東上線の歴史をチョッピリ
東武東上線沿いに歩いてみようと思い、池袋から3駅先の大山まで、1万2千歩の散歩です。
・・・・・・・・・・・・・・東武東上線(正式には「東武東上本線」)は、川越の豪商、出雲大社の宮司などが発起人となり、明治36年(1903)に東上鉄道を発起したが出資者が集まらず、根津嘉一郎に会社設立を託した。 明治44年(1911)に、根津嘉一郎の下で東上鉄道が設立され、本社所在地は現在の墨田区押上の東武鉄道本社に置かれた。 “東上”の名は「東京」と「上州(群馬県渋川)」を結ぶ鉄道を意味し、名付けられた。 大正3年(1914)5月1日に池袋~田面沢(現:川越市付近)間が開業。 大正14年(1925)には、池袋~寄居間の全線が開通。
●地上に出るとホットする駅・・・・・・・・・・JRの池袋駅は明治36年(1903)に周囲に何もない田舎の途中駅として開業した。 この当時は、まだ山手線の丸い線路は開通していない。 それから、11年後の大正3年(1914)5月1日、東武東上線の池袋駅が開業した。、、、、現在の東武東上線の池袋駅は、東武百貨店の1階にある。 頭端式ホーム3面3線の地上駅である。 改札口は北口・中央北口・中央南口と正面の南口の4か所あるが、多くは地下の連絡通路に面しており、たまにしか訪れない私には改札を出ても、『ここは何処? 地上出口はどっち? 右に行くの?左に行くの? 誰か教えて!』
●どこのお宿も混浴?・・・・・・・池袋駅を出て東上線沿いに歩く。
・・・・・・・・・・・・・・昨日はクリスマスイブ、この辺りのホテルはきっと満室だったと思うね。 鶯谷もそうだが、なぜか線路沿いにあるホテル街。、、、、、どこのお宿も混浴?
・・・・・・・・・・・・・川越街道をこえ、北池袋駅に向かう。
●浅草橋駅も負けた!・・・・・・・・・池袋の次の駅が北池袋。 併走するJR埼京線(赤羽線)の池袋~板橋間にあるが、JR板橋駅や東上線の下板橋駅に近い。、、、、昭和9年(1934)5月1日に、東武堀之内駅として開業したが、昭和20年に東京大空襲で駅舎は被災し休止となり、その後廃止となる。 昭和26年(1951)、北池袋と名を変えて復活・再開する。、、、、1面2線の島式ホームがある地上駅。 ホームの両端にラッシュ時には開かずとなる埼京線と共用の踏切がある。
・・・・・・・・・・・・・・駅舎の脇に、電飾のトナカイに守られて「北池袋駅開設記念碑」が建てられている。、、、、我が家の最寄り駅:浅草橋駅はここより古い駅だが、記念碑なんて無い、負けた!
●下板橋駅は板橋区に戻るのか?・・・・・・・・・・・北池袋から近い、次の下板橋駅。 下板橋駅は大正3年(1914)5月1日に開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、駅舎は上りホームの川越寄りにある。、、、、駅舎・ホームともに豊島区池袋本町に所在する。 駅舎前の道路が、豊島区と板橋区の境で、旧駅舎は道路の反対側(板橋区側、現在は東上線の留置線がある)にあった。、、、、、【ないしょの話】 東武鉄道では、下板橋駅を旧駅舎のあった板橋区側の留置線の敷地内に移転し、駅舎の上部には日本大学医学部の附属病院を誘致する計画があった。 この話、日大側の都合で、どうやら頓挫しているようだ。
・・・・・・・・・・・・・・ホームの南側に、その名も「池袋本町 電車の見える公園」がある。 わざわざ、公園名に“電車の見える”と入れる程、気合の入った公園。 これはきっと、電車が見えやすいように、展望台があるとか、丘が築かれているとか、いい写真が撮れるように工夫が凝らされた公園と期待した。、、、、、行ってガッカリ、見てガッカリ、確かに見えるが、児童の遊具がある脇に電車が走っているだけだ! “詐欺だ!”と叫びたくなった。
●東上鉄道記念碑のある留置線・・・・・・・・・・・・・・下板橋駅の駅舎前(板橋区側の留置線敷地内)に「東上鉄道記念碑」がある。 東武東上線の前身である東上鉄道は、大正3年に池袋~田面沢間が開通した。 記念碑は、これを記念して大正8年(1919)5月に建てられた。
・・・・・・・・・・・・・・東上鉄道記念碑がある処には、数本の留置線がある。
●ドアが開かなかった駅・・・・・・・・・・・・・散歩の終点は、賑やかな駅前商店街に面する大山駅。 大山駅は昭和6年(1931)8月25日に開業した、相対式2面2線の地上駅。 かつてはホームの前後に踏切があった関係で、ホーム有効長は6両編成分であった。 そのため8両編成の電車は停車する際には2両分のドアが開かない「ドアカット」を行った。 その後、池袋寄りの踏切が地下道に改良され、ドアカットは解消された。
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