曇り空の下、赤羽台3丁目・4丁目を歩いてきた。 赤羽駅から埼京線北赤羽駅までの1万歩。、、、、赤羽台1丁目・2丁目は、昭和37年(1962)に竣工した、日本住宅公団の大規模団地である「
赤羽台団地 」が建っている。 現在は団地も建て替えられ、URの「
ヌーヴェル赤羽台」とシャレた名に変わっている。 3丁目・4丁目は、ヌーヴェル赤羽台の北側で、東北新幹線・埼京線沿いの南側の戸建て住宅の多い地区である。
・・・・・・・・・・・・「赤羽台」と称する町(村)は昔から存在していたわけではない。 まず1丁目・2丁目の土地には、終戦前まで陸軍被服本廠があり、戦後米軍に接収され、昭和34年(1959)に返還された。 そこに公団の団地が建設され、赤羽台1丁目・2丁目と命名された。 次に、昭和39年(1974)の住居表示にて、かつての赤羽町、袋町などが赤羽台3丁目・4丁目となった。、、、、、「赤羽台」という呼称は、戦前、陸軍が使用していた隠語で、赤羽の高台を意味する。 同じように、「相武台」(相模原市・座間市)は陸軍士官学校、「日吉台」(横浜市、現:慶応大)は海軍軍令部などがあった。 軍部の隠語が戦後の住居表示で復活したのだ。
●・・・・・・・・・・・通勤・通学客の少ない、日曜の赤羽駅で下車し散歩のスタート。
●一般通行禁止の坂・・・・・・・・・・赤羽駅から東北新幹線・埼京線の高架橋沿いに北へ300m程歩く。
・・・・・・・・・・・・・赤羽台3丁目に入ってスグ赤羽台1丁目に向かう上りの「うつり坂」がある。、、、、この坂は旧板橋街道の坂の一つであった。 旧陸軍被服本廠が大正8年(1919)に赤羽に移転してきた時から被服本廠通用門への坂となり、関係者以外の通行はできなくなった。 戦後被服本廠跡地に赤羽台団地ができ、元のように誰もが通れる坂道となった。、、、、坂名の由来は誰も知らないようだ、謎の坂名?
・・・・・・・・・・・・・・坂の上は、旧赤羽台団地の一部が更地となっている、またその奥にはヌヴェール赤羽台が建っている。 その更地の手前に、赤羽台団地の名残である54号棟・55号棟の2棟の建物が取り壊されるのを待っている。、、、、空き家となった建物を見ていると、この団地で生まれ育った人が想像され、もの悲しくなり目が潤んできた。
●ドロボウ気分でコッソリ歩く!・・・・・・・・・うつり坂の中程から赤羽台3丁目の裏道を歩く。 私好みの裏道(路地)で、クネクネ曲がり、途中に階段あり、玄関前をコッソリ歩いて、墓地に横に出た!
・・・・・・・・・・・・・道の脇(赤羽台3-4)に「陸軍」の境界石を発見。 この辺りは、どこにでも軍の施設があったと思われる。 戦後70余年、よくぞ残った境界石。 (上の写真の赤〇印)
●二つの赤羽台トンネル・・・・・・・・・赤羽駅を通過し北に向かう新幹線は埼京線とともに、赤羽駅~北赤羽駅間にある総延長585mの複々線鉄道トンネル:「赤羽台トンネル」に入る。
・・・・・・・・・・・・・・トンネルの上には、かつて旧陸軍の近衛師団と第一師団に所属した2つの工兵大隊があった。 その跡地は現在は星美学園、東京北医療センターなどがある。、、、、星美学園は本日、クリスマスバザーが行われていた。 気の弱い私には“女学校”と聞いただけで、恐れをなし近づきがたい処、正門前で遠くからパチリ!
・・・・・・・・・・・・・また、新幹線ルート沿いに赤羽八幡神社入口から星美学園正門前に上る坂がある。 この坂は、旧陸軍の2つの工兵大隊に向かう坂道で、「師団坂」と呼ばれた。
・・・・・・・・・・・・・・【チョイトおまけ】 「赤羽台トンネル」と呼ぶトンネルは、実は2か所ある。 もう一か所は赤羽駅に近い、赤羽台1丁目に在る。 ヌヴェール赤羽台(赤羽台団地)の下を抜ける道路トンネルである。、、、、平成2年(1990)に着工し、平成4年(1992)に完成した。
●Ⅴゾーンの神社・・・・・・・・・・・赤羽駅の北側で、東北本線・京浜東北線などと、東北新幹線・埼京線などが、Ⅴ字形に分かれる。 その二又に別れる間の地点に赤羽八幡神社がある。 社務所は赤羽台トンネルの真上だ!、、、、、赤羽八幡神社の創建は不詳だが、延暦年中(782~806)坂上田村麻呂が東征の際に当地に陣を敷き祭神を勧請したのにはじまると言われている。 その後、源頼光、源頼政、太田道灌らが八幡神社維持に尽力し、江戸時代には徳川幕府から7石余の朱印を受けていた。 歴史ある古社。、、、、神社、隣りの星美学園(旧陸軍工兵第一大隊兵舎跡)、東京北医療センター(旧陸軍近衛工兵大隊兵舎跡)およびその周辺にかけての台地上の一帯は、八幡原と呼ばれた。
・・・・・・・・・・・・・・神社には、新幹線・埼京線の高架下抜けて、鳥居のあるⅤゾーンにはいる。 鳥居の脇には「八幡宮 是ヨリ左へ一丁」と彫られた、天保11年の道標もある。、、、、下の写真で、参道脇のフェンスの中に草の生えた空き地がある。 この空き地は、戦前、東北本線を北から上ってきた列車が荒川の鉄橋を渡って、東京に入ったとこで分岐し神社の前をとおり、陸軍赤羽火薬庫(現:桐ヶ丘団地)、陸軍被服本廠(赤羽台団地)へ向かう軍用線の跡である。
・・・・・・・・・・・・・・キツイ、急な階段と社殿。
・・・・・・・・・・・・・アレ!でっかいアレがあった。 隣に「なで牛」の案内がある。 かんじんの「なで牛」はナント小さいことか、足下にある。 牛を撫でずに、アレの先っぽを撫で撫でしてきた。 御利益、乞う御期待!
・・・・・・・・・・・・・こちらの神社、石碑などが好きなようで、境内には、日露戦争記念碑、日露戦争紀年碑、各種樹木境内奉納記念碑、石坂碑、神域整備完成記念石坂、忠魂碑、などなど、もっとある。 他に、境内社も多い。 軍の工一記念碑や赤羽招魂社(旧工兵第一大隊兵舎内にあった招魂社)などもある。
・・・・・・・・・・・・・境内から見るⅤゾーン。 ここからは、赤羽駅を通る全ての列車を見ることができる。 右から、新幹線・埼京線、左に東北本線・京浜東北線などを! 鉄道ファンにはたまらないね。
●赤羽台の高台・・・・・・・・・・・・赤羽台4丁目の住宅地を歩いてみる。 戦後の分譲地? 小さな区画に木造住宅が建ち並んでいる。
・・・・・・・・・・・・・・4丁目の東京北医療センターの脇に「赤羽台さくら並木公園」がある。 ここは、近衛師団工兵第一大隊の跡地で、現在は東京北医療センターとなっている。 南の斜面が整備されて区立公園となった。 嘗ては射撃場だった。 誤射した際にも弾が脇に逸れないようにという配慮がなされている。 園内の斜面に、当時の防空壕が残っている。、、、、、チョイと小さいようだが、数人用の防空壕かな?
●透けて見える新幹線・・・・・・・・・・・
北赤羽駅は、昭和60年(1985)、国鉄時代に開業した埼京線の駅。 島式ホーム1面2線の高架駅で、ホームは新河岸川の上にあり、改札口は川を挟んで赤羽寄りに「赤羽口」、大宮寄りに「浮間口」の2カ所がある。 ホームの隣りには新幹線が走っているのが見える。、、、、、駅が川の真上に在る、珍しい“河川橋上駅”の一つで、都内には、当駅のほか都営新宿線の
東大島駅がある。