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2018年10月25日 (木)

貝の見えない曽谷貝塚

今朝のお天気お姉さんの一言、『秋晴れの爽やかな一日です』を聞いて、江戸川沿いに散歩することにした。 地下鉄浅草橋駅では、タイミングよく、アクセス特急成田空港行に乗車できた。 車中で、『矢切駅で下車し、松戸方面に歩くか? 市川方面に向かうか?』思案しているうちに、普通電車に乗り換えるのを忘れ、電車は高速で矢切駅を通過し東松戸駅まで行ってしまった。 『アリャ、コリャ、失敗、どうしよう?』 ここまで来たら、市川大野駅から本八幡方面に歩くことにした。、、、、、武蔵野線市川大野駅から総武線本八幡駅の手前「宮久保坂下」バス停まで、1万歩の散歩です。



何ジャ、変ジャ、大変ジャ・・・・・・・・ 東松戸駅で北総線からJR武蔵野線に乗換え市川大野駅は隣駅、勝手知ったる乗換でJRのホームに向かう。 アレ、ホームに大勢の人。 なんか変だぞ、電車が遅れている、『しばらくお待ちください』 のアナウンスが聞こえる。 もう覚悟した、『今日の散歩は失敗かも?』

・・・・・・・・・・ 久しぶりに、ギュウギュウ詰めの電車に乗り、次の市川大野駅で下車。 ここも、ホームに大勢の乗客が並んでいる。、、、、、静かに並び電車を待つ姿はさすが日本人、割り込む人、騒ぎ立てる人はいない。
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・・・・・・・・・・ 市川大野駅には昭和53年(1978)10月2日に開業。 相対式ホーム2面2線の真ん中に中線を有する高架駅。
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欲張って三祭神・・・・・・・・ 市川大野駅南側の小高い処に、迎米(むかいごめ)集落(現:大野町2)の鎮守さまが竹林に囲まれ祀られている。 迎米三社宮と称する神社で、奈良の春日大社、愛知の熱田神宮、兵庫の野口神社、三社の御神体を祀っている。、、、、、ついでに、伊勢神宮、明治神宮も混ぜ、“五社宮”にしたら、御利益アップ!
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村の集積場?・・・・・・・・・ 市川大野駅から南西に500m程歩くと、小さな鳥居のある一郭があり、貞享4年(1687)、享保3年(1823)などの庚申塔、文化10年(1812)から昭和33年(1958)に至る17基程の馬頭観音、軍馬徴発記念碑などがある、迎米庚申塚である。、、、、、、“講”はなくなったのか? 残念だが、村の庚申塔・馬頭観音の集積場のようだ。
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まだ、まだある庚申塔・・・・・・・・ 市川大野駅から南西の市川市曽谷に向かって歩く。、、、、、この辺り、道幅が狭く、歩道のない道路も多く、わき見歩きは危険だ!
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・・・・・・・・・・ 花屋の一角に祀られている大野新田の庚申塔(市川市大野1丁目)。 こちらの3基は、いずれも「帝釈天」と彫られている。  左から、慶応4年(1868)、天明8年(1788)、天保9年(1838)。、、、、、この辺の人は柴又の草だんごが好きだったのか?
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・・・・・・・・・・ さらに、400m程歩くと木戸口庚申塔(市川市下貝塚2丁目)がある。 庚申塔は、左から文政11年(1828)、享保17年(1732)、享保5年(1720)。 300年も前に建立されたものだが、彫りも深く、スバラシイ!
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20人が埋葬された! 殺人事件か?・・・・・・・・・ 表通りから裏道を歩き曽谷貝塚(そやかいづか、市川市曽谷二丁目)に出た。 縄文時代中期末から後期末にかけての貝塚で、後期末の土器型式曾谷式の標式遺跡(時代を特定する基準となるような遺跡)。、、、、遺跡からは20体の埋葬人骨が出てきたそうだ。 生き埋めなら殺人事件だ!、、、、、その貝塚は芝生の下に埋め戻され、芝の上ではお年寄りが、ゲートボールで体力作り。 貝塚の貝は芝の下。 
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競馬をやっていた神社・・・・・・・・・ 曽谷貝塚の南側に、曽谷の春日神社がある。 祭神は天兒屋根命(あめのこやねのみこと)で、寛文11年(1671)に大改築され、元禄時代の検地帳に記載されている古社。、、、、昔は、各家で馬を持っていたので、正月2日に春日神社の前で馬の駆け足競走が行われていたそうだ。 馬券も売っていたのか、気になるね!
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ここは曽谷城址?・・・・・・・ 市川市の北部、曽谷台地の上に、鬼子母神堂と妙見堂などの堂宇のある日蓮宗の大きな寺院:長谷山安国寺がある。 文応元年(1260)、曽谷の領主、曽谷教信が日蓮上人に帰依して、立正安国に因んで館の傍らに安国寺を建てた。 文応元年(=鎌倉時代)には、頼朝に従って活躍した千葉常胤の千葉六党の5男、胤通が市川を領して、「国分氏」を名乗っていることからして、その一族では無かろうかと思う。 安国寺は千葉氏の繁栄を願う寺とも言われている。 また、曽谷教信が霊夢を見たことで勧請したと伝えられている千葉寺の妙見菩薩像と同木の端っこで彫られた妙見菩薩像を安置している、由緒ある日蓮宗の寺院。、、、、、、安国寺の地は、鎌倉時代の曽谷城址と言われている。 また、安国寺の近くには、別に、戦国期の曽谷城跡もあるそうだ。

・・・・・・・・・・ 写真は、山門本堂鬼子母神堂妙見堂
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裏道から脱出・・・・・・・・・ 曽谷の裏道をテクテク歩くが、朝の武蔵野線の遅れが影響し、そろそろタイムアウト。 『どこかバスの走っている表通りに出よう!』、一生懸命歩きバス停を見つけた。 「宮久保坂下」である、ここからバスで本八幡駅に出て帰宅。
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