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2018年7月11日 (水)

尾久三業地

南千住駅から三ノ輪橋に出て、都電で宮ノ前停留所にて下車、西尾久2丁目の町を行ったり来たり、最後は田端駅から帰宅。 9千歩の散歩です。



●・・・・・・・・・・ 南千住駅前、松尾芭蕉像から散歩はスタート
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公春院・・・・・・・ 南千住1丁目の浄土宗寺院:公春院は、満海山千日寺と号し、浅草聖徳寺の末寺として、寛文10年(1670)に創建した。 大正12年(1923)の関東大震災では、火災は免れたものの本堂、観音堂ともに傾き、昭和14年(1939)に現本堂が落成した。、、、、、かつて、公春院の境内に入ってすぐ左の角に大きな松があったそうだ。 昭和9年(1934)に枯死したため伐採され、残念ながら今はその跡はない。 明治42年(1909)頃撮影の写真が残っているだけだが、その大きさは、周囲はおよそ4m、高さ14mで樹齢は優に500年を超すものであったと言われている。 寺域について争いが立ったとき、このお寺の古いことの証拠になったため「証拠の松」といわれていた。
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三ノ輪橋停留場・・・・・・・・ 現在は「梅澤写真会館」となった、昭和2年(1927)に竣工した旧王子電気軌道の本社ビル。 関東大震災後の東京では、鉄筋コンクリート造、3階建てのモダンなビルだった。 正面1階の通り抜けの奥に都電荒川線の“三ノ輪橋停留場”がある。
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・・・・・・・・・・ 『冷房の効いた電車にチョックラ乗ってみよう!』、、、、、、乗ってから、『行先の宛てもなく、どこで降りようか?』
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宮ノ前停留場・・・・・・・・・ 名が気にいった『宮ノ前』停留場で降りることにした。、、、、、“宮”とは尾久八幡神社を指す
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尾久八幡神社・・・・・・・・ 停留場の真ん前(西尾久3)にある、尾久八幡神社の創建年代は不詳だが、当地周辺が鶴岡八幡宮に寄進された正和元年(1312)頃に分霊を勧請したと、推定されている。 境内の広い、都心では大きな神社。、、、、、かつては神社の周囲に石神井用水を引き込んだ「八幡堀」が流れ、農業に活用された他、舟が入り込み交易も盛んであったといわれている。
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碩運寺・・・・・・・・ 都電の線路を挟み尾久八幡神社の向かい(西尾久2)にある、曹洞宗の寺院:碩運寺(せきうんじ)は、慶長元年(1596)に創建したといわれている。 大正年間に本所石原町から当地へ移転した。 大正3年(1914)に寺内に温泉が湧き、「不老閣」の営業を開始した。 ラジウム鉱泉で、周辺には保生館、清遊館、大河亭、小泉園などの旅館も開業し、都電の開通と相まって寺の周辺は温泉街として賑わい、商店街も形成したそうだ。
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・・・・・・・・・・ ところが、ギッチョン・チョン、これが始まりで、周辺の温泉旅館、商店街の発展は、尾久三業地(現:西尾久、料亭・芸者置屋・待合のあった所)発展の幕開けとなり、色街へと変わって行く。

・・・・・・・・・・ 昭和11年(1936)2月、陸軍将校のクーデターである2.26事件が起きる。 世の中は大きく変わって行くことになる。 その年の5月18日、尾久三業地の待合「満佐喜」で殺人事件が起きた。 粋で鯔背な格好の40歳代の遊び人:名は石田吉蔵(糞まじめな私とは似ていないようだ。)と、30代の玄人美人が宿泊した。 翌朝、女は外出したが、男は起きてこず、女中が部屋に確認に行くと、蒲団の中で死んでいた。 男の一物が切り取られ、太股には血で「定、吉二人」と書かれていた。 こうして、猟奇的殺人事件の幕が開いた。、、、、、これぞ有名な阿部定事件である。、、、、、この後、事件の顛末は、皆さん自分で調べて!


・・・・・・・・・・ 戦後、尾久三業地は周辺の工業化で地下水を汲み上げすぎて温泉は出なくなり、廃業していった (私も知らなかった戦前・戦後の話てある)



西尾久2丁目の三業地跡(?)・・・・・・・ 現在は、三業地(碩運寺の南から東京女子医大東医療センターの西あたり?)の跡はなく、何処に何があったやら? 

・・・・・・・・・・ 女子医大通り
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・・・・・・・・・・ 女子医大通りから西の裏通りを歩いてみるが、、、、、もちろん、待合「満佐喜」はない。 色街の面影はどこだ!
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八幡堀跡・・・・・・・・・ 尾久八幡神社の周囲、碩運寺の前などに、江戸時代から大正時代まで、八幡堀という石神井川用水が流れていたそうだ。 その水路は今は無くなったが、町の裏道にタイルが埋め込まれ水路跡が標されている。 また水路跡の道が「すいろみち」として整備されている。
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●・・・・・・・・・・ この後、明治通りを横切り、田端駅から帰宅。
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