将軍を看病したお花茶屋
京成押上線四ツ木駅から堀切菖蒲園駅をとおり常磐線綾瀬駅まで歩く予定で、四ツ木駅を下車した。 歩いているうちに、どこかで終着地が変わり、京成本線お花茶屋駅まで歩いてきた。 1万2千歩。
●ハッピー!・・・・・・・京急新1000形車両を黄色に特別塗装した、幸せを運ぶ『KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN』に乗り、四ツ木駅で下車する。、、、、、ホームは濡れ、空はどんより、傘が無いけど大丈夫かな? 雨降れば、通りがかり娘が、『よろしければ、私と御一緒に・・・』と、傘を差しだしてくれることに期待して、散歩を続ける。
●葛飾の豪族の館跡・・・・・・・・四ツ木駅から300m程北に、天台宗の寺院、超越山来迎院西光寺がある。 西光寺は、嘉禄元年(1225)に創建された。 当地は鎌倉時代の豪族:葛西清重の居館跡と言われている。、、、、、、葛西清重は鎌倉三代将軍(源頼朝・頼家・實朝)に仕えた武将。 四ツ木を中心に金町・亀有・掘切・篠崎・瑞江・木場あたりまで葛西氏の領地だったと伝えられている。 本堂裏に清重塚がある。
●清重の城下町?・・・・・・・・・「葛飾区四つ木」の町をはずれ、「堀切」の町を歩く。 まだ朝なので、店は開いていないのか? それとも廃業したのか? チョイト、判断に悩む店が多い!、、、、、町工場も点在する、、、、、かつて農家、今は地主も多そうだ。
●タコも治すか疣取り地蔵・・・・・・・・・・・堀切菖蒲園の東側に、真言宗豊山派の極楽寺がある。 医王山薬王院と号す。 宝徳元年(1449)に紀伊根来寺の普闍梨が創建したと伝えられている。、、、、良く言えば、素朴な寺。 チョイト、言わせてもらうと廃寺と間違える寺。、、、、、写真は右:本堂、左:薬師堂。
・・・・・・・・・・・・・山門前の「いぼとり地蔵」は有名で、この地蔵に塩をふりかけ、その塩を疣(いぼ)にすりこむと良く治ると伝えられている。、、、、、『この塩をタコにすり込んだら、どうなる?』 『塩たこ焼きになる!』 『ブー、×。 そうではなくて、“疣”と“魚の目”と“タコ”のタコ。 タコも治るかな、試してみて!』
●裏道散歩!・・・・・・・・・極楽寺に寄った後、裏道を選んで歩き、堀切菖蒲園駅とは離れた方向に歩いてしまった。
・・・・・・・・・・・・・・堀切の医院か(?) 廃業したみたいで、看板も出ていない。 白い壁に規則正しく並んだ窓、なんだか子供の頃の、町の医院を思い出す。
・・・・・・・・・・・・・・曲がりくねった堀切の裏通りを歩く。
・・・・・・・・・・・・・日蓮宗寺院の妙源寺の前に出てきた。 正覚山妙源寺は、嘉元2年(1304)あるいは建武年中(1334~36)に創建された。 本所番場町(墨田区東駒形1丁目)にあって、大名・儒者・歌舞伎役者の菩提寺として栄えた。 関東大震災後の大正15年(1926)、現在地へ移転した。
・・・・・・・・・・・・・・・こちらは米屋さんのようだ。 雰囲気のある建物、いいね!
・・・・・・・・・・・・・この辺りから住所は「葛飾区宝町」となる。 裏通りの銭湯:「富士の湯」は開店前の掃除中。 昭和28年(1953)の創業。
・・・・・・・・・・・・・・宝町の「八幡神社」。 江戸時代初期の創建か? 現:宝町の前身:宝木塚村の鎮守社である。、、、、、お賽銭は50円玉にした。
・・・・・・・・・・・・・京成本線の線路脇を歩き、お花茶屋駅に向かう。
●チョイト、終活・・・・・・・・・・・お花茶屋駅前を通過し、チョイト自分の終活で、新装なった斎場を見てきた。、、、、、「四ツ木斎場」は駅から近く便利な所にある。 建物は4階建てで、2年前の平成28年(2016)12月に竣工した。 モダンで綺麗な建物だ、最新式の火葬炉が12基備えられている。 式場も5室あり、葬式もバッチシ。(結婚式はダメ!) 、、、、建物の設計は石本建築事務所、施工は熊谷組。
●お花ちゃんの駅・・・・・・・・・京成本線お花茶屋駅は昭和6年(1931)12月19日に開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅、駅舎は橋上。、、、、駅名の「お花茶屋」は地名でもある。 その由来は、江戸時代、幕府八代将軍の徳川吉宗が鷹狩りに興じていた際に、腹痛を起こした。その時、名をお花という茶屋の娘の看病により快気したとの言い伝えがある。この出来事により、現在の地名を賜った。
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