人助けした新大橋
日本列島を縦断した猛烈な台風24号が過ぎ去り、朝から台風一過の青空。 『さて、散歩に行くぞ!』と声を張りあげたが、チョイと待て『熱中症に御注意!』とNHKのお天気お姉さんの声。 『青空の下に出ると、なるほど、久しぶりの30℃超えは、お目々クラクラ、お肌イタイタ、日差しが強い』。 暑さに鈍くなった身体に要注意、急に心配になり、散歩は夕方にしよう!、、、、、改めて午後3時過ぎに、夕飯までの間散歩に出た。 浅草橋の我が家から中央区浜町を抜け、「新大橋」を渡り江東区森下へ、墨田区両国を周り、両国橋を渡り我が家まで、1万歩の散歩をしました。、、、、、今日の話は新大橋です。
●古くなった新大橋・・・・・・・・・・まず現在の新大橋は、隅田川に架かり、橋上には新大橋通り(都道50号)をとおす2径間連続斜張橋。 西岸は中央区日本橋浜町、東岸は江東区新大橋。 橋長は 170.0m、幅員は 24.0m、竣工 昭和52年(1977)3月27日。 橋の中間に黄色の塔が2本、空に向かって伸び、塔から両岸方向に出た、2本のケーブルが桁を支えている。シンプルな構造の斜張橋である。、、、、、竣工してから既に41年になる、“新”大橋ではなく、“古”大橋であるが、古さを感じさせない橋。
●チョイト、助平心で下からパチリ・・・・・・・・・・普段見ることが少ない橋底。 スカートの中を見る気分に似ているのかな? 両岸には耐震装置も付いている。
●夕日に照らされ・・・・・・・・そろそろ、夜の顔に変わる時刻?
●現新大橋は何代目?・・・・・・・・・・元禄6年(1694)12月7日、隅田川に3番目の橋として「新大橋」が架けられた。 「大橋」とよばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と命名された。、、、、、その後、新大橋は幾度も、流失、崩壊し、その都度架け替えられ、回数は20回以上になったそうだ。 最後の木橋は、明治18年(1885)に架けられた。、、、、、明治45年(1912)7月19日にはピントラス式の鉄橋として現在位置に架けられた。 この橋は、戦後まで使用され、現在の橋に変わることになった。 旧新大橋は、現在、愛知県の明治村に移築保存されている。
・・・・・・・・・・・・・西岸の説明板に載っていた旧新大橋の写真。
・・・・・・・・・・・・・・東岸には旧新大橋の橋柱が保存されている。
・・・・・・・・・・・・・・関東大震災の折には、旧新大橋は他の橋がことごとく焼け落ちる中で唯一被災せずに残り、避難道として、多くの命を救った。、、、、、それからは、「人助け橋(お助け橋)」と称されている。 震災後、このとき助けられた人により、「震災避難記念碑」が西岸に建てられた。
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