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2018年11月 4日 (日)

貝塚がある奥戸

肌寒い薄曇りの朝である、『散歩してくる』と家を出たが、さてどっち方面に向かうか? 考えながら浅草橋駅へ、JRに乗るなら2階改札、浅草線なら地下の改札。 迷ったあげく、敬老パスで乗れる浅草線に。 ホームに立ってまた迷う、押上方面か、泉岳寺方面か。 タイミングよく、成田空港行の快速が来た。 乗ってからまたまた迷う、何処で降りようか? とうとう押上を過ぎ快速区間となり、いくつかの駅を通過するので、とりあえず、次の青砥駅で下車した。 駅ホームから町を眺めると、青砥橋が見えた、『今日の散歩は、青砥橋を渡り、奥戸の町を歩こう!』 これで決まり。
今日の散歩は、京成青砥駅から、奥戸の町を抜けて新小岩駅まで。 1万1千歩。



ホームは見晴らし良し・・・・・・・・ 青砥駅 の下り(成田方面)ホームは、一般のビルより高い3階にあり、眺望抜群。 電車もよく見える。

・・・・・・・・・・ 3階ホームの先は屋根がないので、ヤッホ~~
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・・・・・・・・・・ 中川、青砥橋が見える、もちろん電車も見える。 よし、このあと、青砥橋を渡ろう!
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30年程前にできた橋・・・・・・・・ 青砥駅の東側を流れ下る中川に青砥橋が架かる。 青砥橋は、橋上を環七通りがとおり、右岸の青戸2丁目と左岸の高砂1丁目を結ぶ、昭和60年(1985)1月に開通した橋。 橋長は640.8m、、、、、現在の橋が架かるまでは、渡し船もなかったそうだ。
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・・・・・・・・・・ 青砥橋から見る中川の分岐点。 写真左から流れ下る中川は、中央で中川新中川に分岐する。 右奥に流れ下るのは新中川。 中川は手前に流れてくる。
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戦後の大工事・・・・・・・・ 砥橋を渡ると高砂1丁目。 高砂1丁目は、なぜか、高砂駅、高砂2~8丁目とは新中川で隔てられ、チョイト飛地のような状態。 その1丁目で、中川と新中川が分岐する先っぽに新中川通水記念公園がある。、、、、、東京都(東京府)は、戦前から中川の洪水対策として中川放水路(現:新中川)の建設を計画し、一部着工していた。 戦後、カスリーン台風による洪水で甚大な被害をこうむり、放水路建設を再着工した。 新中川は昭和38年(1963)に第一期工事が完成し通水に成功した。 その時の記念に、公園内に立派な記念碑が建てられている。 碑には、細かい字でウンジャラ・カンジャラ・ゴチャゴチャ書かれているが、その中に「一 主要建造物 道路橋 一六橋   鉄道橋 二橋   排水所 四箇所   伏越 三箇所   水門 一箇所   一 総工費 五十三億八千百万円   昭和三十八年九月一日建立」と記されていた。 大工事だったそうだ。
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日活青春映画の橋・・・・・・・・ 新中川通水記念公園から新中川を200m程下流に行くと、掘削工事に伴い架橋した高砂諏訪橋が架かっている。 高砂諏訪橋(たかさごすわばし)は、新中川の最上流に架かる橋で、左岸(東岸)の高砂2丁目と右岸(西岸)の高砂1丁目を結ぶ。 幅員は4.5mしかない、そろそろ架け替えの話も出るのでは?、、、、下流側に人道橋が増設され人車分離されている。、、、、、昭和40年頃の日活青春映画の、吉永小百合、浜田光夫が自転車で橋を渡るシーンに出てきそうな橋だ。
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奥戸の町? 知らない?・・・・・・・・「奥戸」聞いたことのある地名だが、何処にあるの? 多分、多くの人はこんな感じだと思う。 私も、「奥戸」の名所は?「奥戸」と聞いて思い出すのは?、即答できない。 環七通りから外れ、奥戸3丁目付近を通り抜けてきた。

・・・・・・・・・・ 奥戸7丁目北交差点の角にある小さな祠の水神社。 境内の清掃はしっかり行われている。
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・・・・・・・・・・ 奥戸村の鎮守である奥戸天祖神社
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・・・・・・・・・・ 『何だか、特徴のない通りだな!』と、ブツブツ独り言。 するとがあった。 JA(農協)もあった。、、、、、この辺は都会か?、田舎か?、住宅地か?、何なの? 混合・ミックス・まぜこぜ・グチャグチャ?
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・・・・・・・・・・ そうだ!森永乳業の工場もあったんだ。 牛はいないようだが!
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・・・・・・・・・・ 『けっこう広い空き地だ、マンションがたつのかな?』と、思いながら、草茫々の空き地の前に来ると、「鬼塚」の案内板がある。、、、、、塚のいわれは不明だが、「鬼塚」と呼ばれるこの塚は、室町時代と江戸時代の2度にわたって築造されている。 平面型は方形ないし不整の円をなし、東西約13.9m、南北約15.4m、高さ約1.0m(海抜)の大きさ。 室町時代においては、東西約8m、南北約8.5m、高さ約70cmの方形の塚が造られ、中央に土坑が穿たれていた。 その中からは石臼、陶器鉢が出土。 塚の南側には、ハマグリを主体とした貝殻が堆積していた。 この小貝塚は、生業活動に伴う何らかの儀礼行為の結果と判断されている。 江戸時代になると、稲荷を祀るために、中世の塚の上にさらに土を盛り、塚を作り直している。 塚の上に寛保2年(1742)銘の祠がある。 鬼塚は室町・江戸時代を通して、この地域に生活した人々の精神文化を知る上で、きわめて貴重な史料だそうだ。、、、、、いくら貴重でも、国宝、世界遺産にはならないと思われる。
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・・・・・・・・・・ 奥戸には貝塚まであった。 何でもある町だ!、、、、その奥戸の町とは別れ、東新小岩6、7丁目から『みのり商店会』を歩き新小岩駅へ向かう。 商店会は南北数百メートルに100店舗程で構成されている。、、、、、まだどの店も開店準備中で、営業している店は少なく、元気な商店街か?疲れた商店街か?判断つかない。
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またまた新小岩・・・・・・・ 今日も新小岩駅から帰宅する

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