大森の閻魔大王
大森の密厳院に閻魔大王が居ると聞き、ぜひお会いしたくなった。 チョイト事前の情報を整理していたら、その寺には八百屋お七の地蔵さまも居ると判り、こちらにもお会いしてみたくなった。 お寺は大森海岸駅の近く、ならば、お七が火炙りになった鈴ヶ森にも寄ってみよう。、、、、、、そう云うことで、京浜急行立会川駅から平和島駅まで、9千歩の散歩です。
● 通過します!・・・・・・・ 特急電車は遠慮もなく、猛スピードで通過していく、ベンチに座ったお客は動かない。 チョイト悲しくなる立会川駅。、、、、、明治37年(1904)5月8日に開業


● 神社のM&A・・・・・・・・ 立会川駅から南へ100mたらず、この地の鎮守:天祖・諏訪神社がある。天祖神社の祭神は天照大神と豊受大神で、諏訪神社は、建御名方刀美神と小碓命を祭神とし、両社を併せて古くは神明宮・諏訪社と称し、かつては東京湾に面し、立会川を挟んで並んで祀られていた。 天祖神社の創建は、西暦1100年から1190年頃に遡ると謂われている。 諏訪神社は、江戸時代初期の寛永8年(1631)以前の創建と思われる。 両社は昭和40年(1965)に合祀され天祖・諏訪神社と称されるようになった。、、、、綺麗に均整のとれた社殿は、昭和40年(1965)に改築された。


● 家康も歩いた旧街道・・・・・・・・ 北品川~鮫洲辺りまでは商店が並び、『旧東海道』として賑わいのある道だが、、、、しかし、立会川を越えると商店は少なく、会社・マンションなどが目立つ。 何か、面白いものはないか、左右に首振り歩く。 何もない!


・・・・・・・・・・ 看板建築の建物があった! 味わい深い建物である

・・・・・・・・・・ こちらは、海運稲荷神社。 海運業の商家が商売繁盛を願い祀ったのかな?

● 南無妙法蓮華経・・・・・・・・ 旧東海道が第一京浜国道にぶつかる品川区南大井に鈴ヶ森刑場跡がある。 鈴ヶ森刑場は、日光街道の小塚原刑場、中仙道の板橋刑場とともに3大刑場といわれた。 徳川幕府の南の処刑場である。 この近くにある鈴ヶ森八幡社(磐井神社)に鈴石(振ると音がする酸化鉄の一種)があったため、いつの頃からか「鈴ヶ森」と呼ばれるようになった。、、、、刑場は、慶安4年(1651)に開設された。 間口40間(74m)×奥行9間(16m)という広さがあり、閉鎖される明治4年までの220年の間に10万人から20万人もの罪人が処刑されたといわれている。、、、、、刑場は東海道に面し、江戸への入口にある。 当時は浪人による犯罪も増え、彼らに警告を与える意味でこの場所を選んだと言われている。、、、、刑場に隣接する日蓮宗の寺院:鈴森山大経寺が無縁受刑者の回向供養を専らとし、現在に至る。


・・・・・・・・・・ 磔台と火炙台の石が残されている。 花と線香が供えられている

・・・・・・・・・・ 四角い石に四角い穴があいた磔台(はりつけだい)、、、、、説明文によると、丸橋忠弥を始め罪人がこの台の上で処刑された。 真中の穴に丈余の角柱が立てられその上部に縛りつけて刺殺したのである。、、、、、、十字架のようなものに縛られ、下から槍で刺される、磔は痛そうだ、刑の執行も見たくない!

・・・・・・・・・・ 丸い石に丸い穴があいた火炙台(ひあぶりだい)、、、、、説明文によると、八百屋お七を始め火炙の処刑者は皆この石上で生きたまま焼き殺された。 真中の穴に鉄柱を立て足下に薪をつみ縛りつけて処刑されたのである。、、、、、想像を絶する怖さ、懇ろに手を合わせてきた!

● 鈴ヶ森刑場跡付近で、第一京浜国道(国道15号)を横断し、京急大森海岸駅前を抜け、大田区大森北の町に入る。



・・・・・・・・・・ 大森北のカトリック大森教会にお立ち寄り。 大正時代に創立し、昭和初期は高さ17mの鐘楼を持つゴシック式の素晴らしい建物の教会であった。 昭和20年(1945)の空襲で教会は焼け落ち、昭和47年に現在の聖堂が完成した。


● 閻魔さんも八百屋さんも・・・・・・・ 大田区大森北3丁目、本日の散歩の目的地:密厳院がある。 真言宗智山派寺院の密厳院は、八幡山祈念寺と号し、文安5年(1448)に法印雲誉が創建したといわれています。、、、、、モダンな本堂が建てられた。



・・・・・・・・・・ 顎髭のある閻魔大王は本堂の御本尊の脇に祀られていた。 像は江戸時代の物で、約115cmとのこと。 本堂新築の折りに閻魔大王像も修復されたそうで、ピカピカの綺麗な姿をしていた。 チョイト、迫力不足だ!

・・・・・・・・・・ 境内にある石造地蔵菩薩立像(お七地蔵)は、高さ1.6m。 天和2年(1682)、恋故に放火の罪に問われ、鈴ヶ森刑場で火炙りの刑に処せられた八百屋お七の霊を供養するために、お七の住んでいた小石川の念仏講の人々が、三回忌にあたる貞享2年(1685)に建てたもの。(写真:中央)、、、、、地蔵さんではお七の容姿が想像できない。 美人だったのか気になるところ。

● 浄土真宗本願寺派寺院の最徳寺は、明光山と号す。 寺は、文暦元年(1234)鎌倉において藤原氏の一族永頓開基、権少僧都永順が開山したと言われている。徳川家康の関東入国後に当地へ移転した。

● 稲荷すし詰め・・・・・・・・ 最徳寺から平和島駅まで、約600mほどの道沿いに数社の稲荷がある。 稲荷、稲荷、稲荷、と続く
・・・・・・・・・・ その1、、、、、東貫森稲荷神社

・・・・・・・・・・ その2、、、、、穀豊稲荷神社、、、、町内会館と同居?

・・・・・・・・・・ その3、、、、、、甘酒稲荷神社、、、、咳に効く神で、治ると甘酒を献じる




« 壁に藁束つめた奏楽堂 | トップページ | 東糀谷の双子の水門 »
「散歩」カテゴリの記事
- 西川口から南鳩ケ谷まで(2025.06.12)
- 松戸のあじさい寺(2025.06.07)
- 青砥から関屋まで(2025.06.05)
- 下尾久石尊(2025.05.28)
- 谷津バラ園(2025.05.26)