奥の細い道
南千住駅前から芭蕉が歩いた「奥の細道」(旧日光街道)沿いの裏道(“奥の細い道”)を歩いて北千住駅まで、1万歩の散歩です。
●旅立ちの地・・・・・・・・・・・芭蕉の「奥の細道」旅立ちの地は南千住(荒川区)か、北千住(足立区)か? 隅田川(大川)を挟み、矢立初めの句:「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」を詠んだ千住宿の地の争いである。 荒川・足立のどちらの区も、矢立の地を主張し今だ決着はついていない。 新たな資料でも出てこないと解決しないだろうね。 まあ~、どうでもいいか。、、、、、私の散歩は南千住駅からスタート。
・・・・・・・・・・・・・ところで、南千住の裏道に初期のマッキントッシュのパソコン:「iMac(アイマック)」が捨てられていた。 1990年代の後半に発売されたもので、当時の価格は18万円前後であった。 このパソコンは、現在のアップル社の「iMac」の元祖である。 知る人ぞ知る、懐かしい顔のパソコンだ!、、、、、、フト、頭をよぎる、『骨董品としての価値が出てくるかも? 拾って帰るか? チョイと重そうだな、あきらめよう!』
●南北を結ぶ、新旧の橋・・・・・・・・・「南北を結ぶ、新旧の橋」と云うと、何だか朝鮮半島にある橋のようだが、南北の千住を結ぶ千住大橋 のことである。 現在の千住大橋は下り方向(日光方向行)が旧橋で、上り方向(都心方向行)が新橋で構成されている。、、、、、旧橋は昭和2年(1927)に完成した日本最古のタイドアーチ橋で、震災復興橋としても有名である。 新橋は、旧橋に並行して昭和48年(1973)に完成した3径間連続鋼箱桁橋で味も素っ気ない。 新橋は旧橋より一段高い位置にあり、新橋からは旧橋のアーチ部しか見えない。、、、、、今日は下流側の新橋を渡り北千住に入った。
・・・・・・・・・・・・・・下流には常磐線の橋梁が架かっている。
●市の守護神・・・・・・・・・・・・本日定休日の東京都中央卸売市場足立市場の敷地内に鎮座する。 延徳年間(1489~91)より浮島金毘羅宮として崇敬されてきたが、昭和20年(1945)足立市場の開設以来、市場の守護神と尊崇された。 干潮稲荷神社を昭和41年(1966)に合祀し、干潮金刀比羅神社(かんちょうことひらじんじゃ)と改稱する。、、、、御利益は航海安全、豊漁祈願、水難守護、商売繁盛、五穀豊穣など、多種多様である。 いずれ、安産祈願、子宝成就も含まれるかも?
・・・・・・・・・・・・・市場の正門脇に、足立区側の旧日光街道千住宿跡としてに芭蕉像があ建てられている。、、、、、荒川区と足立区、どちらが実物に似ているのか? 知るは仏のみ。
●「奥の細道」の“奥の細い道”・・・・・・・・・・・奥の細道(旧日光街道)から、京成本線の高架沿いに路地を入ると、その先は千住河原町の“奥の細い道”(雅万歩が勝手に名付けた)となる。 折れて、折れて、歩く路地、また折れて、また折れて、お股は擦れて、あ痛(い)てって、まだまだ折れて歩く路地。 (写真は順に、各折れ曲がり地点です。)
・・・・・・・・・・・・・ここから、高架橋沿いに入って行く
・・・・・・・・・・・・・・・チョイトした駐車場の脇に出て、再び路地に入る。 自動車は無理。
・・・・・・・・・・・・・・横の路地では、不審人物の侵入を猫が見張っている。
・・・・・・・・・・・・・奥の細い道は、さらに続く
・・・・・・・・・・・・・・・車の通れそうな道に出た。 “奥の細い道”も終わり。
・・・・・・・・・・・・・・路地の裏の美しいフヨウ。
●いくつかの一つ・・・・・・・・・・北千住周辺には、いくつかの“氷川神社”(氷川神社の数では都内随一らしい)がある。 その内の一つ仲町氷川神社は、足立区千住仲町にある氷川神社。 元は、牛田にあった氷川神社を元和2年(1616、江戸時代初期)に現在地へ遷座したそうで、それ以前は、延喜年間(901~923、平安時代)から牛田に鎮座していたそうだ。 由緒ある神社。
・・・・・・・・・・・・・拝殿と本殿の間には、純金ではないと思うが、灯籠が新調されたようだ。
・・・・・・・・・・・・・拝殿の周囲には、チョイト古そうで、細工も素晴らしい鋳鉄製の柵が設けられている。
●千住1丁目の建築・・・・・・・・・・まずは、三角屋根の玄関、下見板の壁、縦長の上げ下げ窓が、いかにも昭和の街の歯医者さん市川歯科医院。 歯が痛い人は、ぜひ診察を受けて、開業しています!
・・・・・・・・・・・・・次の一軒は、路地裏の喫茶店「蔵」。 建物に大倉屋質店と標されているように、質屋の蔵を改装した店舗。 この蔵が造られたのは、関東大震災後の昭和初期らしい。
●遊女を供養する閻魔さま・・・・・・・・・・北千住駅の近い、真言宗豊山派の氷川山地蔵院金蔵寺。 この寺は建武2年(1335)の創建と伝えられ、御本尊は閻魔大王である。、、、、、本堂の閻魔さまは7月15日・16日の地獄の釜開きの縁日に会えるそうだ。 今日は閻魔さまも夏休みらしい。
・・・・・・・・・・・・・寺の山門脇に2基の供養塔が並んでいる、左側の南無阿弥陀仏を刻んだものが千住遊女供養塔である。 千住宿の多くの飯盛旅籠に勤めそこで亡くなった遊女が当時 「投げ込み寺」であったここ金蔵寺に葬られたそうだ。 供養塔は、その薄幸な生涯を哀れみ供養するため建てられたものです。 石には、多くの遊女の戒名が彫られていた。、、、、右側の無縁塔と彫られた塔は天保餓死者供養塔。 歴史上有名な天保の大飢饉の犠牲者を祀っている。 この地では828人が亡くなったそうだ。
●閻魔さまに振られ閻魔さまと密会・・・・・・・・・・・・金蔵寺の閻魔さまには振られたので、すぐ近くの勝専寺の閻魔さまとないしょで会ってきた。、、、、浄土宗寺院の勝専寺は、三宮神山大鷲院と号し、文応元年(1260)に草創されたといわれている。 勝専寺の本尊:木造千手観音立像は千住の地名起源とされている。 寺の本堂は明治39年(1906)の建設でコンクリート造で化粧煉瓦で覆われている珍しい建物である。
・・・・・・・・・・・・・・山門脇の閻魔堂に閻魔さまは住んでいる。 こちらの閻魔さまの御開帳は正月15・16日と7月15・16日である。 今日は、のぞき窓からパチリ撮影。
●今日の散歩はココまで・・・・・・・・・・・・北千住駅から帰宅する。
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