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2018年11月19日 (月)

古道を歩く、大塚道・王子道

我が家で地図を見ていたら、大塚駅前から都電荒川線沿いに一般道が飛鳥山まで伸びている。 一般道は町ごとに、折戸通り、栄通り、お岩通りなど、名がついている。 各通りは以前歩いたこともあるが、今日は大塚駅から王子駅まで通しで歩いてきた。 1万歩。
 
 
 
●レトロ感が残る駅・・・・・・・・JR大塚駅は、明治36年(1903)の池袋~田端間開通時に、池袋・巣鴨・駒込の3駅と同時に開業した。 その後、明治44年(1911)に王子電気軌道(=王電、現:荒川線)が大塚~飛鳥山間で開業する。 この時、王電の現:大塚駅前停留場は現JRの真下に乗り入れた。、、、、大塚駅ガード下の停留場、レトロな感じが残ってるね!
 
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・・・・・・・・・・・・・大塚駅ホームから見下ろす北口駅前。 右端のビル陰に大塚道がある。
 
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●流転の不動・・・・・・・・大塚駅北口前のビルの一角に「瀧不動」が祀らている。、、、かつて、大塚駅の北から南東方向に谷端川が流れていた頃、現:豊島区北大塚1-14付近の谷端川沿いに石造不動明王立像があり、地元の人々の信仰を集めていた。 川の流れが小さな滝のようになっていた場所に位置していたため「瀧不動」と呼ばれていた。 ところが、昭和10年(1935)頃に行なわれた谷端川の暗渠化工事に伴い「瀧不動」は所在場所の近隣居住者の個人所有となり、敷地内で維持管理されるようになった。 その後、昭和20年(1945)4月の空襲で直撃を受け、台座部分を残し破損した。 昭和30年(1955)頃、かつての所有者が石造不動明王坐像として再造立し、空襲の際に破損を免れた台座に据え、所有者敷地内に安置した。 その後、平成11年(1999)の所有者自社ビル建築に伴い、石造不動明王坐像も現在地に移設・安置された。、、、、いろいろ苦労を重ねた石仏のようだ。 駅前なので、行き交う人の中には手を合わせて行く姿が見られる。 きっと、ご利益あるよ!
 
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●古道だった折戸通り・・・・・大塚駅前から北上し庚申塚交差点までの「折戸通り(おりどどうり)」。 この道は、鎌倉時代頃にはあった「大塚道」で古道である。
 
・・・・・・・・・・・・・「折戸通り」の入口。 折戸は、この付近の旧地名。
 
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・・・・・・・・・・・・・通りの奥から、ガタンゴトン・ガタンゴトン、電車の走る音が聞こえる! 大塚駅前停留場を出た電車が、次の巣鴨新田停留場に向かう音だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・通りの両側は“元気な商店街”という雰囲気はないが、そこそこの数の店舗が並んでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・折戸通りに面する文化の発信拠点を2つ。、、、、平成6年(1994)に完成した座席数約130の萬劇場は、年間50~60本の演劇公演が行われているそうだ。 また、2台のグランドピアノをそなえた、座席数50の音楽サロン:西巣鴨音楽堂。、、、、小劇場に小ホール、ぜひ一度は行ってみないと!
 
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・・・・・・・・・・・・・折戸通りの終わりは庚申塚交差点
 
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●美人に弱い猿田彦・・・・・・・・・・折戸通りが巣鴨地蔵通りにぶつかる庚申塚交差点角に巣鴨庚申塚がある。 巣鴨庚申塚は江戸時代中山道の立場として栄え、旅人の休憩所として簡単な茶店もあり、人足や馬の世話もしていました。 ここは中山道板橋の宿場にも近く、地蔵通りを巣鴨駅の方から来ると、右に向かえば桜の名所:飛鳥山にでる王子道。 左に向かうと今来た大塚道(折戸通り)である。 庚申塚には、道しるべを兼ねた立派な庚申塔が建っていたそうだが、今は庚申塚に埋められていると言われている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・現在は、庚申塚に猿田彦大神を合祀している。、、、、猿田彦大神は、天孫降臨の時に天の神々の通り道に立ちふさがっていた神で、猿とは直接的な関係はない。 その時、この猿田彦を色気で悩殺し、天孫降臨を先導させたのは、天照大神が天岩戸にこもったとき、胸乳をかき出し腰巻をズリ下げてベリーダンスをした美人の天鈿女命(あめのうずめのみこと)である。(私も同席して踊りを見たかった) この先導以来、猿田彦は「道と境界を守る神」つまり道祖神と同一視され、信仰されるようになる。、、、、庚申堂では、狛犬に変わり猿神。
 
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・・・・・・・・・・・・・すぐ近くには「庚申塚停留場
 
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●アッという間に通り抜け・・・・・・・・・・庚申塚交差点から北に「栄和通り」となる。 この交差点が、飛鳥山に向かう古道「王子道」の始まり。 栄和通りは都電に並行して、白山通り(国道17号)までの約300mである。 
 
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・・・・・・・・・・・・・白山通りを挟み「新庚申塚停留場」がある。
 
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●巣鴨の四谷怪談・・・・・・・・・白山通りから、王子道は「お岩通り」と呼び名が変わる。 お岩通りは、途中に四谷怪談のお岩様の墓があることから名付けられた。 お岩通りの端は西ヶ原4丁目。
 
・・・・・・・・・・・・写真、右端から中央奥に向かう道がお岩通り。 幽霊は出ません!
 
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・・・・・・・・・・・・・踏切の正面に、お岩様の墓がある妙行寺 。 お岩様は田宮家により丁重に弔われ一段高い処に祀られている。 階段下に田宮家の墓が並ぶ。、、、、この寺は四ツ谷にあったが明治42年(1909)に現在地に移転した。 それで、お岩様も縁がなかった、巣鴨のお地蔵様の近くに引っ越したという。
 
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・・・・・・・・・・・・・お岩通りの終点。 西ヶ原4丁目。
 
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●飛鳥山までもう少し・・・・・・・・・・・・西ヶ原4丁目から先の王子道には、愛称はつけられてない。 名無しの道は飛鳥山停留場までの続く。
 
・・・・・・・・・・・・西ヶ原四丁目停留場。 王子道は都電とクロスする。
 
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・・・・・・・・・・・・・・滝野川1丁目には、「元文五庚申」(1740)「十二月吉日」が読み取れる庚申塔が道端にある。、、、、庚申塔に綺麗な花が、ご近所のお婆さんが供えたものか? このような供え物をするお爺さんを想像するには無理があるね。
 
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・・・・・・・・・・・・・手入れの行き届いた木造住宅。 どちらも、雨戸が閉められているが、空き家ではないようだ。 将来に向け残して欲しい住宅だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・大正13年(1924)創立の桜丘中学・高等学校円形校舎が見える。、、、、、円形校舎は、建物の平面形状が円筒形になっている校舎で、昭和30年代(1955)頃に多数建設された。 円形にすることで廊下や壁が節約でき、建設コストを安く押さえることができ、狭い土地を有効活用できることから、注目されブームとなり全国で100棟以上建てられた。 しかし、その後は建設されず、築後50年以上経過した現在は残っている建物も少なくなってきた。、、、、建物が授業中に回転すると面白いね!
 
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・・・・・・・・・・・・・飛鳥山に近づき道幅は狭くなって約50m進むと、明治通りに出る。 
 
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・・・・・・・・・・・・・「飛鳥山停留場」も近い。 停留場の前は飛鳥山 。 これにて、本日の王子道の散歩は終わり。
 
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●・・・・・・・・・・・王子駅から帰宅。 
 
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