町屋1丁目
荒川区役所前でバスを降り、区役所の北側 「荒川2丁目」と、町屋斎場の北側 「町屋1丁目」を中心にブラリブラリと散歩をしてきた。 帰りは京成町屋駅から帰宅。 9千歩。
・・・・・・・・・・ 昭和43年(1968)に建てられた地上7階/地下1階建ての荒川区役所本庁舎がある。 大成建設の設計・施工。 平成23年(2011)に耐震補強工事も終えた。、、、、、建物正面は明治通り側に向き、今の時期はツツジが彩を添えている。
②「皇太子殿下御降誕記念」国旗掲揚塔・・・・・・・・「荒川二丁目」停留所近くの、交番(現:荒川区峡田安全安心ステーション)脇に残る、昭和10年(1935)に建立された「皇太子殿下御降誕記念」のアールデコ風国旗掲揚塔。 「皇太子」とは今上天皇のことで、今上天皇が誕生したのは昭和8年12月23日である。 昭和8年は日本が国際連盟を脱退した年でもある。 地元商工会結成10周年記念に建てた、当時は国民の祝賀ムードも最高潮となったのであろう。
③都電荒川線・・・・・・・・「荒川二丁目」停留場付近にて、、、、、線路の両側にはバラの花が綺麗に咲いている
●・・・・・・・・・・ 都電荒川七丁目停留場から北へ200m程、京成本線高架橋をくぐるとスグ前が町屋斎場。
④町屋斎場・・・・・・・・・ 町屋斎場(荒川区町屋1)は民営の火葬場・斎場。 平成6年(1994)に斎場棟や休憩室も含め全面改築された近代的な斎場である。、、、、、もう50年程前になるが、我が祖父母の火葬の時は、当時は寺社建築の様式を反映した木造の建物であった。 待合室の屋根越しに、焼いている白い煙が煙突から出るのが見え、その光景は強烈な印象となり残っている。、、、、、ここは史跡でもあり、『 町屋火葬場は江戸五三昧の歴史を伝える。江戸五三昧とは、千駄木(駒込)・桐ヶ谷(荏原)・渋谷(代々幡)・炮烙新田(葛西)・小塚原(千住)にあった火葬場をいう。小塚原の火葬場は寛文九年(1669)に下谷・浅草あたりの各寺院から移されたもので、火葬寺・火屋などともよばれた。明治二十年、周辺の市街化により廃止、二年後に町屋に移転した。一方、火葬場の増設許可が下り、同二十年、東京博善社が日暮里火葬場を新設。その後、同火葬場は町屋火葬場の隣地に移ることになり、同三十七年の移転とともに、町屋火葬場と合併した。』と標されている。
⑤町屋1丁目の町・・・・・・・・ 町屋斎場の北側に広がる町。 町中の道路は整理されておらず迷路状態。 住宅兼工場の町工場が多い町。 「朝鮮会館」なる建物もあり朝鮮系の人も居るようだ。 韓国系の人も居るだろう。 高齢者も多そう、デイサービスの送迎車が行ったり来たり。
⑥町屋の一本松跡・・・・・・・・・ 公園「一本松グリーンスポット」(町屋1-9)の一角に、「町屋の一本松」の跡がある。 「一本松」は第二次世界大戦によって枯れてしまい、現在は二代目の松が跡を継いでいる。 町屋の一本松は、元禄6年(1693)に町屋村と三河島村との境に植えられたそうだ。 一本松の根元には、寛文8年(1668)9月吉日銘の庚申塔が残されている。、、、、今の町の姿からは想像しにくいが、この辺りは江戸の町からはずれた農村だったであろう。
⑦京成電鉄 町屋駅 ・・・・・・・・ 町屋1丁目の町を巡り、京成電鉄 町屋駅に着いた。、、、、、昭和6年(1931)12月19日、京成電気軌道(現:京成電鉄)の町屋駅が開業した。 島式ホーム1面2線を有する高架駅である。、、、、都電荒川線の町屋駅前停留場は高架ホームから見下ろすことができる。 東京メトロの町屋駅はチョイトしか見えない!(地下鉄だからね。)、、、、、都電の停留場は大正2年(1913)に稲荷前停留場として開業した。 東京メトロの町屋駅は昭和44年(1969)の開業である。