矢切~金町
三日前に歩いた柴又の対岸、北総線矢切駅から、野菊の墓、矢切神社と歩き、新葛飾橋を渡り、京成金町駅まで、1万1千歩の散歩です。
①矢切駅・・・・・・・・ 江戸川を挟み葛飾柴又の対岸、松戸市下矢切にある、北総鉄道北総線の駅。 北総台地にある2面4線の地下駅。、、、、、駅名も、歌も、「矢切」は“やぎり”だが、地名は“やきり”で濁らない。



・・・・・・・・・・ 駅前のロータリーは工事中。 その為か、駅前にあった作家:水上勉旧居跡の石碑が無い。 昭和32年から2年間住んでいたそうだ。 当時は矢切駅もなく、不便な地であった思う。 (写真:2016年撮影)

②野菊の墓文学碑・・・・・・・・ 矢切駅から北東500m程のところ、北総台地が江戸川に接する崖上に、夏目漱石が、「自然で、淡泊で、可哀想で、美しくて、野趣があって、(中略)、あんな小説ならば何百編よんでもよろしい」と、絶賛した、伊藤左千夫(1864~1913)の小説『野菊の墓』(明治39年(1906)発表)の文学碑がある。 この矢切の地が小説の舞台である。 小説は、15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描いている。 (詳しくは、新潮文庫で334円程、自分で買って読むこと!)

・・・・・・・・・・ 文学碑とは歩道橋で結ばれた公園から見る、手前は江戸川左岸(千葉県側)、奥は金町方面(東京都)

・・・・・・・・・・ 文学碑は、真言宗豊山派の寺院、八幡山西蓮寺の本堂裏にある。 寺と文学碑の入口は別になっており、法要などに差し支えないよう配されている。、、、、、文学碑の建立に尽力を注いだ、今は亡き松戸の版画家:奥山儀八郎(1907~1981)とも深い縁のある名刹である。

③矢喰村庚申塚・・・・・・・・ 野菊の墓文学碑から東へ300m程歩くと、地蔵尊・庚申塔・馬頭観音などが10基以上並ぶ、強力なパワースポット、矢喰村庚申塚がある。 建立された時代も、江戸、明治、昭和とイロイロ。、、、、、、中央に控えるは、寛文8年(1668)に建立された塔身高196㎝の庚申塔で、青面金剛の足下には三猿が刻まれている。、、、、、矢喰村(やぐいむら)とは、この辺りで行われた国府台合戦で、北条氏と里見氏が戦い戦死者は1万余だった、地元の領民も人足に狩り出され、塗炭の苦しみの中で、弓矢を呪うあまりに、「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」の名が生まれたそうだ。



④矢切神社・・・・・・・・ 矢切駅の北500m程に位置する矢切神社。 宝永元年(1704)の長雨により、江戸川が大洪水を起こし、水高が地面より8尺余り(約2m50cm)となった。当時の矢切の民家は江戸川沿岸にあったため、多数の死者を出し、甚大な被害を受けた。 その後、災害から逃れるため村民は台地上に移住し、鎮守として京都から稲荷を勧請して祀ったのが矢切神社である。


・・・・・・・・・・ 入母屋造の拝殿屋根には、漆喰で龍が描かれている。、、、、、誰が描いたのか? 凄い!

⑤浄安寺・・・・・・・・・・ 矢切神社から北へ200m、日蓮宗の寺院:浄安寺がある。、、、、通りからチョイト奥まった処にあり、木立に囲まれた、落ち着いた静かな佇まいの寺。


⑥江戸川左岸・・・・・・・・ 北総台地から江戸川左岸に下り、土手を目指し歩く。 矢切変電所の前に出た。 周囲には畑が広がる。


・・・・・・・・・・ ぺんぺん草が橋の上まで生える中矢切橋。 周囲は畑、炎天下、こんな処を歩くのは私だけ。




⑦新葛飾橋・・・・・・・・ 新葛飾橋を渡り、金町駅に向かう。、、、、、この橋を渡ると、千葉県側から東京都に入ったことになる。 千葉県側は緑豊かに畑の中を歩いたが、東京都側は一気に都会の空気を感じさせる。

・・・・・・・・・・ 橋の上から見た2基の取水塔

●・・・・・・・・・・ 橋を渡れば京成金町駅までは近い。 京成で帰ることにした。
