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2018年10月22日 (月)

練馬の南蔵院

一昨日、散歩(氷川台~豊島園)から帰り『雅万歩』を書いていたら、練馬駅近くに南蔵院と云う大きな寺があることを知った。 今日はこの寺を訪ねてみることにした、大江戸線練馬駅から西武新宿線鷺ノ宮駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 

 

秋がきたかよ ステテコシャンシャン・・・・・・・ 大江戸線練馬駅で下車し、駅前の大鳥神社に朝の御挨拶をし、練馬区役所の裏を抜け、南蔵院のある練馬区中村1丁目へ向かう。、、、、、秋晴れの下、気分よろしく、スタコラ・スタコラ・ステテコ・シャンシャン
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万能薬「白龍丸」の販売元・・・・・・・・ 南蔵院は、真言宗豊山派のお寺で瑠璃光山医王寺と号し、良弁塚に納経をした良弁僧都が延文2年(1357)に中興したお寺です。 江戸時代には12石8斗の御朱印領を拝領していた。、、、、、お寺では 古くから万病に効く「白龍丸」を頒布し、明治10年頃に売薬法で禁止されるまで全国的に広まり、お寺の経済的基礎ともなったそうだ。 恋の病、金欠病、夫婦病に効くなら、私もぜひ試してみたかった! 

・・・・・・・・・・ 南蔵院通りに面する山門
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・・・・・・・・・・ 山門脇で慈母観音像のお出迎え。 アリガタヤ!
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・・・・・・・・・・ 文禄年中(1592~1596)火災にあい堂塔伽藍、諸記録をほとんど焼失した。 宝暦3年(1753)には寺内の設備を整え、現在の本堂も完成した。 御本尊の薬師如来は秘仏で、33年毎に御開帳されるそうだ。、、、、、明治9年(1876)には、本堂を利用して豊玉小学校が開設された。
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・・・・・・・・・・ 本堂の右には、同年に建てられた庫裏がある 
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・・・・・・・・・・ 本堂の左には、宝永4年(1707)に再建された薬師堂
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・・・・・・・・・・ 薬師堂の前には、宝暦3年(1753)に建立された閻魔堂がある。 チョイト、中を覗いてみた、、、照明のない薄暗い堂内に、剥げ落ちた閻魔大王がいた。 閻魔大王の後ろの壁には病気平癒祈願成就によって奉納された15cmほどの木彫の地蔵尊がズラリ千躰程並べてあると言われている。、、、、、『本当に千躰あるのか(?) ウソだろう。 閻魔の嘘つき!』 
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・・・・・・・・・・ 江戸時代中期に建てられた鐘楼門。 三間一戸、入母屋造りで赤く塗られている。 門の左右には仁王像、上階には正徳5年(1715)銘の梵鐘がある。
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・・・・・・・・・・ この他に、赤門長屋門がある。 また、なぜか北海道開拓時代の建物を思い出させる、木造の集会場
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・・・・・・・・・・ 昭和7年(1932)首のない地蔵様が中村の道端にあった。 近所の住人が地蔵の首を酒代の形に持っていたので、継ぎ合わせたところピッタリと合った。 この不思議な仏縁から、「首継地蔵尊」と呼ばれている。、、、、、バラバラ事件の被害者となった地蔵さま、首が繋がり一安心。、、、、、首継地蔵尊は昭和60年頃(1985)までは、中村の八幡神社に祀られていたが、その後南蔵院に移された。
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大根のない畑・・・・・・・・・ 南蔵院を後にして西へ歩く。 ここは“練馬”だ、畑の大根を探しながら歩く。、、、、、住宅地の中に小さな畑を見つけた。 期待はずれで、大根畑ではなかった。 しばらくすると、向かいを歩くお姉さんの足もとに“大根”を発見!(失礼)
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バラバラ事件の現場?・・・・・・・・ 中村南3丁目に八幡神社がある。 この神社は旧中村の産土神で江戸時代からの総鎮守。 祭神は応神天皇。 社殿は江戸時代のものと言われているが“?”。、、、、八幡神社の別当は南蔵院であった。 神社の地は、南蔵院の末寺・西光寺(現:廃寺)の旧地である。 首継地蔵尊は、南蔵院に移されるまで当社の一画に祀られていた。 ここで、首と胴体がバラされたのか? はたまた、ここで、首と胴体が継がれたのか? どちらにしても殺人事件である。
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子連れ地蔵尊・・・・・・・ 中野区上鷺宮1丁目の中杉通り沿いに、北向きに建っている子連れの上鷺宮願かけ地蔵尊。 大きい舟型地蔵尊は、高さ約1.5m で正徳5年(1715)の銘がある。 小さい舟型地蔵尊は80cmほどの高さで、造立年は不明。、、、、、この2体の地蔵に祈願をする人は、白装束で夜中にお参りし、一心に祈願しながら子どもの地蔵を倒すのだ。 そうすると親の地蔵は子どもを起こして貰いたいため、願い事を聞き届けてくれる。 願い事が叶ったら、祈願した人は、自分が倒した地蔵を起こしに行くのだそうだ。 このような風変わりで、面白い信仰は、人家もまばらだった昭和30年頃(1955)まで続いたそうだ。 今の時代、こんなことしたら、付近の防犯カメラに撮られ、器物損壊で捕まり、ニュースに出演し、恥ずかしい思いをするだけ。
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閻魔と地蔵がコラボして天罰・・・・・・・・ 新青梅街道を渡り、西武新宿線鷺ノ宮駅 まで歩き帰ることにした。 歩きながら頭上に違和感を感じ、右手が頭を撫でる。 『アレ? 帽子がない! お気に入りのハンチングがない!』 カバンの中、ポケットを探すが、何処にも無い。 『ガァ~~ン! 南蔵院か、八幡神社か、置き忘れたようだ』 どうやら、今日は閻魔大王、首継地蔵尊に悪態をつき、天罰が当たった。 『あきらめきれずに あきらめた 去らば高価な ハンチング』、、、、、電車に乗っても、ハンチングのことが忘れられず、寂しく帰宅。
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