性は衣類や米、乾物などや、カメラ、ひな人形など大切なものの保存に適し、愛用する人も多い。 古い家には、必ず数個はあったね! 懐かしい!
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・・・・・・・・・・ 共栄学園中学高等学校は中高一貫教育の私立学校。、、、、“春日部共栄”は高校野球に出ていたが、姉妹校?
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・・・・・・・・・・ 酒屋さん(右側)の倉庫?、、、、一升瓶、ビール瓶を木製のケースで積み重ねて仕舞っているのか? 中を見たくなるね。
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堀切氷川神社・・・・・・・・ 堀切菖蒲園前駅から北東に400m程の処(堀切5)にある。、、、、堀切氷川神社は、正治元年(1199)に武蔵野国一ノ宮氷川神社(現:大宮氷川神社)を勧請して旧下千葉村(現在地)の鎮守とした。 祭神は素盞鳴尊。 朱塗り神明造の拝殿がチョイトまぶしいね!
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九品寺・・・・・・・ 氷川神社の北東約350m(堀切6)にある真言宗豊山派の古刹。 九品寺は建久4年(1192)に創立された。 この間、享和2年(1802)、明治元年(1867)の2度の火災と、数度の水害により、寺宝・記録は散失し由緒不明。 現本堂は昭和35年(1960)に改築。、、、、、なぜか、この付近を歩くと必ずこの寺の前に出てくる。 仏の導きか? 好かれているみたいだ。 九品仏、六地蔵も整列して出迎えてくれた。
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浄慶庵・・・・・・・・ 真言宗豊山派の寺:正王寺に所属する庵室。 下千葉村(堀切)の郷士:相川重右衛門が開基となり創建した。 こじんまりとした寺院である。
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・・・・・・・・・・ 堂の前に、「明暦二年銘庚申塔」がある。 明暦2年(1656)の銘をもち、板碑型の庚申塔として、江戸時代初期の典型的な形態をとどめる。
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綾瀬駅・・・・・・・・ 綾瀬から我が家のある浅草橋まではルートが多岐にわたり、北千住で常磐線・日比谷線・つくばエキスプレス・東武伊勢崎線などのいずれかに乗り換えるルート。 また、西日暮里でJRに乗り換えるルート。 いずれも、所要約35分で綾瀬に来るたびに悩んでしまう。 ちなみに、今日は西日暮里乗換で帰宅した。
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2018年5月 2日 (水)

呑川

大森・大井町方向に歩くつもりで、京急蒲田駅で下車した。 京急蒲田駅の下を流れる呑川を見たら、『凄く汚い川。 ナンジャ、コリャ!』、思わず声が出てしまう。 この汚い水はいったい何処から流れているのか? 急遽、本日の散歩は呑川をさかのぼることにした。 京急蒲田から東急池上線池上駅まで、1万歩の散歩です。



京急蒲田駅 ・・・・・・・ 明治34年(1901)2月1日に、JR蒲田駅に先立ちて蒲田駅として開業した。 大正14年(1925)に京浜蒲田駅に、昭和62年(1987)に京急蒲田駅に改称した。 現在の高架駅は平成24年(2012)10月21日に完成。、、、、、線路の構造は複雑で説明しにくいが、概ね3階が横浜方面、2階が品川方面、空港方面は2階・3階のお好きな階へ、となっている。 1階は改札階である。、、、、高架化事業は2012年のグッドデザイン賞を受賞した。
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京浜蒲田柳通り・・・・・・・・ 京急蒲田駅からJR蒲田駅の方に向かう「あすと」商店街の北側に、「京浜蒲田柳通り」と称する飲食店がある。 この街は、かつての花街で戦後は赤線地帯でもあったDEEPな場所だったそうだ。(私の知らない昔の話) 現在は、居酒屋、スナック、中華料理屋などが並ぶ、場末の呑み屋街という感じ。 朝の散歩なので、夜の雰囲気が判らず、チョッピリ残念!、、、、、昭和の駅名“京浜蒲田”が残る街、いいね!
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呑川・・・・・・・・ 田園都市線桜新町駅(世田谷区)付近を水源として、世田谷区、目黒区と暗渠で流れ下り、東京工業大学付近(大岡山駅付近)で顔を出し、大田区石川町、雪ヶ谷、久が原、池上、蒲田、糀谷と流れ、東京湾に注ぐ二級河川。 「呑川」は「のみかわ」と読み、「どんかわ」とは読まない。(恥ずかしながら、私は今でも「どんかわ」と呼んでいる。)

・・・・・・・・・・ 「柳通り」を抜けると、呑川に架かる柳橋があった。 我が家(浅草橋)の近くにも柳橋があるので、チョイト愛着が湧き、じっくり観察。、、、、、昭和58年に架橋。
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・・・・・・・・・・ 橋上から川面を見ると、『凄く汚い川。 ナンジャ、コリャ!』、思わず声が出てしまう、、、、、過去には真っ黒でメタンガスも発生していた川が、今日は緑に染まっている。 黒が緑に変わった分、綺麗になったのだが、“緑”はまだ水質が悪い証拠。 ここでさらに、上流を見てみたくなり、今日の散歩はこの川筋を歩いてみることに行先を変更した。
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・・・・・・・・・・ 京急蒲田駅とJR蒲田駅の中間、あやめ橋付近では、護岸にこいのぼりが“泳いでいた”と言いたいのだが、汚い川に“吊るされていた”。 チョイト可哀そうだね。
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・・・・・・・・・・ JR東海道線の橋梁。 私もJRの線路下の地下道を抜ける。
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・・・・・・・・・・ 西蒲田4丁目付近の呑川。 チョイト澄んだ色になってきたようだ、気のせいかコンビニで売っている緑茶の色に近づいた? でも、まだ、この水の綺麗とは言えないね。
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・・・・・・・・・・ 西蒲田1丁目の太平橋付近では、川底に堆積した汚濁物質が、水面上に浮上するのを抑制する装置(ジェットリーマ)の新型を導入して実証実験中。、、、、、大田区でも水質浄化に一生懸命取り組んでいるようだ。
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・・・・・・・・・・ 京急蒲田から1.8km上流の若宮橋(大田区中央8)付近で、コイを発見! しかも3匹、よくぞこの環境下で生き延びている力強いコイだ。、、、、、近くに、豆腐の容器が流れている、誰かエサとして豆腐を与えたかな?
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・・・・・・・・・・ 日蓮橋(大田区中央8)付近まで来ると、川筋の正面に池上本門寺の高台が見える。 また、川の両岸にも緑が増え、緑道らしくなってきた。 水質もよくなってきたみたいだ!
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・・・・・・・・・・ 京急蒲田から2.4km上った、池上通りがとおる堤方橋(つつみかたはし)付近では川床も見えるようになる。 コイの数も増え、カメも出没してきた。 川を覗く人も登場!
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・・・・・・・・・・ 池上本門寺の参道がとおる霊山橋(りょうざんばし)まで来た! 水量は少なく、深い川底が見える。、、、、、呑川沿いの散歩はココまでとする。
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●・・・・・・・・・・ 呑川の水質浄化に向け、平成7年(1995)より、都下水道局落合水再生センターで高度処理された再生水(日量約86,400トン)の一部(36,300トン)を呑川に導水している。 また、平成17年(2005)には、都交通局と連携し、都営地下鉄浅草線の馬込駅や西馬込駅付近のトンネル内に湧出する日量約81トンの地下水も呑川に導水しているそうだ。、、、、川床の清掃にも取り組んでいるそうで、確かに歩いてみた限りでは、川に自転車、TVなど捨てられた跡は見られなかった。、、、、早く、綺麗な川に戻って欲しいね!



萬屋酒店・・・・・・・・・ 本門寺参道沿いの酒屋さん。 明治8年(1875)に棟梁:加藤甚五郎により建てられた、出桁造りの町屋建築である。 国の登録有形文化財。、、、、、参拝客向けか、甘酒が売られてる。
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お土産・・・・・・・ 池上名物「久寿餅」を買って帰る
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池上駅 ・・・・・・・ 東急池上線の池上駅が改良工事に着手した。 今までの平屋の駅舎は無くなり、鉄骨造5階建の駅舎・駅ビルとなる。 2020年9月末の開業予定。 新駅舎になると、これまでの構内踏切、木造小屋組みのホーム上屋など、古き時代の面影を残すものは消えて行く、鉄道を愛する私は残念だ。
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2018年5月 1日 (火)

目黄不動 (永久寺)

今日は5月1日、いみじくも『目の日』(?)である、英語で『May Day』と書く。 江戸五色不動巡りも今日が最後の6番目で、目黄不動の永久寺(台東区三ノ輪)へ行ってきた。
我が家のある浅草橋は台東区の南端、目黄不動の三ノ輪は北端で、台東区を南北に縦断し、さらに帰りは日暮里に出たので、1万3千歩の散歩となった。



浅草橋から浅草へ・・・・・・・・ 我が家から三ノ輪に出るには、江戸通り・国際通りを歩けば、最短時間、最短距離で到達できる。 今日もこのルートで三ノ輪へ向かうことにした。
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感應稲荷神社・・・・・・・・ 国際通りに面し、浅草ビューホテルの南側にある稲荷神社。 感應(かんのう)稲荷神社の創建年代は不詳であるが、武蔵野国豊島郡江戸郷芝崎(現:千代田区大手町)に鎮座していたが、二度の遷座を経て、明暦3年(1657)に現在地(台東区西浅草3)に鎮座された。、、、、、かなり小さな神社で、わざわざいくほどの神社ではない! 行ってガッカリ、見てガッカリ、腰はギックリ、最後はポックリ。
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西徳寺・・・・・・・・ お酉さまの鷲神社の斜め前、国際通りに面して真宗佛光寺派寺院の光照山西徳寺がある。、、、、、西徳寺は、当時新興都市であった江戸の出張所として、京都五條坊門にあつた寺跡を移し寛永5年(1628)金助町(本郷付近)に創建された。 ところが、その後わずか50年の間に3回の火災に見舞われてしまう。 その中には八百屋お七で有名な「振り袖火事」も含まれているが、そのたびごとの再建で、すっかり疲弊してしまう。 そこで、疲れた住職・檀信徒が協議の上、当時まだ江戸郊外であった現在地(台東区竜泉1)に移転した。時は天和3年(1683)のことであった。 しばらく落ち着いていたが、大正12年の震災では、堂宇は全滅し廃墟と化した。 こうした困難の中、再び檀信徒一同立ち上がり、直ちに本堂再建に向かい昭和5年(1930)5月に、現在の本堂が鉄筋コンクリート造で再建された。 参詣席は当時としては珍しい椅子式である。
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飛不動 ・・・・・・・・ 鷲神社の北には、パイロット、キャビンアテンダント(CA)など、空を飛ぶ人に愛されている飛不動正宝院がある。 正宝院は、享禄3年(1530)の創建といわれる修験寺院。 当寺の住職が大和国大峰山に不動尊像を持って修行に行ったところ、不動尊は一夜にして当地へ飛びかえり、人々に御利益を授けたことから、江戸時代初期には「飛不動」と称された。、、、、、飛行機が怖い私。 飛行機に乗ると、スチワーデスが観音さまに見え、私にはお不動さまより、スチワーデスに守られているように思える。 美人であればあるほど御利益ありそうだ。、、、、ところで、平成10年(1998)で、スチワーデスの呼称は廃止され、CAに変わってしまった。 昔の呼称の方が良かった、スチワーデスが好きだ!
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目黄不動(永久寺)・・・・・・・・ 国際通りが昭和通り(日光街道)にぶつかる大関横丁交差点。 交差点の地下は東京メトロ日比谷線三ノ輪駅。 この交差点から30m程東によると養光山永久寺がある。、、、、、永久寺は現在天台宗の寺であるが、真言宗の寺として開創したが衰退し、再興して禅宗の寺「白岩寺」と改めたが再び衰退。 寛文7年(1667)に中興し永久寺と称した。 元禄年間には日蓮宗の蓮台寺と改宗したが、後に天台宗に改め養光山永久寺として再び中興した。 なんとも節操がない、信念がない、変遷の多い寺だ。、、、、、、境内はさほど広くはなく、モダンな本堂の建物が道路際まで建てられている。 山門と呼ぶような門はなく、住宅のような構えで通り過ごしてしまうかも。 本堂も、見えるところに賽銭箱などもなく、どこで手を合わせるのか、判りまちぇ~~ん?
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・・・・・・・・・・ 本堂の横に不動堂があった! 小さな穴から中を覗くと、目黄不動尊が安置されていた。、、、、、見たかぎりでは、お不動さまは黄疸ではないようだ!
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・・・・・・・・・・ これで、江戸五色不動の五色・六寺は全て巡った。 満願成就で、ジャンボが当たる! 私も、まもなく億万長者になるであろう。



・・・・・・・・・・ ちなみに、江戸五色不動で巡った寺は、、、、、目青不動 (教学院:世田谷区太子堂)、目白不動 (金乗院:豊島区高田)、目赤不動 (南谷寺:文京区本駒込)、目黒不動 (瀧泉寺:目黒区下目黒)、目黄不動(永久寺:台東区三ノ輪)、目黄不動(最勝寺:江戸川区平井)の6ヶ寺。



日暮里駅まで歩く・・・・・・・・・ 暑い、暑い、散歩だった!
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